吸血姫 3
「…よろしく」
「警戒されてる?」
「ただの人見知りだよ、気にしないでくれ」
俺は緊張して、借りてきた猫みたいになってるマリアを抱えながらそう言った。肩車されながらムスッとするな。
「それじゃ、早速だが行くとするか。日が暮れる前には帰りたい」
まだ昼過ぎだが、油断していると直ぐに夕暮れになってしまう。早く済ませるに越したことはない。それは彼女も承知の内のようで、俺の言葉に柚子は頷く。
「で、討伐対象はなんだって?」
「ええと、血塗れの猪って奴」
猪か、まあ妥当なところか。能力的にはワイバーンやスーペリア・ガルムより、更に一段低いレベルだ。神領においては最低ランクに位置する魔獣の一種だろう。
だが、特筆すべき点が一つ。それが凶暴性だ。血走った目で敵を追い詰め、甚振ることを好むそいつは、多少の手傷を負ったとしても一分の隙きもなく攻めの手を緩めない。各種の剣技も意に介さないことから、俺としてはワイバーンたちよりも余程厄介な相手として捉えてる。
(スキアーさんだけじゃなく、俺としても好都合な試金石だな)
俺が苦手な相手を軽々と倒せるなら、勧誘相手としては申し分ない。
などと、考えている内に、血塗れの猪の痕跡を見つけた。この分なら、すぐに済むだろう。
「…と、探すまでもなかったか」
特別探すこともなく、すぐ近くに目標はいた。夢中で死肉にありついているそれは、俺達に気づく素振りも見せない。
「それじゃ、済ませてくるよ」
「一人で大丈夫か?」
軽い気分で聞いた俺の問いに、彼女は苛立ったように返した。
「あんまり、舐めないでよ。こう見えても、あっちじゃそれなりに鳴らしてたんだから」
憤慨したかのように言った彼女に、生憎、お前は見た目からして出来るやつだと思ってたよ、とは言わないまま、彼女を見送る。
「絡みとれ、蠢く蔦」
まず彼女が放ったのは魔法、土属性に類する魔法で相手の行動を阻害する効果を持つ。唐突に訪れた動きの制限に、血塗れの猪は動揺したように喉を鳴らした。
もしかすると彼女は―この時俺の頭に過ぎった推測が正しいことを、続く彼女の行動が証明した。
「飲み込め、呑み込む泥」
土属性のエキスパート!土属性の魔法を軽々と使いこなした彼女は、主に味方の能力の向上と敵の能力低下、それに妨害に長ける属性の適正が非常に高いことを示している。
ああ、実に俺が欲していた人材に合致する。猪程度は完封できるほどの使い手ならば、不足もない。
しかし、問題は決定打だが、あの猪を殺せる手段は持っているのだろうか。なんてのは要らぬ心配か、雷属性以外の適性が無い俺みたいなのはそうそういない。普通、魔法を主な戦闘手段とする手合は、2つか3つくらいの属性に高い適正を持っているはずだ。攻撃に向いた属性があればそれでいいし、そうでなくても土属性も攻撃手段がないわけではない。
(…!?)
しかし、彼女の行動は俺の予想とはかけ離れたものだった。彼女は無防備にも徒手空拳のまま、猪へ近寄っていったのだ。
まさか、そう思ったときには既に、彼女の行動は始まっていた。
「鬼腕開放―」
吸血鬼は神にさえ匹敵する膂力を与えられている、その程度の知識はある。だから、冷静になれば彼女の行動には納得できた。その膂力を持って、猪を殺そうとしたのだろう、と。
しかし、彼女が今行おうとしていることが、そういった想像とは違ったものであることは肌で分かった。神で言うところの神性のような、必殺技のような何かを持って、猪を殺そうとしているということが、彼女の右腕から感じる重圧で、理解できてしまった。
「【羅生門】!」
赤く、鈍く染められたその右腕は、実に容易く猪の肉を貫き、心の臓を奪い取った。
「はい、おしまい」
手に取った猪の心臓を潰しながら、彼女はつまらなそうに吐き捨てた。