吸血姫 2
「吸血鬼、ですか」
二百年ほど前に起きた、【ミュトーラル防衛戦】。ミュトーラル、現在のマギエに当たるそこに、とある神が大軍と共に攻め込み、アネリア、それにヘイルラの二国が恊働で対処にあたった。近年では最も被害が大きかった、神害だ。吸血鬼という名は、そんな一国が落ちるほどの大きな戦となった、その戦の渦中にいた種族の名だ。
「流石に、その名は忘れ去られちゃいないだろう?どう伝わってるかまでは詳しくないが」
「概ね、そちらの持ってる知識と違いはないと思いますよ。個体の神が起こした規格外の疫病、その被害者の総称、でしょう?」
彼らは元は人間であり、多くはミュトーラルの国民だった。人を超えた膂力と血を吸い感染させる能力を得た彼らは、意思を奪われたまま、感染者を増やし、自らの領土を荒らし、他国の、或いはミュトーラルの元国民たちに斬られ、殆どの者は命を落とした。
「で、彼女は一体何者なんです?」
額面通りに単なる吸血鬼、ということはないだろう。あれから二百年が経っているというのに、今更実力を試すなんて可能性は端からない。
「君もハジメの弟子なら知っているだろう?この大陸の外のことを。彼女は【外】育ちの吸血鬼だよ」
「ああ…【外】の人ですか」
師匠からその存在を聞いていなければ、こうもすんなりとは頷けなかっただろう。この大陸の【外】に存在する、この大陸よりも遥かに進歩した世界があるなど。そして或いは、遥かに退化した世界があるなど。
「それなら、試す必要もないんじゃないですか。【外】の人って強いんでしょう?」
「別に、あっちの世界の人がみんな強いわけじゃないよ。こっちと同じ、戦えない人が殆どさ」
「スキアーさんも、【外】に行ったことが?」
「…それがね、分からないんだよ。軽い記憶喪失でね、大市を開き始めた以前の記憶がなにもない」
それは、軽くはないんじゃないだろうか。
「フアイやハジメは知ってるんだろうけどね。僕の素性とか、僕がなんで大市を開いたのかとか」
彼の言葉は何故か、思い出したくないと言っているように聞こえた。それは俺の錯覚だったかもしれない。けれど、彼の、彼も思い至っていない本音だとしたら、何故、彼は思い出したくないのだろうか。その理由には、俺なんぞが思い至れる訳もなく、話題は吸血鬼の彼女に移る。
「すまない、すっかり話し込んでしまった。改めて紹介しよう、彼女が」
続く言葉はない。というか、先程までいたはずの彼女が消えてる。
「え、何処に?」
俺に聞かれても困る。
探し始めるとすぐに彼女は見つかった。というか、すぐ傍にいた。本棚の陰になって見えなかっただけらしい。座り込んでいた彼女は、こちらに目もくれず本を読んでいた。呼んでも聞こえないくらい、集中してたらしい。
慣れない場所だろうに、我を忘れて読書に興じるとは、肝が据わってるというか何というか。呆れる、というよりはある種の感心を覚えるくらいだ。
とんとん、とスキアーさんが彼女の肩を叩く。彼女は顔を上げてようやく気づいたようで、本を片手に立ち上がった。
「…すみません。売り物を勝手に」
「いやまあそれは良いんだけどね」
「そうですか、では遠慮なく」
そう言うと、彼女は再度座り込んで本を読み始めた。嫌流石に呆れるわ。遠慮がなさすぎる。心なしか、スキアーさんも動揺しているように見える。
「後は頼むよ、ブロンズくん」
投げ出さないでくれ、頼むから。
*
「柚子です。どうぞよろしく」
こちらこそ、と言ってはみるけども、本当にどうぞよろしくしたいかと問われると、少しばかり首を傾げたくなるというのが正直なところだ。悪い人じゃないと思うけどね、悪くないだけというか。
「別にそんなにかしこまらなくていいよ。俺もここじゃ新顔同然だ」
「そ?じゃ、遠慮なく」
軽く自己紹介をしながら、スキアーさんの店を出る。聞くところによると、歳も同じくらいということで、俺はそう言った。彼女の方も異論はないようで、直様軽い口調に変えた。気軽に口を聞ける相手というのは珍しいからな。
「出る前に何かお腹に入れたいわ。朝から何も食べてないの」
「オーケー。好みはなんだ?肉?魚?」
「そうね、洋食系…いえ、軽く食べられる店がいいわ」
改めて見ると、どこか気品を感じる仕草だ。俺もある程度は学んだだけにそれなりには自信がある方だが、彼女は自然体というか、【外】ではさぞ良い家庭で育ったんだろう。スキアーさんのところでの自由な態度も、お嬢様育ちと言うなら、納得はいく。
「で、【外】からなんでこっちに?」
「父さんが育った場所を見てみたかったから、かな」
直ぐに紡がれた彼女の言葉、用意していた返答だということは嫌でも分かる。まだ、心を開くつもりはないということだろう。別にいい、初対面で直ぐに心を開くというのも、無警戒すぎる。
俺は彼女をカフェに案内した。トーストに目玉焼き、ベーコン、軽い食事を所望ならここで問題ないだろう。
「メシ食ってる間に、相棒を呼んでくる。ちょっと待たせるかもしれんが、その時は悪いな」
「いいよ、本でも読んで待ってるから」
自慢気にひらひらと、一冊の本を見せびらかす。結局、彼女はスキアーさんから一冊貰っていた。何という図々しさ。
*
「遅かったねー、なんかあったの?」
「悪いな、マリア。もう一件仕事だ。新顔の腕試しだ」
俺の言葉を聞いて、マリアがにやっと笑った。正直嫌な顔をされると思っていただけに、拍子抜けだ。
「良かったね」
「何が?」
「嫌だって、ブロンズが期待してた通りじゃん。もう一人欲しいって言ってたでしょ?」
「…必ずしもあいつが期待する戦力に合致するとは、限らねえけどな」
俺は柚子の戦闘スタイルを何も知らない。どれだけの実力かも。それはこれから見極めることだ。だから、期待はしないつもりだったが。
「…ありがとな」
それよりも、自分のためにマリアが喜んでくれたのが、何だかとても嬉しくて彼女の髪を撫でてやる。自分はあんだけ嫌がっていた癖に、それでも喜んでくれたのが、嬉しかった。
「うへへ~くすぐったいよ~」
マリアはそんな俺の胸中を知ってか知らずか、そんな風にただ呑気に言う。
「さ、行くぞ」
マリアを肩車しつつ、俺は家を出た。