手を伸ばして掴むべきものをみすみす見逃すことなんて二度としたくないの
「先生が?にわかには信じがたい話しだが」
「言わなくて良いって言ったのに…」
スフィアの推察と俺が神領で経験したことを短く纏めてゲオルグさんに伝えると、彼は頭を抱えながら思案し、スフィアは少しだけ拗ねる仕草を見せた。
「分かった。俺も同席する。だが、一つ条件がある」
思案を終えたらしいゲオルグさんは立ち止まり、俺に言った。
「ブロンズの中にいる神、フアイ。彼に一つ、質問がある」
(ふむ?)
俺の瞳を覗き込むようにして、ゲオルグさんがフアイに一礼した。
「先生から噂は兼ね兼ね。貴方のおかげで、人類は魔法を扱うことが出来る、と」
(ふん、奴らしい戯言だな。私がいなくとも、奴はどこかで理論を完成させていただろう)
どうやら彼の存在自体は知っていたらしいゲオルグさんはいつもの態度を崩さず、されどどこか敬意を払った様子だった。フアイは呆れたような声音で、懐かしむように言う。
その言葉から、確かに彼は七英雄であり、デッドマン教授と近しい仲だったということが、嫌というほどに伝わってきた。
「単刀直入に聞こう。貴方は、ジョン・ドゥという名前に心当たりはあるか?」
(ジョン、ドゥ…?)
ジョン・ドゥ、ゲオルグさんが出した名前に、フアイは一瞬、ピンと来ていないように首を傾げた後、乾いた声で笑った。
(は、ははははは。まさか、その名を今の今まで忘れていたとは。否、忘れさせられていたとは。成る程、ダンタリオンも狂うはずだ)
その笑い声はどこか苦しそうで、心底悲しんでいる様子、或いは絶望の余り、と言った風に聞こえる。それ程までに、その名前は重要な意味を持っているのだろうか?俺には、その正否は分からない。
(だが、確信には至った。デッドマンは確実に、ダンタリオンと繋がっている)
それでもその名が、フアイにとって何らかの意味を持っていたことは確かだったようで、自信を持って言い切った。
(だけど、どうやって二人は連絡を取り合っていたんだ?それに目的も分からない。何故、あんたを殺して俺に食わせる必要があった?)
(手段は分からん。分かったのは、奴らの最終目的だけだ。奴らはどうにかして、奴らの【宿願】を為すつもりだ)
それでもフアイにさえ、彼らの行動は理解できていないようで、お手上げと言わんばかりに言葉を吐いた。【宿願】というのが何かは気になるが、フアイがそれを話すかは分からない。彼はどうにも、ダンタリオンに肩入れしているような素振りがある。
「ブロンズ、彼はなんと?」
「…今、思い出したような風でした。そして」
「嫌、そこまでで良い。今からレインを呼ぶ。そして、先生を捕縛する」
俺が説明しようとしたが、ゲオルグさんは制止した。恐らく、ゲオルグさんやレインさんほどの付き合いだからこそ、分かる動機というのがあるのだろう。
「悪い夢は、終わらせてやらなきゃな」
悲しそうに言うゲオルグさんの姿からは、そんな風に思えた。
ゲオルグさんがレインさんに通話をしている間、手持ち無沙汰に窓の外を眺める。俺が神領に行ってから一年、俺自身は大分変化があったと思うが、この街の風景はほとんど変わらない。
そのことに嬉しさを覚えつつも、それでも細部は色々と変わっているのだろうな、と思いを馳せる。俺はその変化に気づけない。そして、気づかない間に、小さな変化が積み重なっていって、いつの日か、この街も変わってしまったのだと気づく。
教授がいつからダンタリオンと繋がっていたのかは分からない。元々神代から親友だった二人だ、初めからだったのかもしれない。あるいは、一度離れながらも、その【宿願】とやらで再び交わったのかも知れない。俺には分からない。彼の千年以上に渡る人生の、ほんの十年程度しか知らないから。あまりにも、無力だった。
「は?」
物思いに耽っていた俺は、思わず、呆けた声を上げてしまった。予想だにもしていなかったものが目に入ったから。
蟲に乗り、どこかへと飛び去っていくスカベラの姿が、窓の外に見えたから。
*
「ちょっと大きすぎない、これ」
「神領じゃ理解できませんか、この領域の話は」
ブロンズがスカベラを目撃する、数分前。彼女は、ルーデン、ウィル、アイアン、ルファの四人と共にいた。
「スカベラも食べようよ」
「ウン、美味しソウ」
何段にも重ねられたアイスクリームを、スカベラとルーデンがシェアしながら食べている。
彼女はブロンズの言葉を受け入れ、彼女なりにミクトを満喫していた。親友と、こんな風にして街を歩くのは、彼女にとって初めての経験で、それが何よりも嬉しかった。
「ほら、アイアンさんも」
「俺、甘いの苦手なんだけど」
「いいからいいから」
「しょうがねえな、一口貰うよ」
そんな二人の様子を見て、スカベラは笑う。多分、ルーデンはアイアンのことが好きで、アイアンもルーデンのことを憎からず思っている、そう彼女の目には見えたから。
ルーデンは幼少から辛い思いをしてきた。彼女は報われるべきなのだ。ブロンズさんも、同様に。
(私の復讐なんて、いつでも良い。ただ今は、二人が幸せでいられるように)
そんな風に、思っていた矢先だった。
小さな、何かが飛んでいるのが見えた。嫌な予感がした。でも、気づかずにはいられないそれは、小さな、小さな、蝿だった。そして、それは、彼女にも馴染み深い、蟲だった。
「…バァルさ、ダ」
全身が冷たくなる、錯覚。二人が幸せでいられるように、今、そう思ったばかりなのに。
飛び去ろうとする蝿、逡巡するスカベラ。今、追わなきゃ、次の機会がいつになるか分からない。そもそも、この国に既に入り込んでいる奴を野放しには出来ない。
何より、私はまだ、一族を全滅に追い込んだあの瞬間を忘れてなどいない。この悲しみも、怒りも、恨みも、何一つ風化しちゃいない。
「スカベラ?」
自分の名を呼んだ親友の声には答えられず、彼女は右手を挙げ蟲を呼ぶ。蝶型の蟲、仮面を着けながらスカベラは即座にそれに跨り、飛び去った。
最期に、親友に一言、言い残して。
「ごめん、ルーデン」
私は、あいつを殺さなきゃ。そう言い残して飛んでいく親友を、ルーデンはただ見守っていることしか、
「アイアンさん!兄さんたちに連絡してください!」
「あ、ああ!」
出来なくはなかった。彼女は真っ先に兄に連絡し、彼女を追うことを選んだ。
「ルビー!?今、学園か!?…学園だ、ルーデン!」
アイアンの報告を聞いた瞬間、【白雷纏】、起動。光速移動を可能とするルーデンの化者。彼女はそれを持って、ブロンズの元へと駆けていく。長距離を移動するであろうスカベラを追えるほど、【白雷纏】は長く持たない。だから、まず合流することを選んだ。
「二度と、同じ轍は踏まない…!」
一人で行くスカベラの姿を、彼女はかつての自分と重ねていた。兄さんを庇うために、一人で爺に立ち向かった日々を。
一人というのは無力だ。一人で出来ることなんて、たかが知れている。だから、スカベラを一人で行かせる訳には行かなかった。




