なら死んでしまいたくなるように苦しい過去からあなたが逃れられるように
「偉大な先達たちに、ようやく顔向けが出来る」
私と兄さんが化物に目覚めた翌日、爺は、今まで見たことないほどに上機嫌だった。
後に知ったことだが、アドヴァルトは元々、化物に目覚めやすい家系だったらしい。それが数世代ぶりに目覚めた、余程喜ばしいことだったのだろう、奴にとっては。
だが、生憎、奴の思惑通りに、事は進まなかった。
「何だと…?」
爺が、驚愕と落胆混じりの声を上げた。
兄さんは、昨日の記憶を全て失っていた。何も、おかしな話じゃない。兄さんは化物を目覚めさせるために、毎日多大なストレスを受け続けて来たのだ、急に限界が来ても何もおかしくない。
その証明のように、昨日のことだけでなく、兄さんの全ての記憶は歪んでいった。私が爺から投げ出されていたことを私が並外れた天才で爺がそれを認めていたのだとか、兄さんがいつも怒鳴られ、殴られるのは、自分に才能がないからだとか、愚にもつかないようなことが事実だと思い込むようになっていた。
この後、爺は兄さんへの虐待染みた指導も、殆ど投げ出し始めた。私と同じ様に、最低限の要求だけクリアさせた。それ自体は良かったが、そんな日々もすぐに終わりを告げることとなった。
兄さんがミクトへ送られた。私が爺に詰め寄ると、酔った奴は下卑た笑い声を上げながら言った。
「貴様のような外れと共にいるから、奴はおかしくなったのだ。だから、離れさせたまでよ」
酒を呷りながら言う爺を見て私は、復讐してやろうと決めた。
*
「お祖父様、指導をお願い致します」
私は、要人が爺を尋ねてきた時に、しばしば、狙って指導を要求した。
「…客人がいるのが見えんのか?」
怒りを抑えながら問う爺を、要人たちは決まって宥めてくれた。
「良いではないか、私も君の剣を見てみたい」
だから、いつも、実戦形式の指導を、要人たちの目の前で行うことが出来た。
私は、容赦なく、爺の体を痛めつけた。当たりどころが悪ければ、戦士生命を失ってしまうような箇所、或いは日常生活にすら苦労するであろう部分を狙って、何度も剣を打ち付けた。
まさか、こんな小さな娘に向けて、爺は本気を出せない。だから、容易にそれが出来た。
それから最後は、爺に花を持たせてやる。これで、武の心得も何もない要人たちは騙されてくれる。
客観的な事実を言おう、私は天才だった。兄さんには及ばずながら、私も稀代の天才と呼ぶに相応しい存在だったから、これを行うことが出来た。
「貴様、何のつもりだぁ!」
そして、要人が帰った後、怒りを顕にする爺には、これで翻弄してやった。
「自慢の肩書も泣いてますよ、こんな小娘も捕まえられないようじゃ」
【白雷纏】、無理に攻撃しようとしなければ、爺すらこれに触れることは敵わない。
愉快、だけど満たされることのない日々が、過ぎていく。
*
「来てくれてありがとう、ルーデン」
10歳を超えた頃から、私は都度都度、兄さんに会いにミクトを訪れていた。
訪れる度に、兄さんは元気になっているようで、私はいつも安心した。良い友人に恵まれ、師にも出会えたと、兄さんはいつも穏やかな表情で話してくれたのを覚えている。
「ルーデンの方はどうだ?学校」
兄さんの問いに、私は言いよどむ。
私の方は、学校など少しも楽しいものではなかったからだ。アドヴァルトという姓だけで、私に媚びる者、嫉妬する者、祭り上げようとする者、避ける者、どれもが気持ち悪かった。偶に来る軍人の口から出る言葉と言えば、魔法への無理解と他種族への敵愾心のみ。御三家の一つ、シュライバー家がアネリアを見限り、ミクトに移ったのも頷ける話だ。
正直、つまらないですよ
そんな弱音を吐きたかった。でも、そんな言葉は出せなかった。あんな家のこととか国のこととかから、兄さんには少しでも遠いところにいて欲しかったから。
だから、私は今日も黙って、家に帰った。
*
「来週にでも、模擬戦を行う」
相変わらず、巫山戯たことを抜かしてくれる爺だ、改めて私はこの男に思う。
ミクトの学園を首席で卒業した兄さんは既に、高等学園への入学が殆ど決まっている。
外部にアピールするためでしかない模擬戦など、無駄なのだ。
私は不審なものを感じつつも、止めることは出来ず、模擬戦の当日を迎えてしまう。
*
模擬戦は、最悪だった。
兄さんの瞳は、恐怖と絶望に沈んでいた。当たり前だ、私があんなことをしでかしてしまったのだから。それは分かっている。
「ありがとう、ございました」
でも、あなたにそんな目で、見られたら、私は余りにも。今にも泣き崩れてしまいそうなのを必死に抑えて、私は足早にその場を去った。
私は模擬戦で、【白雷纏】を起動してしまった。本来はするつもりのなかったそれを、させたのは言うまでもなく、爺。
試合場の床裏に、雷の魔石が埋め込まれていたのだ。それを試合開始と同時に起動させたたことによって、雷に触れた私は、【白雷纏】を起動してしまった。
奴が何故そんなことをしたのか、答えは簡単だ。そもそも奴は兄さんの【黒雷纏】を起動させようとしたのだ。それを持ってして、奴は兄さんを次期将軍の座へと据えようとした。
下らない妄執に取り憑かれ続けている爺を、この時ばかりは哀れに思った。
*
謝罪のために、兄さんの部屋へ向かうと、爺が自室で何者かに問い詰められている声が聞こえた。
「只ではおかんぞ、若造が。ブロンズを、我らが学園の生徒をコケにしたことを、後悔させてやる」
爺に怒号を上げながら、強くドアを閉めた男がいた。
あの顔は知っている、ミクトの覚醒者、ゲオルグ大将。同国の【神風】レイン、マギエの【雷帝】イヴァンと並んで、最古の覚醒者と呼ばれる者の一人。【七英雄】デッドマンの最初の教え子としても著名な彼からすれば、爺さえ子供扱いだ。
「…ルーデン・アドヴァルトか。雑音を入れたな、申し訳ない」
彼は私に気づくと、気まずそうに頭を下げた。
「ここが窮屈ならミクトに来ると良い。君は確かに飛び抜けた個体だが、我が国では然程珍しい存在ではないからな。必要なら、支援もする。心が決まったら連絡してくれ」
彼は、私の抱える問題をある程度は察していたようで、去り際にそんな言葉とともに、連絡先が記された紙を渡してくれた。
去っていく彼の姿を見送りながら、それも良いかもしれないな、と私は前向きにミクト移住を考え始めたが、それが叶わなかったのは、その後を見れば猿でも分かる。
兄さんは部屋にはいなかった。それどころか、人間領のどこにも存在していなかったのだ。
*
それから私は、爺を殺して、神領まで流れ着いていた。大壁付近の警備は硬いが、【白雷纏】を利用すれば、さしたる苦労もなかった。
「本当、どうしようもない」
神領に入り込んで一息つき、冷静になって、私は反吐が出るような思いに襲われる。こんなことをしている自分に、兄さんに合わせる顔もないのに、未練がましくこんなところまで追ってきて、終いに会おうとしている自分に、反吐が出る。
「初めて、だったな」
ふと、爺を殺した感触を、思い出してしまう。肉を斬り、骨を断つ感覚、自分の手が血に塗れた、という実感を覚えたあの感覚は、本当に気持ちが悪い。あれほど憎かった相手なのに、達成感は微塵もなかった。あの感覚を知って、人を殺すのはもうごめんだな、なんて、情けないけど。
それでも、それでも、必要が生じた時に、殺せる覚悟は身についた。これも、経験だと思おう。
「…ああ、もう家もないのか」
早く、ベッドの上で休みたい、そんな夢みたいなことを思ってから、気づく。
土の上で横になりながら、私は兄さんのことを思い続けていた。




