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或いは原罪

「立たぬか」 


 …昔、昔の話、これは、俺が爺の訓練を受けていた頃の、記憶。それを今起きている出来事のように、俺は体感していた。

 極度の疲労から崩れ落ちた、俺の背中を棒で叩く、爺。俺は頬の奥を血が滲むほど強く噛んで、屈辱と苦痛を必死に堪えてる。


「もう、むり、です」

「その程度で音を上げて、アドヴァルトの名を継ぐつもりか?」


 掠れきった喉で必死に紡いだ俺の言葉に、爺は憮然とした表情で叱りつける。俺は思わず、びく、と怯えてしまう。ああ、クソ、情けない。それでも、やはり怖い。体に教え込まれた恐怖は、今も何一つ風化しちゃいない。


「…だが、潰してしまっては元も子もないか。これほどの逸材だ、気長に育てなくては」


 は?爺が放ったとは思えない言葉に、呆然とする。何だ、これ。

 

「お前は、アドヴァルトを継ぎ、大将軍となるのだからな」


 何だ?この気色悪い爺は。俺を評価している爺に、どうしようもない違和感を覚える。

 そこで俺は思い至る。何も、これが正しい記憶だとは限らない。そうだったら良かった、こうなら良かった、なんて、俺の理想が混じっているんだろう。それなら、このあり得ない光景にも納得はできる。都合が良い記憶だよ、本当に。


 と、そこで一旦記憶は閉じることとなる。爺は消え、俺は幼少期の体を抜け、真っ白な世界が生まれた。そこに、一人の男が立っていた。長髪の神経質そうな男、見覚えのないその男は、意地の悪そうな笑みを浮かべながら、俺に話しかけてきた。


(都合が良い記憶は、どちらかな)


 誰かと思えば、フアイか、ここは俺の走馬灯だぞ。何の用だ。それと、都合がいい記憶はどっち、ってどういう意味だよ。


(何、簡単なことだ。貴様はどうにも、自己評価が低すぎる。来たばかりの時、ガルムを一人で殺したことを覚えているか?異常だよ、あんなことを簡単にこなす【人間】はな)


 覚えてないわけないだろ、マリアと出会った日だ。そして何より、俺が神になった日だ、良く覚えてる。それより、お前の言っていることは無茶苦茶だ。あれくらい、俺の友人なら誰にでも出来るぞ。


(…貴様の同期の特待生共か、ならそいつらも異常なのだろうよ。デッドが選んだ人間だ、それも当然だがな)


 我がかつての友人たちと、同じ様に。そう、付け足したフアイに、俺は率直に反感を覚える。俺を七英雄と並べるんじゃない、師匠は俺なんかより余程強いし、教授の知識に及ぶ者などどこにも存在しない。俺を、勝手に高く見るな。俺は、その期待に答えられないんだから。


(…ふん。私の言いたいことは一つだ、貴様は自己評価が低すぎる。他者のことは十二分に観察できる貴様だ、多少は自分に目を向けてみろ)


 うるさい、うるさい、うるさい!俺は十分に自分を知っている!だから、俺が弱いことは、俺が一番知っているんだ…だから、知った口を聞くなよ。


(さて、私の横槍はもういらないだろう。念押しするようだが、今見ている記憶は、純然たる事実だ。目を逸らすなよ、宿主殿)


 フアイが念を押すように言うと、彼の姿は消え失せ、白い世界もだんだんと色づき始め、新たな記憶へと、俺を誘った。



「これで、どうでしょう」


 次の記憶は、ルーデンが爺の指導に参加するようになったことから始まった。

 否、時はもう少し巻き戻る、何故、彼女が指導に参加するようになったのか、そこからだ。


「にいさん、私もくんれんをうけるよ」


 そうだ、急にルーデンはそんなことを言い出して、必死に反対しても首を縦に振らなかった妹に俺は根負けして、爺に頭を下げて、それであいつは参加するようになったんだ。

 …この時は、まだ敬語じゃなかったんだな。いつからだったっけ、あいつが敬語で話すようになったのは。


「…ほう、合格だ。後は好きにやれ」


 爺は、自らの出した課題を全てクリアしたルーデンに、感心したように頷き、更なる訓練を促した。

 こうして思い出すと、俺に比べて妹の指導には明らかに熱が入っていなかった。


「何だ、その腑抜けた腰はぁ!」


 早々に訓練を終えたルーデンを羨ましそうに眺めていた俺を、爺は叱りつけ、叩きつけた。

 痛みに堪えながら、必死に剣を振る俺を満足そうに眺めてから、爺は俺の耳元でそっと囁いた。


「それで良い。貴様こそが、【雷】の継承者となるのだから」


 何だ、そのワードは。俺の頭からすっかり抜けていたその単語の意味は分からない。だが、デスペラードが言っていた、雷に魅入られし一族という言葉が、頭を過る。何か、関係があるのか?そんな疑問を浮かべると、更に記憶は時計の針を進めた。



「…やめてください」


 この日もまた、俺は、爺に怒鳴られ、棒で叩かれそうになっていた。

 そんな時、既に訓練を終えていたルーデンが、持たされていた木造の剣で、爺が振る棒を止めた。


「その剣を退けよ」


 爺は怒りを抑え、ただただ冷淡に忠告した。否、抑えている訳ではない。そもそも、怒りを感じていないのだ。知能も意思もない、小さな虫を相手にしているかのような、その程度の感情しか、ルーデンに抱いていないのだ。


「どきません。にいさんを、これ以上いじめないでください」

「そうか、なら退かすだけだ」


 一歩も引くことなく啖呵を切ったルーデンを、爺は容赦なく、棒で叩きつけた。

 ルーデンは対抗しようとするものの、全く相手にならず、一方的に何度も叩きつけられる。いくら天才とは言え、最前線から退いたとは言え、現役の大将軍である爺に勝てるわけがない。


「や、やめて…」

「黙れ!」


 俺が止めようとすると、矛先はこちらに向かった。本気の平手で殴りつけられた俺は、呆気なく壁まで吹き飛ぶ。


「…貴様も貴様だ。いつになったら、雷に目覚める?これだけ儂が努力しているというに、何故貴様は目覚めようとしない?何故、儂の期待に応えようとしない!?」


 その勢いのまま、爺は今までの鬱憤を晴らすかのように、俺の首を強く握りしめた。

 息が、出来ない。苦しい、苦しい、誰か助けて。助けなど来るはずもないのに、そうやって俺は願い続けた。


 そして、その願いは、叶ってしまう。


「だから、にいさんを、いじめるなぁっ!!!!!」


 ルーデンの叫びと共に、彼女は、白く、眩く、輝く。それは確かに、先程、現実で見せたルーデンの化物。

 ルーデンの姿が消えた。瞬きすると、当然のように俺の首から、爺の手は離れていた。そしてもう一度瞬きすると、爺を地面に崩し、首に剣を突き刺そうとする妹の姿があった。


「死ね、死ね、死ね!お前がいなきゃ、私たちは幸せに生きられる!」

「やってみろ、外れが!貴様如きに、殺せると思うなぁ!」


 ルーデンの殺意に塗れた声に、爺は怒号を持って応えた。

 劣勢に立たされているように見える爺ではあったが、この一瞬で既に、奴はルーデンの化物の本質を見抜いていたようで、彼女の手首を掴んで速度を封じていた。


 それに気づかない俺は、ただルーデンの身を案じた。このまま爺を殺したら、ルーデンが罪を被ることになる。それだけは、駄目だと思った。だから、俺は妹を止めなきゃ、と思った。


 呼吸が早くなる。どうすれば、どうすればどうすれば、どうすれば。

 逡巡が、永遠のように回っていく中で、俺の中に、化物が生まれた。


「【黒雷纏(シュヴァルツ・ドーン)】」


 俺は無意識にその名を呼び、黒い雷が、俺の身に纏う。そのまま、そっとルーデンに向かって、指先を向けた。黒い雷が、彼女の下へと向かっていく。滲んでいく、黒。彼女の白に混じったそれは、どんどんと自らの質量を増やしていき、白い雷を全て黒で塗りつぶした。


「…え?」


 塗りつぶされた瞬間、ルーデンが力を失って倒れた。


「ダメだ、ルーデン。それ以上やったら、おまえがわるものになる」


 俺は彼女の下へ走り、ルーデンを抱えて諭すように言った。そして、力尽きた俺は、そのまま地面に崩れ落ちた。とっくに限界は来ていたのだ。


「…完成だ、完成したぞぉ!化物が、雷に魅入られし者が、ここに生まれたぁ!」


 首から血を流しているというのに、爺はただただ愉快そうに笑い、歓喜の余り涙さえ溢していた。俺はそんな爺の姿を見てから、ゆっくりと目を閉じた。

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