【白雷】 1
「良かった…」
そして、すぐに妹は、ぼろり、ぼろり、と大粒の涙を溢し始めた。
「良かった、兄さんが無事で、生きていてくれて。また、出会えて、本当に、良かった」
今にも崩れ落ちそうなほどに、泣きながら思いの丈を吐き出したルーデン。真っ先にマリアが彼女の頭を撫でた。それを受けたルーデンは、少し逡巡した様子を見せてから、彼女の体を抱きしめた。
「―落ち着いた?」
「はい、ありがとうございます。えーと」
「マリアレス、マリアでいいよ。仲の良い連中は皆、そう呼ぶ」
彼女を慮る動きを見せ、自らの名を名乗ったマリアは既に、彼女を受け入れている様子だ。
「ひとまず、上に行こうか。ここまでの道のりは大変だったろう、お腹は空いていないか?」
「正直、腹ペコです」
「そうか、ならすぐにでも用意しよう。好き嫌いはないかい?」
ルインもまた、同じ様に彼女のことを受け入れて、上へと繋がる階段を登り始めた。
スカベラは二人のように積極的に会話することはなかったが、彼女のことを警戒することはなく、ルインたちの後ろを着いていった。
俺は、そんなマリアたちが信じられなかった。なんで、あんな、ダンタリオンを瞬殺した異様な強さを見て、平気で彼女を受け入れられる?
はっきり言おう。俺は、あんな、ただの兄思いの少女のような姿を見せられて尚、ルーデンを恐れている。足は震えてまともに歩くことも出来ず、呼吸は荒れきって言葉さえ出せない。
「大丈夫、ブロンズくん?」
そんな中、一人柚子が俺の肩を叩いた。
「あ、ああ。大丈夫だ」
「嘘ばっか、めっちゃ動揺してるじゃん」
俺の虚勢などお見通しだったらしい柚子が、優しく微笑んだ。
「私はブロンズくんの気持ち、少しは分かるつもり。一目見て分かった、あの子、普通じゃない」
微笑みを絶やしてから、彼女はルーデンをそう評した。
「普通じゃない強さ、ってのはマリアちゃんたちも分かってるだろうけどさ。はっきり言うよ、あの子は怪物だ。生きとし生ける者が到達出来る限界を、飛び越えてしまった慮外の怪物」
柚子の言葉に俺は心の底から同意する。些か、言い過ぎの様に思える柚子の発言ではあるが、ことルーデンに限って言えば全く誇張は感じない。それだけ、彼女の強さは外れすぎている。
「正直私は、さっきのダンタリオンなんかより、あの時のデスペラードより、彼女のほうが余程怖いよ」
そこまで話を聞いていた俺は、ようやく柚子が震えている事に気づいた。恐怖、緊張、不安、後ろ向きな感情が、俺だけでなく彼女も抱いていることを感じる。
「…ここで待っててもいいんだぞ」
「冗談、ああは言ったけど死体と一緒の部屋ってのも気が休まらないからね」
まあ、そりゃそうだよな。なんて納得しながら、俺たちは足取り重くルイン達の後を追った。
*
「これ美味しいです!ルインさん」
「それは良かった」
ルインはにこにこしながら、美味しそうに食べるルーデンを見つめていて、マリアも似たようなものだった。
「…何か、嬉しいです。お姉ちゃんまで出来たみたいで」
そんな風に二人に可愛がられていたルーデンが、しみじみと言った。俺は、決して良い兄じゃなかったからな。ミクトに行ってから、妹は俺に会いに来てくれたが、俺から会いに行くことは一度もなかった。俺にとって故郷は、決して良いものではなかったから。
それでも、柄にもなく、二人に可愛がられてるルーデンを見て、俺は良かったなと思ってしまう。俺にはそんなことを思う権利さえないのに。
「私は性別上は男だがな」
おいちょっと待て、急にルインが爆弾発言した。
「ところで、本当にお姉ちゃんだったり、しませんか?」
少しだけ俺はその意味を測りかねて、少し経ってからようやくその意味を察する。
「え、ああ、うぅむ、そうなれたらとは、思うけど」
いち早くその意味を察したマリアが分かりやすく動揺してた。
マリアの好意は、分かってる。帰ったらすぐにでも、俺から思いを伝えよう。
「ま、悪くないね」
柚子が小さな声で呟いた。
正直、意外だった。仲は良くなったと思ったが、そこまで思ってくれていたなんて。
「…」
スカベラがさっきまでつけていなかった仮面を被った。しかし、耳まで真っ赤になっているのが見えた。
元々俺は彼女の命を繋ぎ止めた男だ。彼女が生きる理由になるというなら、甘んじて、でもないな、積極的に受け入れよう。
「そもそも君と血縁ではないぞ?」
ルインは天然ボケだった。突っ込まねえからな。
「…流石兄さん、モテモテですね」
ルーデンが感心したように、腕を組みながら何度も頷いていた。何だよ誰のどんな目線だよその感想。
「そういや、ここにはいつまでいる予定なんだ?アネリアの学園、まだ、在学中なんだろ?」
「…ああ、兄さんは知らないんですね」
俺の問いに、少しだけ、言い淀んでから、ルーデンは言った。
「祖父を殺しました。あそこにもう、私の居場所はありません」
「爺を―!?」
ルーデンの放った驚くべき言葉に、思わず俺は声を上げた。この一年、神領の外の情報は殆どと言って良いほど得ていなかった。
「いつ、のことだ?」
「兄さんがいなくなってからすぐです。最早、アドヴァルトなどという家に存在価値はない。そう判断しました」
珈琲を啜って、ルーデンは怒りを孕んだ口調で言った。そして、今まで誰にも言えなかったのだろう、思いの丈を吐き出した。
「許せなかったんですよ。ずっと、兄さんをいじめるあの老害が。あの時まで行動しなかったのが、甘すぎました。もっと早く殺すべきだった」
心の底から、悔しがる妹の姿を見て、俺は動揺する。
何言ってるんだよ、あれだけの才能があるのに、お前がお前のために利用してやれよ。確かにクソみたいな家だったが、お前なら耐えきれないほどじゃなかったろ。なんて、妹思いの兄みたいな言葉が湧いてくる、が、俺はそれを言葉に出来ない。俺は、そんなことを言えた兄じゃない。お前を恐れている、どうしようもない兄だから。
「と、ところで、ルーデンは、黒い雷に心当たりはない?実はここに来たのも、その正体を探しに来たんだ」
重い空気を変えようとマリアが話題を変えたが、ルーデンの反応は芳しいものではなかった。
黒い雷、そのワードを聞いた瞬間、ルーデンが大きく目を開いた。そして、すぐに唇を強く噛み締めた。何かを、悔いるように。
「…そうですか、目覚めてしまったんですね」
そして、最後に悲しそうに言ったルーデンは、唐突に立ち上がった。
「ごちそうさまでした。ルインさん、本当に美味しかったです」
ルインに頭を下げた妹は、ルインが言葉を返す前に剣を抜いて、俺に向けた。
「さあ、腹ごなしの運動といきましょうか。兄さん、貴方の【黒雷纏】を、私が思い出させてあげます」




