天使襲来 1
「流石に暑いな」
「だねぇ。僕蒸発しちゃいそう」
「冗談になんねえって」
蟲使い全滅の一報を受けた俺たちは即座に、彼らの集落に向けて派遣された。現れたという【天使】の調査のため、対処のため。
しかし、暑い。蟲使いの集落がある【灼熱落花】に訪れたのは初めてだったというのもあって、正直面食らってる。こんなに暑いのは初めてだ。
道中の殆どはスキアーさんの影による長距離移動でカット出来たのは幸いだったが、むしろそのせいで暑さに慣れる時間が無かったのもある。
「おい、お前ら。そろそろ、気持ち入れ直しとけ。こっから先は、敵地だぜ」
戯灰さんが前方で、ルインと共に食虫植物を切り払いながら言う。
【灼熱落花】の敵は、暑さだけではない。神すら喰らいかねない動く植物と、それを主食とする蟲共が、この場所では付き物になる。
俺とウィルも、空から襲ってくる蟲たちを都度都度対処する。俺が狙った蟲を先んじて撃ち抜いたウィルが、弓を片手に得意げに俺を見た。ああ凄いな、けど空飛ぶ相手に剣で戦ってる俺も立派だよ。
「皆、着いたみたいだぞ」
クワガタムシの様な姿をした蟲を叩きつけながら、ルインがそう告げた。
一瞬の達成感、それを直ぐ様振り払う。何故なら、幾重にも舞う煙と、焼け焦げた匂いで、この先に待っているであろう凄惨な光景を、否が応でも覚悟させられたから。
生憎なことに、集落の様子はその覚悟でも足りないほどだった。
死屍累々、今の集落の光景を表すのに最も率直な言葉がそれだ。建物は崩れ落ち、蟲使いは勿論、彼らが操っていたのだろう蟲の死骸も、相当数転がっている。
それに、天使も、何体か。死体と呼べるかも定かではないそれを見る。羽の生えた人形、どれを見ても寸分違わない容姿を持つそれらは、はっきり言って気持ちが悪い。こいつらは、果たして生物なのだろうか?どの人種でもない、魔獣でもない、こいつは一体、どこから出てきた?
そして、それら以上に気味が悪いのが、大量の蛆虫。死して間もないであろう彼らの死体には、既に相当の数の蛆虫が湧いていた。これもまた、この地特有のものなのか。
「酷え有様だな」
「おえ」
集落の有様を見て、戯灰さんは吐き捨て、ウィルが吐き気を催す仕草を見せた。俺も心から同意する。実際のところ、目を開くのすら躊躇いたくなるほどの光景だし、蟲使いや彼らが操る蟲の、大量の血液から漂う匂いは、今まで嗅いだことのないような酷い匂いを醸し出している。俺は鼻と口を手で覆った。
「待て、まだ生きてるのがいる」
ルインがそう言って、俺らに制止を命じた。俺もそれに倣って、耳を澄ませる。確かに聞こえる、息苦しそうな、辛そうな、か細い声が。
「あっちだ」
彼の指差した方向に向かうと、既に死した百足に守られるように包まれた、一人の童女が倒れていた。腹部から大量の血液を流しながら。
「この娘は」
「会議に出てた子だ」
百足の仮面を外してはいるが、衣服や背丈の感じからして先程見たあの子であることは間違いないだろう。
戯灰さんが前に出て、回復の効能がある魔法を彼女にかける。が、
「不味いな、もう魔法で治療出来る状態じゃねえ」
「…何とか、なりませんか?」
彼が告げた無情な言葉に、思わず、俺は問い返す。
俺は彼女のことは何も知らない。だが、危機に陥った他人を、知らぬふりして生きられる人間じゃない。
「安心しろ。助ける方法はある」
ほっとしたのもつかの間、戯灰さんが俺の腕を掴んだ。
「だが、それにはお前の覚悟が必要だ」
彼の言葉でようやく、助ける方法が理解できた。確かに、覚悟がいる。だが、目の前の命を救うことが出来るなら、迷うことなく、するべきだ。助けられた人間として、俺も誰かを助けられる人間でいたい。
「くか!良い返事だ!なら、早速やるぞ。やるなら早い方がいい」
大きく頷くと、戯灰さんが快活に笑って手を招いた。俺は無論、その声に従って彼の下へ向かおうとした。
「危ない!」
瞬間、警鐘を鳴らすルイン。振り向くと、こちらへ向かってくる小さな何かが飛んでくるのが見えた。その小さな襲撃者をルインとウィルの二人が対処する。撃ち落とされた死骸を見て、蝿の様な何かが俺等を襲ったということに気づく。
「蟲?」
蟲使いの生き残り?だが、何故俺たちを襲った?
「おやおや、完全に不意を打ったと思ったのですがねえ」
「てめえは―」
そう言いながら現れた男は、蟲使いたちの代表として会議に参加した、バァルその人だった。が、その風貌は明らかに、先程のバァルとは別種の存在であることを如実に示していた。
蝿のような、羽。それと、頭の上で光る、蠢く輪っか。あれは、蛆、か?蛆蟲が円を描くように、前の個体の尾に噛みつき輪を作っていた。
「すっかりイメチェンしたねぇ、ダサいから止めたほうが良いと思うけど」
「貴方に理解されたいとは思いませんよ。これが私の天使としての姿なのですから、下々の者には理解できなくとも同輩が理解してくれます」
「天使?」
先程見た天使の遺体とは似ても似つかない、こいつはまるで、異形だ。天使という存在は、今まで想像されていたものとは大きく違う?
「スカベラを始末したといったら、上役に叱られてしまいましてねえ。素体など、あればあるほど良いとね」
「あなたが何を言ってるのか分からないし、興味もないよ。耳障りだからここで死んでくれ」
ウィルが弓を引き始める間に、俺は童女を抱きかかえて、後退の備えをする。
今、奴は上役と言った。少なくとも今この場所にまだ、一人天使がいる。それも恐らく、バァルと同じ、今までの同系統の天使ではなく、異形の天使が。
「おいおい、蟲使い相手にまともに対応すんな。奇策が相手なら、こっちも奇策だ」
攻撃に出ようとしたウィルを制し、戯灰さんがそう言って前に出る。
バァルは既に、先程と同種の蟲を放っていた。戯灰さんは、その攻撃を無造作に受ける。
「っとぉ、案外咬合力あんじゃねえの」
戯灰さんは腹部を千切られたまま、余裕の顔で火炎を纏わせた槍を払い、二体同時に蝿を撃退した。
「成る程、これが奇策か」
彼の腹部を見て、納得したようにルインが頷く。欠損したはずの腹が、自然と修復されていったからだ。その再生能力が、戯灰さんの【化物】なのだ。
【化物】、神にならずして、神性のような特異な能力を持つ者たちの総称。
彼らは【覚醒者】以上に希少で、詳しいことは分からないが、魔力が少ないという共通項があることから、身に宿る魔力を糧として、体内の化物を飼っていると噂されている。他にも、幼少期の過酷な経験から生まれる、多重人格に近いものだとも。どちらも、仮説の域を出てはいないが。
「てか、お前ら早く散っとけ。どうやら、ここは俺一人で充分みたいなんでな」
バァルに槍を向けたまま、戯灰さんが啖呵を切った。俺たちはその言葉に従い、この場を後にすることを決める。戯灰さんの実力は知っている、アイゼンさんの片腕が務まるのは、この人とルゥさんくらいしか知らない。それに―
「ブロンズ、男見せろよ」
去り際に、戯灰さんがそう言った。ああ、分かってる。この子を助けるのが先決だ。その為にも、一刻も早く安全な場所へ向かわなくてはならない。
「逃しませんよ」
「バカ、寝言抜かすなよ。俺がお前を逃さねえんだよ」
バァルが俺たちに向けて飛ばした蝿に、戯灰さんは火で出来た鳥を飛ばし相殺させた。それと同時に、彼は一気に距離を詰め、奴に叩きつけた。
「さあ、燃える余地もない、泥試合を始めようぜ?」
そんな、宣戦布告を。