吸血姫 4
「ここ、は」
目を覚ました俺が、最初に目にしたのは自宅の天井だった。それにうねうねと動く、金色の髪。
それを見て、腹部に感じた重みから、マリアの頭を手で捜し撫でる。
「…ふぇふぇふぇ」
どうやら寝ていたらしいマリアが、寝たままくすぐったそうに笑った。
「あ、起きたんだ」
そのままマリアの頭をこねくり回していると、柚子が毛布を抱えてやってきた。
「ああ、ありがとな」
それを受けて俺は上半身だけ起き上げながら応じた。いきなり起き上がって、マリアを起こすのも忍びないしな。
「マリアちゃんね、ずっと君のこと看病してたよ。本当に、仲良いんだね」
そうだろうな、なんて柚子の言葉を聞いて思う。マリアはそういう奴だ。子供みたいな体のくせに、どこか献身的というか母性的というか。子供のような顔が、急に大人びたものに変わったりする。良い奴だよ、本当に。
どうやら、柚子が持ってきた毛布はマリアのためだったようで、マリアの背中から毛布を掛けた。そんな柚子の顔を見ていると、柚子の瞼の下には大きな隈が出来ているのが分かった。どうやら、柚子にも心配を掛けていたみたいだな。
ふと、ぐぅと腹が鳴った。気づくと、とんでもない空腹感が襲う。柚子がそれを聞いて、くすりと笑った。
「…どんくらい寝てた?」
「丸三日ってとこだよ。ご飯用意してくるから、待ってて」
「悪い、助かる」
*
「ね、聞かせてよ、ブロンズくんの話。なんで、ここに来たのかとか」
用意してくれた軽食を食べ終えた頃に、柚子が唐突にそんなことを言い始めた。嫌そうな表情を見せてから、俺は聞いた。
「なんで、そんなことを?」
「一緒に暮らす人の生い立ちを知りたいのなんて、不思議ではなくない?」
嫌まあ、理屈は通ってる気はするが。
「別に面白くはねえぞ」
「それでもいいよ、聞かせて」
あんまり言いたくもなかったが、いたずらっぽく笑みを浮かべた柚子の表情を見ると、断る気にもなれなかった。ため息を吐いてから、俺は語り始めた。
実家のこと、追い出されて出会った師匠のこと、それから、妹のこと、そして神になったこと。
「…何?なろう系?」
「その意味は分かんねえけど、何となく良い反応じゃねえのは分かるぞ」
語り終えて一拍置いてから言った、柚子の訝しげな声に、苦笑しながら返す。
「嫌、良い悪いじゃなくて、本当に何か物語みたいだな、と」
「俺からすれば柚子のほうが物語じみてるけどな。絶滅したはずの吸血鬼、しかも【外】育ちとか、設定盛りすぎだろ」
「…言われてみると、そうかも」
なんて、納得したように言うもんだから、俺はおかしくなって少し笑った。
「今度はお前の番だ。聞かせてくれよ、こっちに来た理由」
「あれ、話してなかったっけ?」
本気で首を傾げる柚子に苦笑しながら、言ってやる。
「誤魔化し丸見えの理由ならな」
「あー…そうだったね、ごめん。じゃ、次こそはちゃんと答えるよ」
柚子は、俺の言葉でようやく思い出したようで、謝罪しながら口を開いた。
「私がここに来たのは、自分の意志じゃないんだ」
「竜っぽい何か、何かは分からないけど、人らしい姿をしたそれの攻撃の余波を喰らって、気づいたらここにいた」
正直言って反応に困る。実に、荒唐無稽な話だ。そもそも、この大陸と【外】の間は、目に見えない障壁で遮られている。だからこそ、普通、この大陸から【外】に出ることは出来ないし、基本的に【外】から来訪者が現れることはない。勿論例外は何人か存在する、柚子の父も数少ない例外の一つだろう。
推測だけで言えば、その竜っぽい何かとは、想像もできないほどの上位存在。或いは、障壁を作り出した何者かに近い存在。なんて、推測にもならん妄想だがな。
「ハジメが待っててくれてね。それで大市に案内してくれた」
「やっぱりこっちにいる知り合いってのは、師匠だったか」
それについては特に驚きもなく、受け入れられる。【外】を自由に出入り出来るのなんて、師匠くらいのもんだからな。
「こっちであった時はびっくりしたよ。あんなに小さかったハジメが、美人さんになってるんだもん」
…小さい?そういえば、こっちと【外】では時の流れが一定ではない、という話を聞いた覚えがある。師匠が最初に行った時代が、最も後の時間軸だったとも。柚子が出会ったのは、その最初に出会った師匠だったのだろう。
しかし、美人、美人かなあ。最初はそんなことも思ったかもしれないが、途中から憎たらしい顔としか思わなくなった。特に修行中はずっと、絶対一泡吹かせてやるとか、そんなことばかりずっと考えていた気がする。
「こんなところ、かな。私が来た理由ってのは」
「ありがとう、聞けてよかったよ」
一息吐いた柚子に礼を言う。
実際、興味深い内容ではあった。若い頃の師匠を知っていることとか、【外】ってやっぱり神領並の魔境では?と思いかねない理由だとか。もう少し突っ込んで、彼女の生い立ちとかも聞いてみたいな、なんて思った瞬間だった。
「こんにちは」
ふと、ノックと共に、聞き覚えのある声が玄関の方から聞こえてきた。
「私出ようか?」
「嫌、俺が出るよ」
そっとベッドから下りて、寝そべったままのマリアを抱き上げてから、俺が寝ていたベッドに寝かせて、俺は玄関に向かった。
「やあ、元気そうで何よりだよ」
「はあ、どうも」
長い銀髪を一本に纏めた、美しい容姿の、より正確に言えば、欠点が存在しない芸術品のような容姿のそれは、その人は、薄く笑いながら言った。
その、見覚えのない容姿の来訪者は、姿からも声からも性別も判別できない。中性的、その極地。
(ふ、まさかこいつが舞台に上るとはな。面白いことになった)
愉快そうに笑うフアイはどうやら、この相手のことを知っている様子だが、一体何者なんだ?
「名乗るのが遅れたね、僕の名はルイン。デスペラードの一件では僕の到着前に、撃退してくれたことを改めて感謝するよ」
「…ああ、あの時の」
そこまで言ってくれて、ようやくその声に聞き覚えがあった理由を思い出す。デスペラード戦の後に気絶した俺を抱きとめてくれた人か。
「嫌、君が回復しているのは、実に好都合だ。早速だが、君に頼みたいことがある」
(予言してやろう、宿主殿。貴様はあのデスペラードの一件以上に、厄介な案件に巻き込まれることになる)
そんなルインさんの言葉に嫌な予感がして、それを裏付けるような発言をフアイがした。
そして、そのフアイの予言が的中したことを、ルインさんの、次の発言で思い知ることになる。
「デスペラードの襲撃の件でね、神領の各地から、領主たちが大市に集まっている。君にも出席してもらいたい、頼めるかい?ブロンズ・アドヴァルトくん」