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      8.水曜日午前11時


 午後からの会見にそなえて、本庁から広報課の楠本を呼んで打ち合わせをした。特命捜査対策室にも話を通さなければならない。必要とあらば、捜査一課長にも。

 ある意味、長山が一番苦手としている仕事だ。財団と警視庁との調整役。それにくらべれば、電話対応のほうがよっぽどましだった。

 しかも今回は、公安の影を感じながら動かなければならない。神経がすり減りそうな重労働だ。肉体的なものではなく、心のほうのハードワークという意味だが。

 こういう仕事をしたくないから、階級を上げず、刑事を続けていたのに、長年生きていると、いろいろな境遇におちいるものだ。

 特命の室長は、また時効の成立している事件であることに懸念をしめしていた。しかしそれは建前で、公安との軋轢を恐れての言葉かもしれない。その考えが、おそらく警視庁刑事部としての本音であるのだろう。

 あらかたの準備を終えたころ、竹宮翔子が財団にもどってきた。すでに午後一時を過ぎていた。朝、別れてからは財団本部にいなかったから、出版社にもどっていたのかもしれない。

「竹宮さん?」

 どうも様子がおかしかった。

「なにかありましたか?」

「あ、いえ……」

 あきらかに言いよどんだ。

「なにかあったんですね?」

 そこで、広報の楠本に呼ばれた。

「心配なことがあるのなら言ってください。あとで聞きます」

 そうことわって、翔子から離れた。

 楠本のところに行ってみたものの、たいした話ではなかった。それならば無視をして、彼女と会話を続けていたほうがよかった。

 会見の時間が迫ってきた。翔子の姿をさがしたが、みつからなかった。最上階に向かったのかもしれない。

 その後、もう一度警視庁へ連絡を入れ、室長から公安部を刺激するな、と注意をうけた。

 久我の身を案じれば、長山もそうだと思う。だが、警察内部のゴタゴタを嫌う事なかれ主義であるのなら、知ったことではない。

 結局、翔子とは会話できずに、会見の時間をむかえた。

 マスコミの席に翔子は最初いなかったが、開始直前に滑り込んできたようだ。まだ顔色はすぐれないようだったが、すぐにジャーナリストの眼になっていた。

「本日もお忙しいところをお集まりいただいて、ありがとうございます」

 久我の言葉がはじまった。型どおりの挨拶のあと、事件の発表に移った。

 それがあの、『警視総監狙撃事件』だとわかると、どよめきが会場を支配した。いつもの驚きとは、どこか異質なものがあった。マスコミの人間なら、狙撃事件を知らない者はいないだろう。そして公安の捜査主導による失敗が、迷宮入りの原因であることも有名な話だ。

 事件は、すでに時効をむかえている。しかし長山にとっては、それほどむかしの事件ではない。刑事になってから、もう何年も経っていた。同じころ、まだ翔子は生まれたばかりのはずだ。そう思うと、急にむかしのことのように感じるから、人の記憶は不思議なものだ。

「先日発表した『蔵元毒殺事件』と同じように、時効をむかえている事件になります。ですが、絶対に解決するべき事件です。みなさまの協力をお願いしたい」

 このあとは懸賞金額の発表があるわけだが、長山はまだその金額を耳にしていない。不謹慎だが、このわずかな時間で、頭のなかで予想をたててみる。

 狙撃事件は、死亡案件ではない。被害者である警視総監は、現在でも存命している。さらに時効が成立していることから、これまでの例を考慮すれば、一億から二億ほどではないだろうか?

 そう考えている自分までが金銭感覚を狂わされていることに、長山は苦笑した。

「懸賞金は、二十億」

 え!? だれもが、耳を疑った。

 いままでの最高金額と同じだった。『練馬一家殺害事件』と同額……。

 今回でくれらべれば、『港区会社経営者変死事件』の十億の倍額ということになる。

 長山は思わず、まちがいではないのですか、という眼を久我に向けた。しかし当の久我は、自信満々の表情を崩すことはなかった。まちがいではないようだ。

「あの、二十億でまちがいないですか!?」

 いつもなら翔子が一番に切り出すところだが、べつの男性記者が確認した。

「はい。まちがいではありません」

「その事件は、時効が成立していて、殺人でもないですよね?」

 犯人が名乗り出てきても、ペナルティをうけることはない。人を殺害しているわけでもないので、世間に犯人だと知れ渡っても、残酷な殺人犯よりは肩身も狭くならないだろう。

「ルールも、もちろん変わりません。犯人であっても懸賞金の支払いはおこなわれます」

 そして、いつものセリフで締めくくった。

「一日も早い事件解決を、心から願っています」



 会見後、すぐにコールセンターの電話が鳴りはじめた。これからしばらく、長山は自分の席から離れられそうにない。

 さっそく、受話器が鳴った。

「もしもし。自分は長山といいます。事件についての情報をおもちでしょうか?」

『犯人を知っています』

「どの事件ですか?」

『射殺事件です』

 あきらかなまちがいだ。

「狙撃事件ということですね?」

『そうです』

 声は妙に落ち着いている。真実を告白しようとしているには冷静すぎるが、それは嘘をついているにしても同じことがいえる。

「犯人は、だれなんですか?」

『神です』

「は?」

『神による天罰がくだったのです』

 すぐに、ある宗教団体が思い浮かんだ。

「神ですか……」

『信じてくれないのですか?』

「そういうわけでは……」

 これが一般の通報だったなら、まじめに取り合うことはない。が、いまの自分は懸賞金の情報を集める役目だ。もしかしたら、こういう荒唐無稽な話のなかに真実が隠されているかもしれない……。

 これはもう、刑事の捜査活動ではない。

 受話器を耳にあてながら、自虐の笑みが浮かんだ。

『本当です。神が罰したのです』

「どうして神は罰したのですか?」

 この話に乗っかった。

『え?』

「罰したということは、狙撃された被害者が神の怒りをかったということですよね?」

『……そうです!』

 声は、それまでの冷静なものから乱れて、うわずっていた。真剣にとりあってもらえるとは想定していなかったのだろう。

「どんな怒りをかったんですか?」

『それは、警察官ならわかるでしょう?』

 かつて、ある教団がテロ行為をくわだてた。その捜査が進んでいる状況で、狙撃事件がおこった。

 公安部が捜査を主導した理由も、それになる。

「あなたは、神に仕える立場なのですか?」

 言葉を選んで、信者なのかを確認した。当時の名前ではないが、教団はいまでも存在している。

『そうです』

 むしろ誇るように、電話の声は認めた。

「神は、神のまま行動をおこしたわけではないでしょう? だれかに憑依したんじゃないですか?」

 そのカルト教団では、信者に神秘体験をみせたり、それを実現するために修行をさせていた。われながら、うまい表現だと思った。

『神は神です』

 声は、きっぱりとそれを否定した。

 犯人を知っているわけではないのだ。ただ教団の内部に犯人がいたと思っている。それがちゃんとした根拠のあるものなのか、それとも世間の噂をうけてのものなのか……。

「たいへん参考になりました」

 つとめて明るい口調で言った。

 おそらく教団内で狙撃事件のことは、聖戦のように語り継がれているのだろう。この信者は、それを妄信している。

 はたして教団内に犯人がいたのか、それとも事件を利用しているだけなのか……見極めが肝心になる。公安が捜査に失敗したのも、決めつけによって初動捜査をおろそかにしたからだ。捜査範囲も広げず、教団犯人説を曲げようとしなかった。

 当時の捜査一課の見立てとしては、信者のほかに、暴力団犯人説もあがっていた。警視総監が陣頭指揮をとって、暴力団追放運動を推進していたからだ。

 長山個人としては、どちらにも懐疑的だった。教団犯行説については、あれだけ捜査をしつくしたにもかかわらず、結局、検挙にはいたっていない。

 暴力団説についても、メリットがない。当時は、すでに暴対法が施行されて、暴力団へのしめつけが、そもそも強くなっていた。そこで総監に危害をくわえても、次のトップが同じ路線を突き進むだけだ。

 実際に、そうなっている。

 では?

 その思考は進まなかった。次の電話がかかってきたからだ。

「もしもし。自分は、長山といいます」

『犯人は、楢崎よ』

 女性の声が言った。

「楢崎? それは、どういった方ですか?」

 名指しの証言は、これまでに経験がない。初めてのことだ。

『楢崎よ』

 女性は、さも楢崎という人物が有名人でもあるかのように繰り返した。

 すぐに長山の脳裏に、ある人物が浮かんだ。

 楢崎謙信。

 教団の汚れ仕事を一手に引き受けていた人物だ。脱退しようとした信者二名、手助けしようとした家族を一名、さらに教団に敵対的な弁護士一名と市民団体の代表一名を殺害している。

 すでに教祖とともに死刑を執行されていた。

「楢崎謙信のことですか?」

『そうよ、楢崎よ』

「あなたは、犯行を目撃されたり、本人から犯行を告白されたんですか?」

『いいえ。でも、楢崎がやったのよ』

「その根拠は?」

『楢崎よ』

 かたくなに、女性はそれを繰り返している。

「わかりました……では、あなたの名前を教えてもらえますか?」

 少し待っても、返事はなかった。

「お名前を教えていただけなければ、懸賞金は受け取れませんよ」

『金などいりません。いーい、楢崎よ』

 切られてしまった。

 目的がわからない。懸賞金のことなど眼中にないようだった。かといって、教団に対するシンパシーも感じなかった。そこが一人目とはちがう。

 可能性として、本当に楢崎が犯人であると知っていることも考えられる。が、常識的にそれはないだろう。

 楢崎は、死刑となった。狙撃事件の犯人ならば、それだけを否認しても意味がないのだ。

 だがやはり、教団の関与を疑うのは避けては通れない道だ。これまでに捜査はしつくされているはずだが、長山も一度、本格的に検証してみるべきだと考えていた。

 それから二件、電話の対応をすませた。

 その二件とも信者とおぼしき人物だった。

 信心深い人間は、嘘をついている自覚がなかったり、不確かな情報や噂を本気で信じてしまう。だから、エキスパートであるオペレーターたちのチェックをすり抜けてしまうのだ。

 夕方六時を過ぎ、長山の本来の勤務時間は終了となる。会見の直後などは、もっと遅い時間までコールセンターに詰めているのだが、本日は帰ることにした。交代要員である川辺と入れ替わりで、本部を出た。

 川辺と公安のつながりはまだわかっていないが、なんの色にも染まっていないことだってある。

 いまは、それよりも教団に関することに興味が移っていた。帰るといっても、本当に帰宅するわけではない。

 長山は、古巣に向かっていた。足立区の鹿浜署だ。特命捜査対策室に配属されるまえに、鹿浜署で未解決事件を担当していた。そして、ある誘拐事件を解決することになり、本庁へ行くきっかけとなったのだ。

 署内は、あのころとまったく変わっていなかった。

 刑事課のオフィスに行くと、井上というよく知っている男がいた。

「長山さん、お久しぶりです!」

 前回の足立区会社員行方不明事件のことで、翔子に協力してもらったことがある。そのときは電話で話しただけなので、実際に会うのは、まだここに所属していたときまでさかのぼる。

「今日は、どうしたんですか? 懸賞金のほうで忙しいんでしょう?」

 面倒な説明はなしで、本題に入った。

「教団は、まだあるだろ?」

「はい」

 いまでは名前のちがう後継団体が、鹿浜署管内にある。本部は埼玉県内にあるので、支部の一つということになる。

 当然、井上も懸賞金のことは知っているし、刑事であるならば狙撃事件と教団との噂を耳にしたことがあるはずなので、話がはやい。

「なにか変わったことはないか?」

「とくにないです」

 教団の監視は、警察でいえば公安の担当であり、同じく公安と名のつく法務省の公安調査庁があたっている。後者の割合のほうが高いであろう。

 が、教団のほうでも公安を目の敵にしているところがあり、なにかと反発がある。定期的に公安による査察がおこなわれているが、そのときによくこの署に通報が入っている。教団関係者によるものだ。公安の横暴を許すな、という抗議とともに、われわれを保護してほしいと。

 それを何回か刑事課で対応したのだが、それが縁で、ここの刑事課だけには自由に内部をみせてくれるようになった。署としても、市民から教団への苦情をうけることも多いので、内部の視察を定期的におこなえるのは都合がよかった。

「話ができる信者はいないか?」

「どれぐらいの人ですか?」

「できるだけ上がいい」

 この「上」とは、年齢ではなく、格のことだ。

「……わかりました。木下という幹部がいます」

「どんな人物だ?」

「教団の広報を担当しているようです」

「知らない名前だ」

 長山もこの署にいたわけだから、幹部なら知っていなくてはならない。

「最近、ここの支部に来たようです。有名大学を出ているようで、物腰もやわらかい」

 話がわかる人物、ということのようだ。

「突然行って会えるか?」

「こちらから連絡しておけば、会ってくれると思います」

「年齢は?」

「二六歳です」

「では、当時は知らないな」

「生まれたころでしょう」

 そういう人間が現在の幹部になっていることに、またあらためて時間の流れを感じた。この井上にしても、まだ幼い子供だったはずだ。

「すぐに会いますか?」

 わざわざ足を運んでいるのだ。そのつもりだった。

「ちょっと待っててください」

 そう言って井上は席をはずした。どうやら井上が親しいわけではなく、べつの捜査員と懇意にしているようだ。その人物が電話でつないでくれるのだろう。十分ほど待たされた。事前に電話をしておけばよかったが、公安がからんでいるとなると、事前連絡はためらわれる。

 さすがに携帯の盗聴まではしていないだろうが、過去の経歴から長山がこの署の人間とコンタクトをとることは予想されているかもしれない。つまり、この署にも息のかかった人間がひそんでいるかもしれないのだ。

 考えすぎなのはわかっているが、念には念を入れなければ、彼らとの駆け引きにおくれをとってしまう。

「連絡がつきました」

 井上がもどってきた。

「これから教団内で会ってくれるそうです。いっしょに行きましょうか?」

「いや、自分だけで大丈夫だ」

 井上を巻き込むわけにはいかない。今後、協力してもらわなければならないときがくるかもしれないが、それはもっと重要な局面になってからだ。

 長山は、教団の支部へ向かった。


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