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7.水曜日午前6時半
朝から翔子の携帯に着信があった。中西からだった。
『急ですが、朝九時から新たなる発表があります』
「発表? まさか、事件の追加ですか?」
『詳しいことは、代表から説明があるでしょう』
翔子は時刻を確認した。六時四六分だった。
急いで支度をして、財団本部に向かった。
到着したのは、七時五十分。まだマスコミ各社の姿は、さすがになかった。
最上階の部屋に行くと、すでに長山もいた。
「長山さん! 発表って……」
「自分もまだ聞いていません」
警察にも、まだ話がいっていないということだろうか……。
久我と中西の姿はなかった。
とりあえず、一番近くにあったソファに二人して腰をおろした。この部屋には、こういう応接セットがいくつも存在する。
それから五分ほどして、久我と中西がやって来た。
「おまたせしました」
「久我さん、発表というのは──」
翔子の言葉は、久我の手で制されてしまった。
「じつは、お二人には嘘をお伝えしました」
「嘘?」
「はい。会見の時間です。九時からというのは嘘です」
「会見はないでんすか?」
「いえ、会見はしますが、午後からです」
朝九時というのは、よくよく考えれば急すぎる。
「どうしてそんなことを……」
「お二人につきまとっている人物がいないかを調べるためです」
公安について言っているのだろうか?
翔子は警備会社の男性を一瞬、想像したが、彼は久我がつけてくれた護衛だ。気づかないふりをしたほうがいいだろう。
「で、どうだったんですか?」
長山が言った。表情を見るかぎり、冷静にうけとめているようだ。
「まあ、いろいろと……」
久我は、詳しく言及しなかった。中西も黙って後ろに控えている。
「そのことについては、こちらで対処しますので、お二人はご自身の仕事に集中してください」
「……ところで、発表というのは、事件を追加するということですか?」
翔子は、いま一番気になっていることを口にした。
「そうです」
久我の返答は平然としすぎていて、逆に違和感があるほどだった。
「どうやら、いまの二件の進展は、あまり見込めないようだ」
「だからですか?」
「そういうことです」
あくまでも、さらりとした返答だった。
「どういう事件なんですか?」
「警視総監狙撃事件」
広すぎる室内に衝撃がはしった。
「それって……」
宗教団体の関与が疑われた事件であり、かつて捜査の指揮をとったのが公安部だったという……。
あきらかに、公安に対する宣戦布告だ。
いや、反撃の狼煙というべきか……。
「それをやるということは……覚悟はできているということですよね?」
長山の声も慎重だった。
「もちろんです」
それと比較すると、なんと軽やかな口調なのか。
「懸賞金の対象になるということは、被害者には確約をとったということですか?」
いつもは『被害者遺族』と呼ぶところだ。被害者が死亡していない初めての事件になる。
「いえ。被害者は、民間人ではありません。ですから、いかなる許可も得ていない」
官僚は私人ではないから、許可など必要ない──いくらなんでも、乱暴な考えだと思った。かりにその暴論がまかりとおったとしても、とっくに退官していて、現在では民間人になっているはずだ。
「犯人が名乗り出て、被害者が損害賠償をもとめたらどうするんですか?」
「そんなことにはならないと思いますが、そうなったらそのときに考えます」
翔子の質問への返答は、久我らしくないものだった。
しかし、翔子にもわかっていた。この事件は、すでに時効をむかえている。
2010年の刑事訴訟法改正により、殺人事件の時効は撤廃された。しかし、殺人未遂は適用外だ。そのかわり、それまでの十五年から二五年に延長はされている(正確には、延長は2004年の法改正)。が、狙撃事件は改正前の事件なので、すでに時効が成立しているということになる。
民事の時効も成立しているはずだ。だからこそ被害者本人の許可は得ていない……。
だがそれは、久我の行動理念と、かけ離れているような気がしてならない。
「……あ」
そして翔子は、気づいてしまった。
同じように時効の成立している毒殺事件も、遺族の了解を得ていないのではないか……。
翔子は、久我の表情をうかがった。真意は、はかれない。
「会見は、午後の二時からです」
最上階から一階にもどった。
「長山さんは、毒殺事件のほうを調べてるんですか?」
「自分は、電話の対応をしているだけですよ。竹宮さんこそ、会社経営者のほうを調べてるんですか?」
おたがいが、なぜそう思っているのか。答えは簡単だ。それぞれが調べている方向に、おたがいがいないからだ。
翔子の調べているさきに長山の影はなく、長山の調査のさきに翔子はいない。
「調べているというほどではありません」
ここでもおたがいが、はっきりとは認めなかった。
前回とはちがって、どうにも協力し合う雰囲気ではない。それもこれも、公安が関係してるからではないのか……。
「狙撃事件を発表したら、また公安が横やり入れてきますかね?」
「どうでしょう……」
長山は、なにかを言いたそうにしていた。
「どうしましたか?」
「……暴走ぎみです」
翔子はドキリとしたが、すぐ冷静になった。今回については、まだ大胆なことはなにもしていない。
「久我さんの話です」
「……そうもしれません」
真っ向から公安に喧嘩を売るつもりなのだ。
「止めてくれましたか?」
「え?」
「彼を思いとどまらせることができるのは、竹宮さんしかいないんです……」
「このあいだも言ってましたけど、わたしが意見したところで、久我さんが折れるとは考えられません」
「……今回は、なんだかイヤな予感がするんですよ」
刑事の勘のようなものがはたらいているらしい。
「でも、わたしじゃ止められません……」
「ですが、ぎりぎりのところで、あなたの言葉が届くかもしれない」
「どうしてなんですか? どうしてそう思うんですか?」
翔子の脳裏では、梶谷の言葉が何度も反響していた。
「……似ているそうです」
「似ている?」
その答えは聞くことができなかった。タイミング悪く、長山の携帯が音をたてていた。
コールセンターからの呼び出しかと思ったが、どうやらちがったようだ。
「もうしわけない」
そうことわって、長山はどこかへ行ってしまった。
翔子は、会見の時間までここで待つか、それとも取材を進めるか、それを考えた。
いまようやく八時半になったところだ。待つには時間がありすぎる。とりあえず、編集部へ連絡を入れることにした。時間に不規則な職場だから、だれかはいるだろう。ただし、朝早くから出勤しているのではなく、徹夜明けだろうが。
だれがいるかわからないから、個人の携帯にはかけられない。固定電話にかけた。
出たのは編集長だった。
『おう、竹宮か』
徹夜明けのようだ。ムダにハイになっている。
「会見の話、聞きました?」
『おう、さっきファックスが届いた。なんの発表なんだ?』
「新しい事件です」
『いまの二件にプラスするってことか!?』
「はい」
さらに編集長のテンションがあがった。
『どんな事件なんだ?』
「警視総監狙撃事件です」
『警視総監? 有名な、あれか?』
「そんなことより、梶谷さんはいますか?」
『そんなことって……カジはいないよ。ああ、ただ資料を預かってたな』
「ホントですか?」
たぶん、例のマンションについてのなにかだ。
「わかりました、いまから取りに行きます!」
まだなにかを言いたそうだったが、かまわずに電話を切った。すぐに梶谷の携帯にかけてみたが、留守電になっていた。一応、お礼のメッセージを吹き込んで、すぐに編集部へ向かった。
「早かったな……」
さきほどとはちがって編集長のテンションは、ガタ落ちしていた。徹夜のハイ状態がとけて、だるさとの葛藤がはじまっているのだ。
「ほれ」
「ありがとうございます」
「おれは、寝るわ」
編集長は、力なくオフィスを出ていった。仮眠室があるので、そこで休むのだろう。
さっそく翔子は、梶谷が用意してくれた書類に眼を通した。『再開発計画書』と題されていた。どこかの会社が作成したものらしいが、会社名は黒く塗りつぶされている。
詳しく読んでみると、あのマンション一帯の計画書だった。再開発前の土地の所有者が調べられていた。これによると、例の廃マンションは『トクマリゾート』という会社が所有していることがわかる。
そして、これは梶谷の手書きと思われる文字で、ペーパーカンパニーと記されていた。
実態のない不動産会社のようだ。
読み終えたタイミングで、梶谷からの折り返しがきた。
「読みました」
『そうか』
「トクマリゾートを調べてるんですか?」
『ああ。なんとか代表者の名前がわかったんだ』
「なんという人ですか?」
『西尾浩司だ』
漢字を確かめながら、翔子はメモに残した。
『おれはこれから、そいつをさぐってみるつもりだ』
「気をつけてください」
翔子は言った。公安がらみであるならば、関係者のどこに彼らがひそんでいるかわからない。
「久我さんも、徹底交戦するつもりです」
『どういうことだ?』
「午後から会見があります。新しい事件をくわえるんです」
『まさかとは思うが……総監狙撃か?』
「わたしもまさか、梶谷さんとその話をしたばかりで、こんなことになるなんて……」
『公安を挑発するには、それしかないからな……』
梶谷の声には、そのことを計算していた久我に対する畏怖がふくまれているような気がした。
「ですから、注意してください。もしあのマンションが、公安にとって触れられたくない事柄だったとしたら……」
そのさきを、翔子は口にできなかった。なにがおこるのか、想像すらしたくない。
『そこはうまくやるさ』
そう言って、梶谷のほうから電話を切った。
不安はあるが、ドラマや映画のように、警察組織が凶行におよぶことはないだろう。せいぜいが、脅しぐらいのはずだ。梶谷にそんなことをすれば、ますますジャーナリスト魂に火をつけることになる。
もしものために長山を頼りたいところだが、ことが公安関係となると、それもしづらい。長山に圧力がかかるかもしれないからだ。
翔子は、時刻を確認した。
会見までは、まだ時間がある。とはいえ、遠出をできるほどではない。
ここでもできる調べ物といえば、ネット検索ぐらいだろう。とりあえず、トクマリゾートと打ち込んでみた。
それらしいものはヒットしなかった。
では──と、西尾浩司を検索する。
それほどめずらしい名前ではないからか、それなりの件数が表示された。が、どれもトクマリゾートと関係がありそうな怪しい人物はいなかった。
やはり、ネットサーフィンでみつけられるような情報ではない。しかし、かれこれ二時間は続けていただろうか。
ピコン、という音がメールの着信を伝えた。
高畑総合研究所というところからだ。覚えのない組織名だった。
よくわからないままに、そのメールを開いてみた。
「え!?」
画面が真っ黒になってしまった。そして、一文字ずつ表示されていく。
『命・が・ほ・し・く・ば・関・わ・る・な』
「なにこれ……」
メールはウイルスだ。
数秒後、画面がもどっていた。
「いまのは、警告?」
だとすると、公安だろうか?
だが、どうやってこんなことを……。
「まさか」
考えられるとすれば、トクマリゾートと、西尾浩司を検索したことだ。そのワードを検索したから、このパソコンを特定された……。
信じられないことだが、技術的には可能だろう。それなりの組織が、それなりの人員と予算をかければの話だが。
恐怖がよぎった。
翔子自身は、久我がつけてくれたボディーガードもいるし、危険な取材をすることもない。問題なのは、梶谷だ。
急いで連絡をとってみた。出ない。
「……」
もしかしたら公安は、なりふりかまわずに襲いかかってくるかもしれない。
そうなったら、いったいどんな事態が巻き起こるのだろうか……。