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      4.火曜日午前9時


 翌日、長山が財団本部につくと、夜間を担当する川辺という同僚が深刻な表情で待っていた。

 なにかあったようだ。これまで重要な電話はすべて、長山がいるときにかかっていた。だから引継ぎのときは、たいした話をすることはなかった。

「どうした?」

「犯人らしき男から電話がありました」

 やはりそうだった。

「とにかく、これを見てください」

 会話を書き留めたものを川辺は差し出した。ここでの通話は録音をしないという規則になっているから、このメモが重要な証言となる。

 かなり荒れた筆跡だ。

 匿名。男。くらもと。

 ほぼ単語で記されていた。匿名のあとに「くらもと」という名前らしき書き込みがあるので、最初は名前を言わなかったが、あとから名乗ったということだろうか。

 そのなかで、丸が強調されている一文があった。

 毒は除草剤パラコート。

「これは……」

 長山は、唸り声のようなものをあげてしまった。

 これまで報道では、酒に混入されたのは「農薬」としか表現されていない。除草剤のパラコートであることを知っているのは、犯人か一部の捜査関係者しかいないはずだ。

 長山自身も、今回のことで捜査資料を読んで、はじめてパラコートだと知ったのだ。警察官だから、みんな知っているという内容のものではない。

「……どう思いますか?」

「決定的とはまではいえないが、有力な情報だろう」

 長山の言葉に、川辺はどこか残念さをにじませていた。きっと、これ以上ないほどの絶対的な証言だと考えたのだろう。

 現在、パラコートは国内で生産禁止になっているが、事件当時はめずらしい農薬というわけではなかった。毒性が強いことも有名で、これまでに自殺や他殺で使用されることの多い薬品だ。

 だから当てずっぽうでも、言い当てることはできる。

「ほかには?」

 メモを見るかぎり、それ以外に重要そうな記述はなかった。

「いえ……それだけです」

「どんな声だった?」

「どんなって……」

「声質とか、しゃべり方とか」

 川辺は、警察官にとっての基本中の基本すら忘れているようだった。

「あ、ええーと、落ち着いた感じでした……乱暴な印象でもなかったです」

「年齢は、どれぐらいだ?」

「三十歳ぐらいでしょうか……」

 もし犯人からの電話であったとしたら、おかしなことになる。1983年におきた事件の犯人が、三十歳のはずがない。まだ生まれてもいない。

 川辺がそのことにも頭が回っていないのか、それとも本当にそう聞こえたのか……。

 四十代というのも現実的ではなく、五十代後半からがありえる年齢ということになる。

「そうか。ご苦労さん」

 長山はそのことの追及はせず、会話を打ち切った。釈然としない表情をしながら、川辺は帰っていった。

 自分の席について、室内の状況を観察した。

 着信の量は、昨日の会見直後とくらべると格段に少なくなっている。やはり朝という時間帯だから、たとえ冷やかしでかけるにしても、もっと遅い時間を選ぼうとするのだろう。

「……」

 オペレーターのほうだけではなく、方々に視線を動かしてしまう。やはり、盗聴・盗撮機器が仕掛けられているという事実は、潜在意識に作用してしまうようだ。

 久我が監視機器をさがそうとしていないことが、妙に引っかかっている。あの男がそれをしないとういことは、なにかしらの理由があるはずだ。

(考えるな)

 長山は、自分に言い聞かせた。

 久我の思惑は考えなくていい。あの男が、まちがった方向に進むことはない。無謀であっても、荒唐無稽な発言をしようとも、必ずうまくおさめる。それが、前回のことで久我からうけた印象だ。

 ある種の、信頼と表現してもいい。

 いまは、自分の役割を果たすことに全力をかたむけるべきだ。

 その考えに呼応するかのように、眼前の電話が音をたてた。

「もしもし?」

『……』

「自分は、警視庁の長山といいます」

『やめろと言った……』

 昨日の男だ。

「あなたは、どちらの事件について言っているのですか?」

『どっちでもいい……そんなむかしの事件を掘り返して、なんになるんだ?』

「未解決の事件です」

『もう終わったはずだ』

 時効のことを言っているらしい。ということは、蔵元毒殺事件のほうになるだろう。

「どうして、あなたが困るんですか?」

『だれも幸せにならない……』

 この声を聞いているうちに、違和感のようなものが心にわきたってきた。

「事件について、知っていることを教えてください」

『……話すことはない』

 ガチャ。

 切られてしまった。

 おかしい……。

 長山は、違和感の正体を突き詰めた。

 立ち上がった。一つ確認しておくことがある。

 オペレーターのなかから、遠山の姿をさがした。昨日、いまの男から脅迫をうけた女性だ。

 ひと通り見回してみたが、遠山の姿はないようだった。それでも視線をさまよわせていたが、杉村遥と眼が合った。

 彼女が持ち場を離れた。

「遠山さんですか?」

 彼女のほうから、そう問いかけた。

「はい」

「今日は休んでいます……昨日のことがあったので……」

 脅迫をうければ、だれでも怖くなるものだ。警察官だって同じだ。気分のいいものではない。一般人ならなおさら、休むのも仕方のないことだ。

「そうですか……」

「昨日の電話についてですか?」

「ええ」

 さすがに彼女は察しがはやい。前回のことで聡明なことはよくわかっている。

「脅迫めいたことは、乱暴な口調で言われたんでしょうか?」

「そうだと思いますけど……かなりおびえていましたから」

 それだと、長山が実際に話した人物と合致しない。人に恐ろしさをあたえる脅迫にも、ドスをきかせるタイプ、静かに恫喝するタイプと二つにわかれる。

 犯罪者と対していると、じつは静かなほうが怖いことを知っている。あからさまにドスをきかるような人間は、実際には度胸のないことが多いのだ。

 いまも昨日も、電話の男からは後者の印象をうけた。あからさまな威圧感はない。だからこそ、長山は逆に凄味を感じたし、もし公安だったとしても不思議には思わなかった。

 しかし、だとすると、昨日の遠山のおびえようが少しおかしな気がしてくる。もちろん、あからさまな恫喝でなくとも、恐ろしくは感じるだろう。一般人がそういう場面に出くわすことは、そうあることではないのだから。

 それをはっきりさせるためにも、遠山の話を聞いてみたかった。よくよく考えてみれば、彼女に声の印象についての質問をしていなかった。

 長山は自嘲した。川辺のことを責めている場合ではなかった。自分自身も、刑事としての基本を忘れていた。

 杉村遥には職務にもどってもらって、長山はコールセンターを出た。

 中西をさがした。

「どうしましたか?」

 すぐにみつけることができた。

「オペレーターの遠山さんと連絡をとりたいのですが」

「遠山さんですか……さきほど電話をしてみたのですが、つながらないんですよ」

 ということは、無断欠勤だったようだ。昨日のことがあるから、心配になった。

「住所を教えていただけますか?」

 中西から遠山の現住所を聞いた。白金台にあるマンションだった。

 本庁から特命捜査対策室の同僚を臨時に呼び寄せてから、長山はそこへ向かった。前回の実績があるから、使える人員は増えている。外出もしやすくなっていた。

 土地柄を考えれば不思議ではないが、遠山の住まいは閑静な場所に立つ高級マンションだった。低層ではあるが、家賃は安くないはずだ。オペレーターは独身女性に限定されているはずだから、実家が資産家なのかもしれない。

 当然のごとくオートロック完備で、警備員も常駐しているようだ。

 長山は、遠山の部屋を呼び出した。

 応答はない。警備員を呼び出す番号が記されていたので、警備員に話を聞くことにした。

「警視庁の長山といいます」

 カメラに向かって警察手帳をかかげると、自動扉が開いた。

 警備員は、四十歳前後の男性で、警備会社の制服を着ていた。マンションの管理会社から委託されているようだ。

「こちらにお住いの遠山さんについてお聞きしたいのですが」

「遠山さん……」

 名前だけではわからないようだった。

「305号室の女性です」

「うーん」

 あきらかに思い当たっていない。

 写真が用意できればいいのだが、こんなことなら履歴書の写真でも借りてくればよかった。

「長い黒髪の女性です、年齢は二十代」

「若い女性、ですか……」

 やはり、わからないようだ。

 少し違和感があった。

「このマンションは、賃貸ですか?」

「ええ、そうです」

「家賃は高いんでしょうね」

「そういうことはわかりません」

 本当にわからないのか、職務上、口にしてはいけないことなのか。だが警察官にも言えないことではないだろうから、前者なのだろう。

「あなたは毎日、こちらで勤務しているのですか?」

「だいだい、一日おきですね」

 夜も合わせると、四人でのシフト制になっているようだ。

「もう一度、いいですか?」

 遠山の容姿を、さらに細かく伝えてみた。男性の警備員なら、若い女性がまったく印象に残っていないのは、やはり不自然だ。

「いえ……ごめんなさい。わからないです」

 警備員の答えは変わらなかった。

「念のため、遠山さんの安否を確認したいのですが」

 そう言ったら、途端に警備員の表情が引き締まった。

「安否……ですか。なにか事件でしょうか?」

 長山は、そこで迷った。たいしたことではない、と告げると断られる可能性があった。とはいえ、大ごとにもしたくない。

「部屋の前まで行けば、それでいいんですが……」

「緊急の事態なんですか?」

「何事もなけば、緊急ではありません」

 あたりまえのことを言った。

 警備員は、やはり困った様子だった。

「そちらに迷惑はかけません」

 これも、だいぶいい加減な言葉だった。が、警察官にここまで言われれば、大概は通してくれるものだ。

「なんでしたら、あなたもいっしょに行ってください」

「……わかりました」

 こうして、遠山の部屋の前に、その警備員といっしょに移動した。

 インターホンを押してみるが、反応はない。ドアをノックする。無反応。

「いないですね」

「待ってください」

 長山はドアノブに手をかけた。鍵はかかっている。電気メーターも確認した。動いていない。

「留守なんですよ」

「ええ。留守というより、だれも住んでいないのかもしれない」

「え?」

 警備員が素っ頓狂な声をあげた。

「どういうことなんですか?」

 長山は、その問いには答えられなかった。

 推論は、こうだ。

 この部屋は、ダミーのために用意されている。いわば、ここにはだれも住んでいない。

 つまり、遠山という女性は……。

 長山がこのマンションに来たとき、ある話を思い出していた。特命捜査対策室に来るきっかけとなった誘拐事件のときに、ある女子大生が殺し屋に狙われる状況におちいった。そのとき、その女子大生をかくまうために公安が用意したセーフハウスがあったのだ。

 長山は、その部屋に行くことはできなかったが、どういう場所にそのマンションがあったのかは聞きおよんでいる。

 立地、人通り、周囲の雰囲気──それらが、合致している。

 これは、どういうことになるのか?

 遠山は、公安警察官だ。

 事件のことにさぐりを入れる……もっといえば、撹乱することを目的としている。

 そうなると、遠山はもう財団に顔を出すことはないだろう。長山が遠山の証言に疑問を感じたことは、公安も気づいている。だからこそ、今日は出勤しなかったのだ。

 長山は、不思議がっていた警備員に礼を言うと、財団にもどった。一応、このことは久我に伝えておかなければならない。

 あの男のことだから、事前に察知していたかもしれないが……。

 まずはコールセンターに顔を出した。重要な電話はかかっていないようだった。かわりに派遣した同僚にはまだいてもらって、最上階の久我の部屋に向かった。

 エレベーターが上昇していくなか、もやもやしたものが身体のどこかでわだかまってくるのを感じていた。

 なにが気になるのだ?

 自問した結果、あることに思い至った。

「はやすぎる……」

 遠山が公安だとして、その発覚がはやすぎるのだ。

 もし今日も彼女が出勤していれば、長山がマンションに行くことはなかった。証言の矛盾はついただろうが、受け答えによっては、まったく疑わなかったかもしれない。いや、疑いはもったとしても、断定するまでには数日は必要になっただろう。

「これもダミーか……」

 エレベーターが開いた。

 これから乗ろうとしていたのか、そこには久我が立っていた。

「長山さん、どうしましたか?」

「いえ……まだ考えがまとまっていないようです」

 長山は降りなかった。かといって久我も乗り込んでくる様子がなかったので、扉を閉めて一階へ向かった。

 本命はべつにいる。それを残すために、あえて遠山をはやく退出させた。

 厄介なことになった。

 だれも信用ができない。

 この財団に出入りする人間のだれもが、公安関係者であることを否定できない。いまわかっていることは、自分がそうではないということだけだ。

 冷静になって判断しよう。

 代表の久我。秘書の中西は大丈夫だろう。そこを疑っていたら、そもそも根本が狂っていく。

 あと信用できるのは……前回からいっしょだった人間。いや、その基準はだめだ。弱みにつけこまれれば、だれだって取り込まれることがある。もしくは、金で釣られるか……。

 そういうことから除外ができるのは……竹宮翔子。前回の事件で、二千万円の受け取りを拒否している。それに、ゆすられるような弱みもないだろう。

 同じ理由で、オペレーターの杉村遥もはぶくことができる。父親が詐欺に加担させられていたことは弱みになるが、財団の主要な関係者はみな知っていることだ。

「ほかには……」

 さらに厄介なのは、警察関係者がだれも信用できないということだ。公安の色に染まっていないと断言できる警察官はいるだろうか?

 広報の楠本は信用できるかもしれない。なぜなら事件の調査に加わることはないし、財団の内部事情にもタッチすることはないからだ。が、それはつまり、楠本には悪いが、あまり役には立たないということでもある。

 捜査能力があり、信用できる警察官……。

 外部になるが、一人だけいた。

 長山は、その人物に連絡をとった。

「桐野さんですか?」

 誘拐事件の解決にも協力してくれた捜査一課の刑事だ。

 捜査一課はイメージとちがって、捜査員の平均年齢は若い。二十代が大半だ。桐野のように三十代後半ではベテランであり、本来なら警部へと昇進して係長になるか、所轄署で後進の指導にあたるのが普通だ。

 だが、桐野は班長や主任という立場にもならず、一兵卒として捜一の最前線で活躍し続けている。まさしく、捜査一課のエースと呼ばれている存在だ。

 そんな優秀であっても階級もいまだ巡査部長で、巡査から昇格したさいも、試験ではなく、これまでの功績から上がっている。

『どうしました、長山さん?』

「力を貸していただきたい」

『ほう』

 どうやら、瞬間的に厄介事だと悟ったようだ。

「ハムがらみです」

『ハムですか……』

 桐野も誘拐事件のときに公安と接点をもっている。そのときの暗鬱とした経験を思い出したようだ。

「特命捜査対策室に在籍している川辺という男を調べてもらえませんか?」

『長山さんの同僚を調べるということですか?』

 川辺は前回からいっしょだったが、だからといって信用できるかどうかまでわからない。それをはっきりさせないかぎり、報告をうけた電話が本当のことなのか判断できない。

 特命捜査対策室のメンバーとしては長山よりも古参だが、そもそも長山自身が前回のために対策室に呼ばれた新参者なのだ。だから同僚たちのことも、よく把握できていない。

「そうです。ハムがらみとなると、信用できる警察官はかぎられます」

『わかりました、やってみます。川辺という警察官が、公安の《S》になっているかを調べればいいんですね?』

「お願いします」


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