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22.金曜日午後9時
長山は、話しながら翔子の表情に注意を向けていた。
ここまででも充分に衝撃的な内容だ。しかし、まだ続きがある。
「中西さんは、黒神藤吾の死の真相も語ってくれました」
「黒神藤吾の? 病死じゃないんですか?」
翔子も、そう思い込んでいたようだ。
「結果的には、自殺です」
「自殺?」
予期せぬ真相に、翔子は唖然としていた。
杉村遥は、すでに知っている内容だけに、うつむきかげんで聞いているだけだ。久我は予想していたとおり、いつもとかわらない。
「本当に自殺なんですか? それに、結果的って……」
「なんといえばいいでしょうか……」
長山は、言葉につまった。
「毒を飲んだんです。その毒は、多摩毒殺で使われたものでした」
「あの……頭がついていかないんですけど……」
「多摩のときにパラコートを用意したのは中西さんと言いましたが、そのパラコートは公安の手から中西さんの手にもどっていました」
「では、中西さんが黒神藤吾に毒を渡したんですか?」
「そうともいえますが……」
「?」
「パラコートは──おそらく瓶に入っていたのでしょうが、多摩にある黒神藤吾の邸宅のどこかに埋められていた。隠したのは中西さんです」
翔子は話の行く末を、まったく予想できないようだった。
そこで長山は、久我に視線を移した。
「久我さん、それを掘りおこしたのは、あなただ」
「え? え!?」
久我の表情は、やはり変わらない。
「どういうことですか!?」
「掘りおこしたパラコートを、久我さんが薬にまぜた」
「……」
「そのパラコートは粉末状だったんでしょう。大型のカプセルに入れれば、致死量になるかもしれない。もしくは、一個だけではなかったか」
「それだと……久我さんが殺したことになりませんか?」
久我のことをまじまじと見ながら、翔子は言った。
「いえ……黒神藤吾は、久我さんが毒を仕込んだことを知っていました。それでも薬を飲み続けたんです」
長山も、久我の瞳をみつめた。
「ですよね?」
ふ、と笑ったような気がした。
「でもどうして、黒神藤吾は……」
「それは本人に聞かなければわからない。毒を仕込んだのは、ずっとむかしだ。久我さんがまだ十代か二十歳のころだった。黒神藤吾は、長い年月をかけて毒に当たるまで毎日飲みつづけた。カプセル錠が少なくなったら、新しくたしてまで……」
「……それが本当なら、自殺ですね」
翔子の声は、どこか呆然としていた。
「──以上のことが、中西さんの証言です」
久我は、窓の外に眼を向けていた。
「どうするんですか? その証言を……」
「有力な証言なら、もちろん発表することになります」
翔子の問いに、久我は悠然と答えた。
「竹宮さんがつれてきた女性の証言も合わせて、明日の二時から会見をひらきます」
ここに来るまえに翔子は久我に、遠山の証言内容を報告していたのだろうか?
翔子の表情を見るかぎり、してはいなかったようだ。いつものように、すべてお見通しということだ。
「大騒ぎになりますよ?」
無駄だと思ったが、長山は言った。
「そのほうが、懸賞金制度の宣伝になります」
宣伝どころか、反対勢力が全力で潰しにかかるかもしれない。
「わかりました。ですが、警備を強化したほうがいい。このタイミングで記者会見をひらくということは、むこうだってなんのことかわかってしまう」
「ここの警備は万全です」
久我の視線のさきに注目した。
エレベーターの扉が開いた。
警備員の男性がいた。このところ館内でみかけている。
「Nさん……」
翔子がつぶやいた。
「竹宮さんの専属ボディガードではありますが、彼にお願いすれば大丈夫です」
「一人だけで?」
長山は、率直に疑問をぶつけた。
「彼一人で、百人の兵士に匹敵します」
さすがにオーバーだろう。が、久我がそれだけ言うとするなら、相当な実力者なのかもしれない。いったい、どこでみつけてきたのか。
「そ、そんなに強いんですか?」
「竹宮さんは、すでに目撃したはずです」
翔子が、ゴクッと唾を飲み込んだような気がした。
「海外で傭兵として活動していました」
「そんな人物と、どうやって知り合ったんですか?」
長山は訊いた。これまでの交流で、久我が無駄な説明をしないことはわかっている。
つまり、この警備員の存在も、重要な意味があるのだ。
「そうです、長山さん」
久我は、長山の心情を見透かしていた。
「この彼も、今回の件には無関係ではありません」
やはり。
「竹宮さんには、Nと名乗っていましたね?」
「は、はい……」
N──イニシャルだとしたら。
「楢崎ですか?」
長山は、ひらめいた名前を即座に出していた。
「楢崎って……楢崎謙信?」
翔子も、その人物を思い浮かべたようだ。
「それは、父親だ」
警備員が、冷たい声で言った。年齢は、三十歳を少し過ぎたあたりだ。そこから逆算すると、楢崎謙信が逮捕されたときは、まだ物心つくまえだった。
死刑が執行されたときは、二十歳をこえたあたりだろう。
「教団の死神、殺人マシーンと呼ばれていた男の子供に、平穏な日常は望めなかった」
あの楢崎に子供がいたことも、長山はいまはじめて知った。激動の幼少期だったことは、想像にかたくない。
「高校を出て、すぐに海外へ逃げた」
そして民間軍事会社へ入り、兵士として世界各国の戦場を渡り歩いた──。
語られる内容は、壮絶な人生そのものだった。
「久我さんは、どうやって彼のことを知ったんですか?」
翔子からの質問だったが、彼女がしなければ、長山が訊いていただろう。
「事件を調べる過程で知りました」
ということは、狙撃事件をとりあげることは、だいぶ以前から決めていたのだ。
「コンタクトは、どうやって?」
翔子よりもさきに、長山がたずねた。
国外の戦場にいたのなら、それをさがしだして、日本に呼び戻さなければならない。
「そこは、物量ですよ」
久我は、軽く言ってのけた。
この場合の物量は、金の量という意味だ。そうだった。あまりにもいろいろあったので、基本的なことですら頭から離れていた。
莫大な金を使って、さがしあてたのだ。
「一つ確認しておきたいのですが、楢崎さんはどう思ってるのですか?」
警備員は、意味が分からない、という視線を長山に向けた。
「父親のこと、教団のこと、事件のこと、公安のこと、そしてこの財団のことを」
「とくになにも」
答えに感情はこもっていなかった。
「すべて、おれには関係のないものだ」
それはそうかもしれない。
「では、どうして久我さんに協力するんですか?」
「協力をしているつもりはない」
「それは、金で動いているということですか?」
そうとも、ちがうともとれる表情が返ってきた。金が目的かもしれないが、それだけではないのだろう。
そして久我も、この男の本質を見抜いている。
「わかりました……ここの警護は、この方にまかせればいいんですね?」
久我がうなずき、警備員の首も下に動いた。
すぐに各マスコミへ、明日の会見の連絡がおこなわれた。そういうことは普段は中西がやっているのだろうが、中西不在でもどうにかなったようだ。
長山と翔子、遥の三人も、帰宅はせずにそのまま財団本部に残った。
深夜をすぎて、コールセンターにつめている川辺から連絡があった。本部前にあやしげな人間が出歩いているという報告だった。
オペレーターの女性たちには建物から出ないように注意をうながした。
朝になり、昼になり、会見時間が近づいてきた。
財団前の不審人物は数を増したようだが、入口にはあの警備員が立っている。なにごともなく──なにごともおこせぬまま、時間をむかえた。
「今日もお忙しいところをお集まりいただいて、まことにありがとうございます」
挨拶の声は、いつもの久我とまったく同じだ。昂ってもいないし、重い覚悟のようなものも感じない。
会見場にいる顔ぶれは、ほぼ見覚えのある者たちだった。しかし、はじめて参加する記者もいる。警戒は必要だろう。公安の人間が潜入しているかもしれない。
警備員──楢崎も会場内に移動していた。こちらも久我同様、気負いのようなものはない。ただ悠然と立っているだけだ。
「みなさまにご報告があります。有力な情報提供がありました。今日は、それを発表させてもらいます」
場内が静まりかえった。
「まずは、警視庁公安部に勤務している女性Aさんからの情報です」
久我の声に、記者から異論が出た。
「情報提供は、本名でなければならないはずですが」
「その原則についてですが、この証言は、今回の三件の解決に直接関係するものではないことと、証言者の身の安全のために匿名にさせてもらいます。また、この証言による懸賞金の支払いはおこなわれません」
そのかわり遠山の身の安全を、翔子は久我に要求していた。
「では、その証言について発表したいと思います」
公安がこの財団本部に潜入捜査をおこなっていたことを伝えると、マスコミたちはざわめいた。
さらに、その任務が失敗し、自身の命が狙われている──。
記者たちは口々に、まさか、とつぶやいていた。長山も、その気持ちはわかる。以前、誘拐事件で公安と遭遇していなければ、信じていなかったかもしれない。
「それは本当のことなんですか?」
半信半疑の記者が質問をあびせた。
「すくなくとも、本人は命を狙われていると思っています。さらに、同僚の公安部員が殺害されたと主張している」
「本当なんですか!?」
事実なら、とんでもないスキャンダルに発展する可能性がある。
長山は、そのことには懐疑的だった。公安とはいえ、このタイミングでそんなことをするだろうか?
久我が、長山に視線を移したので、立ち上がって発言した。
「現在、事実確認中です」
事実だったとしても、公安がそれを認めるはずはない。このことは、うやむやになるしかないだろう。
しかし、こうして発表することに意味がある──それが久我の思惑だ。
「続いて、もう一つの証言をお伝えします」
長山は、深呼吸のように息を吐きだした。
マスコミ側に座る翔子も、似たような仕草になっていた。
「証言者は、うちで秘書をしている中西です」
え? という声が方々であがった。
場内に、だれかが入ってきた。長山も知らされていなかった。中西本人だ。
中西は、久我に招かれるかたちで、深く頭をさげた。
「多摩毒殺事件の真相を、これからお話します」
かわりに久我が語っていく。黒神藤吾の野望に、公安が関与したことを。毒を用意したのが、中西だったこと。実行したのは、公安が用意した人間であること。
口があいたまま、ポカンとしてた記者もいた。だれもが信じられない、という顔をしていた。
しばらく、しん、と静まりかえってしまった。ようやく騒がしさをとりもどしてから、
「それは……犯人は、黒神藤吾であり、公安だということですか!?」
困惑の質問が飛んだ。
「そういうことになります」
久我の返答は、現実感がないほどにあっさりとしたものだった。
「それって……大変なスキャンダルじゃないですか!?」
日本がひっくり返るほどの。
「そして、もう一つ……」
久我は、自身のことも暴露するつもりだ。
「黒神藤吾死亡についても、中西から証言がありました」
「それは、私のほうから」
中西にマイクが渡された。
「すでに故人であり、べつの者が会長職に就いておりますが、『会長』と呼ばせていただきます」
そう前置きをしてから、核心に入っていった。
「会長は病死ではありません。毒を飲んで自殺したのです」
マスコミの反応は、むしろ鈍かった。衝撃の連続で、内容が頭に入ってこないのだろう。
「そして、その毒を仕込んだのは──」
長山は、さらなる衝撃に覚悟した。翔子も同じ気持ちだったはずだ。
「毒を仕込んだのは、私です」
え? と思ったのは、会場で長山と翔子の二人だけだろう。久我はどう感じたのだろうか?
表情は、動いていない。
「それは、どういうことなんですか? 仕込んだ毒というのは?」
記者の質問が飛んだ。
例のカプセル状に混ぜたという話を中西は伝えた。久我ではなく、中西がしたことに話はかわっていたが。
「では、自殺ということでまちがいはないんですね?」
「はい」
毒を仕込んでから、黒神が服用するまでの期間は十年近く離れている。それで自殺幇助というのは無理がある。とはいえ、だからといって完全なる無罪なのかというと、それも釈然としない。
……しないはずなのだが、しかし衝撃的な内容の連続だったために、そこは曖昧になっている。
このまま会見は終了をむかえそうだった。
「待ってください!」
立ち上がって発言したのは、翔子だった。
「中西さん、それ、嘘ですよね?」
「いいえ」
「嘘がまじっています!」
「どこに嘘があるというのですか?」
翔子は、久我を追及するつもりだ。
「毒を仕掛けたのは、あなたではなく──」
中西が手をかかげて、発言を制した。
「それを、どう証明しますか? もう私の証言しかないのです」
そうだ。そもそもが、長山には嘘を言っていたのかもしれない。中西が証言をくつがえせば、そちらのほうが真実になる。
あくまでもこれは、正式な警察の捜査ではない。財団がどの証言を採用するかの判断になる。
「……」
翔子は、なにも言えなくなった。
ただ久我のことをみつめている。
あなたは、これでいいのか──と。
たしかに、久我らしくなかった。中西は久我をかばっている。久我も、その嘘にのっている。
本来の久我なら、そんなことはしない。中西に嘘をつかせてまで、自分を守ろうとはしない。堂々と、自分が毒を混入したと、この場で告白しているはずだ。
それに自殺幇助については、立件は無理だ。久我の経歴に傷がつくということもない。いや、かりについたとしても、利益を目的に事業をおこなっているわけではない。世間の印象を気にする必要はないのだ。
つまり、そこまでして久我を守る必要はない。
(なにかある……)
中西の証言も、その一部なのだ。
なんだ……それは?
中西が告白したのも、なにかの覚悟があったからだ。そう、まるで……。
長山は、ハッとさせられた。
死ぬ覚悟……。
では、どうして死ぬ覚悟をしなければならないのか?
命を……。
わかった。
だれかに狙われている……。
だが久我は、まだ死ぬわけにはいかないと考えている。だから中西がかばったことを受け入れているのだ。
では、だれに?
一連の事件の裏にいる、だれかということか──。




