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      19.金曜日午後2時


 港区の事件の捜査を公安部がおこなっていたということは、それはつまり、公安がどうしてもかかわっておきたかった動機があるということだ。狙撃事件のように、宗教団体が関係していた容疑があったわけでもないだろう。

 まずまちがいなく、港区変死事件の被害者は、公安に属していた人間だ。そして、毒殺事件や狙撃事件にも関与していた……。

 その末路は、公安自身による抹殺だろうか?

 自業自得ではあるが、ただ命令に従っただけだとすれば、歯車の悲哀を感じる。

 なんと残酷でむごい……。

 これまでの仮定が、すべて正解だったとしよう。

 では、それをどうやって証明していくか。

 考えても考えても、妙案は出てこなかった。

 気づけば、正午を大きく過ぎていた。今日はまだ、なにも口にしていない。この部屋には大量のカップラーメンが差し入れられているので、その一つを食べた。たりなかったので、もう一つ。

 もう一個いってやろうと作りかけたが、電気ポットのお湯が不足していたからあきらめた。

 おなかを満たしても、いい考えは浮かばない。

 ここは、他力本願だ。

 久我がどんな策を用意しているのか、それを知りたい。

 部屋を出て、最上階に向かおうとした。

 しかし、財団内が慌ただしくなっているような気がして、コールセンターに顔を出した。

 長山はいなかった。さきほどの電話は外出先からかけたようだが、まだもどっていないのか、それとも、もどってきたが、また出かけていったのか……。

「どうしたんですか?」

 臨時で派遣されている女性警察官に声をかけてみた。おたがいに、これまで面識はない。

「いえ……」

 なにかはあるようだが、よく顔を知らない人間には教えられない、ということだろう。

 翔子は、べつの人物をさがした。久我や中西はいない。オペレーターでは、やはり杉村遥が適任だろう。しかし、遥の姿もなかった。

 ほかにだれがいるだろうかと視線をさまよわせていたら、警備員の制服が眼に飛び込んできた。

「あ」

 警備員ではあるが、この財団本部を警備しているのではなく、翔子個人を守っている人物だ。《N》とだけ名乗っている。

「なにがあったんですか?」

 彼──Nに声をかけた。

「わからない」

 ボソッと、それだけを答えた。

 格闘術にはすごいものがあったが、こういうことの頼りにはならないようだ。

「ここにいたなら、なにか気づいたことがあるでしょう?」

 それでも追及してみた。

「……つぶやいていたのを耳にした」

「え?」

 しばらく待っても、続きを言わない。

「なんて、つぶやいたの?」

「中西」

「え? どういう意味?」

「そのままの意味だ」

 Nは、そう口にしてから離れていった。

 そのままだとすると……長山のかわりの女性警察官が、中西、とつぶやいた──そういうことになるだろうか。

 どういうことなのか……。

 いや、長山がもどってくれば、報告してくれるはずだ。それよりも、自分のやるべきことを……。

 久我の部屋に急ごうとした。

 携帯が鳴った。知らない番号からだった。

「……」

 公安の存在が頭に浮かんだ。彼らにしてみれば、携帯の番号を調べるのは朝飯前だろう。

 どうするか迷った時間は、二秒もなかった。

「もしもし?」

『あの、竹宮翔子さんの携帯でよろしいでしょうか?』

 丁寧な男性の声が言った。

「はい、そうですが……」

『わたくし、公安──』

 やはり、そうだった。予想が当たりすぎて、逆に驚いた。

「公安!?」

『はい、このあいだお会いした、公安調査庁の者です』

「え?」

 なんのことだ?

 公安調査庁?

 そうだ。駅で翔子を押した女性を尾行してたどりついたアパート──そこで宗教団体を監視していたのが、公安調査庁だった。

「そ、それで……」

『出版社に問い合わせて、電話番号をお聞きしました』

 公安的な方法で調べたわけではないようだ。

『あのとき、あなたよりさきに部屋へ来た女性のことは覚えてますか?』

「はい……」

 忘れるはずがない。命を狙われたのだ。

『その女性がですね……』

 言いよどむように、数瞬の間があいた。

「どうしました?」

『あ、いえ……ちょっとおかしな状況になっているんですが……われわれのところに保護を求めてまして』

「保護……ですか?」

『そうです。それで……あなたに連絡してほしいと要望がありましてね』

「わたしにですか?」

『そうなんです。あなたにお願いしたいと』

「どうして、わたしなんでしょうか?」

『それはなんとも……』

 電話の声は、あきらかに困りきっている。

「その女性は……」

 遠山という名前だと思うが、彼らにはどう名乗っているかわからないので、そういう呼び方になった。

 思惑を知るため、本人にかわってもらおうと考えたのだが……。

『それが……トイレにこもってまして』

「え?」

 情景が浮かばない。いったい、どういうことになっているのだろう?

『部屋に入ってきて、だれも信用できないからと、トイレの鍵をしめて、たてこもってるんです。あなたに連絡をしてくれの一点張りで』

「どうして、わたしに直接しないのでしょうか?」

 素朴な疑問を口にしてしまった。きっと相手の男性にしてみたら、本人に聞いてください、と思っただろう。

『よくわからないですけど、電話をかけることも信用できないんじゃないかと……』

 そこで、ため息が聞こえた。

『われわれのことも信用してないんでしょうけど、ここしか安全な場所が思いつかなかったのかもしれない』

 公安から孤立しているとみてまちがいないだろう。まだ調査庁のほうがマシだと、あのアパートに……。

『とにかく、こちらに来ていただけないでしょうか?』

「そ、そうですか……わかりました」

 いまは、そんなことにかまけている場合ではないが、公安の彼女からなにか有用な話が聞けるかもしれない。

 しかし罠であることも考慮しなけば、またあんなめにあわされてしまう。昨日は、二度も不覚をとったのだ。

「いまから向かいます」

 そう伝えて、通話を終えた。

 タクシーを利用するつもりだ。アプリで呼ぼうとしたが、護衛のNに頼むべきだろうか?

 思い出した。あのときもアプリで呼んだはずだが、Nの運転するタクシーがやって来たのだ。深く考えなくてもいいのかもしれない。

 十分後に到着したタクシーの運転手は、やはりNだった。

「どういう仕掛けなんですか?」

「……」

 運転席の彼は、答えてくれない。

 ……と思ったのだが、発車してからしばらくして、ボソリと声がした。

「そのアプリの運営は、財団の関連会社だ」

「え!?」

 意表を突かれる言葉だった。

「どういうことですか?」

 しかし、それだけしか口を開いてくれなかった。

 久我なら、やりかねない。

 こういうときのために?

 いや、さすがにそれは考えすぎだ。タクシー業務をおこなうことが利益になるからそうしているのだ。

 ちがう──内心で、すぐに否定した。久我には、経営者としての気質も理念もない。

「……」

 その後、Nは無言のまま、タクシーは走行を続けた。

「つきました」

 あのアパートの前で停まった。

「ありがとうございます」

 翔子は降りて、階段を上がろうとした。

(あれ?)

 その途中で、あることに思い至った。

 わたし、この場所のこと伝えたっけ?

 アプリでは目的地を入力するようになっているが、おおまかにしか覚えていなかったので、曖昧に入力していた。

「……」

 いや、いまはそんなことはどうでもいいことだ。

 部屋に急いだ。

 ノックすると、すぐにあの晩に出会った男性が顔を出した。

「お願いします」

 なかに入った。

 玄関のすぐそばにトイレがある。

「あの……竹宮です」

 ドアに向かって声をかけた。

 返事はない。

「遠山さん、ですよね?」

 本名でないかもしれないが、かまわずにそう呼んだ。

「……あなた一人?」

 十秒ぐらい経ってから、か細く声が聞こえた。

「そうです。わたし一人で来ました」

 面倒なので、Nに送ってもらったことは言わなかった。

「これから、どうしたいんですか?」

 率直に質問した。

「……」

「あなたは、公安なんですよね?」

「……」

「なにか言ってください」

「今朝……みつかった」

「え?」

 ようやく答えてくれたのかと思ったが、意味がわからない。

「みつかった? なにがみつかったんですか?」

「……記者なのに、知らないのか?」

 直接話したことはなかったが、すくなくともいまは男勝りなしゃべり方だ。

「なんのことですか?」

「東京湾で死体があがった……」

「どういうことですか?」

 まだ話の筋が読めない。

「知ってるはずだ……」

「ですから……」

「同僚だ」

「え?」

「だから、死んでたのは同僚なんだ……」

 もしや……。

「あの二人ですか?」

 西尾と高畑。

「そうだ……そのうちの一人だ。もう一人も、どこかで……」

 どこか呆然とした声だった。

「……おまえたちの排除に失敗したと連絡をうけた直後だった」

「消されたということですか?」

「ほかになにがある……」

「でも、その人たちも警察官なんでしょう? そんなことありえますか?」

「わたしたちは、この任務につくまえに退職してるんだ」

「どういうことですか?」

「一時的なものになるはずだった……」

「任務が終わったら、公安に復帰できたということですか?」

「……そうだ」

 いまの発言は、同時に彼女が公安であることを認めたことになる。

「あなたも……なにかされると思ってるんですか?」

「……」

 返事は聞こえてこなかった。

 答えるまでもないのだろう。だからこそ、こんなトイレにたてこもっているのだ。

「どうしてそんなことに?」

 重くなりすぎないような語調で、問いかけた。

「この失敗が、許されないことだったんだろう……」

「失敗しただけで、本当に警察が人を殺すというんですか?」

「わたしだって、まさかと思ってる……でも、それが現実なんだ!」

 最後のほうは、怒鳴り声に近かった。

「だけど……そういうものかもね……」

 一転、自虐的な沈んだ声が続いた。

「あなたたちを始末しようとしてたんだから」

 人を殺そうとしていたのだから、逆に殺されても仕方がない──そのような意味なのだろう。

「それが本当のことだとしましょう……わたしに、どうしてほしいんですか?」

「責任をとってくれ……」

「責任? わたしに、なんの責任があるというんですか?」

「おまえたちのせいでこうなったんだ!」

 とんだ逆恨みだ。むしろ、翔子のほうがこの女を殴ってやりたい心境だった。

「なにをしてほしいのか、はっきりと言ってください」

 その気持ちをのみこんで、翔子は話を進めた。

「わたしを匿って……」

「どうやって? わたしは、ただの記者です」

 それも三流雑誌の、という自虐の言葉ものみこんだ。

「それこそ、警察に保護を求めたほうがいいんじゃないですか?」

 皮肉もこめていた。

「一番信用できない……」

「それって、公安とか一部じゃないですか? ちゃんとした警察官だって多いでしょう?」

「だれも信用できない……」

 典型的な疑心暗鬼だ。信用すべき人のことも信用できなくなっている。

「でも、わたしじゃ、あなたを守れません」

「守れる人を知ってるだろう?」

「だれのことですか?」

「代表だ……」

 たしかに久我の財力なら、どうにかできるだろう。

「だったら、久我さんに助けを求めてください」

「わたしなんかを、助けてくれるわけがない……」

「つまり、わたしから久我さんにお願いしろということですか?」

「……」

 もしかしたら、扉のむこうでうなずいたのかもしれない。

 そのために翔子をここに呼びつけた。

「あの男の金は、こっちにも流れているらしい……」

「どういう意味ですか? 久我さんの資産が?」

 こっちに流れているというのは、公安に、ということだろうか?

「あなたたちと久我さんは、敵同士なんですよね?」

「こっちの世界に、敵も味方もない……」

 善悪の基準で動くわけではない公安ならではの考えだろう。

「そんなことより助けてくれるのか、くれないのか!」

 荒い語気で迫られた。

「まずは、出てきてください。決めるのは、それからです」

 二十秒ぐらい返事はなかった。

 カチャ、と鍵がはずれる音がした。

 かたわらで見守っていた公安調査庁の男性が、ホッとしたような顔になっていた。

 翔子のほうから、扉を開けた。

 男勝りなしゃべり方なのが信じられないほど、彼女はおびえたような眼をしていた。

「ここを出ましょう」

 やさしく語りかけるように気をつけた。

 遠山が、おぼつかない足取りで出てきた。

「財団本部に行きますけど、いいですね?」

 翔子は、もう一度、意思を確認した。

 泣きそうな顔で、遠山はうなずいていた。


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