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      18.金曜日午前11時


 杉村遥の部屋を出てから、翔子からの着信があったことに気がついた。昨日の深夜だ。不覚にも、携帯のチェックをこの時間までしていなかった。

 これから財団本部に遥の荷物を取りにいって、部屋までもどってこなければならない。具合が悪くて早退した彼女が取りにもどるのは不自然だからだ。

 来るときはタクシーをつかったが、帰りは徒歩にするつもりだった。その時間をつかって、翔子へかけてみた。

 すると、奇妙な質問をうけた。港区変死事件の被害者の年齢を知りたいという。

 それを耳にしたとき、どうしてわざわざそんなことを聞くのだろうと単純に考えた。記者ならば、そんなことぐらい承知しているはずだ、と。

 しかし、そういえば自分も知らないことに頭がいった。手帳にも書き込んでおらず、警視庁本部に問い合わせる必要を感じたから、いったん通話を切ってもらって、本部に連絡を入れた。

 それでも五分ぐらいでわかることだと、タカをくくっていた。

「わからないって、どういうことですか?」

 特命捜査対策室では埒が明かないようだった。なので、室長のほうから捜査一課長や、必要なら刑事部長まで問い合わせてくれるということになった。

 しばらくして、連絡が返ってきた。

『これ、公安案件なのを知ってましたか?』

 同僚は、まずそれを前置きのように口にした。

「公安?」

 初耳だった。同時に腑に落ちた。どうしてこの事件のことをよく知らなかったのかを。

 いろいろと長山の脳内で、今回の三件がつながっていくような気がした。そして、翔子がなぜ被害者の年齢を気にしているのか……。

 得た情報を翔子に伝え、彼女の考えを確かめた。長山の想像をはるかに超えるところまで、翔子は推理を進めていた。

 被害者である仁科智文の年齢は、五七歳。

 公安の人間で、毒殺事件・狙撃事件に関与し、そのすえに公安自身によって消されたのが『港区会社経営者変死事件』の真相……。

 ありえる線だ。

『それで長山さん……昨夜は言いそびれましたけど──』

 さらに翔子から、昨夜の顛末を聞かされた。

 公安による凶行……。

 にわかには信じられなかった。しかも、狙撃事件を解決させなかったのは、ある宗教団体を守るため──。

 いつ翔子との通話を終えたのか、それすらわからないほど長山は愕然としてしまった。

 いけない……こんなことでは。

 頭を冷静にもどした。

 事件のことを考えよう──。

 港区で死亡した仁科智文が、元公安なのかどうか……。

 それを調べることは不可能に近い。当然のことながら、殺人工作など警察官でも認められていない。警察官であった過去は抹消されているだろう。もしくは、もとから正式な警察官ではなかったか……。

 長山は財団本部にもどらず、ある場所を訪れていた。

 足立区北千住にあるマンション──。

 警視総監が狙撃された現場だ。いまでもマンションは残っている。

 毒殺は、毒物さえ用意すれば、だれもできることだ。しかし、狙撃はちがう。

 これまでの捜査でわかっていることは、狙撃地点が20メートル離れた植え込みからということだ。発砲されたのは、一発だけ。

 その距離で、素人が命中させることは困難だ。

 警察官だというのなら、その矛盾はなくなる。

 犯行現場には、あるものが落ちていた。それが犯人につながる有力な証拠なのか、それとも捜査をかく乱するためにわざと残したものなのか、いまでも議論になっている。

 某国のバッジだ。

 独裁国家として悪名高い。工作員も日本に入り込んでいるだろうが、作為的なものを感じるのも事実だ。首相暗殺ならまだわかるが、警視総監を他国の工作員が襲ってもメリットがあるとは思えない。

 当時、テロ事件で捜査の渦中にあった教団が、その矛先をかわすために仕組んだものだろうというのが大局的な見方だった。

 長山も、かつてはそう考えていた時期もある。しかしテロ教団の楢崎謙信犯行説には無理があるし、翔子の話を耳にしたいまとなっては、べつの絵が見えてしまった。

 とはいえ、テロ教団とはべつの宗教スキャンダルから政界を守るためという話は、それすら建前なのかもしれない。

 本当は、身内を守るため……。

 そのとき、背後に人の気配がした。

 一瞬で身の危険を感じた。

 しかし振り返ったそこに立っていた男からは、狂気の印象はない。

「だいぶ、進んでいるようだ」

 そこにいたのは、鈴木だった。

「進んでいるのかわかりませんが……あなたは、われわれに進んでもらいたいようですね」

「そういうわけではありませんよ」

 鈴木は、やさし気に返答した。

 K文書というものを管理している公安の人間。おそらく、Kの意味は『黒神』。つまり黒神藤吾にまつわる文書を管理しているということだ。

「私だけが推理したことじゃありませんがね」

 長山は、そうことわりをいれてから、これまでの考えを伝えた。ほとんどが翔子の推理だ。しかし、彼女の名前を出すべきではない。彼女のことは鈴木も調べているだろうが、あくまでも長山に危険がむくようにしなければならない。

「……なるほど、大胆な想像ですね」

「あなたの管理する文書にも、同様のことが書かれているんじゃないですか?」

「それを明かすことはできません」

「ですがね、あなたの行動がわからない」

 鈴木の口元が、ほころんだ気がした。

「どういう意味ですか?」

「あなたが、こうしてわれわれに助言しようとしていることがわからない」

「助言ですか……」

 その言葉からも、表情からも、鈴木の心情は読み取れなかった。

「助言ではないと?」

「どうなんでしょうね」

 けっして、本心を悟らせない……。

 長山のこれまでの捜査経験など、まったく役に立たなかった。

「私は、まちがった方向に進んでもらいたくないだけなんですよ」

「で、どうなんですか?」

 長山は、さぐるように問いかけた。

「まだなんとも……」

 マンションの入り口から、主婦らしき女性が歩いてきた。それが合図だったかのように、鈴木は歩き出していた。

「鈴木さん?」

 しかし、その呼び止めにも足が止まることはなかった。面談は終わった、ということだろう。

「……」

 長山は無駄だと思っても、考えずにはいられなかった。

 鈴木とは、何者だ?

 ただ文書を管理してる人間が、なぜこうまで顔を出すのか……。

 現場をあとにした。

 いまはわからなくても、いずれ判明するときがくるだろう。

 駅に向かっているときに、携帯が鳴った。

 臨時に入ってもらっている同僚からだった。

 まだ配属されたばかりの女性捜査員だった。名前は、倉橋という。

「どうした?」

『いま電話がありました』

「どんな内容だ?」

『長山さんを指名しています。どうすればよかったですか?』

「すぐにもどる」

 財団本部についたとき、電話してきた同僚は、緊張感で怒っているような顔になっていた。特命捜査対策室に配属されるまえは交通部にいたらしいから、こういう職務には不慣れなはずだ。

「で?」

 コールセンターに入ると、さっそく倉橋から話を聞いた。

「長山さんにかわってくれって……」

「それだけか?」

 重要な証言をしようとしていたのか、それだけでは判断できない。

 長山は、オペレーターのほうに眼を向けた。倉橋に電話がまわされたということは、オペレーターのだれかが、そう判断したということだ。

 一人のオペレーターと眼が合った。

「わたしです」

「なにを言っていましたか?」

「……」

 しかし彼女は、言いづらそうにしている。

「どうしましたか?」

「知っている声でした……」

「え?」

 以前にもかかってきた人物ということだろうか?

「どういうことですか?」

「あ、いえ……」

 明言をためらっている。

「大丈夫です。まちがっていたとしても、かまいません」

「……」

 どうやら長山が思ったようなことではないようだ。

「よく知っている人物ということですか?」

「……はい」

「だれの声ですか?」

「中西さんだと……」

「ここの?」

 彼女がうなずいた。

 周囲を見回した。中西の姿はない。長山は、倉橋にこの場をまかせたまま、本部内をさがした。

 黒神藤吾が毒殺事件の黒幕だとしたら、一番近い配下として、中西が関係しているのは自然な流れだ。

 つまり、当時を知る重要な生き証人というわけだ。

 久我の秘書に落ち着いているということは、野心はない。公安に染まっているわけでもなく、保身にはしる必要もない……。

 中西が、なにかを告白しようというのだろうか?

 一通りさがしてみたが、いなかった。あとは最上階だけだ。

 代表の部屋は、いつも以上に広く感じた。中西の姿はない。

 久我が、ソファーに腰かけていた。

 まるで待っていたかのように。

「久我さん……」

「やあ、長山さん」

「中西さんは?」

「ここにはいませんよ」

「そうですか……」

 べつの場所をさがそうと退室しかけたが、やはり久我は待っていたのだ。それを悟って、足を止めた。

「中西さんが、うちに電話をかけてきたみたいです」

「そうですか」

「そのことで、なにか話すことはありますか?」

 慎重に問いかけた。

「ぼくは、嘘をついていた」

「嘘?」

 久我は、なにを語ろうというのか?

「どんな嘘ですか?」

「些細な嘘ですよ」

 要領を得ない。

「だれに嘘をついたんですか?」

「いま、長山さんがさがしている人物です」

 中西に対して嘘をついた……そういうことだろう。

「どんな嘘ですか?」

 同じ質問を繰り返した。

「知っていたんですよ」

「なにをですか?」

「黒神藤吾が何者なのか」

「どうして嘘をついたんですか?」

 その質問は、核心をついていると思った。これまでの一連のことに──。

「どうしてでしょうかね……」

「久我さん、私はね……あなたのことを疑っています」

 ぶつけるなら、いましかない。

「なんの容疑ですか?」

「黒神藤吾の殺害です」

 それまで安定していたはずの天気が、急変していた。

 稲光が最上階の広い室内を満たす。

「あなたが、直接ではないにしろ、親の仇ともいえる黒神藤吾に、なにもしなかったとは思えない」

 直接の仇への報復は、すでに終えている。長山の想像もふくまれるが、おそらく杉村遥の父親の遺体を犯人グループの別荘に埋めた直したのは久我だ。

 懸賞金をかけることで、詐欺グループの犯行を明るみにした。まるで針の穴を通すように緻密な計画と、大胆な構想力のたまものだ。そんな男は、いったい黒神藤吾にどのような仕掛けをほどこしたのか……。

「パラコート」

 久我は、つぶやくようにそれだけを口にした。

「?」

 もう一度、雷光。

「パラコートがどうしたんですか?」

 多摩毒殺で使用された毒物だ。むかしは、めずらしくもない一般的な農薬だった。

「多摩の事件?」

 その情報は公開されていないが、久我ならば知っていても不思議ではない。今回、その事件を選んだことで、警察上層部のだれかが伝えたのだろう。

「……ちがうな」

 長山は、漠然と思ったことを口にしていた。

 久我は知っていたのだ。

 しかし、久我が多摩毒殺事件に関与しているわけはない。まだ生まれてもいないはずだ。

 では、なぜ?

「パラコートが、どうしたんですか?」

 久我の意図を読み解かなければならない。

 久我は、答えてくれない。

「黒神藤吾……ですか?」

 ネットの書き込みにあった。しかも『パラコート』という記述もあった。

「黒神藤吾をパラコートで……久我さんがやったんですか?」

 復讐をはたした……。

「そうですよ」

 稲妻。

 白い輝きに照らされた久我の表情は、言葉とは裏腹に、それを認めていなかった。

 ちがう。そんな単純なことではない。

 久我のやり方を思い出せ。

 もちろんそれは推測だが、久我は詐欺グループを尾行して、別荘をさぐりあてた。そのときに、殺害された杉村遥の父親を山中に埋める場面に遭遇したのだ。

 黒神藤吾のときも、同じだったのではないだろうか?

 復讐の機会をうかがいながら、黒神藤吾の周辺をさぐっていた。そのときに──。

「パラコートをみつけたんですか?」

 久我の眼光が、一瞬だけ鋭くなった。

 だが、そんなに都合よく?

 それともそのことに、中西が関わっているのだろうか……。

「中西さんは、どこにいるんですか?」

 詰問した。これ以上、彼との会話では真相までたどりつけない。

「ここにはいません」

 久我は、さきほどの答えを繰り返していた。

「……失礼しました」

 長山は退室した。ほかをあたるしかない。

 エレベーターで一階のコールセンターへ。

 中西なら、長山が不在だったことを知っていたはずだ。それなのにコールセンターにかけてきたということは、そのことになにか意味がある……。

 どこかに、いざなっているのかもしれない。

 中西は、そこで待っている。

 どこだ?

 黒神藤吾は、どこで死亡した?

 当時の報道で眼にしたことがある。黒神は、自宅としていた多摩地方にある屋敷で亡くなったと。

 多摩……。

 これについても、事件の布石となっているのかもしれない。

 いまがどのようになっているのかわからないが、そこに行くべきだと長山は決意していた。

 倉橋にこのまま任せることにして、長山は財団本部を出ようとした。しかし、杉村遥に荷物を届けなければならないことに思い至った。

 早歩きで遥の部屋に行ったとき、いまから訪れようとしていた場所のことをつい話してしまった。

「もしよろしければ、わたしもご一緒しましょうか?」

 そんなことを言われるとは思ってもいなかったし、自身がこれからの行動を軽率にしゃべってしまったことにも驚いていた。

「い、いえ……」

 戸惑っていると、遥は準備をはじめてしまった。

「多摩でしたら、車がいいんじゃないですか?」

「は、はあ……」

 彼女に押される形で、ともに行くことになってしまった。さきほどは、こちらから無理なお願いをしているから、むげに断ることもできない。これが通常の捜査なら、一般市民を危険なめに──という大義名分がつかえるのだが、捜査ですらないから言葉をのみ込むほかはなかった。

 レンタカーを借りて、長山の運転で多摩方面へ向かった。

「どうして、いっしょに行こうと思ったんですか?」

 しばらく走行してから、ふと長山は問いかけた。

「……長山さん、とても焦ってらしたから」

「え?」

 思ってもみなかったことを言われた。歩く速度をあげていたから、息が乱れていたのは事実だが。

「そうでしたか?」

「……」

 ちがう。遥は、言葉を選んでくれたのだ。

「どういうふうに見えていましたか?」

 長山は、聞き直した。

 少しためらったのち、彼女は答えた。

「……追い詰められているみたいでした」

「……」

 自覚はない。しかし、そうなのかもしれない……。

「心配をかけたみたいですね」

「いえ……。足手まといなんでしょうけど、そんなわたしでも、いるだけでなにかの役にたつことがあるかもしれません」

 ありがたい言葉だった。

 黒神藤吾が亡くなった邸宅の場所は、うろ覚えでしかないが、青梅市とあきる野市の境界にある山の麓あたりだったはずだ。奥多摩までは行かない。

 多摩地方と呼ばれるエリアは広い。毒殺事件があったのは、そのなかでも八王子市になる。ただし、かつては多摩市に蔵元があった関係上、事件名も『多摩蔵元毒殺事件』になったのだ。

 都心を離れるまでは時間がかかった。そこを抜けると車は順調に進み、山道に入った。すでに暗くなりはじめている。だが、迷うような道ではなかった。それに、黒神の邸宅らしき建物には電気がついているようだ。

 それを目印にたどりつくことができた。

 門扉は開いていた。

「ここであってるんですか?」

「どうでしょうね」

 そう答えたが、しかし長山には確信があった。これだけ立派な建物は、そうあるものではない。

 まさしく、大資産家だった黒神藤吾にふさわしいものだ。

「ここで待っていてください」

「いえ、わたしもごいっしょします」

 一瞬迷ったが、危険はないだろう。

 中西は、静かに待っているはずだ。


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