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      17.木曜日午後10時


 タクシーは、財団本部に向かっていた。

「黒神藤吾とNS酵母……それが、今回の事件に関係してるんでしょうか?」

 答えてくれるのは、梶谷でも久我でもよかった。しかし、翔子の声に返っていく言葉はなかった。

「酵母……お酒」

 仕方がないので、自分だけで話を進めた。

 それだけのキーワードがそろえば、翔子でも推理はできる。

 多摩の毒殺事件。

 まさか、それに関係しているというのだろうか?

 すくなくとも、長山は疑っている……。

 すぐとなりに座っている久我の表情をうかがってしまった。久我は、どこまで知っているのだろう。

 いや、彼のことだから、もし関係があるのなら、すべてを承知で仕組んでいる。

 事件を整理すれば、多摩毒殺と黒神藤吾のNS酵母。

 港区会社経営者変死事件と公安。

 警視総監狙撃事件とカルト教団。

 そしてこの三件は、まったくの無関係ではない……。

 久我という人間が、なんの脈絡もない事件を選ぶとは思えない。前回の四件には、そんな関係性は存在しなかった。しかし今回の三件は、絶対に意味がある。

「久我さん……全部、知ってるんですよね?」

 唐突な問いかけに聞こえたのか、助手席の梶谷が顔を向けていた。

 当の久我は、いつもどおりポーカーフェイスを崩すことはない。

「なにをですか?」

「事件の真相です」

「真相?」

「犯人がだれなのか……」

「おもしろいことを言いますね。犯人が知りたいから、懸賞金をかけているんです」

 久我のその言葉は、信用できなかった。

「嘘です。犯人が知りたいからじゃ……ありませんよね?」

「では、なんのためだというんですか?」

「犯人に……名乗り出てもらいたい……」

 ポツンと自身のつぶやきが耳に届いたとき、翔子は驚いた。そんな発想が突然、脳内にかけめぐったのだ。

 名乗り出る?

 それは、この懸賞金制度の根幹ともいえるものだ。犯人自らが名乗り出る──そのために何億もの金を積んでいる。

 しかし、いま翔子の口にした「名乗り出る」は、ちがう意味のものだ。

 金で釣るのではない。

 べつの要素をもって、自白を引き出そうとしている……。

 翔子は、久我の瞳をみつめた。

「……」

 自分の考えは、まちがっていない。

「どうした、竹宮?」

 梶谷に、心配げな声をかけられた。

「……なんでもありません」

「これから、どうするんだ? このまま突き進むつもりか?」

「はい」

「さっきの連中が、またなにかしてくるかもしれないぞ」

「それは大丈夫だと思います」

 翔子は、自信をもって発言した。

「どうしてだ?」

「だって、久我さんが守ってくれるでしょ?」

 梶谷から、真横に顔を向けていた。

 言われた久我は、少し困ったような笑みをみせていた。

「おい……そんなこといったって、やつらが本気を出したら……」

 梶谷は、それを軽い冗談だととらえたようだ。梶谷自身も危険なめにあったわけだから、そう考えるのも無理はないだろう。

「現に、さっきも助けにきてくれたじゃないですか」

 それを言われたら、梶谷も反論できなくなったようだ。

 タクシーは、財団本部の近くまできていた。

「おれは、編集部にもどる。おまえは、どうする?」

「わたしは、こっちにいます」

「いいか、しばらく自宅には帰るなよ」

 そこまでは大袈裟だと思うが、たしかに翔子の住む安アパートでは防犯に問題がある。

「竹宮さんの部屋は、すでに確保してあります」

 久我が言った。中西からそのことの報告は受けていたようだ。

「できれば、取材で外に行くときは、おれに連絡しろ。おれが行けなければ、だれかを行かせる」

「それにはおよびません。竹宮さんの警護は、彼にまかせています」

 久我が、運転席のほうを見た。

 わずかに頭をさげたようだった。

「あの……名前は……」

 運転手は答えてくれない。

 久我に瞳でたずねた。

「名乗るは苦手なのでしょう」

「でも、なんと呼べば……」

「そうですね、イニシャルだけでも」

 久我の言葉をうけて、運転手がつぶやくように答えた。

「Nです」

 では、Nと呼ぶしかないだろう。

 本部前についた。

「じゃあな」

 梶谷は、早歩きで駅に向かっていった。拉致されていたショックは微塵もないようだ。その図太い神経を見習いたかった。

 久我と二人で、本部内に入った。運転手──護衛役のNは、ついてこなかった。タクシーをどこかの駐車場に置くためか、それとも外を警護するためか。どちらにしろ、本部のなかにいれば安全だ。彼の警護は必要ないだろう。

 中西からあたえられた部屋に入った。

「あ」

 食料のほか、毛布なども置かれていた。すっかり生活空間ができあがっている。

 中西に気持だけで感謝して、翔子はノートパソコンを開いた。

 記事を書くわけでも、なにかを検索したいわけでもなかった。

 とにかく、頭を整理したい。

 今回の事件を文字におこした。タクシー内で考えたことを箇条書きで記していく。

 三つの事件に流れがあるとすれば、そのおおもとは、多摩の毒殺事件ということになる。一番過去の出来事だし、それはまちがいないだろう。

 黒神藤吾が毒殺の裏にいて、その関係で公安も動いていた。犯人は黒神の部下なのか、それとも公安なのか……。

 次に発生しているのは、その公安が捜査をおこなった狙撃事件だ。昨日までは、たんに久我が公安を挑発するためにその事件をつけたしたのだろうと考えていた。しかし、それがちがうということを、今日知ることになった。

 公安は、わざと捜査をしなかった。その理由は、べつの宗教団体がからんでいると、公安自身から告白をうけた。だが、過去の毒殺事件に関係しているとすれば、それだけではないのではないか……。

 公安は、犯人を知っていた。

 知っていたから、迷宮入りにした。

 その推理も正しいとしよう。では、一番新しく発生した港区会社経営者事件は、どうなのだろう?

 変死体が発見されたマンションは、現在ではトクマリゾートが所有していて、そのトクマリゾートを突っついたことで公安が出てきた。代表者の西尾浩司は、あの公安の一人の名前……。ただし、それはコードネームのようなもので、いまはあの公安が名乗っているということらしい。

「……」

 時系列を考慮して、強引でもいいので推理を組み立ててみよう。

 毒殺事件の犯人は、黒神藤吾、もしくはその関係者。その関係者のなかには、公安もふくまれている。黒神自身がやったというよりも、そのほうが現実的だろう。

 その犯人を公安と仮定しよう。犯人はその後、狙撃事件の捜査にたずさわる……。

 いや、そこがしっくりこない。もしかしたら、狙撃事件の犯人も同じで、公安はその犯人をかばいたかった……。

 とするならば、港区変死事件はどういうことになるだろう。

 やはり犯人が公安なのだろうか?

 だからこそ、いまでもトクマリゾートというペーパーカンパニーをつかって土地を所有している……。

 これにも、しっくりこない。

 発想の転換をしてみよう。

 となると……被害者のほうが、公安?

 自身の推理にハッとさせられた。ありうるだろうか?

「……合うかな?」

 年齢だ。

 そういえば、被害者については仁科智文という名前しか把握していなかった。無名の事件だったから、あまり細かいところまで頭に入っていないのだ。

「えーと」

 どこかにメモしていたかもしれない。見当たらなかった。ならば、パソコンで検索した。

 ダメだ。被害者の年齢はどこにも書かれていない。

 今回、取り上げられたことで、新しく記事になっているが、どれも名前しか載っていないようだ。

 それならば、わかる人に聞くしかない。

 長山にするか、梶谷にするか……。

 まずは同僚である梶谷にかけるべきだろう。

「もしもし、梶谷さん?」

『おかけになった番号は──』

 自動音声が虚しく響いている。

 では、長山にかけてみよう。

 しかし、長山にもつながらなかった。

 しょうがいない……。

 ちょうど疲れも出て、睡魔が襲ってきた。そのまま眠ることにした。



 携帯電話の音で眼が覚めた。

 時刻は、すでに午前十一時を過ぎていた。こんな臨時に用意してもらった部屋でよく熟睡できたものだと、われながら感心していた。梶谷のことを図太いと言っていられない。

「もしもし?」

 梶谷からだった。昨夜かけた折り返しだろう。

『すまん、編集長と飲みに行ってたんで、気づかなかった。朝寝て、いま起きた』

 あんなことがあったのに、朝まで飲み歩いていたなんて、むしろ尊敬にあたいする。やはり、梶谷のほうが一枚も二枚も上手だ。

「あの、港区の被害者なんですけど、年齢わかりますか?」

『あ? どうした、それが?』

「調べてみても、わからないんですよね」

『そんなことないだろ? ちょっと待ってろ』

 確認してくれるのだろう。

 待っているときに、べつの着信があった。長山からだった。

『申し訳ない。電話してくれたのに』

 そちらにも出ると、同じように気づかなかったと弁明された。

「あの……港区の被害者なんですけど」

 こうしてかかってきたのだから、長山にも同様のことを質問した。

『年齢?』

 長山も即答はできなかった。

『あれ……どうだったかな? ちょっと待っていてください』

「あの、いま同じ質問を梶谷さんにもしてるんですけど、いったん保留にしますね?」

 そうことわってから、梶谷との通話に切り替えた。

『おう、調べたけど……すまん、わからなかった』

 梶谷でもわからないのだから、翔子が知っているわけもない。

「そうですか……いま、長山さんにも同じことを聞いているんです」

『そうか、こっちは切るぞ。わかったら、連絡してくれ』

 梶谷も答えが気になってしまったのだろう。

 長山との通話にもどった。

「長山さん?」

『……おかしい』

「どうしました?」

『どこにも記載がない……』

「え?」

 そんなことがあるだろうか?

『本庁にも問い合わせてみますから、少し時間をくれますか?』

 そこで、いったん通話を終えた。

 五分ほどしてかかってきたが、梶谷からだった。

『どうだった?』

「いえ、まだ調べてもらってる最中です」

『そうか……でも、警察官でも調べなきゃわからんていうのもおかしいな』

「……ですよね」

『なんか、考えてることがあるんじゃないか? 被害者の年齢が関係してるんだろ?』

「はい……、聞いてくれますか? こういうことだと思うんですよね」

 翔子は、さきほどの推理をぶつけてみた。

『それじゃあ……被害者の仁科智文が毒殺事件と狙撃事件の犯人だと?』

「ムリがありますかね……?」

『だいぶな。だが、筋は通ってるかもしれん……』

 その感想を聞いて、少しホッとした。

『つまり、被害者の年齢が思いのほか若ければ、いまの推理はありえない、ってことだな?』

「そうです。すくなくても、五十歳以上でなければ……」

『そうだな、死亡した当時、その年齢でなければ、現実的じゃない。いま生きていれば、六十歳以上……』

 多摩毒殺が四十年前の事件だから、それ以下ということはないだろう。

『どうする? その線でムリがないか、検証しといてやろうか?』

「はい、お願いします」

 電話を切って、長山からの連絡を待った。

 三十分後にかかってきた。

『お待たせしました』

 長山の声は重かった。

「どうでした?」

『まず、竹宮さんの考えを教えてください』

「え?」

『どうして、被害者の年齢を気にしたんですか?』

 梶谷とのやり取りを繰り返すようだが、むしろさきほどよりも丁寧に説明していく。

『そうですか……そんな考えを……』

「どう思いますか?」

『筋は通っています』

 梶谷と同じように長山も賛同してくれた。

『ただし、私のほうでも容疑者ではないかと疑っている人物がいます』

「だれですか?」

『青柳誠三という人物です。実際に多摩の事件で容疑者としてあがっていたんですが……』

「あ、その人って──」

 耳にしたことがあった。

『そうです。すでに死亡しています。先輩の警察官から話を聞きましたが、まず公安とみてまちがいないでしょう。ですが、時効の二年前に死亡していますから、総監狙撃事件とほぼ同じころになります。たしか狙撃事件のほうが、あとだった……その場合、ほかの事件に関わることはできない』

「どう思いますか?」

『多摩の事件には、その二人が関係していた……』

「……」

『どういう理由だったかはべつにして、その二人が邪魔になり、青柳誠三のほうは二五年前に消され、そして仁科智文のほうは──』

 のちに消された……。

 それが、港区変死事件。

 身の毛もよだつような想像だった。

「それで、被害者の年齢は……」

 翔子は、肝心の答えを求めた。

『一課長まで問い合わせることになりました。被害者・仁科智文の年齢は、死亡当時五七歳でした』

「それじゃあ……」

『多摩毒殺事件の犯行は可能です』

 背筋がゾワゾワと蠢いた。

『それと……どうして、なかなか被害者の年齢がわからなかったのか……その理由ですが』

 言いづらそうに、長山は続けた。

『港区の事件を捜査していたのが、どこなのかは知っていますか?』

「はい……梶谷さんから聞いています」

『つまり、それが理由のようです』

 変死事件を捜査したのも、公安なのだ。

 やはり、すべてのことは通じていた。

 まちがないない……翔子は、確信した。

 同時に、一連の事件の証明が、どれほど困難なことかを悟った。

 公安が真実を公表することはない。

 久我は、どうするつもりなのだろう?

 いや、彼ならば、それをわかってうえで挑んでいるはずだ。

 どんな秘策を用意しているのか……。


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