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11.水曜日午後9時
「あなたたちは、なにを監視してるんですか?」
彼らは、公安調査庁を名乗った。
警察の公安とは、べつ組織だとわかる。が、やっていることは、それほどちがいはないだろう。
「マスコミの人間に教えるわけにはいきません」
「それじゃあ、ここの場所のことを雑誌に書きますよ」
翔子は脅した。
「……」
二人は、怖い顔をして黙り込んだ。警察の公安だった場合は、捜査妨害で逮捕されるかもしれない。いや、もっと恐ろしいことも、都市伝説まがいの噂話からは想像することができる。
しかし公安調査庁は、法務省の外局であり、警察機関ではない。逮捕権は有していないはずだ。もしこのことで逮捕されるのだとしても、公務員が行使できる公務執行妨害だけのはず。
公安警察のように、闇から闇に……ということもないだろう。
「ちゃんと話したら、ここのことは他人に口外しないと約束してくれますか?」
「もちろんです!」
どうするかは答えの内容しだいだったが、かまわずに翔子は答えた。もとより倫理観は『週刊ポイント』に配属されたときに捨てている。
「……ある宗教団体を監視しています」
やはりそうだった。公安調査庁の現在の主な仕事が、カルトの監視なのだ。
「三階建てのビルですよね?」
「マスコミの人間なら、知っていることでしょう? 団体の取材で来たんじゃないんですか?」
「ちがいます。わたしは、ここに来た女性から命を狙われたんです」
「それで、追いかけてきた……と?」
翔子はうなずいた。
「あの人は、あなたたちの仲間じゃないんですか?」
「さきほども言ったように、われわれは公安調査庁です。警察の公安とは、まったくちがう」
「では、どうしてさっきの女性は……」
「さあ……」
表情を読み解くかぎり、嘘を口にしているとは思えない。だが、このテの人たちは、平気で嘘をつける。嘘を嘘とも思っていないだろう。
「ただ、それを見せろと」
男性は、窓際に設置されている望遠鏡に顎をしゃくった。
「覗いていいですか?」
二人は、また顔を見合った。
「どうぞ」
翔子は望遠鏡に片目を近づけた。
あの奇妙なビルが、しっかりと見えていた。
「なにか見えたんですか?」
「その女性がですか?」
「そうです」
覗きながら会話を続けた。
「さあ……そのときは、なにも見えなかったと思いますけど」
「でも、なにか変化があったから、出ていったんですよね?」
もしかしたら時間的にいって、さきほど翔子がビルに近づいたときかもしれない。
「わたしのことを見た、とか?」
「わかりませんて。望遠鏡は一つしかないんですから」
翔子は一瞬、眼を離して二人に視線を合わせた。それに催促されたからか、彼らは思い出しように口を開いた。
「……そういえば、だれか出入りしなかったか、と訊かれました」
「なんと答えたんですか?」
再び右眼で覗いた。
「ごまかそうとしたんですが……」
公安と名のつく同士だが、あまり仲はよくないという評判がある。
「偉い人の名前を出されたんで、一応、答えておきました」
「偉い人?」
「それは言いたくありません。これ以上のトラブルはさけたい」
まるで翔子のことも、重要なトラブルのように考えているようだった。いや、彼らにしてみたら、そうなるだろう。自覚はできる。
「それで、なにを伝えたんですか?」
偉い人のことはあきらめて、そう問いなおした。だれが出入りしていたか、のほうだ。
「それも言えません」
「それぐらい、いいじゃないですか。ここでなにか動きがあったんですか?」
いま覗いているから「あそこ」ではなく、「ここ」になっていた。
観念したような、ため息が聞こえた。
「中年の男性が入っていきました。くたびれたスーツ姿の」
「初めて見た人ですか?」
「そうです」
「それを聞いて、すぐに出ていったんですか?」
「ええ」
中年男性……。
「ん?」
その中年男性に見える人物が、レンズのなかにいた。
もうすぐ定年をむかえるそうだから、中年という表現がどこまで的確かは疑問だが、その男性のことはよく知っている。
「どうしました?」
「あ、いえ……なんでもないです」
男性の正体を彼らが把握しているのかは微妙だが、理解していなかった場合、ますます面倒なことになるかもしれない。
「わかりました。わたしは帰ります」
心なしか、二人はホッとしたようだった。
「口外しないように、お願いしますよ」
はい、と適当に返事をして部屋を出た。
公安の女性は、中年の男性が入っていったという話を聞いて出ていった。いま見た男性と同一人物なのだ。
細い通りなので、一応は用心していた。駅では警告だったのかもしれないが、今度は本気で消しにかかってくるかもしれない。
前方に、よく知っている男性の姿が見えた。あたりを警戒しているように視線を縦横にはしらせている。彼も警戒しているようだ。
「長山さん!」
その声に、男性は少し驚いたようだった。
「竹宮さん……どうしてここに?」
「長山さんこそ」
こうして翔子は、長山と合流した。
「なかでなにをしていたんですか?」
「ここで長話はできない」
やはり長山は、周囲を警戒していた。
「とにかく移動しましょう」
「なにかあるんですか?」
「いえ……」
言葉を濁した。
「公安ですか?」
「……そうです」
「さっきわたしは、公安であると思われる女性から狙われました」
「安全な場所へ急ぎましょう」
長山の提案に賛成した。住宅街のど真ん中だから、少し歩いたぐらいでは暗い夜道が続くだけだった。
ようやく交通量のある通りに出ると、タクシーがやって来たのでそれに乗った。行き先は財団本部だ。
「わたしを狙った人は、コールセンターの職員だと思うんですけど……」
「遠山という女性ですか?」
「名前までは……」
しかし長山がそう口にするということは、その遠山が公安の人間であると考えているようだ。
「あ、運転手さん、そこで停めてください」
長山が急に目的地を変えた。
「え? ここでいいんですか?」
タクシーを降りた。どうやら、ファミレスが眼についたので、そこで話すことに決めたようだ。
財団本部では盗聴される可能性があるからだろうか。ただし、コールセンターのような大勢が立ち寄る部屋ではなく、上階の奥まった場所ならば安全は確保できるはずだ。念には念を、という配慮なのかもしれない。
店内は混雑しているというわけではないが、それなりにテーブルは埋まっていた。軽食をおたがいが注文して、それから会話をはじめた。
「あの女性は、遠山さんというんですね?」
「本名かどうかわかりませんが」
長山の言う女性と、翔子の言う女性が同一人物であれば、ということになるが。
「怪我はないようですけど、大丈夫ですか?」
「はい。駅で背中を押されました」
「本当に大丈夫だったんですか?」
恐ろしいことを長山は想像したのだろう。
「線路には落ちていません。怖かったですけど……警告だったんだと思います」
「竹宮さんは、なにをしでかしたんですか? 彼らにとって、さぐられたくないことを調べていたんですか?」
「会社経営者変死事件の調査を進めていました」
長山は毒殺事件を捜査していたはずだが、あそこにいたということは、新たに追加された警視総監狙撃事件のほうを調べるつもりだろうか。
「それで、編集部の同僚にも手伝ってもらってたんですけど……梶谷さんが『トクマリゾート』という会社のことをつきとめたんです」
梶谷のことは、長山も知っているはずだ。
「トクマリゾート?」
「事件のあったマンションを現在所有している会社です。西尾浩司という人物が代表をつめてるらしいです」
「西尾浩司?」
「そうです」
「その人物と会社のことを調べて、狙われたわけですね?」
「はい……信じられますか? ネットで検索しただけで脅迫されました」
「いくら公安でも、そんなことはムリだと思いますが……」
技術的に、と言いたいようだが、その部分がクリアできるのなら不思議がることはない──そう考えている印象をうけた。
「それで……梶谷さんにも連絡がつかないんです。まさかとは思いますけど……」
「さすがに、記者をどうこうすることはないでしょう」
それは、たんなる気休めのようだった。
「長山さんは、宗教団体に用事があったんですか?」
「ええ、まあ……狙撃事件のことで」
そういう噂があったことは、二十代の翔子でも知っている。教団の死神、殺人マシーン──そう呼ばれていた信者の一人がやったことではないのか。いまでは都市伝説化されるほど有名なものだ。
「今回の事件……どれにも公安がからんでますよね」
翔子は、ふと言葉をもらした。
「そうですね」
「つながってる……なんてことは」
「全部の事件が?」
「はい」
毒殺事件、会社経営者変死事件、警視総監銃撃事件──それらが一本の線でつながっているのではないか。
いや、一本ではなく、複雑に何本もが絡み合っているのかも……。
「多摩の毒殺だけが、古すぎませんか?」
長山には、そう思えないようだ。
「わたしにも、確証があるわけではありません。そんな感じがする……ってだけで」
「ですが、竹宮さんのそういう勘はバカにはできない。前回にもありましたよね?」
足立区会社員行方不明事件のことだ。翔子はその事件に久我が関係していると推理した。犯人ではないのかとも考えたほどだ。
結果としてそこまでは正解ではなかったが、久我にもまったく関係のないことでもなかった。
「そうです……似ていませんか?」
「足立区の事件とですか?」
「ええ。港区会社経営者変死事件と」
そのほかの事件よりも知名度が低く、懸賞金制度に選ばれるのが、ひどく不自然に感じてしまう。
「まさか、それにも久我さんが関係していると?」
「……」
答えなくても、長山には翔子がそう考えていることがわかってしまったはずだ。
いや、港区の事件とはかぎらない。三件のどれかにかかわっている……そんな恐ろしい想像が浮かんでくる。
「真相は、いずれ白日のもとになるでしょう……前回のようにね」
情報提供の電話だけに頼るわけにはいかない。自分たちで真実にたどりつかなくては。
「梶谷さんのことは、こっちでも気に留めておくよ。竹宮さんの言うように、すべての事件がつながってるのなら、どの事件を追っても同じところに行き着くかもしれん」
長山は言った。安心させようとしてくれたのかもしれない。
情報交換があらかたすんだころ、アプリでタクシーを呼んだ。編集長にすすめられたアプリで、それを利用した場合、出版社の名刺をみせれば割引になるのだ。
やって来たタクシーで、翔子は財団本部にもどった。長山は途中の最寄り駅で降りて、自宅へ帰っていった。
さすがにあんなことがあったあとで、独りぼっちの部屋にもどる気にはなれない。夜の編集部も安全とはいえない。締め切り間際なら深夜でもにぎやかだが、今夜はそうではない。
それとは逆に、財団本部はいま、二四時間、稼働している。
コールセンターには多くのオペレーターと警察官も一名配置されている。財団の職員も、いたるところに待機している。久我と中西もどこかにいるだろう。
財団本部につくと、翔子は昼間に提供された部屋に入った。ここには盗聴器もないだろうから、まさしく安全地帯だ。
バッグからノートパソコンを取り出した。駅での騒動で壊れていないか心配だったが、大丈夫なようだ。
メールが来ていた。
梶谷からだった。
メールを開くと、画像が添付されていた。
息をのんだ。
梶谷が倒れている画像だ。
「梶谷さん!」
それだけでは死んでいるのか、生きているのかわからなかった。
混乱した。恐怖した。頭のなかが真っ白になった……。
(ちがう……)
そうじゃない。
(こういうときこそ、冷静に考えるんだ)
翔子は、自身に言い聞かせた。
梶谷は死んでいない。こうして画像を送ってきたということは、まだ梶谷は生きている。本当に殺したとしたら、翔子の命も確実に狙っただろう。あんな警告ではなく……。
梶谷を人質にしているからこそ、脅しになるのだ。
だとしたらナメられたものだ。
三流誌とはいえ、ジャーナリスのはしくれだ。自分だけではない。梶谷もそうだ。
こんな脅しで引き下がるわけにはいかない。たとえ梶谷が殺されようとも、ここで逃げたらそれこそ梶谷が化けて出てくるだろう。
「うけてやろうじゃないの!」
翔子は、ほかにだれもいない室内で、雄たけびのように声をあげていた。




