10
10.水曜日午後8時
教団の建物は、一見すると入り口は見当たらない。
近づいたところで、フードをかぶった人物に声をかけられた。
「鹿浜署の方ですか?」
「いまはちがいますが、少しまえまでそうでした」
長山は、そういう答え方をした。
「こちらへ」
フードの男に案内されて、長山は移動した。男がベニヤ板をどけると、そこに扉が隠れていた。
長山は、教団支部のなかへ入った。
フードの男の誘導で、ある部屋に通された。井上の言っていた木下という教団幹部を呼んでくれるのだろうと考えていたが、フードの男は動こうとしない。
「あなたが?」
男がフードをとった。
「そうです。木下といいます」
二六歳と聞いていたが、まだ十代のような顔立ちをしている。白い肌が印象的だった。
「特命捜査対策室の長山です」
「それで、お話というのは?」
「木下さん、あなたはまだお若い。当時のことは、どれぐらいご存じなのですか?」
鹿浜署の刑事が名前をあげたぐらいだから、むかしのことだからよくわからない──そんな予想どおりの話しかしないような人物ではないだろう。
だが、その懸念も捨てきれなかった。
「どうぞ、お座りください」
部屋には小さなテーブルと二脚のイスが置かれていた。その一つをすすめられたのだ。
長山は、遠慮なく座った。
「それなりには知っています。ですが、直接体験したわけでもありません」
「率直に訊きます。警視総監銃撃事件についてです」
「懸賞金がかかって、またその事件が騒がれていますね」
「そうです」
「長山さんは、その事件の捜査をおこなっているのですか?」
落ち着きあのある口調と仕草。年相応とは、かけ離れていた。安直な表現をもちいれば、カリスマ性がある──それが、この木下という人物に対しての評だった。
この教団のなかでは、どれほどの地位になるのだろう。単純な興味だったが、長山は公安ではない。知りたいのは、あくまでも狙撃事件についてだ。
「捜査ではありません。調査です」
「ちがうのですか?」
捜査と調査のちがいについて言っているようだ。
「私には逮捕権がない」
「刑事さんじゃないんですか?」
「まあ、とても面倒な立場なんですよ」
懸賞金制度の説明からしなければならないから、そのことは曖昧にしておいた。
「犯人が、うちの……いいえ、問題をおこした宗教団体と、うちは無関係ですが」
わざとらしく木下は訂正した。言いまちがえたのも故意だ。
原則論をとっぱらって話をしましょう──そう気を使ってくれたものと長山は解釈した。この教団を糾弾するためにやって来たのではないことを理解してくれたのだ。
「かつてあった宗教団体の幹部が犯人なのではないかという噂は知っています」
「どう思いますか?」
「その人物には会ったことがありません」
それはそうだろう。楢崎謙信が逮捕されたのは、もう二五年前になる。この木下は、まだ生まれたばかりのはずだ。
「教団のなかでは、どのようになっているのですか? もちろん、こことは関係ないのでしょうが」
「そうですね……関係はありませんが、宗教団体という大きなくくりでは同じですから、それなりの噂は耳に入ってきます」
「どのような?」
「教祖の命令があれば、親でも殺すだろうと」
教団の殺人マシーンと呼ばれていたのは有名な話だ。
「ですが、数々の犯罪を実行し、それをすべて自供していると聞いています。それなのに、一つだけを否定するでしょうか」
木下の主張は長山も感じていることだし、楢崎謙信犯人説をおす者にとって最大の壁となっている。
「元自衛隊員なんですよね? 射撃の腕もあったという。ですから、犯人であったとしても不思議ではないのでは?」
その問いかけは、逆に長山の推察を知りたい意図があるようだった。
「そうですね。だから警察も疑った。かなり厳しく取り調べもしたし、証拠集めも入念におこなった」
それでも楢崎謙信の犯行は立証できなかった。
「ならば、ほかに犯人がいるのではないですか?」
その考えが妥当なのはまちがいない。
しかし、なぜ長山がここに来たのか。それは、あの電話があったからだ。そのことを切り出すかどうか、長山は迷っていた。この木下という人物を見極める必要がある。
「……教義において殺人を認めている宗教は、どう思いますか?」
オブラートに包むことなく、長山はたずねた。
「そんなものは、宗教ではありませんよ。誤解をされたくないので言っておきますが、うちはそんな教義を信仰していません。かつてあった宗教団体についても、そんなことは書いてありませんでした。教祖と一部の信者が歪曲して解釈したのです」
「ですが、教祖がかかわっていたのなら、教義とイコールではありませんか?」
「私は、その教祖を信奉したことはないので……」
さすがに答えづらいようだ。
「たとえばの話です。そういう宗教があったとしたら?」
「気の毒なのは信者だ。信仰とは本来、盲目的なものです。実際に罪を犯した信者たちは、神の言葉を信じただけで」
「それを信じさせたほうに罪があると?」
「もちろんです」
宗教家なら、そう言うほかないだろう。すくとなくとも表面的には道徳重視の言論をしなければ、団体そのものの存続にかかわってくる。とくに、警察官を前にしては。
だが長山が聞きたいのは、そんな建前ではない。
「教祖から殺人を指示されたら、あなたならどうしますか?」
「そんなことを命令するような教祖につかえることはありません。ですが……たとえば、の答えを聞きたいのですよね?」
長山は、うなずいた。
「どうでしょう……そんなことはしないと神に誓いたいところですが……」
しかし、その神からの命令として信者の心には響くのだ。
「正直に告白すると、わかりませんね」
殺すかもしれないし、殺さないかもしれない──それが本音だろう。長山がもし同じ質問をされたら、同じように答えていたかもしれない。
「……じつは、電話がありました」
「電話?」
「懸賞金の電話です」
「本当に、その担当の方だったんですね」
「ええ」
木下は、ため息とまではいかないが、強めに息を吐きだした。
「どのような?」
「銃撃事件の犯人は、楢崎謙信だと」
「当時から、そのような噂はあったのでしょう?」
つまり、その噂をいまでも信じている者が電話をしてのではないか、と木下は言っているのだ。
「そうですね……そう考えるのが普通です」
「なにか引っかかることがあるのですか?」
「ええ。べつの意図があるような気がしたんですよ」
「どんな意図を?」
「そこまでは……」
長山は、首を横に振った。
「男性ですか、女性ですか?」
「女性です」
木下は、考えをめぐらせているように眼をつぶった。
「うちにいる信者で、電話をかけそうな女性は一人だけいますが……」
声のトーンから、該当はするかもしれないが、木下自身はちがうと思っているようだった。
教団はいくつかに分裂しているし、事件をおこしたことで脱退した信者も多くいた。現役の信者ではないこともあるだろう。
「長山さんは、その通報者をさがしたいのですか?」
「もっと詳しく話を聞きたいと思っています」
「また電話がかかってくるかもしれません」
「そうですね……しかし、もうかかってこないかもしれない」
「……その方が、真相を知っていると思っているのですか?」
長山は、その質問に即答できなかった。自身でも結論を出せずにいる。ただ、重要な証言であるような思いだけが気をはやらせるのだ。
「かつての教団について、われわれは同義とみなされていますが、そんなことはありません。協力できることなら、私としてもお力になりたい」
理路整然とした口調からは社交辞令のようにも聞こえるが、本心からのようにも聞こえるから不思議なものだ。この木下という男が、警察官からも一目置かれている理由がわかった。
だが、あくまでも教団としての存続と利益が最も重要なはずだ。すべてを信用するわけにもいかない。
「その通報者について……私のほうでも調べてみましょうか?」
「そうしていただけますか?」
「あまり期待はしないでもらいたいのですが」
「それはわかっています」
長山は、この木下について、ある可能性を考えはじめていた。しかし、まだそれを言葉に出す段階ではない。
「では」
退出しようとしたが、木下に呼び止められた。
「懸賞金というのは、本当に支払われているのですか?」
「支払われています」
「何億でしたっけ?」
「二十億です」
「途方もない額だ」
木下は感心したような声をあげた。
宗教団体も莫大な金額が裏で動いていることは、現在では常識だ。この教団の資金も、億を超えているだろう。なによりも、宗教法人は税金面で優遇されている。
かつての教団、およびその派生団体は、法人としては認められていない。唯一、ここの団体だけは数年前に宗教法人となっていたはずだ。
「そんなお金をポンと出せる人物は、さぞや魅力があるのでしょうね」
木下は、ためすようなことを口にした。
「金を持っているからといって、その人にカリスマ性があるとはかぎらない」
長山は言った。
「ですが、あなたをこんなところまで来させたということは、その人の力なんでしょう。あなたは警察官なのだから、どこかの大富豪に従う必要はないはずだ。たとえ、それが上司からの命令だったとしても、適当にこなすだけでいい」
たしかに、そのとおりだ。
「……かりに久我猛という男が宗教家だったとしても、成功はしていないでしょう」
「どうしてですか?」
「彼は、神ではなく……悪魔の側に近い」
長山は、そういう言い回しをした。われながら、的確な表現だと思った。
「一度、お会いしてみたいものですね」
そのときのことを想像した。底の知れない者同士、話が合うのか噛み合わないのか……。
教団の建物を出たところで、不穏な気配を感じとった。
だれかに見られている……。
教団は、いろいろな意味で注目され続けている。ずっと追っているマスコミも多いだろうし、市民団体の眼も厳しい。枝分かれした団体のなかには、他の教団に敵対意識をもつこともある。
いま、この教団支部を見張っている者がいても不思議ではない。なによりも、警察自身が監視対象としている。
公安か?
しかし、いま感じている視線は、教団ではなく、長山に注視しているようだ。
「……」
長山は、その気配を無視して歩き出した。




