解決編 散れば散れ 再び花咲くその日まで
「それは、桐の木だよ」
「桐の木? それがなんで櫻ばあちゃんの木になるわけ?」
「女の子が生まれたら桐の木を植える風習が昔はあったんだよ。桐は成長が早くて丁度女の子がお嫁に行くときその桐の木で箪笥を作って嫁入り道具に持っていくんだ」
「へぇ~、それでこの木か櫻ばあちゃんが生まれたときに植えられた木ってわけね」
「うん、樹齢90年はありそうな桐の木はこれしかなかったからね」
「なるほど~」
茜は掘る手を休めると額の汗を腕で拭い、ぼけっと突っ立っている駿を睨み付けた。
「で、どうしてわたしが掘っているわけ?」
「どうしてって、『マサシヨリ』て刻まれたところのすぐ下に↓って印があったからだよ。どう考えてもこの下に雅司さんの遺品が埋められいるでしょ」
「じゃなくて! なんでわたし一人がここを掘っているかって聞いてるのよ!!」
「えっ、だって、電車賃は僕が出したし、櫻さんの木を特定したのも僕だし、そもそも、これは茜の案件だし。
茜がなにもしないってのはおかしいでしょう?」
「シャベルは2本あるのに女子一人に穴掘らせて平気な男子のほうが、わたしにはよっぽどおかしいと思うわ!!
つべこべ言ってないで手伝いなさい!」
駿は顔では嫌そうな表情を見せたが素直にシャベルを手に取り、一緒に穴を掘り出した。
ほどなく茜のシャベルの先がなにか固いものに当たりカチリと鳴った。
土を払いのけると素焼きのツボが出てきた。コルク栓と油紙で厳重に封じられたツボを開けると丸められたノートのようなものが出てきた。
「スケッチブックだね、これは」
中を見て駿は呟いた。
それには若い女性のスケッチがひたすら書かれていた。みな同じ女性、先ほど見せてもらった写真の車椅子の女性に似ていた。
「これ、櫻ばあちゃん、なのかな?」
肩越しに覗きこんできた茜の髪が駿の頬をくすぐった。駿はあわてて立ち上がる。急に立ち上がった駿に煽られる茜は盛大に尻餅をついた。
「うぁっ、ちょっと、なんで急に立ち上がるのよ!」
茜は怒る。当然だ。
「ご、ごめん。いや、ちょっとね。虫がいたみたいで驚いたんだよ」
「もう、虫ぐらいでうろたえるって乙女か!」
「いや、まあね……」
「もう! ほら、手を貸してよ!」
頬を膨らませて、助け起こせと茜は駿に手を伸ばす。まるではにかむ乙女のように赤らんでいるのを見られないように顔を背けつつ、手を掴んで引き起こした。茜の手の柔らかさに更に動揺をしつつもそれを悟られまいと必死に話を元に戻そうと努力する。
「た、多分、櫻さんで間違いないと思うよ。写真とは随分雰囲気が違うけど」
「うん、ちがう。なんか別人みたい……
ああ、そうか。笑ってるからだ」
受け取ったスケッチブックをめくりながら茜が言った。確かにスケッチブックの櫻さんはどれもこれと楽しそうに笑っていた。
「雅司さんが櫻さんの笑っているところだけを描いていたのか、それとも雅司さんと会っているときの櫻さんはいつも笑顔だったのか……」
「そんなの後に決まってんじゃん!」
「え? それは分かんないでしょ」
「分かるよ。だって、ここに描かれているのはどれもこれも女の子が見せるとびっきりの笑顔なんだもん」
「笑顔に『とびっきり』とか『とびっきりじゃない』とか区別あるの?」
「あるよ」
「あるのか。区別つかないよ」
「駿はそういうの、ほんと鈍いよね」
茜はため息混じりに呟いた。
と、スケッチブックからひらひらと紙が一枚こぼれ落ちた。
「これって……」
拾った茜の言葉が止まる。
それには椅子に座り、微笑んでいる花嫁衣裳に身を包んだ櫻の姿が描かれた。そして、その櫻の横には花婿であろう男が立っていた。
「これって、この男の人って雅司さん?
自分で自分を描こうとしたのかな……
あれ? 顔がない」
花婿の顔は白い絵の具で塗りつぶされていて、誰が描かれていたか分からなくなっていた。裏をめくると『どうか幸せになってください』と書かれていた。
しばらくそれを呆然と見つめていた茜は声を絞り出す。
「なによこれ。ふざけんじゃないわよ。
こんなん勝手に残して、勝手に死んで、それで幸せになれってちょっと無責任じゃん。
ちゃんと戻ってきなさいよ。櫻ばあちゃん可哀想じゃない」
明らかに怒気が含まれた茜の言葉に駿は少し驚かされた。
「言いたいことはわかるけど、それは少し雅司さんが可哀想かな。
雅司さんには選択肢なんてなかったんだよ」
「なんで? 特攻隊って敵に突っ込んで死んじゃんだよね?
そんなのバカじゃん。
どうせ死ぬ覚悟があるなら逃げちゃえばいいのよ。櫻ばあちゃん連れて逃げるとかさ」
「逃げれないよ。逃げる場所なんてどこになかったんだから。当時、日本は世界中と戦争してたんだよ」
「山の中にでも逃げればいいじゃない」
「無茶苦茶だよ。いくら昔の人だって江戸時代のマタギじゃあるまいし山の中で隠れて暮らすなんてできないよ」
「じゃあ降参すれば!
負けたー、ご免なさいって謝ればいいじゃない」
「戦争なんだよ。個人の喧嘩とは訳がちがう。
『ごめんなさい。僕が悪かった』『分かれば良いんだ。じゃあ、仲直りの握手をしよう』なんてことにはならないよ。
力でねじ伏せられたほうはなにをされたって文句が言えないのさ。誰も助けてはくれない。
当時は負けたら日本って国がなくなっちゃう、みんな殺されてしまうって思っていた。
だから、みんな必死になったんだよ。
特攻はみんな志願だったと言う人もいるけど、僕は嘘だと思う、強制的に行かされた人も中にはいると思う。だけど、国を守ろうとして志願した人も確実にいたんだ。
雅司さんはおそらく後者の人だったと思う」
「そんなのなんで分かるのよ!
櫻ばあちゃんは雅司さんの最後の手紙も受け取ってないのよ。自分宛に手紙がなかったことにどんだけ櫻ばあちゃんがショックだったか分かる?」
「それだよ。それこそが雅司さんが櫻さんのことを思っていた証拠さ」
「なんでさ?」
「手紙を出した日付さ。
櫻さんの日付は8月1日。対して、櫻さんのお父さんである、栄造さんの手紙は7月1日に書いている。2つの手紙に1ヶ月の開きがある。
多分雅司さんは出撃のために一旦前線の基地へ配属になった。で、基地について少ししてすぐに栄造さんたち親しい人、お世話になった人たちに最後の別れの手紙を書いた。だけど、櫻さんには書かなかった。
何故か?
それは、もしかしたら、出撃する前に戦争が終わるかもしれないと思っていたんだと思う。そして、もし、自分が生きて帰ってこれたなら、この木に埋めたスケッチブックのことはなかったことにしようと思っていたんじゃないかな。
そんな可能性なんて万にひとつもなかったのは百も承知だった。そんな可能性にかけても櫻さんにはお別れを言いたくなかったんだと思う」
「だけどその願いは叶わなかった。それで雅司さんは出撃する直前に櫻ばあちゃんに手紙を書いた……」
「それが二つの手紙に1ヶ月もの間が空いた理由じゃないかと思うんだ。
今回の場合、それが裏目に出て、櫻さんの手紙だけが届かないってことになっちゃったけどね」
「それって……
なんなのよ!? なんか無性に悔しいよ。
なにもかも上手くいかないって?
頑張ったのに、命だってかけたのに戦争負けちゃったし、願いも叶わない。手紙も届かないってどういうこと?
それにさ負けたけど、日本無くなってないじゃん。わたしたちみんな普通に生きてるよ。
それって結局雅司さんが命をかけようがかけまいが関係なかったってことでしょ?
雅司さんや櫻ばあちゃんの悲しみってなんなのよ? 全く無駄だったってこと?
そんなの、すごく悲しくて悔しくない?」
「それは結果論。
今の僕らの状況なんて当時の人には分からないよ。それに無事じゃなかった人もいたん……」
駿は最後の方の言葉を飲み込む。茜の瞳に涙が溢れ、ぽろぽろと頬を伝ってこぼれ落ち始めるのを見たからだ。
「ねえ、雅司さんって本当に死ぬ必要あったの?」
茜の問い。
それは問いであって問いでない。
赤らんで腫れた瞳は、ただ、意味があったと言って欲しいと訴えているだけだと駿には分かった。そして、意味があった、と答えることは簡単なことだった。
望んでいるなら望んでいる答えを出せば終わる話だ。それで納得してくれる。ならば……
茜の涙を前に駿は決断する。
「分からない。
特攻で6000人ほどの人が死んでいるけれど、その人たちの事情はみんな一人一人ちがうんだ。
本当に国を守りたいとか、家族や恋人を守りたいと思って志願した人がいたかと思うと、強制だったり、選択肢も与えられずに仕方なしって人もいた。だからひとくくりに意味があったとかなかったなんて、そんな単純なものじゃないと思う。
特攻をしたから日本を追い詰めると危ないと思わせられたから戦後の日本があるのだという人もいるけれど、それも多分ちがう」
雅司さんや櫻さんの思いの重さを考えれば安易に答えて良いことではない。だから自分が答えられる答えを正直に伝える。それが駿の決断だった。
「なんでそんなこと言うのよ!
私が聞きたいのはそんな能書きじゃないわよ。
雅司さんや櫻ばあちゃんの人生に意味があったって言って欲しいだけよ!
もういいわ、馬鹿ッ!!」
茜は一声叫ぶとついに大声で泣き始めた。
泣きじゃくる茜を前に、駿は困ったように顔を空へ向ける。
こうなるよねぇ……
思いまどう駿の頬に一枚のサクラの花片が涙の滴のようにぽとりと張り付いた。
2022/04/30 初稿