導入編 サクラ散りしのち
ピリリリリリリ
発車のベルが構内に鳴り響き、古ぼけた2両編成の電車がゆっくりと駅を出ていった。
少し遅れて無人駅の改札口を少女と少年が通り抜ける。改札口を出ると少女は雲一つない青空に両手を突きだして大きく伸びをした。
「はーーー、やっぱり空気が美味しいわよね」
「そう? 僕にはあまり違いがわからない」
「なんでそー言うこと言うかなぁ。こー言うときはそうだねって話を合わせるものよ。空気読んでよ」
「空気が美味しかったり、読んだり、忙しいねぇ」
「むっ? なんかトゲがあるなあ、もしかして機嫌悪い?」
口を尖らせてじとりと睨んでくる少女に少年は呆れたよ、という表情をむけた。
「そりゃ、三連休の初日に朝の5時起きさせられ、電車を乗り継いでこんなところまで連れてこられたらいささか機嫌も斜めになったりするってもんでしょ」
「こんなところ、って言うな。私の実家なんだからね。失礼でしょ。
それに、どーせ駿なんて家にとじ込もって推理小説を読んでるだけじゃん」
「その、人が推理小説読むこと以外やることがないような言い方こそ失礼でしょ」
「えっ?! 違うの?」
「違うよ! 普通にノンフィクションとかも読むよ」
「……似たようなもんじゃない。
むしろ、私に引っ張りだされたことに感謝してもらわないと」
「感謝! 感謝って、茜のお祖母ちゃんの謎を解くためにこんなところまで連れ出されたことを、感謝しろってこと?
しかも、今月はお小遣いがピンチだからって僕に電車賃を全部出させた癖に?」
「いや、それは、本当にピンチで立て替えてもらったわけで……払わない訳ではないし……
そ、それにさ、泊まるところは私の手配だからおあいこでしょ」
「おあいこって、親戚の家に泊まるんだから実質ノーコストでしょ。なんか、雑魚寝とか勘弁してね。僕、物音とかに敏感だから」
「なによー、私みたいな美少女と雑魚寝できるならむしろ喜びなさい!
でも、残念でしたー。うちのお祖母ちゃんの家はこの辺の名家ですからね。ものすごく大きいーんだから!」
「へぇ、へぇ、話し半分に聞いておくよ」
「いや、まじ、でかいな!!」
駿は目の前にそびえたつ門構えを見上げて絶句していた。その横に立ち、なぜかどや顔の茜。
「でっしょう! この辺じゃ、知らない人はいないって名士なんだから。
世が世なら私はお姫様って身分なんだからね。雛壇でいうなら最上段クラスよ!」
「三人官女かい?」
「だ、か、ら、お姫様だって! 耳腐ってんの?」
「まあ、それは置いておいて。
確かに横溝正史先生の小説にでてきそうなお屋敷だ」
腕を組んで、鼻から、むっふう、という鼻息の音が聞こえてきそうにいきっている茜に、駿は素直に同意した。
「世が世なら、茜は梅の木に逆さ吊りか、池に足だけだしてそうだね」
「むっ? なに言っているのか全然わかんないけど、今馬鹿にしてるってことははっきりわかるよ!」
「いやいや、馬鹿になんてしてないって……って、あれ、表札は『駒木』なんだ。赤井、じゃないんだね」
「うん、ここはお母さんの方の親戚だからね。苗字はちがうのよ」
「ふ~ん、なるほど」
駿が興味があるのかないのかわからない、脱力感のある返事をした時、屋敷の方から声が聞こえてきた。
「ありゃ、茜ちゃん。はやかったね」
「あ、おばさん! こんにちは。お世話になりまーす」
門から中年の女の人がニコニコしながら姿を現した。駿はこの世界観から内心着物を着た清楚な美女を期待していた。が、残念ながら洋服の女性だった。
「あらあら、まあまあ、茜ちゃんの彼氏かね?
こんなところまで、よう来なさった」
「春川駿です。よろしくお願いします」
「これは、ご丁寧に。
私は駒木琴子言います。
こちらこそ、よろしゅうお願いします。
大祖母様のことよろしくたのんますよ。
ま、とりあえず、上がりんさい。」
琴子の後について、茜と駿は屋敷の中へと入った。一度に10人が靴を脱いで上がれそうな土間を抜け、少し薄暗い廊下を進み、座敷に案内された。座敷の真ん中には黒く重そうなテーブルが一つ置いてあった。
「今、なにか飲み物持ってくるから。そこ、座って待っててな」
琴子はそういうと出ていった。駿は敷かれていた座布団の一つに座ると落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見回した。部屋の四方の壁の天井近くには人物の写真が飾られていた。
「えっと、あの人が駒木泰宏伯父さんね。その隣がお祖父ちゃんで、そのまた隣が大祖父ちゃん。そのまた隣が大々祖父ちゃん……かなぁ、多分」
「多分って、なんだよ」
「いや、だって、さすがに大大祖父ちゃんなんてあったことないもん」
「『おおおおじいちゃん』ってなると明治、大正の人だからまあ、そりゃ、そうかなぁ。
で、大祖母様ってのは誰になるの?」
駿は肖像写真の対面へ目を向けた。そちらには男性のポートレイトに一対一で対応するように女性のポートレイトが飾られていた。恐らくは夫婦の関係なのだろう。
「あー、そこにはないよ。それは代々の当主夫婦の写真だからね。えっと、大祖母様の写真は確かにアルバムがあったはず……」
駿の予想を裏付けるように茜は答えると近くにある箪笥をごそごそとさばくり始めた。よつばいになり箪笥に頭を突っ込む。黒のワイドパンツ越しに丸みを帯びたお尻のラインが良くわかった。
駿は呆けたようにふにふにと動く茜の丸いお尻を見つめていたが、ふと我に帰ると慌てて顔を背けた。頬がじわじわと火照ってくるのが分かる。
なにやってんだ。僕は!
駿は頬杖をつき、内心のどぎまぎを懸命に静めようとしたが、あまり上手くいかなかった。
「あれ~、確かにここにあったと思うんだけどなぁ……」
茜のくぐもった声に反応してそちらへ向きそうになる視線を強引に反対側へとねじ曲げる。向けた視線の先には縁側があり、更に縁側をこえると大きな庭が広がっていた。
庭の真ん中には大きな池があった。池の真ん中にはきれいなアーチを描く小さな橋が架かっている。錦鯉でも飼っているのかと首を伸ばしてみたが角度が悪く、池の水面を見ることはできなかった。
池の先にも庭は広がっていた。
いや、本当に馬鹿みたいに広いな
というか、植物園かっ!?
駿の感想は決して的外れでも、大袈裟ではなかった。庭の左半分には家庭菜園のような畑があり、右半分には花壇とたくさんの樹木が植えられていた。時期的に桜の花が我が世の春と言わんばかりに咲き誇っていた。
赤みの濃い花弁はソメイヨシノではなくヤマザクラなのか。その横には枝が下向きのシダレサクラ。団子状の花が特徴的なヤエザクラも見えた。桜の木の他にかなり大きく育った松の木が見えた。
その他にも枝振りや樹皮の違う木が何種類も植えてあるようだったが駿の知識ではっきりと分かるのはその程度だ。
花が咲いたり実がなってるともう少し分かるのだけど……
幹の所々が剥がれてオレンジ色の斑点が見えるのはケヤキだったっけ。
その奥に見えるあっちのやつは………幹に細かな縦の亀裂が入る木ってなんだっかなぁ
そんなことを思っていた駿の前にどかっと物が置かれた。
「やっと見つけたよ」
茜はそう言いながら、それをパラパラとめくる。それは大きく古ぼけたアルバムだった。ページにはセピア色に変色した写真が何枚か単位で貼られていた。
あった、という声とともに茜の手が止まる。
見ると一枚の写真が目に留まった。
若々しい男女の一組。その両脇には着飾った年配のカップルが並んでいた。中央に位置する女性が着ているのは明らかに花嫁衣装なので、恐らくは結婚式後の家族の記念写真なのだろう。茜が真ん中の女性を指差して言った
「これが清美大祖母ちゃん。私のお母さんのお祖母さんだよ。それでこっちの写真の縁にいるのか櫻大祖母ちゃん。清美祖母ちゃんの妹になるんだよ」
櫻大祖母ちゃんと呼ばれた女性は、写真でみる限り、お祖母ちゃんと呼ぶにはおよそ相応しくない若々しい女性だった。綺麗な人だけど表情が乏しいな、と駿は思う。おめでたい席の写真なので写っている人はみんな笑顔なのに、この櫻という女性の表情だけが少し悲しそうに見えた。そして、もう一つ気になることがあった。
「車椅子、なんだ……」
初め、なんで一人だけ椅子に座っているんだろうと思ったが、良くみると椅子の横に車輪がついていた。
「うん、そうなの。櫻ばあちゃんは生まれつき足が不自由だったの」
「ふ~ん、そうなんだ。
綺麗な人だね。だけど、どこか……」
「どこか、なに?」
「えっ?! え、えっと……」
駿は言いよどむ。
実のところ、茜に似てるね、と言いそうになったのを慌ててとりやめたのだが、それが悪目立ちになったのか、逆に茜に問いただされて窮地に陥ってしまう。
「え、えっと、なんか寂しそうな感じだなぁ、って思った」
「うん。優しくて穏やかでね、怒ったのを見たことないけど、大笑いしたのも見たこともなかったかなぁ。
笑ったとしても口元がね、少し上がるぐらいで。逆に泣いているように見えたんだよねぇ」
「もう、亡くなってるんだよね」
「うん。私が中1の時にね。もうすぐ5回忌なんだよ。で、それまでに見つけたいのよ。櫻ばあちゃんの許嫁がばあちゃんに残した遺品をさ」
“駒木櫻様
あなたがこの手紙を読んでいる頃にはわたしはこの世にいません
わたしは明日出撃します
御国の盾として散ることになんの未練もありません。ただ、心残りはあなたと交わした約束を果たすことができないことです。いや、それはもう言うまい。わたしは、わたしが果たせなかった約束をまだ見ぬ誰かに託すことにしたのですから
わたしの想いは、あなたの木に既に託しています。願わくば、それをあなたの伴侶になる人に渡し、わたしの果たせなかった約束を果たしてもらって欲しい
それだけを今は切に願うばかりです
では、これにて本当にお別れです
お幸せに
楡原 雅司 昭和20年8月1日”
古ぼけた手紙にはそう書かれていた。
「この手紙を書いた楡原って人は櫻ばあちゃんの許嫁だったんだけど、太平洋戦争で戦死したの」
「文面から察するに特攻隊なのかな」
「うん」
「それで、この手紙に書かれている雅司さんが櫻さんに託したのものを探し出したいってことだよね」
「うん」
「それは良いとして、質問。なんで今さらなの? もっと早くに誰かが見つけてるってことはないの?」
「それはないよ。だってこの手紙が届いたのは去年の末だもん。
なんだか良く分からないけど、九州の役所の倉庫で最近になって見つかって、慌てて送ってきたんだって」
「そうなんだ。
じゃあ、櫻さんはこの手紙の存在を知らずに亡くなられたんだね」
「そういうことになるね。
実はさ、内の『おおおおじいちゃん』、つまり櫻ばあちゃんのお父さんには別にお別れの手紙が届いてるんだよね。えっと……これ、これ」
“駒木栄造様
新しい環境にも慣れ、今は、ただただ出撃の時を心静かに待つ日々を送っております
一度出撃したら、必死必殺の精神で必ずや万馬の敵であろうと打ち砕いてみせる所存です
いつまでも御壮健であられますよう
切に願ってやみません
楡原 雅司 昭和20年7月1日”
「こっちの手紙は終戦してすぐに届いたんだって」
「ふ~ん。戦争の混乱で紛れちゃったんだね。それで、手紙にある雅司さんが櫻さんの木に隠したっていう遺品を探しだしたい、となったわけだ」
「うんうん」
「でも、櫻さんの木と言っても漠然としていてどこから手をつけていいのか困るよねぇ~」
悩ましい顔になる駿に対して、茜はきょとんとした表情でさらりと言った。
「へっ? いや、櫻ばあちゃんの木は分かっているよ」
「えっ? 分かってんの?」
「あたし前じゃーん!
櫻ばあちゃんの木なら桜の木に決まってんでしょ!」
「いや、まあ、確かにそうかもしれないけど、それ少し安易なんじゃないかなぁ。
それにどの桜の木なのか特定をしないと……」
「大丈夫よ! 準備は万端だから!!」
茜はリュックからA3サイズの紙を取り出し、机に広げた。地図のようだ。○や△、□の印が無数に書き込まれていた。
「そこで大活躍するのがこの『サクラマップ』でーす」
「なにこれ?」
「これは、この辺の桜の木の所在地を示した地図なのでーす」
「もしかしてこの○やら△の印が桜の木を示しているの?」
「そうそう。○がソメイヨシノで△が山桜とかだったかな」
「ず、ずいぶんたくさん印がついているようだけど……」
「地域の町起こしの活動でさ、桜の里として何年も、あれ、十何年だっけか、桜をせっせと育ててるのね。その努力の賜物です。
数えたら全部で159箇所あったよ」
「159箇所……
まさかと思うけどその159箇所全部調べようとしてる?」
「えーー、嫌だなぁ、そんなことないよ。
この間のお休みにそこの庭の桜の木の周辺は全部掘ってみたから! 残りは153個だよ……って、あれ、なにうなだれてるの? 気分悪いの?」
「ちょっと今、軽いめまいに襲われている」
「いやー、前回は一人だったから大変だったよ。掘って、調べて、元に戻してで、1本で4時間ほどかかったわ。でも、今回は、二人だから2時間ぐらいでいけると思うんだよねぇ。
1日10時間として2日で20本……
あっ! 今からやれば25本はいけるかも!」
「いやいやいやいや、25本しかだよ。残りはどうするだよ」
「残りは今度のゴールデンウィークかな」
「また来るつもりなの?!」
「大丈夫だよ、今度はお小遣い出たばっかしのはずだから電車賃は自分で出すよ」
「心配しているのはそこじゃない!」
「さぁ、行こうか!」
「……行くって、どの木からやるつもりなの?」
差し出されたジャベルを断固無視して駿は茜に尋ねる。
「どの木って、そうね、この家の桜は全部調べたからね、出て最初の桜の木から片っ端からやってこう!!」
「いや、いや、力業過ぎるでしょ。そんなんじゃ、いつ終わるか分かんないでしょう」
「156×2÷10=31日だから、ゴールデンウィーク中には終わらないけど夏休みには終わる計算だよ」
「ちょっと、しれっと1本2時間の計算になっているけどさ、それって僕も計算に入っている?」
「勿論。いいじゃん、ここ、避暑にはちょうどいいよ。それにスイカ、毎日食べ放題だから」
「スイカを毎日食べて嬉しいとか、小学生か! いや、もうちょっと考えようよ」
「考えるって? だって、あの手紙からは桜の木としかわからないじゃない」
「うーんとね、仮に桜の木だとしてらとりあえず染井吉野は除外した方がいいよ」
「へっ? なんで?」
「ソメイヨシノって品種は確かに江戸時代から存在しているらしいけど、今僕らが目にしているのはその中の一つ、染井吉野。漢字で書くのが正しいんだって。これは戦後に挿し木などで作られた桜なんだ。いわゆるクローンだから一斉に咲いて一斉に散るんだね。
それはまあ、横において。ここで重要なのは染井吉野のほとんどは戦後の復興の一環で増やされたってこと。つまり、雅司さんが生きていたころにはなかったってことさ」
「なるほど、すごい! じゃあ、一気に減るのね。
残りはえっと……43本だ!」
「残りは山に咲いている山桜とかが主流だよね。
でもさ、山桜を櫻さんの木と考えるのはかなり無理があるよ」
「どういうこと?」
「あの手紙には『あなたの木』という説明しかなかったでしょう。つまり、本人同士では特列な説明もなくてそれて通じる木なわけだよ。
逆の言い方をするなら、そういう木なら何でも良いってことさ。
なにも桜の木に限定する必要はないってことだよ」
駿の言葉に茜は眉をへの字にして、反論する。
「それって嬉しくないよ。そんなこと言ったら逆に掘らなくちゃいけない木の数が増えちゃうじゃない。どんな木も櫻ばあちゃんの木の可能性があるってことでしょ?
つまり、この村の木すべてが掘る対象ってことになるわけじゃん」
「そうはならないよ。二人が特に説明もなくて認識できるということは二人の行動範囲に重なるところにある木が櫻さんの木だ。
雅司さんの行動範囲は限定できないけど、櫻さんは足が不自由だった。となると彼女の行動範囲内は自ずと限定できる。具体的に言えばこのお屋敷の敷地内の可能性が高い」
「この家の敷地って言うとやっぱ、そこの庭ってこと?」
茜はさっきの植物園のような庭へと目を向けた。
「でも、この庭、無茶苦茶たくさんの種類の木が植えてあるよ。
大大祖父ちゃんが植物好きだったからね。
松竹梅を始めにして檜やら楓やら桐やら。百日紅、金木犀、椿……えっと、あとなんだけっけか」
「目星はついているよ」
「ほえ? 櫻ばあちゃんの木が分かったの?!」
「うん、多分だけどね」
駿はそう言うと庭に降り、歩き始めた。迷うことなく1本の木の前まで歩いていった。
直径90センチはあろうかと思える大きな木。幹の色は明るい灰色で細かな傷のような亀裂がたくさんついていた。
駿は中腰になってその木の周りをゆっくりと回る。そして、あった、と小さく呟いた。
「なに? なにがあったの?」
慌てて駆け寄った茜に駿は木の幹の一ヶ所を指し示す。そこにはうっすらと文字が掘られていた。年月にさらされて判読するのが困難な上、腰を屈めないと読むことができない位置に彫られていた。
「マ、サ、シ、ヨ、リ……
『雅司より』かぁ!」
茜は飛び上がった。
「これが、櫻ばあちゃんの木なんだ!!」
2022/04/30 初稿