0秒00の奇蹟
長い長い道のりだった。
かつて二秒で読める小説や、一秒で終わる楽曲や、攻略要素コンプリート済みのクリアデータをダウンロードするだけのゲームが発表されたとき、人々は馬鹿馬鹿しいと思ったものだが、オリンピックで百メートル走のトップ記録がついに0秒00に到達した瞬間から、世界が変わり始めた。
スポーツ科学と遺伝子工学のたゆまぬ努力が0秒00のメカニズムを解き明かし、過程を無視してどこへでも0秒で移動できる身体能力を全人類にもたらす時代がくると、あらゆる人間が同時にすべての地点に存在するのと同じになった。望むことをなんでもすぐ完遂できるようになった人々は、思いつく限りの旅行をし、会いたかった人とは誰とでも会って話し、見聞を広め、脳随いっぱいに知識と想い出を蓄えた。
交通は無意味になった。
国境は無意味になった。
通信は無意味になった。
人生は相対的にみて、ほぼ無限長にまで引き伸ばされる結果になった。
こうして時間と空間を支配し究極の自由を手に入れた人類は、たちまち星々に満ちるかに見えたが、0秒後、銀河ごと滅んだ。やりたいことが一瞬で何もなくなり、あまりの退屈さに世界の滅亡を望んでいた誰かが、その考えを0秒後に実行に移してしまったためだった。
すべてが0秒で完了する世界は、個人の気まぐれな悪意をも無限大に増幅した。ターゲットがどんなに多かろうと全員を同時に殺せるので、大量殺戮はきわめて簡単だった。……そう。人と人とを隔てる距離、何かするにつけ必要になる時間、かつてはこれらが幼稚な衝動の暴発を防いでいた。なんでもかんでも今日のうちにできはしないという不便さこそが、人類にとって、明日を生きる希望だったのだ。
人間だけが持つ無限の可能性を信じ、一分一秒でも速く短く、肉体的限界や物理法則の壁を打ち破った果てにたどり着いた効率のいい世界は、虚無だった。
インスタント食品。超音速旅客機。オンライン決済。速さの追求は、そのへんでほどほどにしておくべきだったのかもしれない。
さて、人類の誕生よりも昔、時の始めに同じことをやった者がいた。
それは0秒で万物を創造し、その0秒後には全能が虚無であることを悟り、そして……何もしなくなった。
おわり