フォルワン.3
森を抜け、とことこと歩く。太陽は真上にあり、そろそろお昼。今日はお昼は何だろうな?そう思いながら歩くと、一瞬感じた熱。そして見える、黒い煙。…我が家の方向に。
「!?」
私は全力で走る。この時ばかりは4歳の小さい歩幅が恨めしかった。
「!」
あと少しで家、と言うところで、私は走っていた足を止めた。目の前にあった木の陰に隠れて家の前の様子を窺う。
そこには、倒れている母と、捕まっている父と、父を捕まえる数人の男が居た。
(何か様子を窺えたら…あ、そう言えば!)
私はポーチの中から、2つのアイテムを取り出した。「うさ耳カチューシャ」と「静かの腕輪」だ。うさ耳カチューシャは、「遠くの音が聞こえる事で魔物の接近を察する事が出来る」と言う説明がされているアイテムで、要は「魔物の接近を察してエンカウント率を下げる」アイテム。でも、「遠くの音が聞こえる」効果があるのなら、ここから、あの家の前の声や音が聞こえるだろう。静かの腕輪はその名前の通り、立てる音を静かにする効果がある。つまり気付かれにくくなる効果(戦闘中に狙われにくくなる効果)がある。その2つを装備し、こっそり家の前を窺った。
プスプスと細く煙を吐く我が家。まるで、火をつけられて少ししてから消火されたような…。
「やめてくれ…」
地に手をついて項垂れたお父さんの姿が見える。家に向かい手のひらを向けているのは、主犯格と思われる男。
「脅しで無い事はお判りでしょう…貴方様がここで頷かないのなら、この家は全て燃やします。貴方様がここで暮らしていた事実を、全て消します」
「やめてくれ…」
家は一部が焦げていた。わずかの時間でこれだけ焦げるのならば、家1つを燃やし尽くすなど造作もないのだろう。
「お戻りください、コンラート様。コンラート・リュシター様」
「その名は捨てた!今の俺はただのラート、ただの平民だ!」
「いいえ、貴方様はコンラート・リュシター様…侯爵になられる方」
「おかしいだろう、私は家を継ぐのを弟に譲り、こうして平民となった。そんな私が何故、侯爵になるのだ!」
「ご存知なかったのですね。貴方様の弟君…ヘルマン様が亡くなられた事を」
「…何?」
お父さんが侯爵!?それよりも、お母さんが全然動かない!どうしよう…。
「ヘルマン様は、貴方様が家督を捨て、家を飛び出してから、それはそれは…努力しておられた。しかし、貴方様に追い付こうと無理をされ…。何故ですか、コンラート様…。ヘルマン様は、まだ、その当時、やっと学園を卒業されたばかりの身の上、幼いとまでは言わずとも、まだ若い。何故、まだ20にも満たない若者に、あの家を背負わせました?」
「…どう…言う?」
「これもご存知でなかったのですか…。貴方様が家を飛び出して、それから2ヶ月と経たずに、貴方様の父君が身罷られました事を」
「父…上…が?」
お父さんに剣を突き付けながらも、その相対している男は辛そうな表情でコクリと頷いた。
「貴方様が出て行かれた心労もあったのでしょう。侯爵様は、たったの2ヶ月で、随分とお窶れになりました…。そんな中で、気晴らしを薦められて乗馬をされました際に…落馬なさいました」
「それで…」
「はい、侯爵様は打ち所が悪く、そのまま…。その後、急遽、侯爵を継いだヘルマン様は、侯爵夫人様から教育を受けつつ、必死で侯爵家を支えておりました。必死で…5年。24で亡くなられるまで、それはもう…見ていられない程に」
「お前…」
「常々、ヘルマン様は申しておりました。『父上の度量も、兄上の気概も無い平凡な自分が、侯爵家を継ぐ身になるなんて、何の冗談だろう』と」
「ヘルマン…」
「お戻りください、コンラート様。残された侯爵夫人様も、すっかり気落ちされてしまわれた。貴方様が踏みにじったものは、小さくない。貴方様が周囲に強いた責任は、貴方様ご自身の手でお果たしください」
もう、貴方様がここに戻る事が出来ないように、貴方様をここに縛り付ける平民の娘は、もう二度と目を覚ます事は無いのですから、と。
「どうか、どうかお願いです。これ以上…犠牲を強いてはなりません」
剣を突き付ける男は、悲しそうな表情でお父さんに言う。
恐らく、剣を突き付けている男は知っている。私と言う娘が居る事。だけど、きっと「お母さんは始末する」事は命令されているから、致し方なくお母さんは手にかけた。けれど私は指示されていないから、このまま私は自分の手にかけたくない、そんなところだろうか…。
もし私が、実際は+25歳の年齢でなかったら、確実に飛び出していた。お父さんを連れ去る事も、お母さんを手にかけた事も、許せるはずがない。
ここで飛び出してしまったら、お父さんの目の前で娘まで亡くなる事に。そうなったら、絶対にお父さんは侯爵家を許さない。誰にも…希望は無い。
せめて…遠くで娘は生きている。そう思わないと、お父さんは壊れるだろう。
平民のお母さんを好きになって、次期侯爵の座を捨てられる、情熱的な人だ。
飛び出して、「連れて行くな」と言いたかった。
でも、出来なかった。
お父さんを…守りたくて。
そっと背に手を添えられて、お父さんは連れ去られていく。落とした背。まるで罪人のように。
ぎりぎりと、隠れていた木の幹に指が食い込む。それでも、4歳の手で、レベル2の力では、木にへこみすら作れない。
不意に剣を突き付けていた男がそっと振り返り、目が合った。少しだけ頭を下げる姿に、男が私がそこに居た事を気付いていたと知った。あの男は、おそらく高レベルの剣士、または騎士なのだろう。レベル2の私の気配低減など見透かす程には。
取り戻したい…お父さんを。せめて、きちんとお別れを言いたい。
だけど、私は平民。お父さんは貴族の中でも高位になる侯爵、それも、あの言い方では当主。会う事すら、ままなるまい。
どうすれば…?
自分の手をじっと見る。そして思い至る。私のレベルが上がれば、「アルヴィース」が使える。
そう…聖女になれば、侯爵とも会えるだろう。
目指してやる。聖女の座を。レベリングするのだ。アルヴィースを取り戻す。
――クエスト、聖女の座を取得、が発生した。
もし聖女になれば、あのひと…王子にも会えるだろうか。前世で一目ぼれした、あの王子に。会いたい。お父さんに。王子様に。そのために、私は聖女を目指す。
さて。
そうは言うものの、これからどうしたら良いのだろう…。
男がお父さんを連れて行ってしまったのを見届けると慌てて飛び出し、お母さんにすがった。もう動かないのは分かっていた。血の流れが止まっているから…傷を負わされて、もうそれなりの時間が経っているのが分かった。どんぐりを拾い終えて家路に着こうとしていた頃には、もう…。
倒れたお母さんに泣きすがり、しばらく放心した後で、私は突然冷静になった。
まずは、お母さんを埋葬しなければいけないな…。村からも離れたところに居を構えた両親…今にして思えば、侯爵家から少しでも見つかりにくいようにとの苦肉の策だったんだろう…は、あまり村人と交流がある方では無かった。こんな中で、お母さんが亡くなってお父さんが連れ去られた、助けてくれと言われても、村人も困惑するだろう…。アイテムポーチをぼんやり眺めていて、ふと目に入ったアイテムは、「もぐら手袋」なるアイテム。ある意味イベントアイテムなのだけど、市販品だったから、アイテムポーチに残っていたのだろう。ゲームでは、手にはめる防具であるこの手袋を装備して、土壁を掘ってダンジョンに侵入するとなっていた。ダンジョンの土壁を掘れるなら、お母さんを埋葬する墓穴も掘れるだろう。案の定、土はさくさくと掘れる。パワーアップブレスレットを併用したので、30分ほどでお母さんを埋葬する穴が掘れた。その穴の中に、そっとお母さんを横たわらせる。この世界で、私を大事にしてくれたお母さん。前世の記憶があったって、私にとって大事なお母さんだった。それを簡単に、一刀に伏せた、あの男。私を見逃したからって、許せる訳ではない。
私は焦がされた家に入る。一番燃やされていたのはリビング…と呼ばれていた食卓のある部屋。私たち家族の団らんの場、それを壊していったのだろう。私は部屋にあった数少ない飾りを手に取る。それは、その食卓兼リビングに飾られていた、この家にたった1枚だけあった家族写真。それと、家の周りに生えていた花をお母さんの胸の上にそっと置いて、その上から掘った土をかぶせていった。
さようなら。お母さん。
前世でも今世でも。私は親とどうして長く一緒に居られなかったんだろう…。
壊された家からせめてもの形見を持ちだす。
そうは言っても、そんなに物がある訳でもない。さっきの家族写真、その周りに大事なものは集まっていた。お母さんがお父さんからもらったペンダント、お父さんの万年筆。それらをアイテムポーチに入れた。
――「大事なもの」お父さんの万年筆、お母さんのペンダントを手に入れた。
誰にも荒らされないように、アイテムポーチから「時止めの結界石」を取り出した。後半に手に入る貴重なアイテムで、結界を張り、その中の時を止める事が出来る。時を止める効果を薄くすれば、侵入を防止する結界は長持ちするだろう。野生動物や村人がうっかりこの地を荒らさないように。私は結界を張った。
「さようなら…私は行く」
もう一度、お父さんに会えるだろうか…。いくつまでレベルを上げたら、アルヴィースは使えるのかな。守護竜を倒して聖女になれるかな。
でも…。こんな終わりは嫌だから。
私は戦う。頑張るよ。
見ていてね…どうか。
とりあえず、最寄りの村に向かって歩く。最寄りの村の名前は「ライル村」。私たちの家があったのもライル村になるのだけれど、村の中心からは離れていたので、今一つ、「私たちの家もライル村」って言えなかった気がする。特に何がある訳でもない、ごく普通の小さい村。4歳の足では遠く感じるけれども、大人の足ならそんなすごく遠い場所にある訳では無いだろう。
「おや、見慣れないお嬢ちゃんだね」
「こんにちは」
村の雑貨屋のおばさんが声をかけてきた。
「どこの子だい?」
「ここから少し離れたところにある家の…」
「ああ、あそこの子ね、あんまり交流無かったもんだから…でも、こんな可愛い子が居たんだねえ」
にこにこ笑って、おばさんはリンゴを1つくれた。リンゴもアイテムポーチにしまい、村をてくてく歩く。そう大して大きくもない村、すぐに見て回るのは終わる。村長に出会ったので、母が亡くなり父が失踪したと告げて、家には誰も住んでいない事を報告しておいた。
「そうか。これから君はどうするんだね?」
「…旅に、出ます」
「誰か頼れる者は…」
「分からないです。知らないです。会った事も無いです」
「こんな幼子がのう…。不憫じゃが、この村は小さいし、お世辞にも裕福では無い。むしろ田舎の村、貧しい方だ。よその子を賄うなど無理だ…。仕方がない」
罪悪感を感じたのか、村長は少しだけお小遣いをくれた。そして、旅をするのなら、冒険者登録をした方が良いと言ってくれた。冒険者登録をしておくと、旅をする者をお互いに助け合えるのだとか。要は互助組織だそうだ。
最寄りの冒険者登録組織…つまりは冒険者ギルドは、村から一番近い町、フォルワンにあるのだと言う。ちょうど、村の産物を町まで持っていく荷馬車があるとの事なので、乗せてもらう事にした。