7
バクバクと鳴る胸の音に何かわからない焦燥感を抱きながら、シャルドネはゆっくりと口を開く。
「私………研究するの、好きなんです」
「うん。知ってる」
ローエンドは素直に頷く。
「他の何もが見えなくなるぐらい」
「うん」
「私、本当に魔術式が好きなんです」
「うん………君がここまで熱烈な告白をするなんて妬いてしまいそうだよ」
ローエンドがボソリと呟くがシャルドネは無視することにした。
「だから、私………もう一度ペンを持ったら、止まりませんよ?」
「構わないさ、僕はそんな君が好きなんだ」
しれっと返すローエンド。
「………でも、それだと、務めが、疎かになってしまい、ます」
シャルドネは眉を寄せた。
あの誘拐事件で充分わかった。自分は甘えすぎなのだ。皇太子の婚約者として、責務を放棄しているままでは駄目なのだ。
「ほら、殿下にもご迷惑をかけてしまいますし………」
婚約者、妃の務めは夫の仕事の補佐だ。
表立って公務をするのは夫だが、妻は裏で暗躍し夫の顔を広げている。
シャルドネがそれをやらないとその分の負担は当然ローエンドにかかる。
あの事件で多大なる迷惑をかけたのにこれ以上彼に負担を増やすことはできない。
シャルドネは肩をすくませた。
「ふん!そんなの今更じゃないか!」
だが、ローエンドは鼻を鳴らす。
「お前が婚約者になってからかれこれ幾年も過ぎたが、お前がその務めをし始めたのはつい最近だろ!」
おかげで僕は一人でも立派に公務をこなせるようになったんだぞ、と彼はドヤ顔をし、鼻を膨らませた。
美人が台無しだ。
「………面目、ありません」
シャルドネはウゥ、と呻き背を丸める。
公務傍ら社交界で愛想を振りまく我が婚約者の姿を思い浮かべて、情けなさに涙が出そうになる。意地でも涙は流さないが。
「まぁ、そのお陰で皇太子としての評価がうなぎのぼりだからな。悪くはない」
ローエンドはぽりぽりと頰を掻いた。
「それに、その方がお前が研究に没頭できるだろ?」
シャルドネはローエンドの顔をまじまじと見た。何を言っているのだろうと怪訝な顔を浮かべる。
「お前のその才能は上手く使える。お前が発明した魔道具はこれまでに国内外で流通しているだろう?」
シャルドネはコクリと頷く。
「近隣の国に高値で売りつけることも可能だ。お前のその才能は上手く使えるんだ」
ローエンドがニヤリと悪戯な少年の顔をした。
シャルドネはここで合点がいった。
(コイツ………今までそれを)
やはり食えない男だ、と己の婚約者を見つめた。
「………でも、私、」
「強情な奴だなぁ!」
ローエンドの手が額に伸びた。シャルドネは目を点にしたが、ビシリと鈍い痛みが走って、ヒグッと呻き、思わず手で額を抑える。
やられた、デコピンされた。
(な!せっかく私が婚約者としての務めを果たそうとしてやってるのに!この変態メッ⁉︎)
シャルドネは恨みがましくローエンドを睨む。
「お前は誰だ?あの大奇族の娘、アルーシャ・アリーラ・シャルドネだろ?一度ペンを握れば周りのことが見えなくなるぐらいの奇才の持ち主だろ?そんなお前が研究をここで止めるのか?」
勿論だ、と口を開こうとする。
だが、至極真面目な顔のローエンドがシャルドネの瞳を見返した。
深い湖を思わせる神秘的な色。
シャルドネはその翠の瞳に貫かれて喉から出かかっていた言葉が詰まった。
しばらくの沈黙が訪れる。
「僕は、初めてお前と会った時に思ったんだ。“ああ、美しい”って」
“美しい”
シャルドネはその言葉に違和感を覚えるのと同時に頰に熱が収束するのを感じた。
ローエンドは口を開く。
「お前は美しかったんだ。本当に。美しかったんだ」
ローエンドは熱に浮かされたように幾度も幾度も“美しかった”と連呼する。その瞳は熱に侵食されていた。
「………美し…かった、のですか?」
「………ああ、そうだ」
シャルドネがおずおずと聞くとローエンドは、ハッと我に返ったようでツン、とそっぽを向く。だがその耳はリンゴのように赤く染まっていた。
(………へんな奴)
シャルドネはそんな婚約者を見て、どこか笑いたくなるような、だがそれにしては切ない………わけのわからない感覚に駆られる。
本当にへんな奴だ。
こんな無愛想で、研究オタクで、女の魅力もないくせに婚約者としての務めを果たさない自分に彼は惚れているのだから。
シャルドネが男だったなら少なくとも、務めをキチッと果たす、癒してくれるような女性に馳しる。
なのにこの男は………
本当に、本当にへんな奴だ。
(ああ、でも、それが私、なんだ)
ストン、とシャルドネの中に落ちた。
「………ローエンド様って、趣味、悪いですね」
おかしくなって、シャルドネがクスリ、と笑みをこぼしながらいった。
ローエンドはゆっくりと振り返ると、肩をビクッとさせ、再びそっぽを向く。
「………僕は、趣味、悪くないぞ」
「いいえ、趣味、悪いです」
シャルドネはクスクス、と堪えられずに笑う。
「だって、ローエンド様。私、あの奇才の魔術姫、ですよ?こんな厄介な奴、好きになる人なんて貴方ぐらいです」
そう言った瞬間浮遊感に包まれ、シャルドネは、は?、と間抜けな声を出した。
「シャルドネ‼︎お前って奴は‼︎」
ローエンドが立ち上がってシャルドネの腰のあたりを掴み持ち上げて、ぐるぐると回っていた。
「な!何をなさいますか‼︎」
「シャル‼︎シャル‼︎」
「お、下ろしてください‼︎下ろして、下ろして⁉︎」
「シャル‼︎シャル‼︎」
駄目だ。会話が出来ない。
シャルドネがいくらもがいても下ろす気配はない。
シャルドネは抵抗を諦めて彼のなすがままにされた。
ローエンドはしばらくシャルドネと回っていたが、胸元に抱き寄せると、熱い熱い息をついた。彼の薔薇の息が頰にあたり、そこが熱を持つ。
「研究………続けてくれるんだな?」
「ええ、決めました」
シャルドネは決めたのだ。
何を理由に研究を離れたのか今でもはっきりとはわからない。が、少しわかったような気がする。
認めてしまうには、随分とこっぱずかしいものだ。
シャルドネはニコリと笑いかける。
するとローエンドは急に顔をそっぽに向かせた。
「………ローエンド様?」
シャルドネは不審に思い声をかける。
彼の顔を覗こうと首を伸ばした。
「あぁ!見ないで!」
情けない顔してるから…、彼は酷く小さい声で呟いた。
(ん?この顔面凶器の情けない顔とは?)
どんな怒った顔も、憔悴した顔も、人を虜にするフェロモンを振りまく、この男のその情けない顔、と聞いてシャルドネの悪戯心がむくむくと首を出した。
そっぽを向く彼の顔を、こっそりと覗く。
(………うわー)
その顔は、本当に情けなかった。
シャルドネは見てはいけないものを見たような気がして、今は見えているがこれからプリントやら何やらで見えなくなってしまうであろう床のタイルを眺めた。
シャルドネは彼の情けない顔を笑うことはできなかった。自身もこの時彼と同じ顔をしていたに違いないのだから。
ここまでお付き合いくださりありがとうございます。
まだ中途半端かもしれませんがこれで本編を完結とさせていただきます。
この後もローエンド視点やら色々と謎を解明していきたいと思っていますので、ゆるーくお付き合いくださると嬉しいです