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「こんなところに閉じ込められて………可哀想に」
何か言う前にシャルドネはローエンドの腕の中に収まっていた。
鎧の鉄の匂いの中にふわりと芳しい香りが混ざっている。
「な、なぜ貴方様がここに?」
シャルドネは動揺を押し隠して彼に聞いた。
「僕も騎士の一人だからね。大事な奥さんが連れ去られているのにじっとしているなんてできないよ」
「………奥さんって、まだ結婚してませんよ?」
「ははは、まだ、な」
ローエンドはニコリと笑うとシャルドネの額に唇を近づけた。
シャルドネはギョッとして、とっさにローエンドの胸のあたりに手をつき押しのけようとした。
「で、殿下⁉︎」
「いいだろう、お前を見つけ出したご褒美に」
そう言われてしまえばシャルドネは抵抗できない。諦めて目を瞑った。
チュッ
だが、額ではなく、唇に何か暖かく柔らかいものが触れた。
(………………へ?)
思考が停止する。
「殿下………なにを?」
「ははは、ご馳走さま」
ローエンドはペロリと己の唇を舐めた。
シャルドネはボンっと爆発する。
(あああ!この変態‼︎私のファーストキス………)
「さ、そろそろ帰ろう。立てるか?」
「む、無理です」
シャルドネは首を振る。
ローエンドはニヤリと笑った。
「キス一つで足腰立たなくなって、結婚後どうするんだ?」
「ソレのせいではありません‼︎」
シャルドネはキリッとローエンドを睨む。
「足がいま痺れているのです‼︎」
シャルドネの言葉にローエンドの目が点になった。
全く思い違いもいいところだ。キス一つで足腰立たなくなるわけないじゃないか。そう、だから今立てないのは痺れのせいなのだ。断じて初めてのキスで緊張したから、とかではない。そのはずだ。
「あ、あぁ、ずっと座ってたからな………」
ローエンドがしどろもどろに呟く。目が泳いでいる。
そして気まずそうに手を差し伸べた。
ありがとうございます、と礼を言い手を取る。が、立ち上がった瞬間足に強烈な痺れが襲って尻餅をついてしまった。
「立てないか?」
ローエンドが眉を寄せる。
「………いえ、もう少し時間が経てば…」
シャルドネが鈍い痛みを発する足を突っついた。案の定刃物で刺されるような鋭い痺れが襲い顔をしかめる。
ローエンドはそんな様子を顔をしかめて見つめ、シャルドネを抱き上げた。
「へ?」
浮遊感に間抜けな声を漏らす。
シャルドネは間近になった婚約者(仮)の顔を見る。
この体勢は………いわゆるお姫様抱っこ、では………
「お、降ろしてくださいッ‼︎」
「いやだ」
シャルドネが訴えても聞く耳持たず、ローエンドはそのまま馬へと向かった。
(たしかに今降ろされても困るけど……)
こっそり彼の顔を伺う。すると翠の瞳と目線が合い、微笑まれた。
シャルドネは血液が顔に集まるのを知覚するが、そんな自分を否定するように頭をブンブン振った。
再びあの凶器の美貌を見ないように目を閉じる。
あの笑みを見続けていたら、こちらの心臓が持ちそうにない。
それからは、あっという間に時間が過ぎていった。
屋敷に戻ったシャルドネはハルーシア辺境伯に抱きつかれ、おいおい泣かれた。巨大な蝙蝠が涙を流す姿は見ものだった。
二ラリー家の元息女のライラは捕らえられ、刑が執行された。奴隷の刻印を焼き付けられたのだ。この刻印は恐ろしいもので、主人の命令には否応なしに従わせらるというものだ。どんな命令にも逆らうことはできない。
だが、これは皇太子を誑かそうとし、その婚約者を殺めようとした罪にしては非常に軽い。
普通ならば一族もろとも断頭台行きだ。
だが、ライラには処罰すべき家族がいなかった。
二ラリー男爵は彼女が行動を起こすことに勘付いてあらかじめ勘当、縁を切っていたのだ。
そして、ライラが尻尾を出したはずの二ラリー家の後ろについている存在………。それは調査されたものの何も証拠が出てこず、一時調査は打ち切られた。
それ故に、二ラリー男爵は結局そのままだ。
シャルドネはあれから積極的に茶会やパーティーに参加し、社交界に顔を出している。
もう、自分の趣味が突っ走って周りに迷惑をかけないように。
自室にあった膨大な数式のプリントを捨て、壁や床の落書きを消し、本は封印した。
そして、結局使えなかったあのカードも。
後悔はしていない。だが、今まで自分の中心部にあったものがなくなってどこか浮世離れしているような感覚がしている。
シャルドネは朝日が差し込む、簡素になった自室を眺めていた。
ぼうっとしているとドアがノックされる音がする。どうぞ、というとその人物は入ってきた。
「やぁ、随分と殺風景になったものだな」
「………殿下」
薄い笑みを浮かべるのは絶世の美人、皇太子ローエンドだ。
「…………こんなむさ苦しいところではなく、客室に案内しますので………」
シャルドネはたどたどしく言う。
ローエンドは苦笑した。
「お前にそんな言葉をかけられるとはね」
だがここでいい、と言った。
そういえばあの事件以来彼がここにきたのは初めてだ、とシャルドネは気づいた。呼ばれれば大人しく登城していたので彼が屋敷に来ることはなかったのだ。
「お前には、最近ヒヤヒヤさせられっぱなしだよ」
ローエンドはため息をつくとシャルドネのソファに腰掛けると、ぽんぽんと隣を叩く。隣に座れと言うことだろう。シャルドネは大人しく横に腰掛けた。
「この前の茶会で、お前は緊張しすぎてカップを落としてしまったらしいな」
「………否定はしません」
「ふふッ、それにパーティーのダンスで派手に転んだらしいな」
「………」
「それに、公務中に鼻血まで出したな」
「………」
シャルドネはコイツは何をしたいのかと訝る。まさかとんでもない粗相をして、それを叱られるのか。
ローエンドは腰に回していた手にさらに力を込め、シャルドネを抱き寄せた。
「僕が言いたいのは、な。お前は気を張り詰めすぎなんじゃないか、ってことだ」
そう言うと、手が腰から段々と上に上がり、頰を撫でた。その感覚にシャルドネの体はブルリと震える。
「そ、そんな、私は婚約者として当然のことをしたまでです」
シャルドネは自分でそう言っておきながら、ウッ、と後ろめたさに呻いた。
今までの自分がどれ程無責任かわかりチクチクと苛む。
「うん。皇太子の婚約者としての働きはね」
ローエンドは頷きシャルドネの言葉を肯定する。
「最近になってようやく皇太子妃としての自覚が現れたと、母上が安堵していたよ」
シャルドネはヴェ、と呻き、背を縮めた。
ローエンドはそんなシャルドネをふふふ、と微笑む。すると、腰に回していた手をシャルドネの肩に移し、向かい合わせにした。
彼の翠の熱い瞳がシャルドネを射抜き、身じろぎできなかった。
「僕はね、シャル。君が好きだ」
ローエンドが蕩けるように熱い熱い言葉を発する。シャルドネはブルリと訳の分からない震えが起きた。
「僕は、お前の、怒ってる顔……睨む目………気だるげな態度………何事にも無頓着な所………意外に頑固な所………たまに見せる笑顔………。どれもこれも全て好きなんだ」
ローエンドはゆっくりと、秘密を語るように密やかに語る。彼の息が熱くて、甘い。
シャルドネはまたも震えに襲われる。怖くはない、むしろ体が軽く…天にまで登るそうなほど軽くなったが、何か分からない悲しくキリキリとする痛みも感じた。
(………私は、どうしたんだ?)
未知の感覚に途方にくれる。
だがローエンドの熱い言葉は止まらない。
「でもね、シャル。僕は……背を丸めて、一心不乱に机にかじりつき、ペンを走らせている君がとても………とても好きなんだ」
ローエンドはそう言うと切なげに眉を寄せてシャルドネの肩に顔をうずめる。
柔らかな金の髪が首筋を撫でてくすぐったい。
シャルドネはバクバクと言うことを聞かない胸の鼓動に戸惑う。
(………なんなんだ?この感覚は?)
「だからね、シャル」
ローエンドが肩にうずめたまま話す。
「お前には、ペンを握っていて欲しいんだ」