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「おや、これはこれは」


 王宮の廊下を歩いていると声をかけられたので振り返る。

 そこには瓶底眼鏡をかけた大きな前歯が存在感を放つ小柄な男がいた。


「アーバン卿。お久しぶりです」


 シャルドネは会釈する。


「魔術姫さまが王宮など、珍しいですな」


 ニヤニヤと品の悪い笑みを浮かべるアーバン卿。シャルドネは小さくうなずいた。


「はい。殿下からお呼び出しを食らってしまったので」


「ほう、今回はいかなる理由で?」


「それが………………」


 ぐしゃりと自分の顔が歪んだのを知覚する。一般的な令嬢がこれを行なったらはしたない、と言われそうだがシャルドネは全く気にしない。周りも気にしない。


「“隣国の学者が王宮に来る”と」


「ハハハハハ‼︎また騙されてしまいましたなぁ。殿下も実に健気だ。先月は………えーと、なんでしたかな?」


「“新しい魔術が発明された。王宮でお披露目する”ですね」


「ハハハハハ‼︎魔術姫、してやられましたなぁ」


 愉快そうに声を上げて笑うアーバン卿。


 全く愉快でない。


 シャルドネは今日ローエンドから“呼び出し”をされた。

 ローエンドは度々シャルドネを“呼び出し”する。普通に王宮に来るように言っても彼女は来ないことがわかってるのか、いかにも彼女が興味ありそうな餌をぶら下げて王宮へと誘うのだ。

 まんまとひっかかったシャルドネ。だが、彼女もバカではない。

 ローエンドから手紙がきた段階では薄々気づいている。

 それでもそこに“餌”があると言われて飛びつかないことはできなかった。


 案の定、今回もそこにあるはずの餌はなく、ニコニコと笑う婚約者に談話室に連れてかれた。


「ハハハ、殿下は随分とあなたに入れ込んでますなぁ」


「………嬉しくありません」


「ハハハハハ‼︎こんな熱烈にアピールしているのにこれでは殿下も形なしですなぁ‼︎」


 膝を叩いて笑うアーバン卿。

 何が面白いのか全くわからない。


「おお、そうでした」


 ひとしきり笑ったアーバン卿が瓶底眼鏡を持ち上げながら言う。


「この前、貴女さまが提案なさった魔道具の試作品が完成されたようです。ご覧になりますか?」


「おお!本当ですか」


 これは嬉しい。まさかこんなに早く試作品ができるとは思わなかった。

 シャルドネは首を縦に振った。




「うーん」


 紅い石を埋め込んだ四角い箱…魔道具(試作品)を手に取ったシャルドネは唸った。


 ここは王宮の地下。研究者や学者が集まって会議をするこの部屋はひどく陰気な雰囲気を漂わせている。

 そして部屋の陰気さに負けないほど陰湿な空気を放つ二人……アーバン卿とシャルドネが机に向かいあっていた。


「お気に召しませんでしたか?」


 唸るシャルドネにアーバン卿が眉を寄せて言った。


「ううん、上出来だと思います。僅かな魔力を通すだけであんなに火を吹くのですから」


「そうですか。それは良かった」


 ほっとしたように一息つくアーバン卿。

 

 本当によく出来ている。

 先程アーバン卿に魔力を流してもらい、どれほどの威力かを見た。

 魔力を流した途端、この巨大な地下室の端から端まで届くほど火を吹いた。

 これをよく出来てない、と言うわけがない。


 だが、これはシャルドネの理想とは違う。


(私の理想は………野望は………)


 シャルドネは試作品をまじまじと眺めた。



 その後「それでは私はこれで失礼させてもらいます」と、彼は地下室をスタスタ出て行った。


 一人取り残されたシャルドネは地下室の端に寂しく置かれている机に向かい試作品に描かれている魔術式を眺めた。


(ここの式をもっと簡単にして、そして……………)


 シャルドネは紙とペンを持ち黙々と計算を始めた。





 肩を突然揺すられた。

 振り向くと顔面凶器とも謳われる美しい見慣れたお顔があった。


「………アレ?殿下?何故ここに?」


 シャルドネは手を止め、首を傾げた。


 婚約者はやはり、と深いため息をついた。


「お前、今何時だと思う?」


「えーと、ここに来たのがまだ昼食の時間でしたから………日の入り、ぐらいでしょうか?」


「もう真夜中だ」


「あら、それは困った」


「…………お前が帰ったかどうか確認しておいて良かったよ。御者達はずっとアルーシャの馬車で待機していたよ」


「あら」


 それは可哀想なことをした。


「今は王宮の離れで休ませている。ちなみに彼等を発見したのはつい先程だ」


「ありゃりゃ」


 随分と待たせていたらしい。ゆっくりお休みと、今はいない従者に心の中で言った。


「どうする?お前が帰るのだったら呼びに行かせるが」


「いえ、結構です。私は今日ここで一晩明かします。彼等は休ませてやってください」


「わかった」


 王宮といえどこの地下室は学者らに使用権がある。シャルドネにも勿論それがある。今回は有難くここに泊まらせてもらおう。


 話が終わったのを見計らって机に向かったその時。


 きゅるー


 可愛らしい音が部屋に響いた。


 シャルドネは咄嗟に腹に手を当てた。


(ああ‼︎そういえば朝から何も食べてなかったなぁ)


 遠くを見据えながらぼんやりと思い出した。集中しているときは空腹感なんて感じないが一度それに気づいたら胃がしくしく痛む。


「……………腹、減ってるのか?」


 おずおずと尋ねるローエンド。


「はい、みたいですね」


 他人事のように答えるシャルドネにローエンドは一瞬顔をしかめたが、次には満面の笑みを浮かべた。


「そうか!なら夕餉を共に取ろう」


「………………え?」


「僕も、今までずっと会議でね。また食べていないんだ。お前も食べていないって言うし、一緒に取ろう?夫婦水入らずで」


 いやいやいや、何急に言い出すのかこの男は。それにまだ夫婦じゃない。そうなるつもりも予定もない。

 ………………いや、予定はあるか、一応。


「で、ですが殿下‼︎」「ははは!それじゃあ料理長に言ってくるよ」


 押し切られてしまった。





 シャルドネはムッツリしながら手にパンをとる。

 隣にはニコニコしながらスープをお上品に飲む男。その片腕はちゃっかりシャルドネの腰に巻きついている。


「あの……………腕離してくれませんか?」


「え、やだ」


「あのッ‼︎」


 シャルドネが身をよじり、なんとかローエンドの腕から逃れようとする。だが、男の力に引きこもりの女が勝てるはずなく更に引き寄せされてしまった。


「…………食べづらいです。離してください」


「いやだ」


 そんな子供でもないのにいやいやする婚約者。

 睨むと頬を赤らめた。


「ほら、食べづらいのなら僕が食べさせてあげるよ。ほら口開けて」


 ローエンドが自身のパンを一口サイズにちぎり、シャルドネの口のあたりに持ってくる。

 精一杯背を仰け反らせて抵抗する。

 更に彼の手が近づきパンが唇に当たった。が口は決して開けない。


 声が出せないので首をブンブン横に振って意思表示をした。


「ん?何が?」


 この男はニコニコというよりニヤニヤしながらこちらを伺っている。

 人が嫌がっているのを楽しむなんて、全く趣味の悪い変態だ。

 変態に屈してたまるものか!とシャルドネは抵抗し続けた。


 しばらく抵抗し続けると流石の変態も諦めたようで寂しげにそのパンを自分の口に運んだ。だが、心なしか頰が染まっている。


(あ、さっきあのパン唇に当たったような………、それじゃあこれは……………間接キッ………)


 ここまで考えたところで猛烈な吐き気がしたのでこれ以上踏み込まないことにした。

 大丈夫。何もなかった。


「全く………僕の兎はまったく懐いてくれないね」


 ため息混じりに呟くローエンド。

 シャルドネもため息をついた。


「兎は人に懐かないものだと私は記憶していますが?」


「まあね、懐かない、だから懐かせるのが楽しい。手に入れるのが難しいほど手に入れたくなるからね」


「………………趣味の悪い」


 まったく、とんでもない変態と婚約してしまったとシャルドネは己の身上を嘆いた。


 ますます婚約解消しなければ。



 食事は皇太子とともに取ったが寝床は流石にともにはできない。ローエンドは“いつでも大歓迎だよ”と言っていたが、無理やりということは無かった。

 だがあの地下室で寝る、と言ったら王宮の客室に通してくれた。有難い。あそこは夜冷える。


 シャルドネは暖かい部屋でベットに潜り込んだ。




 目が覚めた頃には日がすっかり上りきっていた。


 馬車に揺られながら今後のことをふと考える。


(婚約解消、できるのかなぁ)


 幾度も伯爵家から王家へ打診してきた。だがそれはいつのまにか全て握りつぶされてきた。まるで誰かが糸を引いているかのように。

 でも、婚約、解消、してもらわねば困るのだ。

 なので今回皇太子直々にそのことを話した。だが返事は貰えなかった。


(婚約者、やってるのも疲れるんだよ)


 あの顔面凶器の婚約者だ。表立って言われることは無いが、やはり裏でヒソヒソ言われる。

 社交界では次期皇太子妃に嫌でも注目が集まる。一つの動作であれ、こうだ、そうだ、と悪評の嵐だ。自分一人なら全く気にしないのだが、婚約者のローエンド及び皇国の顔に泥を塗る訳にはいかないので、精一杯背を張っている。


 シャルドネはそんなくだらない事に神経を使いたくなかった。

 できるのならばずっと部屋にこもって魔術式を解いていたい。

 だがそういうわけにもいかない。


 シャルドネは婚約者という立場が鬱陶しくて仕方なかった。勿論その本人も。




 王宮を訪ねてから何日か経った。


 シャルドネは珍しく客間に顔を見せていた。

 お客が来たのだ。


「お会いたかった。ヒューリ博士」


「此方こそ、お会いしたかったですぞ、魔術姫」


 シャルドネは立派な白い髭を蓄えているこうこじいと握手をした。


(大丈夫?手汗かいてない?)


 内心ヒヤヒヤしながら。

 一応、握手する前に手を念入りに洗った。


「貴女様の論文、拝見させてもらいました。私らオーリャン王国の学者団は感激しまして、このような機会を設けさせてもらい大変恐縮です」


「いや、博士に評価されるなんて身に余る光栄。私も博士の論文を全て読ませてもらいました。実を言うと博士の論文で私、知識を積んだのですよ?本当に素晴らしい」


「フォッフォ、私には勿体無いお言葉です」


 朗らかに笑うヒューリ博士。

 シャルドネが尊敬してやまない魔術学者だ。

 この博士に会いためにいつもは部屋にこもりがちのシャルドネは珍しく朝早くから客間に顔をだして掃除をしていた。

 本来なら侍女たちに任せておけば良いのだが、何もせずただぼーっと突っ立っていることは出来なかった。


 身分はシャルドネの方が遥かに上だが、この博士相手に尊厳な態度を取ることはなかなか出来ない。


「ところでこの魔道具の術式なのですが」


「ほう、これはこれは」


 シャルドネは先日アーバン卿から渡された魔道具の試作品を彼に渡した。

 その術式が書き込まれている部分を興味深そうに眺めた。

 シャルドネはゴクリ、と生唾を飲む。


 博士の顔が上がり、シャルドネを見つめた。


「随分と簡単な式に仕上がりましたな」


「は、はい。なるべく魔力の消費を抑えようと……」


「成る程」


 白い髭を弄り、思案する博士。

 シャルドネはなんとなく彼から視線を逸らし膝先を見つめる。


「性能を見つめるのなら、もう少し複雑な式でもよろしいかと。これでは魔力の注ぎすぎによる事故が起こるやもしれません」


「………はい。だが、私は」


「はい。なんとなく貴女様の目的は察しております」


「………左様ですか」


 ええ、と博士は朗らかに微笑んだ。


「けれども、その目標の為には此処では………あー、この国では、制度が………あまりよろしくないかと」


 慎重に言葉を選ぶ博士にシャルドネは神妙に頷いた。



 男尊女卑の風潮が色濃く存在するこの皇国では女が表立って何か行動をするのは忌まれている。


 事実、シャルドネは論文を発表したり、魔道具を開発したりと行動しているが、何かとやっかまれている。

 ただ、あのハルーシア辺境伯が牽制をかけているので実際に何かされた!ということは無い。


 貴族の中でアルーシャの家名は恐れられている。それは大公と謳われている公爵家からも。娘を溺愛しているハルーシア辺境伯に睨まれたらたちまち社交界から追放されてしまう。

 今まで直接手を出して来た人は何故か家の後ろめたい事情が暴露され、晒しものになり、他のどの家も泥沼に沈んで行く者に足を引っ張られまいとその家の相手をしなくなり、社交界を渡れなくなっていった。事実上の社交界追放だ。



 しばらく博士と対談していたシャルドネだが時間になり、玄関まで彼を送った。


「今日はたいへんゆい意義な時間が過ごせました。またお会いしましょう、魔術姫」


「ええ、私も素晴らしい時間が過ごせました」


 固く握手する二人。

 ああ、そうだと博士がおもむろに懐に手を入れた。

 そして差し出されたのは小さなカード。


「あの、これは?」


「我が王国は失礼ながら貴国より魔術が進んでおります。これは王国の学者団が使用している研究所の許可書です。あちらでは此処よりも研究設備が整っています。是非、お越しください。貴女の才能は此処で終わらせるのは勿体無い」


 何より、と言葉を続ける。


「貴女の目標に近づくはずです」


 シャルドネは息を飲んだ。

 何を引き換えにしても手に入れたい、と思っていたものが今目の前にある。


「もらって…いいのでしょうか?こんな若造が」


 自分の声が震えているのを知覚した。


「勿論。貴女は期待の星です」


 博士がにっこりと微笑む。

 シャルドネは震える手でそれを受け取った。


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