第二話:新たな住まい
勇者の「魔王軍に入る」発言から数時間後、エルザは玉座の間にて部下たちに囲まれていた。
人間に比べて遥かに長い寿命を持つ魔族の中でも特に長寿な彼らは「長老」と呼ばれており、その実力は幹部たちまでとはいかないものの、ゆうに数百年を生きてきた経験や知識は魔王軍においても重宝されている。
しかし今、そんな彼らを前にしたエルザはんざりしたような表情を浮かべていた。
「魔王様っ、勇者なぞの言葉を信じてはなりません! いつ寝首を掻かれるか分かったものではありませんぞ!」
「何度言えば分かる! ライクは勇者を辞めて、魔王軍に入ったの!」
熱を帯びたエルザの言葉に、しかし長老たちは首を縦に振ろうとしない。
「だからそれがおかしいと言っているのです! 我らが魔王様はいわば人類最大の敵。対して勇者は人類最大の希望の星なのですよ!? そんな勇者が魔王軍に入るなんてあり得ません!!」
「む、むうーっ、この分からず屋ぁー! とにかくこの件に関しては、わたしの一存で決めるからいいの! いじょー解散っ!」
「ま、魔王様っ!? お、お待ちください!」
一方的に話を切り上げられ慌てる長老たちだったが、エルザの合図で入って来たメイドたちに引きずられるような形で、玉座の間からその姿を消した。
「まったく、あたまが固いというのはあーいうことなんだろうねほんと! ライクがわたしを裏切るなんて、それこそあり得ないし! それに……」
ライクは、エルザにとって初めて出来た労い相手。
そして勇者だったからこそ、魔王と対等な関係を築くことが出来る唯一の相手でもある。
そう簡単に手放したりするつもりはなかった。
「……そうだ。今日は魔王城に来て初めての夜だし、不安で眠れなくなってるかも」
エルザはまた良いことを思いついたような笑みを浮かべると、鼻歌をうたいながら玉座の間を後にした。
◆
勇者になる前、俺は平凡な村人Aとして農作業に勤しんでいた。
そしてもうすぐ収穫の時期というタイミングで奴らが現れたのだ。
そう、魔族である。
一人一人が屈強な戦士である彼らに、村人なんかが抗えるはずもない。
皆はそう言って、ただ必死に逃げることだけを考えていた。
しかし俺はせっかく育ててきた農作物がどこの馬とも知れぬような輩どもに踏み荒らされるなど断固許せなかった。
とりあえずそこら辺に落ちていた農作具で立ち向かい、気が付けば彼らを追い返していた。
それから数日後、使者を名乗る男が現れ、王都まで連れて行かれたかと思うと、どういうわけか勇者として祭り上げられていたのである。
勇者になって初めの頃はまだ良かった。
やはり男ならば英雄というものに一度は憧れを抱かずにはいられない。
それに助けた人々から感謝の言葉を向けられるのも悪い気分はしなかった。
しかし戦う力を持たない人々たちにとって魔族の大軍を単身で蹴散らす姿は、畏怖の念を抱かせるのには十分だったらしい。
そんな中で徐々に戦いの中でしか居場所を感じられなくなった俺は、王からの命令もあり、絶え間なく戦場へ出向くこととなった。
「……こんな風にやわらかいベッドの上で眠るなんて、いつぶりだっけ?」
陽も沈み、月明かりが照らす部屋で人知れずつぶやく。
ここは魔王城。
まさに勇者にとっての最終決戦の地だ。
しかし今となっては、ただ居心地のいい住まいでしかない。なぜなら――。
「……そっか。俺、勇者やめて魔王軍に入ったんだよな」
ここ数年、ずっと勇者として戦ってきたことを考えれば何とも感慨深い。
さらにいつも威張り散らしてばかりの王とは違って、今度の上司はとりわけ優しい。そして見た目も可愛い。
――俺は今日、生まれ変わったのだ。
人類希望の星から、魔王軍の一員として。
「あれ? 改めて考えてみると、とんでもない状況なのでは?」
そこで不意に気付く。
自分でこんなことを言うのは何となく気持ち悪いが、少なくともこれまで人類が魔族の脅威を凌いでこれたのは、勇者である俺のはたらきによるところが大きい。
そんな俺が今度は魔族の仲間になったとしたら、戦況はいったいどうなってしまうのだろうか。
……もはや考えるまでもなく、人類滅亡のカウントダウンが始まってしまう。
もし仮に俺が魔王軍の一員として戦いに参加しなかったとしても、人類側には俺以外に魔族に対抗する手段が果たしてあるのだろうか。
正直あまり期待できない。
「や、やっぱり勇者として魔族と戦っていた方が――――ん?」
その時、ふいに部屋の外に人の気配を感じた俺は思わず口を閉じる。
「ラ、ライク。もう寝ちゃった……?」
直後、部屋の扉が開くと同時に、微かに聞こえてきた声は幼い少女のものだった。
そしてその声には少なからず聞き覚えがあった。
「エ、エルザ。こんな時間にどうしたんだ?」
寝込みを襲いにでも来たのかと思えば、どうやらそういうわけではないらしい。
思わず警戒を解いて、エルザに声をかける。
「そ、それはその……。ま、魔王城で初めての夜だから不安で眠れてないかもしれないと思って……。だ、だからその、一緒に寝てあげようと思って……」
そう言うエルザをよく見てみれば、恐らく自分用のだろう枕を抱えている。
「ま、まあ確かに色々と悩んではいたけど……」
主に、本当に勇者をやめていいのかとか、これからは魔王軍の一員として戦わなければいけないのかとか、そんな感じの悩みだ。
とはいえさすがに魔王と元勇者が一緒に眠るなんてマズいのではないだろうか。
特に魔王が幼女なところとか、幼女なところとか、幼女なところとか。
しかしそんな俺の心配をよそに、途端に目を輝かせるエルザ。
「それじゃあわたしが一緒に寝てあげる! もうだいじょーぶ! ライクが寝るまでよしよししてあげるから!」
「え、あの、エルザさん?」
俺の静止もむなしくベッドにダイブしてきたエルザは、そのまま枕を並べると布団に潜りこむ。
そして宣言どおり、目と鼻の先でニコニコと満面の笑みを浮かべながら俺の頭をよしよしと撫でてくる。
これがビックリ。とても気持ちいい。
思わず抵抗しようとしていた手を止めてしまうほどだ。
まるで数時間前の膝枕の時と同じような感覚に思わず目を細める。
そうだ、俺はこの快感を味わうために勇者をやめようと思ったんだ。
そのことに気付いてしまった以上、さっきまで「本当に勇者をやめてよかったのか」なんて思っていたのが、だんだんと馬鹿らしく感じてくる。
そして改めて、この上司のもとで頑張ろうと決意した俺は、まぶたの重みを感じると同時に意識を手放した。