第一話:出会い
あるところに、それはもう強くて強くて強すぎる勇者がいた。
圧倒的に不利な戦況だったとしても、気付けば勇者が単身で敵軍を壊滅している。
むしろ味方に勇者さえいれば、どんな負け戦でも勝ち戦になるとさえ言われていた。
まさに勇者は魔族と戦う人類にとっての希望の光だった。
しかしその圧倒的すぎる力ゆえに、勇者の居場所はそのほとんどが戦場だった。
北に魔族の大群が攻めてきたら北へ、南に魔王軍の幹部が現れれば南へ。
いくら勇者が強かろうとも、その身体はひとつ。
とても忙しいなんて言葉では足りないような生活を続けている内、心身ともに少しずつ疲弊し始めていることに本人すらも気付いてはいなかった。
時を同じくして魔王城。
先日、八歳の誕生日を迎えたばかりの魔王は、この上ない仏頂面で玉座に腰かけていた。
「……暇すぎる!」
玉座の間にはエルザ以外の姿はない。
呼べばメイドが飛んでくるだろうが、呼んだところで何かをしてもらいたいわけではなかった。
ただただ暇すぎて暇すぎて仕方がなかったのである。
「みんなもっと休めばいいのに! そのくせ、わたしが何かしようとしたらすぐに止めに来るんだから!」
幸か不幸か、魔王軍の幹部たちは皆とても優秀だ。
それに忠誠心もある。中には忠誠心がありすぎて過激な者もいるが……。
それはともかくとして、部下が優秀な上司というのは得てして、やることが少ない。
加えて未だ八歳の幼女に魔王としての仕事をさせるわけにもいかなかった。
その結果が今のエルザの仏頂面であるわけだから、部下の心、上司知らずというやつなのだろう。
「メイドをつかまえて、いろんなことを教えてもらうっていうのを思いついた時は良い案だと思ったけど、気付いたらもう教わるようなこともなくなっちゃったし。かといって労ってあげようとしたら逃げられちゃうし……」
つらつらと文句を並べるエルザだったが、メイドとしては魔王に何かを教えるなんていう時点で許容範囲をとうに超えている。
それをあまつさえ労ってもらうなんて、エルザ本人の意思だとしても恐れ多い。
しかしメイドたちの教育の甲斐あってか、今ではエルザの家事スキルは本職であるメイドたちに劣らぬものとなっていた。
炊事洗濯料理、いつでもかかって来い! という感じである。
とはいえやはり魔王という立場上、それを披露する機会など皆無に等しいのだが……。
「……どうせ誰かが来るわけでもないし、昼ごはんでも適当に作っちゃおうかな」
唯一エルザの作る料理を何の気兼ねなく食べてくれるのは、それこそエルザ本人しかいない。
だから最近のエルザはせっかく学んだ家事スキルを存分に発揮すべく、わざわざメイドたちに厳命してまで、身の回りのことは自分でするようになっていた。
「そうと決まればさっそくキッチンに行かなくちゃ! たしか昨日の夜に食べずに残しておいたプリンがあったはず……っ」
さっきまでの仏頂面はどこへ行ったのやら、笑みを浮かべて玉座を立つエルザを止める者は誰もいなかった。
◆
「えへへ、今日もいい感じにできたー!」
目の前に並べられた料理に満足げなエルザ。
魔王が食べる料理としてはやや品数も少ない感じはするが、あまり作りすぎても食べきれないので、自分で用意する分にはこれで十分である。
今日のお楽しみはデザートのプリン。
結局食べるのは最後とはいえ、楽しみであることには違いない。
早速、サラダからいただこうとしたその時――。
ふいに人の気配を感じたエルザは口を大きく開けたまま振り返る。
特に魔王専用の部屋などではない食卓なので、てっきりメイドの誰かが賄いを食べに来たのかと思っていたのだが、そこには一人の見知らぬ男がぽつんと立っていた。
「……あなたはだーれ?」
サラダを頬張ろうとしていた手を止めて、エルザが尋ねる。
よく見ればその男はどこか薄汚れており、表情にはわずかに疲労の汗が見える。
それだけでエルザはこの男がなんとなく魔王城の外からやって来たのだろうと察することが出来た。
「……それは、お前が作ったのか?」
しかしエルザの質問に対して男は答えるでもなければ、何やらテーブルの上に並んだ料理をジッと見つめながら聞いてきた。
しかもちょうどそのタイミングで、ぐぅ~という何とも小気味いい音が響く。
明らかに自分からではないその音に、エルザは何度か目をぱちくりさせる。
「あなた、もしかしてお腹が減ってるの?」
エルザの質問に、静かに、されどどこか食い気味に頷く男。
そんな男の反応に、エルザはわずかに考えを巡らせる。
言及こそしなかったものの魔王であるエルザを「お前」呼ばわり。
もしかして男は自分が魔王であるということを知らないのではっ、とエルザは良い事を思いついたとばかりに目を輝かせる。
「それならこの料理、あなたにあげる! さあどうぞ!」
「……!」
そう言ってエルザは半ば強引に男に席を譲る。
もちろんそれは誰も食べてくれない自分の料理を食べてもらうためだ。
男は男で、空腹からか目の前の料理に視線が釘付けになっている。
「い、いただきます」
そして遂に男が料理を食べ始める。
それを隣で見守るエルザは、その後の反応を今か今かと待ち構えている。
「わ、わたしの料理、おいしい?」
「……うまいよ。いや、ほんとにうまい」
「ほ、ほんとっ!?」
「あぁ、こんなにうまいものを食ったのは久しぶりだ」
「――――っ!」
嬉しさのあまり、その場でぴょんぴょんと跳ね回るエルザ。
男はその間も用意された料理をどんどん頬張っていく。
そして気付けば、テーブルの上にあった料理はすべて男の口の中へと消えていた。
エルザがあれだけ楽しみにしていたプリンも然りだ。
しかしエルザは自分の作った料理が美味しいと言ってもらえただけで満足だった。
「す、すまん。これはお前が食べる分だっただろうに……」
今更ながら申し訳なさそうに言う男に、エルザは「だいじょーぶ、料理ならまた作ればいいから!」と元気一杯に答える。
しかしエルザにも疑問はいくつかあった。
「そういえばあなた、名前はなんていうの? お城ではあまり見かけない顔だけど、会うのは初めてよね?」
「……俺はライク。ここに来るのは初めてだ」
「初めて? ずいぶんと疲れてるみたいだけど、わざわざこんなところまで何しに来たの?」
「それは……最後の決着をつけにきたんだ」
「……? それよりも本当に大丈夫? 顔色もよくないし、少し休んだほうがいいんじゃない?」
「……いや、いい。どうせ今日で全部終わるんだ」
頑なに首を横に振るライクと名乗った男だが、その額には脂汗が浮かんでおり、表情にも疲労が色濃く表れている。
そこでエリザは俯くライクを強引に立たせると、近くに物がない場所まで引っ張って連れて行く。
「な、何をするつもりなんだ……?」
料理をご馳走してもらったことが少なからず頭にあるのか、それ以上は特に抵抗することなく指示に従う。
そして気付いた時には、エルザの柔らかい太ももの上で膝枕をしてもらっていた。
「なっ!? ちょ、ちょっと……!?」
慌てて頭を起こそうとするライクだったが、エルザの手がそれを阻む。
「いいからっ! ちゃんと大人しくしてて!」
まるで母親が子供を諭すような口ぶりに、ライクも固まる。
そんなライクに、もう逃げられないだろうと安心したエルザは、土ぼこりなどで僅かに汚れているライクの髪を優しく撫でる。
「……いやなことがあった時とか、つかれて何もしたくない時とか、夜ねる前とか、こんな風にお母様が撫でてくれたの。ほら、きもちー?」
「あ、あぁ……」
「えへへ~、でしょ~っ?」
ライクが頷くと、エルザはニコッと笑って再び撫で始める。
料理のご馳走に始まり、膝枕なんてこれまで誰にもしてあげたことなどなかった。
だからエルザは、今まで誰かに支えてきてもらってばかりだった自分が誰かを労えているという実感を得られることが、堪らなく嬉しかった。
対してライクは、明らかに自分よりも小さな女の子にこんなことをしてもらっていることに初めこそ羞恥を感じていた。
しかし気が付けば膝枕の気持ちよさにどっぷりハマってしまっていた。
まるで全身から疲れが抜けていくような感覚。
これまでに感じたことのないような快感は、心身ともに疲弊しきっていたライクを底なしの癒しの沼へと誘っていたのである。
「――――魔王様はおられますか!?」
だがその時、幸せで一杯だった二人とは別の誰かが部屋の中に飛び込んできた。
その勢いに思わず驚いたが、部屋に飛び込んできたのはエルザもよく知るメイドの一人だった。
しかしその慌てぶりは、エルザが以前に家事を教わりたいと頼んだ時よりも凄まじい。
更にその後も魔王城に勤める兵士たちが続々と流れ込んでくる。
明らかに尋常ではない状況に、エルザも何事かと身構える。
「ど、どうしたの?」
「ま、魔王城に勇者が潜り込んだようなのです!」
「っ!?」
全員を代表するメイドの言葉に、エルザも目を見開く。
魔王として、勇者の名声は少なからず知っていたのだ。
「間の悪いことに、幹部様たちは皆遠征に向かわれていまして、勇者とまともに戦えそうな者はおりません! 私たちが少しでも時間を稼ぎますので魔王様はお逃げください!」
必死の形相で告げるメイドに、エルザは言葉に詰まる。
「ゆ、勇者は今どこに? 姿を見た人とかいないの?」
エルザの質問に一人の兵士が手を挙げる。
「それらしき人物なら門を入っていくところを見ました! まさかあれが勇者だったとは思わず……! 確か容姿はぼさぼさの茶髪に薄汚れた服装で……そう、ちょうどこんな風な…………」
何やら急に言葉が途切れ始めた男の視線はただ一点を見つめている。
それは、騒ぎの最中にもずっとエルザの膝枕を堪能し続けていたライクである。
「こ、こいつです! こいつが勇者です!」
「……んあ、なんだ?」
兵士の叫びでようやく騒ぎに気付いたらしいライクが名残惜しそうに頭を起こす。
だがその時には既に兵士たちがライクを囲むように剣を向けている。
「ゆ、勇者め! まさか既に魔王様を手にかけていたとはっ!」
「あー……そっか、そういえばここ魔王城だった」
兵士たちの言葉にめんどくさそうに頬をぽりぽり掻くライクだが、なんとなく今の状況を察したらしい。
とはいえ一触即発の雰囲気であることには変わりなく、エルザも固唾を呑んで見守っている。
しかし、その緊迫した状況はライクの次の発言によって一変することとなる。
「俺、魔王軍に入るわ。三食魔王の膝枕付きで」