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おくりもの

「ごめんくださーい。ちょっといいですかあ」


もちろん家の人に向けたものではなく、中にいるはずのお犬様に向けたものだ。

ところが私が門扉を開けて覗き込むと、繋がれていた様子もどこにいったか犬の姿がない。驚いたことに敷地内では放し飼いらしい。飛び出したらどうするつもりなんだろう。

門から少し先の正面には平屋の家屋があって、その前には冷蔵庫や古いテレビだとかの家電が雑然と置かれている。右手すぐに古びた犬小屋が見えた。あまり掃除をしていないらしく、汚ならしい感じがした。ブチが教えてくれた通り、小屋の中には人形やら皿やら色んなものがぐしゃぐしゃに詰めこまれてある。


「あれ……、あの鞄は私のです」


フィーネちゃんが指差す先にちんまりとした鞄らしきものが見える。距離があって小さくてよくわからないが学生鞄ぽい。


「フィーネちゃんはクロミとここで待ってて」

「だ、大丈夫ですか」

「任せといて」


また同じセリフが口に出た。

根拠があるわけじゃないけれど、ついつい口に出してしまうらしい。

私は心配顔のフィーネちゃんにひらひら手を振ってから、犬小屋へと近づいて行った。辺りは変に静かで物音一つしない。ざくっざくっと芝生ともいえない草むらを踏む音だけが聞こえてくる。数メートルしか距離がないはずなのにやけに遠く感じる。

嵐の前の静けさ。

そんな言葉が不意に過ると、突然全身に悪寒がはしった。


――やばい。はやく離れろ。


私の中でどこからか私の声が響いた。急いで鞄に手を伸ばしかけた時、不気味な唸り声が私の鼓膜こまくを震わせてくる。視界の端に、家屋の陰から黒い物体が飛び出してくるのが映ったかと思うと、それは私に向かって勢いよく突進してくる。こげ茶色した中型犬だった。


「なんだお前、なんだお前!」

「あ、あの……、私……」

「入ってくんじゃねえ! 出てけ出てけ!」


 私に答える間も与えずに、犬はあっという間に迫って強い衝撃が私を突き飛ばした。一瞬、暗くなったかと思うと、次には青い空が視界にひろがっていた。どうやら地面に転がされたらしい。唸り声が間近でし、顔をあげると手が届くような位置でこげ茶に犬が私を睨みつけていた。

その両目には異様な光がある。

逃げ出したかったけれど、怖くてどうしても体が動かない。


「俺のものに触れんじゃねえ! 出てけ出てけ!」

「勝手に入ってごめんなさい。でも、私、あの鞄を返してほしくて……」

「俺のもんだ!」

 

犬がわめいて、私の声をかき消した。


「誰だろうと俺のもんに触れたら容赦しねえ!」


 犬は吼えると、突然その体が膨らんだように見えた。

 襲われる。そう思った瞬間、悲鳴のようなものが響いて、犬は後方へと弾き飛ばされていた。私と犬との間に小さな黒猫の後ろ姿があった。見慣れているはずなのに、今日ほど心強いと思ったことはない。


「無茶しすぎよ。人間だって話が通用しない相手だっているのに」

「……ごめん、クロミ」

「だ、大丈夫ですか。千鳥さん」


 気がつくとフィーネちゃんがいつの間にか私の傍にいた。


「フィーネちゃんも来ちゃったの」

「ごめんなさい」

「謝るのはここを離れてからにしてくれないかしら」

「う、うん」

「早く鞄持っていきな」

「……勝手なことをするんじゃねえ」


 犬がむくりと起き上がり、ウウと唸る声は不気味さをさらに増していた。刃を向けられているみたいで、殺意という言葉は知っていたけれど、それがどんなものかは今日初めて分かった気がした。


「殺す、殺すぞ……」

「やれやれ。こんなのを家で飼っておくなんて、飼い主も程度が知れるわね」

「クロミ、どうするの」

「相手がその気なら、ワタシもそれなりに応えてあげるのが筋てもんでしょう」

「もしかして……」

「大丈夫よ。殺しまではしない。怖い目に遭ってもらうけど」


 瞬間、クロミを中心に強い風が吹いた。辺りが急に薄暗くなり、澄み切った青い空も紫色に変色している。突然の変化に犬は驚いた様子で辺りを見渡していた。


「な、なんだ……」

「これはね。ワタシがつくりだした結界なの。ここなら何が起きても外の世界には影響しない」

「ケッカイだあ?たかが猫が何を言ってやがる」

「ただの猫じゃないの。ワタシは〝守護猫ケット・シー〟。魔法を操る猫の王よ」


 稲光がクロミの小さな体からはしって、毛は針のように逆立っている。次第に稲光は激しくなって、それにつれてクロミの体が大きくなっていく。それは犬や私どころか天をも衝くといった感じで、犬はあっけにとられたままあんぐりと口を開けたままでいる。フィーネちゃんも少し震えている。


「あれは……」

「〝守護猫ケット・シー〟クロミの本当の姿。一度見たことがあるだけなんだけど」


 大丈夫だよと私は彼女の小さな手をそっとつまんであげると、気持ちが伝わったのか震えがおさまっていくのがわかった。

 黒く巨大化したクロミの体毛が長くなり、猫というよりも竜を思わせる。その迫力は圧倒的で、先ほどまで荒れ狂ったように吼えていた犬も立ちすくんでいる。からだが小刻みに震えていた。見下ろすクロミの口元に光が生じ、激しい稲光が四方に放出されていた。


「な……」

〝下賤な畜生よ。これが私の真の姿だ〟

「……」

〝貴様が殺すといったからには、貴様にもその覚悟があるのだろうな〟

「あ……、あ……」

〝喰らえ、我が怒りの雷を……!〟


 カッと開いた口から激しい光が周囲を照らした。視界が真っ白になるくらいの眩しさで、私はまともに目を開けてられないほどだった。ゴウッと爆発音がすると同時にものすごい嵐が私とフィーネちゃんに襲い掛かってきた。


「きゃあ!」

「フィーネちゃん……!」


 私はフィーネちゃんの体をぎゅっと抱きしめて、強烈な嵐にうずくまって耐えていた。

どれくらいが立ったんだろう。

急に辺りが静かになり目を開けると、地面が深くえぐれて、そこから濃い噴煙がもうもうと立ち込めている。クロミは既に元の姿に戻って、その噴煙を静かに眺めていた。


「クロミ!」

「ああ、もう片付いたわよ」

「あの犬、どうしたの。もしかして……」

「心配しないで。〝怖い目〟と言ったでしょ。あそこにいるわよ」


 クロミに促されて見ると、煙の奥で腹を空に向けたままひっくり返っている犬の姿があった。ぴくぴくと体が震えている。気を失っているだけらしくて、思わずため息が出た。怖い思いさせられたけど、何かあったら後味が悪い。

 紫色の空が晴れ、普段の青空へと戻っていく。えぐれた地面も濃い噴煙も何ごともなかったように消えていった。気絶した状態の犬だけがそのままでいる。

 

「さあ、片がついたんだから、フィーネちゃんの鞄を持って帰りましょ」


 クロミはそう言ってこちらに歩いてきた。


※   ※    ※


騒動から一週間経った。

今日も小春日和で、外はポカポカ陽気。一昨日に雨が降ったせいで桜の花がもう散ってしまったのが残念だけれど、かえって本格的な春ということを教えてくれているような気がする。私はその日、部屋で片づけものをしていた。出掛けるには絶好の日だったのだけれど、部屋をそのままにしていたせいか「いい加減に部屋を掃除しなさい」と叱られてしまったのだ。近くの縁側ではいつものようにクロミがゴロゴロと呑気に陽射しを浴びている。庭ではお母さんが草むしりをしていた。


「フィーネちゃん、今頃どうしてるかな」


 あの時もこんな天気だったなと思い出すと、ふとフィーネちゃんの顔が浮かんで掃除機を動かす手が止まっていた。

 私の何気ない問いに、クロミはさあねと退屈そうにふがふがとあくびした。


「どっかの町で種まいているんじゃないの」

「心配じゃないの。あんな小さいのに」

「心配してもしょうがないでしょ。それに、彼女はアンタよりもずっとしっかりしてるわよ。それが彼女のお仕事なんだし」

「それはそうだけど……、アンタよりは余計よ」

「あーら、失礼」


 クロミはもうひとつ大きなあくびをすると、そのまま寝息を立ててしずかになった。

 頼りになる奴だし、黙っていると可愛い黒猫なんだけどなあ。

 口を開くとホントうるさいけれど。

私は再び掃除機を動かしはじめた。外の陽気と薄暗い室内、空気を吸い込む掃除機の寂しい音が変に似合っているような気がする。掃除自体はめんどくさいけれど、この静かな雰囲気はけっこう好きかもしれない。


「あら」


 庭の隅でお母さんの驚いた声がした。


「どうしたの」

「庭にいつの間にかガーベラが咲いてるのよ。いつ種蒔いたかしら」

「それ、友達からもらったのよ。抜かないでよ」


 友達。フィーネちゃんからもらったものだ。といっても、その時は何の種かはわからず「あなたにふさわしいと思います」と言っただけだった。

 そうか、ガーベラだったのか。

 スマホで花言葉を調べてみた。

 希望。

 常に前進。

 そして……元気!


 ありがとね、フィーネちゃん。

やるじゃん。



                    おしまい

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