ー拾肆ー「治癒」
文月の四日。
足を外に出して、廊下に座るさえちゃんは猫を抱えていました。白い猫でした。
「………其処に……いた…から…拾っ…た………懐……っこい……」
「…そ、そう」
ゆっくり静かに話す間にも、さえちゃんは白猫に頬を舐められて、ちょっと目尻に近かった所為で片目を瞑った。
如何しよう。此の図凄い癒されんだけど。
気付かない内に口元が緩んでいた。
「に、しても。ね…猫もいるんだね…」
「……?…見た事…ない…?」
「い…いやいや、此の世界では、ね。ろ、碌に外も出て、ないから、ってのもあるけど…最、初見なかったし、城のち、近くに猫がいる気が、しなくて」
僕がそうたどたど口にすると、さえちゃんはじっと見た後「…ん…」と猫を持つ手をずいっと僕の前に出した。
持てって事なのかと理解し、言葉の少ない彼女の事を考えれば目の前の猫を信じてないのなら触れって意図なんだと分かった。別に信じてないわけじゃないんだけど…。
とはいえ、猫を抱っこした事は一度もない。してみたいとは思う。
軽く邪を持って猫に触れようとしたのがいけなかったのか、猫をさえちゃんから受け取ろうとしたら、
「ミャ――ッ!!」
「痛っ」
「…!!」
さえちゃんの腕の中では大人しかった猫は暴れだし、出た爪は触れようとした僕の手に一線、傷を付けた。
暴れた拍子にさえちゃんは手を放してしまい、猫は華麗に地面に着地し走って何処かに行ってしまった。
「…行っちゃった、ね」
「…怪我……大丈…夫……?」
「うん。こ、れくらい大丈夫だ、よ」
「……腕…出し…て…」
僕は血が浮き出始めた手を彼女へ差し出す。
さえちゃんは其の部分の上に両手を翳し、ゆっくり目を閉じて、歌を詠う。
「…『君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな 』………」
彼女の手の中で黄緑の光が零れる。
其の光に照らされ、僕の手の傷が少しずつ塞がっていき、彼女が手を放すと薄く傷があったものの既に傷とは言えない程消えている。
「わ…凄い…!」
僕が素直に感動すると、さえちゃんは無表情に胸を張っていた。
《直治》
彼女の歌意は、どんなものでもなおす能力。特徴は、物でも者でも関係ない事。物であれば直す修復し、者であれば治す治癒能力なのだ。ただし、治癒の能力の中では能力としては弱い方である…らしい。
ともあれ、治す能力は数が少なく、彼女の歌意が判明した際此の都に治癒の詠い手が現れたと阿古辺さんは喜んでいた。
「さえ、ちゃんの腕の中じゃ…あ、あんなに大人しかった…のに、僕、き…嫌われた、かな…」
「……分かん…ない…。…猫は………気儘……だから……」
僕は再び白猫の去った方向を見て思い出し、自業自得に肩を落とす。
さえちゃんは僕を慰めようと優しく肩を叩いてくれたけど、其れに対しても嬉しさ半分慰められた悲しさ半分であった。
「就永。此処に居やがったか」
クチャクチャという音と廊下の木が擦る音がした。
さえちゃんが横を見ると、艶の悪い白髪の雑ざる黒髪にこれまた血の気の無い肌の、総合すると健康さの欠片もない男が口を動かして立っている。白い着物が彼を一瞬幽霊に間違わせる。
さえちゃんは治癒の詠い手である事から、城の救護室に配置された。
しかし、救護室に常駐している人は元々一人しかおらず、其れが彼、薬師寺 大和である。薬師寺さんは七の隊に所属する侍、つまり武官なのだが、ある理由から鬼退治に行く事は無く、ほぼ文官みたいなもの、らしい。
侍の中でも、七の隊は特殊なので別に良いそうだ。
薬師寺さんは自分を見るさえちゃんを確認しただけで踵を返した。
僕はあの人が来た理由が分からなかったが、さえちゃんには伝わったそうで、彼女は庭へ放り出していた足を上げて立ち上がる。
僕が彼女の一挙一動を目で追っていると、見上げる僕に目を向けた。
「…白夜……」
さえちゃんも薬師寺さんの戻っていった道を行ってしまった。
さえちゃんは白夜の名前だけ呟いた。
薬師寺さんはさえちゃんを呼びに来て、言わなくても分かる理由で、さえちゃん曰く白夜………。
「……あ」
足音も遠ざかっても深く思案して一つ思い浮かぶ。
僕は傍の廊下に手を掛け、履物を脱ぎ捨てて上り、救護室へ急ぐ。着く迄に口元が緩んで笑ってしまうのは仕方のない事だった。
僕は知らない。
僕が来る前、さえちゃんの首元に体を擦り付けているように見えた白猫が実は其の首元に牙を剥こうとしていた事も。
白猫の耳の付け根、毛で隠れて見えない所にひっそり角の様なものがあった事も。
※ ※
目的の部屋の襖を思いっ切り開ける。
ガタンッ
「びゃ…白夜の手が治るって、ほ、本当ですか!」 「うっせぇぞっ!救護室でデカい声出してんじゃねぇ!!」
「す…すみません」
中ではさえちゃんと白夜が向かい合わせで座っており、少し離れた所にいた薬師寺さんが「どっから如何見ても元気な奴が来んじゃねぇよ」と言いながら閉めろという仕草はするものの、出ろとは言わないから其のまま居座らせてもらった。
「そんな焦って如何したんだよ、友」
ポカンとしていた白夜がやっと動き出して、僕に訊ねる。
「ど、如何したって…白夜の手が治るって聞いて、う…嬉しいだけ、だよ?」
「……正確…には………何も…伝えて…ない………けどね………」
「んな大袈裟な…。態々見に来るもんでもないだろ」
白夜は溜息を吐くが、僕にとっては我慢出来ない位喜ばしい事なのだ。
あんなボロボロに千切れてしまった手を体にもう一度くっ付けられると思ってなかったから。
薬師寺さんが端にある棚を開け、何かを探している。
「あった」と彼が手に取ったのは、片手で持つには少し大きめの木箱。
タプンッ と中から音が聞こえたので、中に入っているのは液体だ。
其の箱を二人の近くの机に置く。
「うげっ」
其れを見た白夜が顔を引き攣らせて後退ろうとし、さえちゃんに手の無い腕を取られて阻止された。
明らかに傍に箱がある事を嫌がっているようだが、不思議に思って箱を見ていると、薬師寺さんが雑に置いたからだろう、中身の赤が箱の側面を伝う。
よく鼻を動かすと、薬品や漢方の材料として置かれている植物とは異なる鉄の匂い…血の匂いがした。
「おいおい…此の俺が大事な血を使って腐る以外道の無かったてめぇの手を保管してやったってのに、感謝はすれど引くっつーのは如何いう了見だ、あ゛あ゛?」
何時かに、血の気を無くした顔で白夜が「コトリバコを知っているか」と訊いてきた。
知らなかったから後日夜明に其の事を話したら、良い笑顔で聞いてもいない事迄教えてくれて其の夜は寝れなくなった。
白夜があんな事を聞いた理由が今よく分かった。
薬師寺さんが開けた木箱の中身は並々と血で一杯になっており、沢山の血が零れて側面は縦に伸びる赤い線が増えた。開ける前と後で血の匂いも段違いに襲ってくる。
其れは夜明の口から聞いた姿と酷似し、傍にあって欲しくない。離れようとした白夜の気持ちが知れた。
付け加えるなら、薬師寺さんの笑みがあくどかった。
薬師寺さんは其の中に手を突っ込む。入ってきた手の体積分また血が零れる。
流れる血と同じくらい僕と白夜の血も引いた。何でさえちゃんは平然としていられるのか。
何かを掴み引き上げ、血を纏って取り出したもの…白夜の手を布で拭く。此れまた狂気的である。
こうして断面からは腐ったところの見られない手を隈なく見て、拭き残しがない事を確認してから薬師寺さんはさえちゃんに投げた。
「「ちょ…!?雑、雑!!」」
「あ?部外者と持ち主は黙ってろ。別に地面に落ちたわけじゃねぇんだから良いじゃねぇか」
白い着物に赤い汚れができた事も気にせず薬師寺さんは壁に寄り掛かり、傍に置かれた皿に乗ったものを一つ串で刺して自分の口の中に放り込んだ。完全に傍観の姿勢だ。
クチャクチャと口を動かしていようと分かるにやけに、白夜は手を思い思いに握りしめて鋭い目を向けた。
もう片方の手はさえちゃんに掴まれたまま。さえちゃんは偶に動こうとする白夜を睨みを利かせながら白夜の腕と手を合うように調整していく。
場所にあたりをつけると、片手でズレないよう両方を一遍に持ち、もう片手を翳しまた静かな声で歌を詠う。
黄緑の光で白夜の手が包まれる。白夜が固唾を呑んで其の様子を見守った。
「………なんで…言って……くれなかった……の…?……」
歌を使ったまま、彼女は言った。言いたい事はおそらく、手を失った事を言わなかった事。さえちゃんの歌が治癒であったからこうして直ぐに治せるが、本来なら他の都から詠い手を呼ばなければいけないし、此の世界でなければ可能性は永遠に喪われていた。
「……歌…なかった…ら……何も…出来な…かった………けど……だから…って……知らない…まま……は…嫌…だった……」
「………ああ、分かった。次はちゃんと言う」
「………次…は……ない…………」
「……………。」
バッサリ切られ白夜は閉口するしかない。暫く誰も言葉を発さない時間が続いた。
さえちゃんが知ったのは口振りから今日ではない。自身で気付いたか、薬師寺さんに言われたか。多分、後者だろう。
白夜も僕も伝えない方が良いと思って、今日迄黙ってきた。其れは間違いだったみたいだ。
僕は共犯者として、声に出さずさえちゃんに「ごめん」と謝った。
他の二人は気づいているのだろうか。気づいてなかったとしたら、言うべきなのだろうか。
夜明は何となく気づいてそうだ。では、白菊さんは?…僕は答えに詰まった。
反省はしても、まだ悩むしかないみたいだ。
※ ※
「お…おお!すげぇ!ちゃんとくっ付いてやがるっ!!」
白夜が歓喜の声を声を上げ、伸ばした腕にはちゃんと手が皮で繋がっていた。くっ付いた手は力なくだらりと下を向いていたけど。
手を放したさえちゃんは額に汗を浮かべており、息を吐いて拭っていた。
「くっ付けたっつっても外の皮だけで、中は一切作ってねぇ。就永を見てみろ、こんだけでも大分精神的に掛かっちまう。痛かねぇと思うけど、振り回して千切ってももう治させねぇからなー。大人しく今迄通りに突っ込んどけよー」
「振り回したりって。んな事しねぇよ!」
皿に乗っていた分の最後の一つを放り込んで腰を上げた薬師寺さん。
今日のところはもう口出ししないと思っていたけど、彼が近寄ったのは茶々を入れるだけじゃなさそうだ。
「頭も痛くねぇし、眩暈もしねぇ。…うっし、いっちょやるか」
腕を回して伸ばして、そう呟いた薬師寺さんは手に串を持っていて。
前に出した腕に其の串を薄く突き刺し手前に引くと、血が滲んできた。
「『行く秋の 大和の国の 薬師寺の
塔の上なる ひとひらの雲』」
彼の歌により、重力に逆らって上っていく血。傷口から出てきてはどんどん上がっていく。
数日前に見た阿古辺さんの歌の墨汁のように集まって三つの玉になった。薬師寺さんが触っても形を崩すさず、固体と化していた。
彼は其れを投げず、手渡しで白夜に渡す。
「投げろよ」
「投げるかよ、てめぇの手じゃあるまいし。…思い浮かべたのは、自然回復の促進、鎮痛、増血…後何だったっけな…其の他諸々だ。取り敢えず三日分、内側からてめぇの回復力で就永を補助していく。今の俺の血じゃ此れが限度だ。三つ飲み終えたらまた来い。就永も其の日に再度作業をするから覚えておけ」
薬師寺さんの歌意は、《血意》。
其の効能を思い浮かべる事で、血から薬を生み出す事が出来る。
薬師寺さん自身漢方等の知識はあるものの植物では作り出せないものや効能の低いものもあり、結構な頻度で使用した結果、薬師寺さんは万年貧血に陥っている。
白夜の手を保存していたのも薬師寺さんの血であり、珍しく貧血が治ってスッキリしていた日に重傷の白夜が来て血を多く使ったから、若干白夜に対する当たりが強い。
血が欲しいからか、薬師寺さんは牛の肝臓…レバーが大好きで、さっきから口に放り込んでいたものも其れだ。
レバーを食べ切った薬師寺さんは、やる事はやったと言って食堂にまた新しいレバーを貰いにさっさと部屋を出ていった。
出る際、薬師寺さんはふらついて壁に寄り掛かった。
「あの人も大変そうだよな…」
「…だから……負担…掛けない…ように………ちゃん…と……治さないと…ね………」
「…ああ」
口であんまり言わない代わりに圧を掛けられた白夜だったけど、彼の中では彼なりの決意を固め、苛立ちではない拳を握りしめた。
今は治療の身なれど、彼は元々強く、ただ一人鬼に立ち向かえていた。
彼が満足に両手を動かせるようになった時、彼の隣に堂々立てるようになろうと、僕も決意した。
主人公が喋らない。口の多いキャラでないから流れに任せると自然と傍観者になっているんですよね。
今回は初めて二個の歌を紹介しました。特に薬師寺さんは此処を逃すと歌を出すのが大分先になると予測しているので、少し強引に歌を出させていただきました。
短いスパンで書いたからか、文体が前回と似ている気がします。新鮮なストーリーラインを求めていきたいですね。
【初出の歌】
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
『小倉百人一首』 五十首 藤原 義孝
行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲
『新月』 佐佐木 信綱
〈参考〉検索は[at]を抜かして行って下さい。
http://www.kan[at]gin.or.jp/learning/text/poetry/shiika_D4_3.html
誤字脱字、文章的におかしな点はないでしょうか?