ー拾弐ー「和なるワーカーホリック」
翌日、
「『万緑の 中や吾子の歯 生え初むる』」
城と殿の間にある中庭。
緊張した赴けを崩せず横一列に並ぶ僕達の前には一人の男。
右手に持った小皿に竹筒より墨汁を垂らし、右手を左から右にゆっくり振って小皿の表面に張った墨汁をばら撒く。
墨汁は地面を黒くする事無く、大小大きさ様々な丸い粒となって男の周りを浮遊する。
男は顔を振って掛かる垂れた長い髪を退かし、挑戦的な目を此方に向けた。
「さぁ!!あんた等の歌を僕に魅せてくれ!」
※ ※
…七日後。水無月の二十九日。
僕は殿の外側にある庭にて、一本の杭を立て、距離を開けて相対した。
「……。」
目を閉じ、息を整えて。
親の仇のように杭を睨みつけ、掌を上にして右手を前に出し。
僕は、歌を詠う。
「『誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに』」
僕の目の前が淡く緑に光り、現れるのは緑に鈍く輝く二本の針。
ふわりと現れては重力に従い落ちそうになる其れ等を右手の人差し指と中指の間、中指と薬指の間に挟んで掴み、構えて右手を左から右に振り切る動作に合わせて杭に向かって投げる。
針は杭に向かって真っ直ぐ進み、杭に届いた…其の次には杭の表面を波立たせて刺さった形跡も残さずに消えてしまった。
「…。」
僕は其の光景を見届けると、もう一度息を吐き、息と共に肩に入った緊張を抜いて。
今度は服の中にストックしておいた銀に光を反射する一本の針を取り出して、其れを…
「よ~、友。修行中か?精が出んな~」
「!!?…な、なんだ。白夜か」
杭に投げようとして、声を掛けられて、唐突な出来事で体が一時の硬直を示し、親指と人差し指で摘まんでいた針は落ちて地面にて小さく高い音を上げた。
ザッザと地面と擦れる音を立てながら来る彼は、意味もなくうろついた先で僕を発見したのだろう。でなければ、未だ養生の身。周りから口酸っぱく殿で大人しくしていろと言われても外履きを履いているのはそういう事の筈だ。
八日変わらず見慣れた右手を懐に突っ込んだ彼の姿は、八日前に見たよりも重々しくなく、付けられた傷の痛みが引いてきた事が窺えた。
「遠くから見ても針を投げる姿は様になってたぞ。此処に来た時は体の動かし方も知らなかったってのに、随分な成長だな。才能はあったって事か?」
「ど…如何だろ。聞いた話だと此の世界は自分の成した事、怠った事が体の概念に刻まれて身体は常に変化する、らしいから、ぼ、僕達の世界より結果が出やすい…かも、しれない。でも…まだまだだよ。まだあの人…名取さんにも認められてないし、稽古も付けてもらってない。歌だって…じゅ、十全に扱えてるわけでもないし…」
「ふぅーん…」
白夜は其の辺にあった小石を蹴飛ばす。
小石は綺麗な弧を描いて杭の方へ飛んでいき、杭の上部に見事命中。
すると、小石で折れる程柔ではない筈の杭はいとも簡単に音を立てて折れた。折れた場所は、正に緑に針が刺さった、其の場所で。
折れたというより、二つ円が重なる形に穿たれた、そんな折れ方をしている。
「同じ場所に二本の針を命中させる。そんな芸当が出来ておいてよくもまぁ…扱いきれてねぇと…」
「同じ場所じゃ、ないよ。ほぼ…同じ場所。針の効果範囲と同じ形をした二つ円が、ず、ズレたって事は針が違う場所に刺さったって…事。は、針の効果を完全に相乗させるには…全く同じ場所にさ、刺さるようにしなきゃいけない。一本の針の効果も、そんなに強いわけじゃ、ないんだ。た、沢山の針をある、い一点に当ててでもして、効果を、高めないと…!」
其処まで口にして僕が顔を上げると、白夜は「そ、そうか…」と若干引いているご様子だった。
少しマニアックな、欲張りすぎた内容だったかと僕は内心反省した。
五人全員が戦う事を決意した次の日、僕達は中庭に集められた。僕達がそれぞれ持つ歌意を調べるために。
男は歌を鑑定する歌意を持った詠い手で、各都に必ず一人配置されている役目を持った人なんだそうだ。
彼の前で歌を詠うと、男の周りの浮遊する墨汁が動き出し、集まり、二つの形を成した。其れは二つの漢字。
歌を最もよく表すに文字なんだそうだ。歌が詩の型であれば事細かに、短歌の型であれば三文字だが、俳句は即効性がある代わりに短歌に比べて効力が弱いのだと男は苦笑する。
《劣化》。
物であれば、脆く。
植物であれば、枯れ。
生き物であれば、老いる。
松の葉のように緑緑しい針が溶け込んだ効果範囲を弱体化する。
其れが僕の歌意だった。
けれど、針がちゃんと刺さらなければ話にならない。だから僕は、杭を的に歌意で現れた緑色の針二と借りた一本の銀色の針を交互に投擲して、針を投げる事に慣れていこうと考えた。
六日間続けてきたが、僕は針を武器にする事が性に合っているみたいだ。
「歌はそれぞれ違うんだし、俺は何も言えねぇな…つーか俺、七日前の一回しか詠ってねぇや。やべぇ…ちゃんと使えるか不安になってきた…」
「びゃ、白夜は傷を治す方が先、だから、ね。ききっと、白夜なら、す、直ぐ慣れるって。ぼ…僕なんかより、早く」
「七日で贅沢な悩みを持ってる奴が何言ってんだか。話を変えるが、名取のおっさんからは色々基礎トレーニング言い渡されてんだよな。どんなんやってんだ?」
「えっと…正拳突きそれぞれ二百×修行日数、蹴り上げそれぞれ二百×修行日数、腕立て百×修行日数、走り込み百×修行日数…」
他にも言いつけられた事を挙げていくと白夜の顔がどんどん青くなっていく。
僕も無茶苦茶だと思ったけれど、「ああ、別に出来んでもおいちゃんは構わんよ。坊主が死ぬだけだからね」と脅されもすれば、体が筋肉痛で悲鳴を上げていても動かせる。
現に修行開始から六日目の筋肉痛が痛いというより、成長を感じて気持ち良くなってきている気が…やばい、此れ以上は危ない気がする。
いざとなれば、救護部屋から貰った痛みを和らげる丸薬があるので安心して修行できるというものだ。
「飛び跳ね五百×修行日数…此れだけ量が他より飛び抜けて多いんだな」
「うん。僕は力や技術でいく正攻法よりも、う、動き回って相手を翻弄する方が良さそうだ、って事で、一番重点的に鍛えてるのがジャンプ力…なんだ」
僕は其の場でジャンプしてみせる。
元は皆が普通にジャンプして届く高さまでしか跳べなかった僕だけど、毎日頑張って今はテレビで見るバレー選手と同じくらいかちょっと上ぐらいには届くようになった。努力が反映され易い世界なだけはある。
目線も最高点では白夜を見下ろせる程になり、白夜も「ほぉ」と感心を示し嬉して、更にやる気も出た。
「じゃ、ジャンプして殿と城を囲む塀、其の上に飛び乗る事が出来れば、け、稽古をつける、名取さんからは、そう…言われたよ。だ、だから今は、其れが目標」
白夜が庭より遠くに見える塀に目をやる。
塀は離れてもよく見え、今の僕の跳べる高さ、の二倍ちょっとでやっとこさ届く高さだ。
目標だと見定めたあの塀を見ると、まだまだ努力が必要だって事がよく分かる。
「要は俺の身長+αは跳ばねぇといけねぇのか。無謀も甚だしいとこだが」
「此の世界じゃあ、か、可能らしい、ね」
「異次元なこった…なぁ、友。此の世界でなら、あれが出来る気がするんだ」
「あれ?」僕が尋ねると、白夜は得意気に言う。
「空中飛びだ!」
聞くには、アニメやゲームのキャラがなんて事なくやっている事らしく、地面に足がついてない状態で飛び跳ねる、空中でジャンプする事を言いたいようだ。
やりたい理由を訊くと、「浪漫だ!」と返ってきた。白夜の顔が何時にも増して子供っぽかった。
「でも…出来る気がしない、んだけど…此れ」
「んー…やっぱ、無理かぁ…」
試しにやってみるが、空中で踏み込んだ感覚を覚える事無く、地面に到着する。
白夜も無理のない範囲でジャンプしてみるが、やはり出来ていない。
あからさまに肩を落として、諦め掛けた、其の時、
「まだ諦めるのは早いぞ、少年達!!」
僕達を対象に、こんな言葉を掛けられた。
声の勢いに釣られて其の方向に目を向けると、直ぐ傍の殿の一室、の前の廊下に廊下に一人、某逆転する裁判の主人公さながら指差すポーズで格好付ける平安装束…文官の男がいた。
「あ、阿古辺さん」
夜明や白菊さんと同じくらい伸ばした髪は黒に見えるが青く、所々跳ねが目立つ。
髪の一纏まりが顔の真ん中に掛かっていても気にしていない其の顔は、髪が夜明と同じくらいの髪の長さでも男だって一目で分かるキリッとした顔立ちで、目の下の隈が勿体無い。
彼は、阿古辺 万さん。歌を鑑定する歌意《語録》の歌を持つ詠い手だ。
彼のように歌を鑑定する歌意の歌を持つ詠い手を〈鑑定士〉といい、必ず一人各都に配置されているらしく、先ず最初の歌は彼等の前でする事が決まりらしい。
ルールとして決まっているわけではないが、世の中どんな力があるか分からない。詠った瞬間爆発する力だってあるかもしれないのだ。
幸い歌は歌わずとも自分の中にある事は本人が分かるので、彼等立会いの下で歌を詠い、正体を理解して制御する事で事故を防いでいる。
僕達も七日前に彼の前で歌を詠った。
僕が緑色の針を手にすると、彼の周りに浮遊する墨汁が動き出し、収束して二つの文字を作り出した。
藤姫様の《藤世》や豊国さんの《去見》に比べて意味の分かりやすい二文字を容易く阿古辺さんは読み上げ、如何考えても強く成れそうにないと針を睨んでいた僕にこう声を掛けた。
「とても良い歌だ。あんたの持つ其の針は、あんたの前にどんな強固な壁が聳え立っていたって必ず穿つ貫く。僕はそう確信してる」
「で、如何いう事っすか?諦めるのは早いって」
「二人はまだ此の世界を理解してないって事さ」
此の世界は全てが概念の集合体。
僕が何度も跳ぶ事で高く跳べるようにしているが、此れは僕の中に「跳ぶ」概念を積み重ねる事で「より高く跳べる僕」を具現してる、此処までは僕は知っていた。
だが此れを応用すると、まだ世界に無い概念であっても積み重ねれば具現する可能性があるという事だというのが、ドヤる阿古辺さんの意見だ。
よって、空中で更に跳ぶ事を意識して其れらしい行動をとれば自ずと出来るようになる。
「零から始まる、原成世界からも流れて来ない概念だから、友が二三から課されたあの塀の上に立つ事より途方もない量を積み兼ねないといけない、其れでも良いっていうのなら「やるに決まってんだろ!!」」
「だよな!?」言われる言葉を潰してされた返事に続いて、僕の方に顔を向けて興奮を抑えられてない問いかけをする。
僕は苦笑を隠せないままに首を縦に振った。白夜程興奮するわけじゃないけれど、白夜から説明された時からやってみたい気持ちがあった。
阿古辺さんは言おうとしていた言葉を止めて、やれやれと長い髪を揺らす。
「少年達に新しい目標が出来た事は僕にとっても喜ばしい事だとも。けど本題は別にある、少年達、
……僕の嫁を知らないか?」
「「は?」」
彼が緩んだ眼を引き締めてした質問に、彼の答えに該当するものを持ち合わせていなかった、という困惑よりも、寧ろ呆れの方が大きい。こう…「あんた、またやってんですか」という意味合いの。
証拠に浪漫の実現にテンションを挙げていた白夜の声が低くなって、眉も顰めた。
…目の下に隈が出来ている辺りで、そんな気はしていたけど。此処を通ったのもおそらくあの人から逃げてきたからだろう。
「昨日からの嫁達とはもう事を終えてしまってもういないんだ。だからどんなだって良い、どっかにいい娘はいないか?」
僕達が何も言わないからか、更に言葉を連ねる阿古辺さん。
彼は気づいてないが、彼の後ろに怒りの形相を浮かべる人物が一人。
「お前が今からするべき仕事は…」
「へ?」
声を掛けられて、其の声の主に気が付き血の引いた顔で後ろを見るが、もう遅い。
「何もせず、休憩する事だっ!!」
「ひぎゃうっ!」
阿古辺さんが顔を確認する前に、手刀を落とされ、寝ていない事もあり簡単に意識を失った。
足は廊下に残ったが、前に倒れた所為で体の大半は庭側に出ており、阿古辺さんの顔は思いっきり地面とぶつかった。
痛そうだが手刀を落とした本人…近眼になるリスクの少ない此の世界でも珍しい(昔の)眼鏡を掛ける文官の大野 社の表情は晴れやかだった。
阿古辺さんを大野さんが追いかける光景は庭に毎日いれば数日で見慣れる。
周りから阿古辺さんの世話係と認知されている大野さんには、見る毎にお疲れ様ですと思う。
「白夜も友もこいつの引き留め、ありがとう。友は引き続き修行頑張れ。白夜はしっかり休め。ではな」
大野さんは阿古辺さんの足を持ち、来た道を戻っていく。
顔を思いっきり引き摺っている阿古辺さんは気にしないようにした。
誤解されるかもしれないが、阿古辺さんは色狂いではない。嫁と呼べる女性はいないし、一夫多妻をしている事も勿論ない。
では、〈嫁〉とは誰か。…此の場合、何か。の方が正しい。
彼の嫁とはずばり……………………仕事だ。
つまり、先程彼が言った言葉の一文を約すると
「嫁を知らないか?」
↓
「何か仕事はありませんか?」
こうなる。
何故だか阿古辺さんは仕事の事を嫁と呼ぶ。
そう、彼は生粋にして重度の…仕事中毒者(ワーカーホリック)なのだ。
多分あの大野さんの具合を見ると二日は理由を付けて寝ていないんだろう。で、強制的に大野さんに寝かされそうになって逃げてきた、と。
「此の世界…都って、変な奴多いよな…」
「い、良い人達なんだけど、ね…」
そろそろ自分の語彙の少なさを痛感してきた今日この頃です。更に問題は主人公の容姿が出すタイミングを失った事です。友自身が言うのも如何なんだろうと思うんですよね。
余談若しくは補足ですが、阿古辺さんは「仕事が恋人」という言葉を耳にした瞬間に生まれたキャラクターで、嫁=仕事も此処から来ています。
【初出の歌】
万緑の 中や吾子の歯 生え初むる
中村 草田男
〈参考〉検索は[at]を抜かして行って下さい。
http://essays[at].connote.jp/essay/hiquint/05.htm
誤字脱字、文章的におかしな点はないでしょうか?