虐殺:ここを切り抜けて
そのフロアにいた複数体ものミダス体が、一瞬にして微動だにしなくなった。
いや、動かないのではない。
動けないのだ。
ナノファイバーがミダス体の手足に巻きついて、自由を奪っているのである。
空中に張り巡らされた糸が一斉に、びぃん、と震え出した。
ただの振動ではない。それは破壊の旋律だ。
ミダス体の身体が水風船のように破裂し、床や壁に肉片と血液をぶちまける。
少量が、傍観していた男の衣服にも付着した。
「……ふむ」
男は衣服に着いた血を指先で拭う。先ほどの振動で、ナノマシンそのものが破壊されているようだった。
「〈振動〉。腕を上げたな、我が妹、ベルタよ」
血煙が漂う向こう側に、その美しい刺客は立っていた。
キツネの耳を持ち、旗袍を纏った女性。
〈血龍〉のベルタ・メイだ。
そして、男は――
白い長袍に組み込んだ光学迷彩機能を切る。今まで誰にも見咎められることのなかった姿が露わになる。
男、サシャ・メイ。
顔には白面を着けている。筆で描かれた朱色の模様が鮮やかだ。まるで血の涙を流しているようでもある。
ベルタはナノファイバーの結界を維持したまま、こちらへ話しかける。
「兄さんがミダス体に関わっているのは、どうやら本当のようね」
「ほう? 私は買い物を楽しんでいただけだが」
「……笑えない冗談」
「突き止めたのは、お前ではないのだな」
「情報提供があった」
「こうも早く辿り着かれるとは」
サシャは大げさに肩を竦めてみせた。協力者に有能な『犬』がついたらしい。機関か。
「なかなかどうして、察しがいい」
「人類の敵となったあなたを野放しにするのは、〈血龍〉の名折れとなる」
「敵とは、ひどいではないか。私は人類を救おうとしているだけだ」
「……気でも触れたの? こんなのは地獄だわ」
「地獄? 何を言っているのだ、お前は」
サシャはゆっくりと首を傾げた。
妹が何をどう指して『地獄』と表現したのか、心の底から、分からないのだ。ここにはこんなにも平穏が満ちているというのに。
逆に、ベルタは怒りを覚えた様子だった。
表情に変化がなくとも分かる。耳を覆う短い毛が逆立つのだ。自分もそうだ。お互い、幼い頃から変わらないな、とサシャは微笑ましく思った。
だというのに、ベルタは太腿の帯から鉄針を抜き取って構える。
「……サシャ・メイ! その命、貰い受ける!」
前言撤回。少し変わったか。気が短くなった。
「安心しろ。お前は最後の時まで生かしておいてやるつもりだ。兄と戯れたいというのなら、しばし相手をしてやる」
愚妹はついに表情を歪め、殺意のままに針を投擲した。
シンギュラリティ、〈胡弦鳴動〉で強化された魔弾。
――取るに足らず。
サシャは、腰に吊り下げた鞘から剣を抜き払った。
〇
イナミは、外骨格の表皮がひりつくような、大勢の気配を感じ取る。
ミダス体がこちらの突入に気づいたのだ。
敵の接近はすでに察知できていた。エメテルが〈ハニービー〉を数機使い、情報を収集してくれている。百を超える異常熱源が集まってきている。
「ルーシー、ここからだ」
「……分かってる」
彼女も緊張気味に頷いた。
イナミ一人だけなら、ミダス体に包囲されても生き残れる。ATP補給剤を全て使い切るまで戦い続けられるだろう。
だが、ルセリアはもちろん、民間人二人は違う。近づけることすら許してはならない。
エメテルが味方からの援護が受けられる位置までの最短ルートを指示する。
《警備局が進行してくれてます。ルーシーさんは民間人二名の安全に専念。イナミさんは試験兵器を使って、前方を殲滅してください》
「了解」
イナミは床にめり込んだままの黒い機械に近づいていく。
ルセリアが周囲を見渡しながら、肩越しに言った。
「気をつけるのよ」
「俺は平気だ。むしろお前のほうが負担は重いぞ」
「じゃなくて、ソレ。落としたのは無茶だったんじゃない?」
「マニュアルには輸送機からの降下も想定とあった。問題ないだろう」
《問題ないワケがない》
エメテルのそばについているクオノから、呆れ気味の指摘が入る。
《それはパラシュートを使えばの話。イナミは、ときどき、すごく雑》
ルセリアがじっとりと視線を向ける。
「……だってよ」
しかしながら、イナミはどこ吹く風だ。
「俺の真後ろには立つな。この……〈プロメテウス〉の反動に巻き込まれる」
それは、技研が遺物を模して試作した、歩兵携行型の『砲』である。
オリジナルと同じく、さすがのイナミでも肩に担げる重量ではない。内部機構も再現性が難しく、肥大化してしまったという。
そのため、重装歩兵の装備か、もしくは固定砲台としての運用が想定されているらしい。
操作はシンプルだ。
砲弾を発射するためのトリガーと、発射装置を起動するためのコンソールパネル。
砲弾に使われるのは、エネルギーの塊だ。
合金芯を蒸発させ、その粒子をチャンバーで圧縮。そうして作り出した高密度エネルギー体を電磁誘導で射出、目標に衝突させる――
そう。
〈プロメテウス〉と名づけられたこの兵器は、漂着船〈ハイブ88E号〉から回収された荷電粒子砲〈スティンガー〉を現代技術なりに復元した物なのである。
イナミがコンソールパネルを操作すると、外装が展開を始め、砲口が露出した。
ずいぶんと大きな音だ。ミダス体が聞きつけるかもしれない。
が、もう今さらだろう。
前方や二階に、ミダス体の影がちらほらと見え始めていた。
全く同じ姿の者はいない。
宿主の生体情報や記憶をもとに、独自の異常発達を遂げたのだ。
集結した怪物たちは新鮮な獲物に声を洩らすが、すぐ、先頭に立つ異形に困惑するような硬直を見せる。
――寝起きで俺が誰だか分からないか。
だったら細胞に刻まれた記憶を今すぐ思い出させてやる。
イナミはパルス光の輝度を上げ、敵意を示す。
それに応えるように、ミダス体たちが一斉に『せらせら』と笑った。
民間人には異様な光景だろう。ラジエットと少年が悲鳴を上げる。
ルセリアも動揺して、こちらに振り向いた。
「これって――」
「音響通信だ。来るぞ!」
正面の一体が走り出したのを契機に、群れが連携して行動する。
が、〈プロメテウス〉には『発射可能』のランプが灯っている。
イナミは砲口を敵に向け、ハンドル下部についているトリガースイッチを押した。
分散状態にあった粒子がチャンバーにて圧縮。負荷の軋み。放出路が開く音。
刹那。
高密度エネルギー体が光の尾を引きながら敵の一群に飛び込んでいった。
弾道上にあったミダス体の身体が引き裂かれるように消滅し、その向こうの店舗ブースまで貫通。
減衰とともにエネルギー体が圧縮状態から解き放たれたことで、爆発。
青い炎の波がフロアを駆け巡った。
商品は音もなく灰となり、直撃から逃れたミダス体も余波に呑み込まれて炭化する。
イナミのほうは反動を殺せず、〈プロメテウス〉に引っ張られる形で背中から倒れた。外装と床の摩擦音を耳のそばで聞きながら、身体をがりがりと擦る。
ようやく止まったとき、エメテルの気遣う声が届いた。
《あのう、イナミさん?》
「……重装歩兵での運用を考えていたんじゃないのか? 誰が使えるんだ、こんな物」
これに、クオノはイナミに倣ったかのように涼しく言い放つ。
《あくまで『試作』。まずは制限を設けずに復元するのが基本。それでも、イナミなら制御可能なはず》
「もっと早く言ってくれ。マニュアルには一言も書いてなかったぞ」
イナミは全身の骨格修復を急がせながら抗議する。
「それに屋内で使用する兵器じゃない!」
《承知の上。施設は後で修理すればいい。どのみち、もう――》
スプリンクラーが作動し、消火用の水が噴射される。
この隙に飛び出してきたミダス体を、ルセリアが〈氷刃壊花〉の氷柱で串刺しにした。
「いける!?」
「ああ、対応する。前に進もう」
今の反動で、ミダス体は兵器が連射できないと分かったようだ。退避していた二階の一群が吹き抜けを跳び下り、四人に向かって押し寄せてくる。
起き上がったイナミは、再度、砲弾をぶち込む。
今度は〈プロメテウス〉を手放し、自身は〈跳躍〉の亜空間移動で反動を消し去る。再び受け止める。
キャッチ・アンド・ジョウント。〈ハイブ88E号〉での戦闘で編み出した制御法だ。
一瞬の内に連続して跳べれば、反動は無に等しくなるかもしれないが――
残念ながら、それは無理だ。〈跳躍〉にはどうしてもタイムラグが生じる。
仕方あるまい、とイナミは諦める。今は与えられた役割をこなせればいい。
上方と後方はルセリアに任せっきりだ。
彼女は視界に入った者を攻撃できる。しかも、連鎖的に周囲を巻き込める。
強力なシンギュラリティだが、それにも反動がある。この迎撃は長く持たない。
とにかく、前へ、前へ。
少年は、ラジエットが手を引いている。ラジエットは姉に似て気丈だ。少年は相変わらず恐慌状態にあるように見えたが、生存本能からか、足だけは機械的に動かしている。
強さとは、『力』の有無ではない。『意志』の有無だ。
彼女たちを見て、カザネ・ミカナギがそうだったことをイナミは思い出す。
初期の包囲網を強引に突破すると、前方の脅威はやや弱まった。
そのことを確認してか、エメテルが指示を出す。
《ルーシーさん、先行しましょう。イナミさんは後方の追撃を防いでください》
「了解」「オーケイ」
イナミは背後を振り向き、三人が通り過ぎたのを確認してから砲撃を再開。今度は反動を利用し、長い間隔での〈跳躍〉で、ルセリアたちから離れないように距離を調整する。
試作兵器の威力は驚異的だ。一発ごとに、かなりの数の敵が消滅する。
余裕が出たと判断したのだろう。ここで、エメテルがイナミにだけ報告をした。
《新たに民間人を二名、確認してます。片方はベルタさん。もう一人はお面の人、サシャさんだと思われます。すでに戦闘状態ですが……》
《どうした》
《ベルタさんが劣勢です。その、かなり分が悪く見えます》
にわかには信じがたい報告だった。
あの振動能力とナノファイバーの合わせ技は、イナミでも力押しでしか突破できなかったものだ。あれをサシャ・メイは上回っているというのか。
双子、同じシンギュラリティ、未知数の戦闘力。
本来なら助けに行くべきだろう。サシャは機関にとっても重要度の高い敵だ。
しかし――
《ここを切り抜けてから考える》
《……はい!》
イナミの冷酷とも取れる答えから、エメテルは優先度を再確認したようだ。
人間の歩行速度ではミダス体を振り切ることはできない。
もしも自分が離れれば、群れはたちまち追いついてくるだろう。
ラジエットたちを、必ず安全な場所まで連れていく。
それか、敵を殲滅するかだ。
イナミは十三発目になる砲撃を行おうとした。
が、爆発は敵の中ではなく、イナミの手元で起きた。
チャンバーがエネルギー体圧縮の負荷で、融解を起こしていたのだ。
内部機構が爆ぜ、外装の隙間から逃げ出したエネルギーが、イナミの身体を焼いた。
「が、ぐ……!」
高熱を一身に浴びて、外骨格の表面が液化する。そこへ〈プロメテウス〉の部品が突き刺さる。神経の焼失が疑似的な痛みとなってイナミの脳へと伝わった。
《イナミさん!》《イナミ!》
エメテルとクオノの悲鳴に、ルセリアが振り返ろうとする。
イナミは声を発しようとしたが、うまく喋れない。発声器官にもダメージを負っていると気づいて、通信を使った。
《無事だ! 行け、ルーシー!》
彼女は頷くと、イナミに背を向けた。
実際は違った。
拳を握ると、指と指が癒着してしまう。手を広げると、粘ついた糸がたらりと引いた。
破片は体内深くに食い込んでいた。抜くのにひどく苦労する。
この傷で損傷した外骨格は、身体から剥離するしかない。
ナノマシンを蠢かせ、自身が身に着けているフルハーネス・ベルトからATP補給剤を使用する。生体エネルギーを補充しながら、外骨格の再形成を行う。
群れが雪崩のようにイナミを呑み込んだ。
イナミは無我夢中でもがきながら、触れた者に放電を浴びせ続ける。
――これは、まずいか?
力任せの殴打は止まらない。
このままでは、外骨格は砕けずとも、内部の細胞にダメージが浸透していく。
焦るイナミに、エメテルが叫んだ。
《硬くなってください! とにかく防御重視で!》
意味を考えるよりも命令を実行する。
身体を引き締めるイナミを、殴打とは異なる衝撃が断続的に襲いかかった。
外骨格が小さな何かを弾く。
銃弾だ。
銃撃の嵐がイナミごと押し寄せ、纏わりついたミダス体を引き剥がしていく。
イナミはその場に這いつくばり、嵐の外へと逃れた。
見れば、パワードアーマーの兵士たちがマシンガンを連射している。
こちらに進行していたという警備局の小隊が合流してくれたのだ。
ミダス体はイナミと分離したことで、ルセリアの恰好の餌食となった。
「〈刺し貫け〉!」
床に広がる血と消火器の水から隆起した無数の氷柱が、ミダス体の足元から脳天までを一息に貫く。
鍾乳洞のような光景から、さらに氷刃が成長し、一帯を凍てつかせた。
ふう、と長く息をついたルセリアが、イナミのもとに駆け寄ってくる。
「やっぱり、全然無事じゃなかったわね」
「悪い、助かった」
起き上がると、警備局の兵士たちがどよめいた。それはそうだろう、ミダス体と密着して生還できる人間はいない。
それでも隊長とおぼしき兵士が前に出て、フェイスマスクを展開した。
「や、何かと縁があるね、第九分室」
「ヤシュカ!」
ルセリアの知人であり、女性隊長のヤシュカが気さくに手を挙げる。
「そっちのオペレーターに『やれ』と言われたからやったんだけど、平気かい?」
「見てのとおりだ。感謝する」
言葉以上に、イナミはありがたく思っていた。
油断はできないが、これでラジエットと少年の生存率は高まった。
加えて、別行動も取れるようになる。
イナミはヤシュカに向かって頼み込む。
「すまないが、ルーシーとともに民間人を守ってくれ」
「ああ、構わないよ。きみたちは消耗しているだろうから、そのつもりで来た。……それで、きみはどうするつもりだ、イナミ」
「特務を遂行する」
その言葉に、ルセリアは眉をひそめた。
「何それ。あたし、初耳だけど」
「ベルタとサシャがここで戦闘している。危ないらしい」
「なんでそれ、あたしに言わないの? どういうこと、エメ?」
「俺が頼んだことだ」
イナミは怒りの矛先を自分に向けさせる。
「お前は二人の護衛に専念しろ」
「いくらなんでも、大きなお世話よ! あたしも行くわ。警備局の戦力なら二人を十分守れるはずだし――」
「第一目標は生存者の救出だ。それは今も変わらない。俺は第二目標のほうに向かう。それだけだ。どちらも特務官の仕事だろう?」
ルセリアは納得こそしていないが、言い返しはしなかった。
彼女は『特務官の務め』に強い意識を持っている。その気持ちを利用したようでいたたまれないが、イナミは確実性を求めた。
「じゃあ、頼んだ、ヤシュカ」
「待った。これを持っていきな」
彼女は軽装歩兵用のアサルトライフルをイナミに手渡した。
その際、
「必ず三人を送り届ける」
そう囁いた。
イナミは頷き、踵を返してベルタたちのいるフロアを目指した。
ルセリアが何か言いたげだったのは知っていたが、背後は振り返らなかった。




