血龍:禍根は断つべし
「まさか、貴様が儂の前に現れる日が来ようとはな」
と、ヴァシリ・ヤンは言った。
何が『まさか』なのか。どんな理由で自分だけと会ったのか。イナミは警戒心を強める。
部屋の奥行きはさほどもない。〈超元跳躍〉を使わずとも、脚力の跳躍でなら、数歩で辿り着けるだろう。
にもかかわらず、長机の向こうにいるヴァシリ・ヤンが、妙に遠い。そのくせ、存在感だけは間近に感じるのだった。
イナミは乾いた声で尋ねた。
「俺のことを知っているのか? わざわざ調べたのか。こんなただの末端構成員を」
「そうとも。得体の知れない移民が儂らの土地を踏み荒らすとも限らんからな」
ヴァシリは厳しくこちらを睨んだまま、表情を変えない。
疑問を持たれるのは当然だとも思う。
外骨格を形成する〈制御変異〉。空間を転移する〈跳躍〉。
前者は管理外技術の賜物であり、後者はシンギュラリティにはありえない力だ。
これでただの末端だと言い張るのは無理がある。
しかし、相手が何者なのかと訝るのは、イナミも同じだ。
ヴァシリ・ヤン。
機関のデータバンクによれば、年齢は百歳を超えているとある。
それこそ各地の移民が集まって〈アグリゲート〉となり、〈デウカリオン機関〉が発足したその時を、幼い頃に体験していることになる。
医療技術が復元されてなお、平均寿命が七十歳ほどであることを鑑みると、ヴァシリは驚くべき長寿である。しかも外見は六十代ほどで、老化の衰えが全くない。
その秘密は、彼のシンギュラリティにあるらしい。
肉体の気脈をコントロールする能力とあったが、
――『気脈』というのは、血管、それとも神経か?
イナミには全く理解できない記述だった。
じりじりとした沈黙の中で、ヴァシリが長机を指先で叩いた。イナミはその硬い音に反応して、視線を手元に向ける。
ふん、とヴァシリは息を抜く。
「貴様の気はなっとらんな」
「……『気』?」
またも、その意味不明な単語だ。
気を遣う、気をつける、気分、雰囲気、空気、気体――
自分の警戒心が伝わっている、という意味だろうか。すでに手遅れだが、イナミはポーカーフェイスを意識する。
「……俺は、あなたの意図が分からない。なぜ俺だけに話を? ルセリアを外した理由はなんだ。教えてほしい」
「ふむ、覆い隠すのではなく、さらけ出すか」
「ここには、あやふやな問答をしに来たんじゃない。それに、俺はもう移民でもない。機関の特務官だ」
「だが、貴様はナノマシン体だ」
イナミは下ろしていた腕を、その指先を、ぴくりと震わせる。
ヴァシリはさらに、事実を淡々と告げるように続けた。
「貴様とミダス体、何が異なるというのか。儂にはそれが見えん。人に牙を剥くことはありえん、という保証が貴様にはあるのか」
ヴァシリ・ヤンは素性を知っている。データバンクやメディア、全てを漁ったところで知りようのない情報を掴んでいるのだ。
なぜ、どうやって、この老人が?
問い詰めたくなるのをぐっと堪えて、イナミは自然と答えていた。
「保証なんてない」
「ほう」
「俺が『俺』でいられる理由を突き止められる科学者は、もう死んだ。だけど今、俺が『俺』であることに変わりはない。だから、俺にできることを行動し続けるだけだ」
「儂ら人間には、その身の危険性を無視しろ、と?」
「逆に問うが、シンギュラリティにだって危険性はある。あなた自身、能力者のはずだ。それについてはどう考える」
「論点が違うな。異能は、いかにせよ、意志によって御すものだ。だが、ミダス細胞は意志によって御せるものではない。それが危険だと申しておる」
「だから、俺も排除されるべきだと?」
「そうするべきでない理由を提示できないのであれば、な」
イナミは一拍の間を置いて、返事をする。
「太古の人間はなぜ火を受け入れた。危険である一方で、有用だと知ったからだろう。言ったはずだ。俺は行動し続ける。それしか……示す方法を知らない。見ていろとしか言えない」
「暗夜を行くがごとし、だな。道を踏み外さぬとも限らんぞ」
「一人で生きているワケじゃない。かつて俺の身体を作ってくれた人間と、ここで俺を受け入れてくれた人間に、報いたいと思っている」
迷わずに答えることができた、と思う。
ヴァシリの言う『意志』の部分で、嘘や偽り、躊躇を見せてはならないし、今さら見せようとも思わなかった。
ヴァシリは「ふうむ」と唸り、改めての観察を始める。
居心地の悪さを断ち切るために、イナミは先ほど抱いた疑問を口にした。
「どこで、俺がナノマシン体だと?」
「貴様の情報はジヴァジーンから伝え聞いておったよ」
「なに?」
ジヴァジーン。クオノにとっての父親。
社会から姿をくらました男と接触しているなど、イナミには寝耳に水だった。
それどころか、ヴァシリは次なる質問を平然と繰り出すのだった。
「あの娘、クオノは息災かね」
イナミは我を忘れ、長机に両手をつき、大きく身を乗り出す。
「なぜ、その名前を!」
ジヴァジーンがクオノの存在までも外部に洩らしたのか。ジヴァジーンと〈血龍〉は結託しているのか。クオノの力を狙っているのか。
いや、そうではない。
この老人は最初にこう言った。
『まさか、貴様が儂の前に現れる日が来ようとはな』
自分とは会うことがないとでも思っていたような発言だ。
そもそも、ジヴァジーンが情報を漏洩した、という認識が間違いなのでは?
イナミは地上での事の始め、十一年前、クオノがどのように保護されるかに至ったかを思い出す。
ジヴァジーンたち第二分室がクオノを保護。脳機能拡張の恩恵を得た実験体と判明。その力の大きさから、七賢人が処分を決定。
そして、表向きにはクオノは死んだことになった。
ただしジヴァジーンたち第二分室は、秘密裏に命令を受け、クオノを助けている。
その命令は、誰が?
評議会の決定に背いた賢人がいたはずなのだ。
その者は、今――
イナミは、ヴァシリがなぜ自分一人を部屋に通したのか、その理由を悟った。
「あなたは……」
〈血龍〉の長、ヴァシリ・ヤンは、〈アグリゲート〉の守護者だ。
自分とクオノを再び引き合わせてくれた、大恩ある人である。
だからといって、必ずしも味方というわけではない。
目の前にいる男は、そういうバランスの上に立つ者なのだ。
「クオノは元気だ。ジヴァジーンのおかげで、健康に成長している。今は自分の務めを果たそうと頑張っているよ。俺なんかよりずっと立派で、大人だ」
「それは重畳。懐かしいものだ。幼子の頃は地上に適応できず、よう熱を出しておった」
「……そうだったのか」
「貴様はナノマシン体ゆえ、そのような苦労も知らぬのだろうな」
「ぐ……」
いきなりの飛び道具じみた揶揄に、イナミはしかめ面を浮かべる。
ヴァシリは、にい、と口の片端を持ち上げた。
「貴様の名を初めに聞いたのは、あの娘からだ。十一年も経て、こうして相見えるとは露にも思わなんだ。いっそ亜空間の彼方で野垂れ死んでくれたほうが、余計な荷を背負わずに済んだのにのう」
「……生憎だったな、生きてて」
「はっ、まあよいわ」
ヴァシリが長机の表面に指を滑らせると、白い光が浮かび上がった。木製と見せかけて、内部に機械が内蔵されていたのだ。
スリープ状態にあった制御卓が復帰し、宙にホログラム・ディスプレイが投影される。
「今は貴様よりもっと重い厄介事がある。もう一人の特務官を呼び、本題に入るとしよう」
〇
連れられてきたルセリアも、やはりヴァシリの眼光に気圧されたらしい。持ち前の勝気さが鳴りを潜める。
彼女はイナミの隣に寄り添って、小声で囁く。
「ねえ、なんの話だったの?」
「〈変異〉と〈跳躍〉について訊かれた」
「興味を持たれたのね。スカウトされたりして」
「それは……ありえないな。あっても断る」
「……ちょっと安心」
穏やかに話す二人の横を、ベルタが通り過ぎる。初めて見たときには油断ならない気配を感じたが、ヴァシリの横に立つと、影のように存在感が薄い。
ヴァシリは、機関から提供された映像をホログラム・ディスプレイ上で再生している。イナミと白面の男が交戦したときの記録で、イナミの視界に合わせて画面が激しく揺れる。途中からは〈ハニービー〉の視点も加わった。
老人と美女は、長いこと、白面の男を静かに見つめる。
やがて、ヴァシリのほうが落胆の吐息を洩らした。
「間違いない。こやつはサシャ・メイだ」
「知っているのか?」
ヴァシリは先ほどと打って変わって、老いを感じさせる面持ちで頷いた。
「数年前まで、〈血龍〉に身を置いておった。武の天才と呼ぶに相応しい男だ。学にも明るく、いずれは儂の後継に指名してもよいと、思っておったほどだ」
「そんなヤツが、なぜこんなことをしている」
「分からん」
ヴァシリは苦しげに答えた後で、
「親に恵まれなかった子でな。環境を変えてやれば、あるいはと考えた。真っ当な将来を望める兆しもあった。が、突然、行方をくらまし――挙句、道を踏み外しおって……」
ルセリアが、挙手などという大人しい仕草とともに、口を開く。
「恵まれなかった、ってどういう親だったの?」
「父親は反機関派に取り入ろうと、妻と二人の子に客を取らせておったのだ」
ルセリアはあからさまに嫌悪の表情を浮かべた。
イナミも言葉の意味を察して押し黙る。警備局の犯罪調査書を流し読みしているときに、似たような文言を見たことがあった。
〈アグリゲート〉にも、娼婦や男娼は存在する。
しかし、こうした人々は『組合』に入り、権利侵害から保護されている。性感染症の蔓延を防ぐための定期検診も義務づけられているので、組織が一括管理しているのだ。
違法売春が警備局に摘発されるのはもちろんのこと、サシャ・メイの場合、児童搾取の被害者ということになる。
しかも、親が子を利用するという、倫理観の欠片もない行為だ。
イナミはふと思い立って尋ねる。
「父親は刑務所か? 復讐の可能性を考えると、監視する必要がある」
「死んだよ。とうの昔にな」
「……〈血龍〉は確か、私刑を行っていたな」
「確かに儂は粛清を命じた」
ヴァシリはきっぱりと言い放った。
「が、死は部下によるものではない。ミダス体の餌食となったのだ」
「どこかで巻き込まれたのか」
「因果応報かもしれぬな。妻が潜伏体となっておった。暴力を振るわれ、死に瀕したとき、細胞が活動を始めたと聞いておる」
ということは、サシャ・メイは同時に両親を失ったということになる。
イナミは憐みを抱く。しかし、だからといって、犯罪を許そうとはならない。
「なぜ、サシャ・メイは反機関活動を? 父親の意志を継いだのか」
「そのような節はなかった。この耄碌が見た限りはな」
ヴァシリはかぶりを振って、呻くように低く呟く。
「孤児となった二人の子を保護し、育てたのは儂だ。此度は儂の子が犯した罪。儂の不始末でもある。特務官よ、手を煩わせることを申し訳なく思う」
と、〈血龍〉の長が頭を下げる。
その重さに、ルセリアは動揺して、両手を胸の高さに持ち上げた。
「あ、あたしたちに謝られても……悪いことしてるのは本人の責任なんだし……」
イナミも同感だ。
子供が暴れているならともかく、サシャ・メイは成人男性だ。能力を、確信的に、犯罪へと駆り立てている。〈血龍〉でテロリストを養成したというのでなければ、それはまさしく『道を踏み外した』ということなのだろう。
とにかくこれで、〈デウカリオン機関〉と〈血龍〉両者の、サシャ・メイを追う理由、利害がはっきりした。協力し合うのは当然だ。
イナミは話を聞いた上で抱いた疑問を、ヴァシリに尋ねる。
「さっきから『二人の子』、と言っているが――もう一人はどこにいるんだ?」
「ここに」
答えたのは、ベルタだった。
「改めて。私の名前は、ベルタ・メイ。サシャ・メイは双子の兄よ」
続けて、ヴァシリが険しい表情で告げる。
「〈血龍〉より送る刺客はこの者だ。ベルタと手を携え、サシャの愚行を止めてやってほしい」
ルセリアがますます困惑した様子で眉をひそめる。
「刺客って――その人に家族を殺させる気なの!?」
「私から師父に名乗り出たこと」
ベルタは顔に感情を滲ませない。ただ、鉄の意志を秘めた眼差しをこちらに寄せる。
「〈血龍〉のため、〈アグリゲート〉のため、禍根は断つべし」
ルセリアは衝撃を受けた様子で、ぎゅっと握り締めた両手を、だらりと下ろした。
――複雑な追跡だ。
機関としては、自分たちの法に則ってサシャ・メイを抹殺したいはず。
一方、〈血龍〉にも身内の恥がある。できれば自分たちの手で始末したいはずだ。
イナミは黙ってヴァシリを見た。
――その時が来たら、こちらはこちらで動く。
意図が通じたか、老人は首肯で応じるのだった。
〇
ベルタとは共有データスペース上のホットラインで連携を取ることになった。
これでサシャ・メイの動向が掴め次第、それぞれの追跡者が一斉に動き出すことになる。猟犬が合図とともに解き放たれるのだ。大きな騒ぎになるだろう。
邸宅の門を出たところで、ルセリアは今まで我慢していたかのように重い吐息を洩らした。
「これでいいのかしら」
「『これで』? まだ協力し合うことに不満が?」
「じゃなくて。ヴァシリにとっては子供、ベルタは兄。なのに、あんなあっさりしてて……」
「まだ、元の鞘に納まる方法があると?」
ルセリアは立ち止まり、じっと足元を見つめる。
「分かんない。あたしはできれば、そういうのはやだなって……」
最後のほうは消え入るような小さい声だった。
イナミはルセリアの思うことを否定しようとは思わない。そのとおりだとも思う。
だが――思い返すのは、モーリス・スミスの斬死体だ。
迷いのない剣の一閃。綺麗すぎる傷跡。サシャ・メイにとっては人も物も変わらないのではないか。そんな男に、果たして言葉は通じるのか。
それぞれ考え込んでいた二人は、申し合わせたように背後を振り返った。
邸宅から再び、二胡の音が聞こえてくる。




