遭遇:寄せ集めが喋るな
戦いを傍観していた外骨格男が唸る。
背中に排熱口でもあるのか、白い靄が、ぷし、と吹き上がった。
「今のがシンギュラリティ……」
その一言に、ルセリアは外骨格男を訝る。
シンギュラリティは、誰もが先天的にその覚醒因子を持っている、とされている。
逆にいえば、実戦的な能力だと判断された者のみが特務官の任に就けるのだ。
それをさも珍しげに、外骨格男は呟く。
「脳に構築された、力を司る神経回路――自然に獲得したのか」
「あんた、何言って……?」
敵か味方か。
ルセリアはまだ判断に迷っていた。
外骨格男は、足元に広がったオドネル夫妻の衣服を足で踏んだ。何か入っていないかと確かめるような動きだった。
そのことをルセリアが咎めようとする前に、外骨格男は足を離して天井を見上げる。
間髪遅れて、エメテルが掠れ声で告げた。
《二階で人が動いてます》
とん、と木の板を軽く踏む音が聞こえた。
音の出所を解析したエメテルは、再びポリゴン像の透視をルセリアに見せた。
子供だ。
とん、とん、と下りてきたのは、無傷の幼い少女である。
ピンク色のパジャマに付着しているのは両親の血だろう。
――二階に隠れていたのね。
と、ルセリアが安堵しているうちに、少女がリビングへ足を踏み入れようとした。
ほっとしている場合ではない。
まずい。この光景は。
「入ってこないで!」
制止は間に合わなかった。
我が家に上がり込んだ、見知らぬ女と恐ろしい姿の外骨格男。
床には血だまりとずたずたに引き裂かれた衣服。
そして、融けて崩れかかったぶよぶよの肉片。
両親の死を悟ったか、少女が身体を震わせる。壊れかけのぜんまい人形のようなぎこちなさで、こちらに白い顔を向けるのだった。
「お姉ちゃんが、やったの?」
「う、あ……」
記憶の奥底から這い上がってきた幻影が、少女に重なる。
自分によく似た顔。同じ色をした瞳。その目が恐怖で見開いている。
『お姉ちゃんが、殺したんだ』
ルセリアは激しい動揺に襲われて息を詰まらせる。
「ち、ちが……!」
「そうだ、違う」
声の出ないルセリアに代わって言い切ったのは、外骨格男だ。
少女に対してではなく、ルセリアに向けて。
ほぼ同時に、エメテルが動揺を露わにして叫んだ。
《ルーシーさん、その子から異常熱源!》
少女は横目で外骨格男を憎々しげに睨みつけ、力強く床を蹴った。
右肘から先を鋭利な剣に変形させ、その切っ先をルセリアに向かって突き出す。
ルセリアはヤシュカの忠告を思い出していた。
元特務官のオドネルですら、たやすく殺されてしまった理由。
潜伏体――なんらかの条件下で急激に活発化するミダス体。
娘が『それ』だったからこそ、オドネルは反応に遅れたのだ。現場から離れれば離れるほど、誰もがミダス体の犠牲者になりうることを忘れてしまう。幸せな家庭を築いていたのならなおさら。
ルセリアとて、見つかっていない子供がミダス体なのではないかという考えは、ちゃんと頭にあった。
だが、発生場所の中心でなお、奇跡的に助かるケースもある。あったのだ。
可能性は完全に失われた。
――なら、やることは一つ。できるでしょ?
ルセリアは冷笑するもう一人の自分の声に従ってハンドガンを構える。天使のように可愛らしい少女の顔を持つ怪物へ銃弾を叩き込むのに、ためらいはなかった。
それよりも先に、
「どけ」
外骨格男が前に飛び出した。
慌ててシンギュラリティの集中を打ち切る。危うく外骨格男を巻き込むところだった。
いや、どちらにしても、このままではミダス体に串刺しにされてしまう。
外骨格男の行為は無知にして無謀に思えたが――
素早い動きだった。
身体を縦にして剣の突きをかわし、後ろ蹴りを少女の顔面に食らわせる。
鼻骨だけでなく、頭蓋骨の砕けるぞっとするほど軽やかな音が響いた。
小さな体が壁に跳ね返り、潰れた顔から床に落ちる。そのまましばらくは手足をぴくぴくと痙攣させた。
何も知らない者が傍から見れば、この外骨格男こそが残虐非道な殺人者と取るだろう。
だが、少女はすぐに何事もなかったかのように起き上がる。
顔の陥没は消え、頭部からの出血も皮下に滲んで吸収される。
目つきには子供らしさなど皆無の殺意が宿っていた。
再び右腕を構えた少女は獣のような荒々しさで外骨格男に襲いかかる。
対する外骨格男も、持ち上げた腕で平然と刃を受けてみせた。
金属同士が擦れる甲高い音とともに、火花が激しく散る。
「……すごい」
パワードアーマー程度の合金ではミダス体に切断されてしまう。
とすれば、やはりあの外骨格はただの装甲ではないのだ。
外骨格男はさらなる一歩を踏み込み、相手の懐に潜り込んだ。
剣を受け流した手で少女の顔を鷲掴みにし、凄まじい膂力で再び壁に叩きつける。あまりの衝撃にヒビがびっしりと走った。
外骨格男の戦いは、感情という鈍器を振り回すかのように力任せだ。
それでいて、身のこなしに錐のような鋭さも併せ持っている。
頭蓋骨を締めつけられた少女は腕を振り回して殴り返した。
外骨格男はびくともしない。踏み締めた床がみしみしと軋む。
「言え! クオノはどこだ!」
クオノ――人か物か。
その名を聞いて、少女はにたりと薄笑いを浮かべた。
「クオノはじきに見つけるわ。だから、私たちとひとつになりなさい、イナミ」
紡がれたのは、少女とは全く別人の落ち着いた女性の声だった。
ミダス体が人の言葉を語ること自体はそう珍しくもない。
宿主の記憶を読み取り、借り物の人格で人を欺くのだ。
しかし、少女の姿を維持するミダス体は女の口調で外骨格男に語りかけた。
おまけに聞き間違いでなければ、外骨格男のことを『イナミ』と呼んだ。それが男の名前なのだろうか。
ミダス体と外骨格男――イナミの間には、なんらかの繋がりがあるらしい。
女は穏やかな声で続ける。
「あなたが私たちに加われば、クオノを永遠に守ることができるのよ。ねえ、私たちを怖がらないで、イナミ――」
「寄せ集めが、カザネの声で喋るなッ!」
外骨格に走る青白い光の紋様が、激昂に応じて瞬き出した。
ルセリアの耳にエメテルの声がノイズ交じりに伝わる。
《熱が……模様に沿って……!》
輝きが最高潮に達したとき、大気がぱちんと弾けた。
タクティカルグラスの表示が乱れる。
少女は笑顔のまま全身を反り返らせた。たちまち、肉の焼け焦げる異臭が立ち込める。
舞い上げられた埃に青い稲妻が迸るのを見たルセリアは、装備機能かシンギュラリティかは定かではないが、とにかく外骨格男の能力に気づいた。
放電。
恐らくはディスチャージャー以上の強力な。
これほどのエネルギー量を放出するからには長続きしないだろう。その予測どおり、ものの数秒でイナミの体表面から輝きが消えた。
頭を掴む手が緩められると、少女は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。実際、全身の体組織は焼き切れたに違いない。
イナミは少女を見下ろし、苦しげに声を絞り出す。
「何が『永遠』だ。そんなものはない」
その言葉の意味をルセリアはつい考え込んでしまう。
永遠。そんな幻想を、自分も信じていた頃があった――
我に返ったのは長い静寂の末、イナミの身体に光の明滅が戻ったときだった。
そこは二人だけが立つ空間。
状況を再認識したルセリアは混乱しながらも問い詰める。
「ホント、なんなのよ、あんた!」
イナミは肩を上下させて息を整えると、突然、脱兎のごとくリビングの窓へと駆け出した。
ルセリアは手に握ったままのハンドガンを思い出して足を狙う。
発射した銃弾は命中したものの、外骨格にあっさり弾かれてしまった。
「エメ! あいつが外に出るわ!」
エメテルの返答はない。
カーテンを引いたままの窓に突っ込んだイナミは、砕けたガラス片を撒き散らしながら、包囲していた警備局兵士の怒号と銃撃に迎えられた。
その騒ぎもすぐに遠のいた。まんまと逃げおおせたのだろう。
ルセリアは震える腕をゆっくりと下ろし、呆然と立ち尽くす。
しばらくしてようやく、放電の影響で乱れていた通信が復旧する。エメテルの悲痛な呼び声が急に響いた。
《――シーさん、ルーシーさん!》
「聞こえてる。どうしたの?」
《『どうした』はそっちですよっ! 急に通じなくなって……無事ですかっ?》
「あたしはなんともないわ」
《……はああ、よかったあ》
エメテルの大仰な吐息が、ルセリアの内耳を心地よく震わせる。
《現在、〈ハニービー〉で侵入者さんを追跡して――》
「イナミって呼ばれてた」
《はい、ミダス体に。もしかしたらあの『噂』って本当なのかも――あ、あれ?》
急に黙り込んだので、ルセリアはタクティカルグラスの弦を軽く押さえた。
「まだ不調?」
《いえ、それがその……すみません、見失っちゃいました。突然、視界から消えて……》
ルセリアは押し寄せる疲労感に脱力した。
一体全体、何がどうなっているのだろう。
ふと、二度と動くことのない、少女だったものが目に留まる。
可愛らしい顔が歪み、肌にはまだら模様の火傷が浮かび上がっていた。剣の形をした腕には亀裂が入っている。
ルセリアはかぶりを振った。
「殺したんじゃない。あたしは――」
玄関前で待機していた警備局の兵士が突入を開始した。
兵士たちは放電槍を部屋のあらゆる物に向け、イナミがそうしたように電磁波を浴びせた。
誰かがルセリアの肩を掴み、ミダス体から遠ざけようとする。
ヤシュカだ。
ルセリアは無表情で頷く。
「平気よ。やって」
隊長自ら手にした放電槍によって、子供の服は呆気なく燃え上がった。
○
「イナミが特務官に遭遇した」
冷たい女の声が薄暗い部屋に響く。
声の主は小柄な体型で、白いフードとローブを着込んでいる。古い宗教でいうところの司祭のような装いだ。
顔を隠す仮面には、〈樹鏃〉の紋章が描かれていた。
円卓には七席が設けられているものの、空席が目につく。
唯一、女の対面――部屋の最奥に位置する席には、同じ白ずくめの大男が座っていた。
大男の沈黙に耐えかねた女は、椅子から腰を浮かせて訴える。
「ドゥーベ、私たちは何か手を打つべきだと思う」
「焦るでない、ベネトナシュ」
どちらも本当の名ではない。
七席に着く者は己の素性を晒すことなく、また、他者の素性を暴くことなかれ。それが掟だ。
だが、この二人はいくつもの掟を破っている。
たとえば、この密談。
たとえば、イナミの情報の秘匿。
ドゥーベと呼ばれた大男は、円卓に両肘をつき、厳つい手を組んだ。仮面の奥から紡がれる声は、その場の空気に重みが増したと錯覚させるような低音だった。
「池に小石を投じたところで、波はすぐに収まり小石も底に沈む。大した影響はない。あの者の行動は我が予測の範疇にあった」
ベネトナシュは相手から見えないように、円卓の下で両手を握り合わせる。
「看過するつもりなの? お父様」
大男の顎がわずかに引く。
視線の険しさは仮面越しには分からない。ベネトナシュは耐えかねて俯いた。
ドゥーベは円卓の端末を起動し、ホログラムディスプレイに表示された文字群で自分の姿を隠した。話は終わりだ、とでもいうように。
ベネトナシュは宙に浮かぶ鏡文字を解読する。
大男が見ているのは特務部第九分室の資料のようだった。
添付されている写真には、無表情な十六歳の少女。
ドゥーベは深く息を吐き出して、
「ルセリア……イクタス……」
彼女の名を、確かめるように読み上げた。