伏兵:もう一人の犠牲者
リストデバイスから、ぴ、と電子音が鳴る。
寝息を立てていたエメテルは、その短音で、むくりと身体を起こした。
彼女の〈並走思考〉は、正確にはシンギュラリティではない。フェアリアンとしての能力なのだ。
だから、脳の大部分を眠らせながら、ある部分は働いたままで――
というわけで目覚めは速かったが、その大部分が稼働を始めるまで、エメテルは寝ぼけ眼で虚空を見つめるのだった。
「うー……」
サイドテーブルのリストデバイスを手繰り寄せる。
ラボに勤める保護者からプレゼントされた物で、ハイエンドモデルだが、エメテルの華奢な腕にはやや重い一品である。
本体横についている時刻表示ボタンを押すと、暗闇にホログラムディスプレイが浮かび上がった。
〇四三一時。
あと少しで約束の時間だ。
まばたきをぱちりと一回。幼さを残した面立ちが引き締まった。
温もりの残るベッドから抜け出し、もこもこスリッパに素足を入れる。
さらには小柄な身体には大きすぎる綿入りの上着を羽織った。これは、遺物の記録媒体を参照して復元されたハンテンという衣服だ。
最後にイヤーカフを装着し、音を立てないように廊下へと出た。
主人の起床に合わせて、バスケトが照明や暖房を作動させる。
《おはようございます、エメテルお嬢様》
《おはよう、バスケト》
二人の会話は声を要さない。
イヤーカフは脳とコンピューターを繋ぐ翻訳機のようなものだ。これのおかげで、エメテルはバスケトとの意思疎通が図れるのである。
一階オフィスに入り、オペレーターシートに着く。黒革は冷たかったが、次第に気にならなくなるだろう。
執務卓の形をしたコンピューターが起動し、排気ファンの回転音が室内に木霊する。
思考とシステムが同期。
カフに変換された刺激が視覚に伝わって、空間上には投影されていない情報ウィンドウが視界に表示される。
チャットプログラムを起動すると、約束の相手はすでにルームで待っていた。
グリッドラインだけの白い立方体世界。
こちらのアバターは『赤ずきん』。
相手は『フクロウ』だ。止まり木に立ち、赤ずきんと視線の高さを合わせている。
《待たせてごめん》
《こっちは平気。過去の観測データを閲覧したいって、データバンクのじゃダメなの?》
《ダメ。そっちに保存されてる生のデータを閲覧させてほしいの》
《特務部の任務?》
《……半分はそう。だから、詳しく言えない》
長い沈黙。
相手はエメテルと同一遺伝子を持つフェアリアンであり、宇宙漂流物の動きを監視する天体観測所の職員でもある。
辛抱強く待ち続けるエメテルに、フクロウは片翼を広げてみせた。
《変なことはしないように。許可出しておいたから》
《わあ、ありがと! 今度、新作のポテチ差し入れるよ! あのねあのね、発酵させた魚の内臓の――》
《それはいい。じゃ、私は寝るから》
用件は終わったとばかりに、フクロウは空へと消えていった。
エメテルはむうと頬を膨らませて見送る。
が、すぐに額を殴られたような衝撃に襲われた。
チャットルームに滞在したまま天体観測所のデータベースに没入し、その膨大なデータ量に眩暈を起こしたのだ。
天体観測所は、完璧な状態で残っていた遺物を再利用している。
宇宙進出時代、地球圏外の観測は月面施設や衛星などに任されていた。そのため、地上の天体観測所は数を減らしていたのだが――
現在では主に、漂流物の追跡を目的として運用されている。
当然、地球は自転しているので、常に一つの漂流物を監視するのは不可能だ。
一日に数時間、漂流物の座標を割り出して、前回の観測からどれほど移動したかを調べるのである。
そのデータは、天体観測所が復旧してから何十年分も蓄積されていた。
エメテルはチャットから抜け、データベースに集中する。数字を追っていくうちに、頭には飛び石の軌跡を描く漂流物の天球儀が浮かんだ。
まず、イナミが乗っていた脱出ポッドの記録を見つけた。
コンピューターの警告まで残っている。
『未確認漂流物の発生』
『〈アグリゲート〉近辺に漂着する可能性大』
後者は都市の危機に関わるものだ。
観測所職員が報告するよりも早く、コンピューターは七賢人に知らせただろうことが容易に想像できた。
これは漂着物として異常なケースである。
だからこそ、類似点も見出せるだろう。
調べているのはイナミについてではない。
クオノの脱出ポッドを探しているのだ。
同様に亜空間から浮上したのなら、そのときの記録が残っているはずだ。
ただし、同様の警告が生じるケースはいくらでもあった。漂流物同士の衝突によって破片が発生しても、そのように報告されるからである。
そこで今度は、位置座標と照らし合わせなければならない。
見つけるべきは真に『何も存在しない空間に現れた』という漂流物だ。
「よしっ」
エメテルはバスケトとともに警告ログと位置座標を同時に参照していく。
最も新しい記録、イナミの脱出ポッドから過去へと遡る。
一年前、二年前、三年前――
五年ほど辿ったところで、クオノはまだ亜空間を漂っているのではないか、という可能性を検討する。
〈ザトウ号〉は少なくとも人類がミダス体と初めて遭遇した百年以上前で、イナミは最近。タイミングはばらばらである。
「あまり考えたくないけど……」
地上が〈大崩落〉に見舞われている最中に漂着している可能性もあるわけで。
めげずに作業を続ける。
六年前、七年前、八年前――
十年まで進んでも、それらしい漂流物は見つからない。あるいは七賢人が手を回した後なのかもしれない。観測所に手がかりが残っていると考えたのは浅はかだっただろうか。
と、自信を失いかけ、十一年前。
エメテルは思わずシートから立ち上がり、デスクに勢いよく手をついた。
身を乗り出したところで視界に移されているだけの情報ウィンドウに近づけはしない。
そして、その表示が遠のいて消えることもない。
『未確認漂流物の発生』
『〈アグリゲート〉近辺に漂着する可能性大』
同観測時刻において、周囲に漂流物は存在しない。
ということは、衝突によって発生した物体ではない。
「あ、あ……」
エメテルは崩れるようにシートへ座り込み、嬉しさのあまりにアームレストを叩く。
「あったあ! 十一年前! クオノさんは漂着してた!」
まだ早朝だということも忘れて叫ぶ。
そんな彼女の顔が、口を開いたまま突然凍りつく。
「あれ」
十一年前。
そのワードはすでに、エメテルの記憶に刻まれていた。
糸を手繰り寄せるうちに、情報が形作る世界へ呑み込まれていく錯覚に襲われる。
この感覚を、エメテルたちフェアリアンは『森に入った』と表現していた。
様々な情報が幹や枝、葉となり、木のイメージへと成長する。
周りを見渡すと、他にも似たような、それでいて異なる木に囲まれているのだ。
「ああ……」
エメテルはふらふらと立ち上がった。
まばたき一つ。彼女の感覚は現実世界へと引き戻される。
「は、早く知らせなくっちゃ……!」
足取りがおぼつかない。
ぱたぱたとスリッパの音を立てながら、二階へと駆け上がる。
そこへ大きな影が立ちはだかった。
驚いてよろめいたところを、影が咄嗟に腕を掴んで支えてくれる。
インナーウェア姿のイナミだ。
「どうした。何か叫んでいたようだが」
「イナミさん――ちょうどよかったです! 七賢人様をお呼びできますか?」
背伸びをして顔を近づけると、その分だけイナミも後ずさる。
「こんな早くにか?」
「事態は急を要しますっ」
エメテルは深く息を吸ってから、はっきりと断言した。
「すでに二人、クオノさんに関わった特務官が殺されてるんです!」
その一言で、ぼんやりとしていたイナミの表情が硬化した。
〇
起き抜けのルセリアがようやくオフィスに現れた。
寝間着にカーディガンを重ねた姿の彼女は、壁面モニターにドゥーベとベネトナシュが映っていることにぎょっとして、そそくさとソファに座る。
先に座っていたイナミは、彼女にひそひそ声で尋ねられた。
「何事?」
「俺も詳しくは聞いていない。が、エメテルが何か突き止めたらしい」
「突き止めたって、エメ――」
ルセリアの問いかける視線に、モニターの前に立ったエメテルが小さく頷く。
「デクスターさんがミダス体に襲われた、その理由が分かったかもしれないんです」
毅然と告げてから、身を寄せるイナミとルセリアの二人に首を傾げた。
「……あれ、なんだか仲よさげですね」
ルセリアは黙って距離を取った。
イナミも取り立てて反応せず、じっとエメテルを見上げる。
「特務官がクオノに関わっていた、というのはどういうことだ」
「あ、はい。そのお話には、七賢人様に立ち会っていただきます。よろしいでしょうか、ドゥーベ様、ベネトナシュ様」
画面の中で、ベネトナシュが大男のほうを仰いだ。
七賢人は一人一人が独立した判断基準を持っている、という話だが、この件はドゥーベが主導しているようだった。
《よかろう。聞かせてもらおうではないか、エメテル・アルファよ》
エメテルは恭しくお辞儀をすると、緊張を紛らわすように深く息を吐いた。
「まず前提として、クオノさんは地上に漂着してます」
イナミは膝の上に乗せていた拳をぐっと握り締める。
「やっぱりか……」
「イナミさんのお話では三、四歳とのことですが、現在は十四、五歳。私たちと同年代の女性に成長してるはずです」
「浮上したのは十一年前……ということか?」
「データバンクに漂着物の記録はありません。ですけど、天体観測所には観測ログが残ってました。何もない宇宙空間に、突然現れた物体。イナミさんのときと全く同じです」
彼女は一息つく間に、ドゥーベを窺う。
大男は身動ぎ一つしていない。肯定も否定もせず、沈黙を保っている。
イナミは七賢人を睨みながら、口調の上では冷静に尋ねた。
「二人の特務官が殺されていると言っていたが」
「デクスターさんのもとにクオノさんを探すミダス体が現れた理由を考えれば――線が見えてくるという程度の推測ですけどね」
エメテルはそばにいる二人へと顔を向けた。
どちらかといえば、ルセリアのほうに。
ルセリアは不可解そうに小首を傾げる。
「推測って?」
「漂着物回収のミッションレポートは抹消されてました。辺境警備隊とラボの派遣隊が出動したのは間違いありませんが、その他に、特務部が居合わせてたと思われます。ちょうどその時期、都市内の活動が確認できない人々がいました」
「ちょっと待って」
ルセリアが困惑気味に手を挙げて制止する。
「その一人がデクスターってこと?」
「そうです。丸ごと消えてたのは当時の第二分室です」
「それってまさか――」
ルセリアが急に口を噤む。それに対し、エメテルは黙って頷いた。
二人はなんらかの結論に辿り着いたようだが、イナミはまだ分かっていない。
「あのデクスターという男以外には、どんな特務官が所属していたんだ?」
「配属されてたのは四人です。まず、ジヴァジーンさん。成長期にラボのサイボーグ手術を受けた人で、重火器のスペシャリストでした」
エメテルは、デスクのホログラムディスプレイに男の写真を投影した。
相貌に、イナミは息を呑む。
同じ人間なのかも分からないほど分化の影響が濃い、クロヒョウの頭を持つ男だ。
「ジヴァジーンさんは漂着物回収の数週間後に任務中行方不明となります」
「こいつがもう一人の犠牲者か?」
「どうでしょう。三人目である可能性は高いかも、ですが」
エメテルは次に痩せた男を映した。
ドレッドヘアで、無精髭を生やした浅黒い肌の男である。
「この人はバンテス・カルロさん。機関を去り、今はスラム街に潜伏してます」
ドゥーベが初めて《むう》と唸った。
《この短時間で、そこまで探り当ておったか》
「〈ハニービー〉の映像から人相検索をかけてみただけです」
七賢人を驚嘆させたことで自慢げに胸を張るエメテルだったが、すぐに浮ついた表情を引き締める。
「こちらが先日殺害された、デクスター・オドネルさん」
オールバックに整えた髪と、精悍な顔立ちの男だ。
死後ということもあるが、先日見た男の顔には皺がいくつも刻まれていた。十一年もの歳月が立っているのだ。変わっていて当然である。
エメテルはわずかに目を伏せて続けた。
「最後の一人は――」
ホログラムディスプレイに、女性の顔が投影される。
ブルネットの髪に、琥珀色の瞳。理知的な美人である。
イナミは思わず身を乗り出すように写真を凝視した。
「似ている。いや、まさか……」
「当然じゃない」
ルセリアが俯いて言った。
「ロスティ・イクタス。あたしのママよ」
イナミは弾かれたように彼女を振り返った。
昨晩、訥々と語る彼女の顔が、脳裡をよぎる。
『三年前』『現場はショッピングモールだった』『ミダス体に囲まれて』『血まみれに』『まだ意識が』『殺したんじゃない。守ったのよ』
ルセリアは自分の身体を抱き締め、声を震わせた。
「あの襲撃はママを狙ったもので――それで大勢が巻き添えになったの?」
「調べてみると、関係者の多くがミダス体の犠牲になってます。脳の情報を盗んで、クオノさんの居場所を突き止めようとしてるのかもしれません」
「だけど、ママはあたしが……!」
ルセリアが訴えるように顔を上げた。
ミダス体からすれば、娘の存在は誤算だったに違いない。ロスティ・イクタスから情報を引き出す前に阻止されたのだから。
エメテルは、この問題を把握しているはずの機関上層部を、意を決したように見つめた。
「ミダス体は『じきに見つける』と言ってました。クオノさんの居場所を知ってるなら、デクスターさんを襲いはしないでしょう」
イナミは腕を組み、低く唸った。
「とすると、生き残っているバンテス・カルロが危険だな」
「私たちはミダス体に先回りして、バンテスさんを保護すべきだと考えます。彼に、危険が迫ってることをお知らせできませんか、ドゥーベ様」
《可能だが、即座に、とはいかん》
もはや隠し立てする必要はないと決断したか、ドゥーベはあっさりと問いに答えた。
《あやつは通信機の類を身に着けておらぬのだ》
「じゃあ、直接会うしかないんですか?」
《デクスター・オドネルとは固定通信端末を用いて情報を交換しておったと聞く。そこへ警告を送信するがよい》
端末番号を受け取ったエメテルが、左耳のカフを指先でつまむ。すぐにメッセージを送ったのだろう。
《あやつも特務官。汝らと合流するまで己の身は守れるはずだ。この一件、第九分室に任せるとしよう》
「了解しました」
背筋を伸ばし、胸に拳を当てて敬礼したエメテルは、ふと後ろを振り返った。
「すみません、ルーシーさん。突然こんなことをお伝えして――」
「いいのよ、エメ」
ルセリアは深く息を吐くと、凛とした目で同僚を見つめ返した。
「大丈夫。今はもう、あたしが特務官なんだから」
「俺も同行させてくれ」
イナミは二人の少女を交互に見てから、七賢人に説明する。
「バンテスを問い詰めようなんて考えてはいない。目下の危険を排除することは、クオノを守ることにもなるはずだ。戦力は多いほうがいいだろう?」
イナミのアイコンタクトに、ルセリアは頷いた。
「ドゥーベ、あんたが言ったのよ。あたしたち特務部第九分室は、イナミを監視しなきゃならないって。ここに置いてくワケにはいかないわね。エメにはもう一人分のサポートをお願いすることになるけど、いい?」
「どんと来いです。口頭ではなくサインでの指示が多くなるとは思いますけどね」
ドゥーベが今、どんな表情をしているかは、誰にも分からない。
ただ静かに三人を眺めてから、穏やかに答えるのだった。
《よかろう。イナミ・ミカナギの同行を認める》
その返事を聞いたルセリアとエメテルが顔を綻ばせた。
イナミは知らず知らずのうちに拳を握っていた。非常時の出撃ではない。無軌道の奔走でもない。初めての組織的行動だ。
「感謝する、ドゥーベ。ベネトナシュも」
ずっと沈黙していたベネトナシュはこくりと頷く。
彼女は、ドゥーベの大きな身体に隠れ、まるで幽霊のようだった。




