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船降る星のストラグル  作者: あたりけんぽ
第一部 来し方より訪れし者たち

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14/63

冷却:だから、あなたと話したかった

 シャワーから噴き出る湯水が、ルセリアの裸体を濡らす。


 首筋を這い、胸の谷間に落ち、引き締まった腹を撫で――

 しなやかな背をなぞり、張りのある臀部を伝って――


 そうしてタイルに滴り落ちた湯水は、排水溝へと流れていく。


 額についた前髪を掻き上げたルセリアは、湯気で曇った鏡を手のひらで拭った。

 琥珀色の瞳が、自分をじっと見つめている。


「なんだか調子狂うわね」


 昨日はミダス体の出現から始まり、イナミとの接触があった。

 それが今日は、引っ越しだのパーティーだのと、平和な一日である。


 ――ううん。


「『平和なんてものは初めからなかった』」


 自分の呟きに合わせて、頭の中でイナミの声が再生される。


〈アグリゲート〉もまた、危ういバランスの上に成立した社会だ。

 機関は都市にどれだけの潜伏体が存在しているのか、どんな条件で活発になるのかを把握できていない。

 常に後手に回っての対処ゆえに、必ず犠牲者が出てしまう。被害が広がらないためには、迅速に現場へ向かい、ミダス体を殲滅するしかないのだ。


 不安はそれだけではない。

 管理を快く思わない反機関派、異なる文化間で生じる市民の摩擦、不法行為を働く犯罪者だっている。


「『ようこそ』なんて大層なトコじゃないわよね」


 ルセリアは溜息交じりにシャワーを止める。


「カザネさんがいた頃の地球って、どんな感じだったのかしら」


 遺物から回収した映像データに興味を抱いたことはなかったのだが、


 ――今度、調べてみようっと。


 取り留めもなく思考を漂わせ、シャワールームを出た。


 バスタオルで身体を拭き、就寝用の下着を着け、水気の残っている長い髪をドライヤーで乾かす。

 いつもならそのまま部屋の中を歩き回るところだったが、今日からはそうもいかない。男性の目がある。その視線を気にしないほど、ルセリアの神経は図太くない。


 寝間着を身に着け、自室に戻る。


 途中、二階リビングを通る際、ベランダに立つイナミの姿を見つけた。手すりに腕を乗せて、空に浮かぶ月を眺めているようだった。

 冷気を通さないガラスを挟んでいるにもかかわらず、彼は、通り過ぎるルセリアの気配に感づいて振り返る。


「あ、あは」


 なぜか気まずさを覚えたルセリアは、作り笑いを浮かべて手を振った。彼は意味が分からずに首を傾げただけだった。


 部屋に戻ったルセリアは、体重を預けるようにドアを背中で閉める。

 慣れない人間が同じ屋根の下にいることの疲労感が今になって押し寄せ、足から力が抜ける。すとんとベッドの端に腰かけると、安物のフレームが失礼にも軋んだ。


「……早く慣れなきゃね」


 サイドテーブルに置いた私用のリストデバイスを手に取る。


 着信やメッセージはない。

 ルセリアの友好関係は狭い。


 去年、スクールの同級生が結婚したときでさえ――十五歳以上は成人と見なされる――自分には何一つ連絡がなかった。

 祝いの場に特務官の魔女を呼んだら縁起が悪い、というわけだ。


 その特務部も、横の繋がりは希薄だ。

 訓練期間、警備局で知り合ったヤシュカと近況を報告し合う程度である。



 妹からの連絡もない。



 ルセリアは背中からベッドに倒れ込んだ。


 日々、人類の敵から市民を守ったところで、特務官は英雄でもなんでもないのだ。

 ちやほやされたくてなったのではないにしても、心にちくちくと刺さる棘を感じながら、そのまま寝ようとかと足を上げ――


「……むう」


 がばりと身体を起こす。

 どうにも気になる。

 引っかかっているのは、ベランダに立つ寂しげな背中。

 決断に少しばかりの時間を要して、ルセリアはカーディガンを手に取った。


   〇


 イナミは、インナーウェアとデニムパンツという薄着で外に出ていた。液体金属が体温を保つので、寒さを感じるのは風が吹いたときだけだ。


 冷え切った夜の(とばり)の向こうには、〈セントラルタワー〉がそびえ立っている。

 仮住居からの景色と比べると、住宅街は明るい。窓から光が洩れているのだ。


 イナミが生まれた時代よりも遥か未来でありながら、後退著しいつぎはぎの技術で再建された都市。

 宇宙船と違って、ここには市民それぞれの『家』があり、その寄せ集めが一区画を形作っている。


 このどこかに、クオノがいるのだとすれば――


 物思いに(ふけ)るイナミの前に、虫型偵察機の〈ハニービー〉が羽音を立てて現れた。

 ナノテクノロジーの賜物であるカメラレンズが、顔を覗き込んでくる。


 と、同時にリストデバイスが着信を知らせた。

 イナミは落ち着いた気持ちで応答する。


「今日はどっちだ?」

《ベネトナシュ》


 静かに囁くような女性の声だ。

 イナミが吐き出した息の塊が、冷たい空気に触れて白く染まる。


「問題は起こしていない」

《それは分かっている。見ていたから》

「七賢人というのは暇なんだな」

《……あなたは目下、要警戒人物の一人》

「そうだったな」


 と、イナミは苦笑いを浮かべる。

 すると、〈ハニービー〉がよろめくようにホバリング体勢を崩した。


《笑った》

「あ?」

《イナミ》

「ああ……俺だって笑うさ」

《見たのは初めて》


 その指摘には、そうだっただろうか、と曖昧な反応を示す。


 七賢人は警戒すべきだ。今もそう思っているが、がむしゃらに敵視したところで空回りにしかならないことを自然と悟ったのである。

 イナミは今、〈ハニービー〉の向こうに立つ者を意識できていた。


「訊きたいことがある。シンギュラリティ能力者は貴重な戦力だ。だが、彼女たちには別の生き方もあっただろう。戦いを強いらなければならないほど、事態は切迫しているのか?」


 その問いに、ベネトナシュは一呼吸の間を置いてから、はっきりと答える。


《選択権はある。確かに、エメテル・アルファの場合は本人の意志とは無関係。だけど、ルセリア・イクタスは自らの意志で特務官に志望》


 それから、イナミの言葉を逆手に取るようにつけ加える。


《あなたも同じ。別の生き方があるはず。そんなにカザネの命令は絶対?》

「当然だ。俺にとってはな」


 イナミは再び息を深く吐き出した。


「前にも訊かれたな。クオノを探す理由を」

《ええ》

「それだけじゃないんだ。俺はあいつに、必ずそばにいると約束した。なのに、結局、俺は一人でここにいる。おかしいだろう?」


 言質(げんち)を取られまいとしているのか、ベネトナシュは無言だった。

 何か知っている素振りを見せれば、クオノは〈アグリゲート〉にいると認めてしまうようなものだ。


 そうだろうと思って、相手が防御に回るよりも先に、イナミから肩を竦めてみせた。


「だが、俺は裏切り者のままでいいのかもしれない」

《え?》


 ベネトナシュが控えめに驚く。

 人間味をほとんど感じさせない彼女の珍しい反応を引き出せたことに、イナミは自嘲気味の笑みを浮かべた。


「あいつはまだ小さな子供だ。ちゃんとした大人が守ってやらなきゃならない。その役目は俺には相応しくない。そうだろう、ベネトナシュ」

《……さあ?》


 そこははっきりと答えてもらいたかった、とイナミは落胆する。


「ここには俺以外の人間がいる。ルセリアやエメテル、お前たち七賢人のような。守るのが俺でなければならない、というワケでもないんだ」


 自分で言葉にしてみると、情けなさが増幅される。

 イナミは脱力のあまりにうなだれた。


「それに、あいつにも生き方があるはずだ。実験体だったことも忘れているかもしれない。しつこくつきまとう男なんて迷惑極まりないじゃないか」

《……イナミは憎んでいないの?》


 唐突にも思える質問に、イナミは顔を上げて訝る。


「誰を、憎む」

《クオノ》

「……まさか! どうしてあいつを憎まなきゃならないんだ」


 ベネトナシュは淡々と言葉を紡ぐ。


《カザネはクオノを連れ出そうとして撃たれた。クオノがいなければ、彼女は安全な場所に隠れていたかもしれない。そうしたら、あなたがカザネを守り抜くこともできたはず》

「無意味な仮定だな」


 イナミはレンズを睨み、荒い語気で否定した。ベネトナシュの詮索は度を過ぎている。


「カザネは自分の意志で動いた。俺は任務を優先して動けなかった。それだけの話だ。そもそもクオノがいなかったら、俺もこうしてはいない。ふざけたことを訊くな」


 七賢人は、イナミが復讐のためにクオノを探している、という可能性もあると勘ぐったのだろうか。だとしたら、全くの見当違いである。


 しばらく黙り込んでいたベネトナシュが声の調子を落とした。


《……ごめんなさい》


 素直な謝罪に、イナミはぎこちなく頷いた。

 気まずい沈黙が両者の間に流れる。自分も強く言いすぎた、とイナミが謝ろうとしたときだった。


《あ、後ろ……》


 注意を促されて振り返ると、風呂上がりのルセリアがリビングを通るところだった。

 彼女もこちらに気づき、何やらぎこちなく微笑んで、軽く手を振る。

 ぼんやりと手を挙げ返すイナミに、


《私はまだ、あなたのことがよく分からない》


 と、ベネトナシュが言った。

 視線を戻すと、〈ハニービー〉が空に上昇していく。第三者に見つかるのはまずいと考えたのだろうか。


 やがて夜の暗闇に紛れる偵察機に向かって、イナミはかぶりを振った。


「それはお互い様だ」

《だから、あなたと話したかった。話せてよかった》

「……そうか」

《おやすみなさい、イナミ》


 ベネトナシュはそう告げると、リストデバイスの通話を終了させた。

 こんな時間にご苦労なことだ。七賢人は二十四時間勤務なのだろうか。実は本当に人格を持ったコンピューターなのかもしれない。


「なんて、まさかな」


 一人取り残され、イナミは手すりに腕を乗せた。


 クオノについては、これでいいのだろうか、という後悔はある。

 だが、自分ではクオノを守り抜くことができない――


 こんこん、とガラス戸がノックされた。


 振り返る。

 カーディガンを羽織ったルセリアが、穏やかな表情で、そこに立っていた。


 何か用でもあるのだろうか。イナミがリビングに戻ると、冷たい風が室内に流れ込む。

 薄着の彼女は、わずかに身体を震わせた。


「さぶ。風邪引くわよ」

「そういうものにはかからない」

「だからって、冷えないワケじゃないでしょ」


 と、ルセリアは湯気の立つマグカップを二つ、持ち上げてみせた。


「お熱いココアはいかがかしら」

「すまない。わざわざ淹れてくれたのか?」

「こういうときは、ありがと、でしょ」

「感謝する」

「……ちょっと硬いけど、まあ、オーケイってことにしましょ」


 カップはすでに熱を持っていた。にもかかわらず、イナミは無警戒に一口。


「……熱いぞ」

「だから言ったじゃない」


 と、ルセリアに笑われてしまった。


 いい香りだ。

 ココアもだが、彼女の髪が、である。


 サイドテールに結っている髪を、今は下ろしている。ただそれだけなのに、勝気な印象が大人しく見えるので不思議だ。


 ルセリアは隣に立ち、ガラス戸越しに夜空を見上げる。


「お月見?」

「そんなところだ」


 などと応じつつ、イナミは今日初めて月を見た。

 半月である。望遠鏡を使えば、月面施設の遺跡が見えたかもしれない。

 ルセリアはそうと知らずに言った。


「きっと、クオノも同じ月を見てるわ」

「……だといいが」

「あたしはね」


 ルセリアは、ココアに息を吹きかけた。


「あんたがやろうとしてたことも分かる気がするのよ」


 イナミはゆっくりと振り向いた。

 彼女がマグカップに口をつける。白い器に唇の跡が残った。


「あたし、妹がいるの。特務官になったのは、あの子のため。だから、あんたたちみたいになったら、なんだってやるんだろうなって」

「……家族というのは、そういうものじゃないのか?」


 その問いかけに、ルセリアは今まで見たことのないような暗い微笑を浮かべた。


「三年前、パパとママ、あたしと妹の四人で食事に出かけたときのことよ。ミダス体に襲われたの」


 イナミは差し挟む言葉もなく、黙って耳を傾ける。


「現場はショッピングモールだった。マーケットとは違う、もっと大きな施設よ。だから、人も大勢いた。当然、パニックになったわ」


 ナノマシン群の増殖力は、密閉された空間と密集した餌食において最大限に発揮される。それはイナミも身をもってよく知っている。


「混乱に巻き込まれて、あたし一人がみんなとはぐれた。デバイスでみんなの位置を確かめたら、一か所に留まってて――ミダス体に囲まれて身動き取れなくなったのね」


 彼女は「まあ、よくある話よ」と客観的につけ加えた。


「ママは引退した特務官だったし、あたしもシンギュラリティに目覚めてた。だから、希望はあるって助けに行ったの。……今思うと、無謀にもほどがあるわね」


 笑みを浮かべてはいるが、声は凍えたように震えていた。


「駆けつけたとき、パパとママは血まみれになって倒れてた。妹はミダス体に襲われる寸前だったわ。そういう状況で、あたしがすべきことはひとつよね」

「敵を倒し、要救助者を守る」

「そう、守る。あの子に指一本だって触れさせやしない。そう思って、粉々にしてやった」


 後に続く「でも」という声で、震えがぴたりと止まった。


「終わりじゃなかった。パパとママにはまだ意識があった。変異は始まってて、苦しそうにあたしの名前を呼んでた。だから――」


 そこで、ルセリアは言葉を切り、熱を求めるようにココアを飲んだ。喉元が蠢く。


「後悔はしてないわ。殺したんじゃない。()()()のよ。ミダス体になって、魂まで消えて、なくなっちゃう前に」

「……魂?」

「そ。魂。自分が自分だって分かるもの」


 それを聞いて、船員たちを屠ったときの生温かい感触が手に蘇った。

 彼らはもう自分が何者かも分からなくなっていたに違いない。では、あれは魂の抜け殻だったのか。魂は、記憶とは異なるものなのか。

 イナミには分からない。


 ルセリアは長く息をつき、平気を装おうとしてぎこちなく肩を竦めた。


「妹からは憎まれたわ。特務官になったら、余計に嫌われて。今じゃもう、ほとんど顔を合わせてないくらい」


 彼女はガラス戸から見える都市の景色を見つめた。その中のどこかに妹がいるとでもいうように。

 リビングの照明を受けて、横顔に儚げな陰影がつく。


 ルセリア・イクタスは十六歳の少女なのだ。

 どんなに気丈に振る舞ってみせても、所詮は()()に過ぎない。

 だから、路地裏でイナミに押さえつけられたときも――


『化け物にするくらいなら殺して!』


 イナミはそういう人間を相手に戦っていたのだ。

 何も知らず。誰もが敵だと思い込んで。


「……それでも、妹のために戦うのか?」

「そうよ。あの子が怖い思いをしなくて済むように、ミダス体は一匹残らず斬り刻んでやるって決めたのよ」


 真っ直ぐにこちらを見上げてのそれは、さながら宣言だった。

 二人はしばし見つめ合い――

 ルセリアのほうがはっと我に返ったように口ごもる。


「い、一緒にいられなくても、『戦い様』はあるって言いたかったの!」


 なぜか彼女はムキになってこちらを睨みつけてきた。

 かと思えば、残っていたココアをぐいと一気に飲み干す。


 だけではなく、イナミの手からマグカップを奪い取り、それをも空にしてしまった。いっそ清々しささえ覚える飲みっぷりである。


「もう寝なさいっ」

「あ、ああ……」

「シャワー浴びなさいよっ」

「……分かった分かった」


 ルセリアはずんずんとキッチンに入り、シンクにマグカップを置いた。

 そこでようやく落ち着いたか、肩の緊張を緩める。


「イナミ」

「なんだ」

「移民手続きを済ませてないのって、機関を信用できないから?」


 市民になるための処理をまだ終えていないこと、彼女は知っていたようだ。

 イナミは最終確認となる署名を保留にしている。

 その理由は――


「……ここが自分の居場所だなんて思えなかったからだ」

「じゃあ、その気になったらでいいの」


 ルセリアはそっと窺うように振り返った。


「特務官にならない?」

「俺が?」

「イナミには人を守れる力がある。それは誰でも持ってるような力じゃない。でしょ?」


 思いもしない提案に、すぐには答えが浮かばなかった。

 クオノのことがいっぱいいっぱいで、自分の身の振り方なんて微塵も考えていない。

 そんなイナミは、ルセリアへの申し訳なさで目を合わせられなかった。


「すまない。今はまだ、何も分からない」


 彼女は「そう」と小さく頷いて、再び背を向けた。


「そうよね。ごめん、いきなり変なこと言って」


 そこで会話は終わりだとでもいうように、蛇口から水を勢いよく流し始める。

 イナミはしばらくその場に立って、ルセリアの言葉を反芻していた。


 戦い様はある。


 先刻までは、クオノは自分なんかよりもっと自立した大人といるべきだ――という諦めが心を支配していた。

 そんな自分に、クオノのためにできることが、まだあるのか。


 イナミは胸に迷いを抱えたまま、一階へと下りていった。

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