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船降る星のストラグル  作者: あたりけんぽ
第一部 来し方より訪れし者たち

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11/63

冷却:見ていたものが分からない

 イナミの仮住居は、都市外縁部の寂れた地区に建つ、古アパートの一室だ。

 徒歩で自室に戻った頃には、もう、日が傾き始めた時間になっていた。


 シーリングライトの明かりをつける。

 ワンルーム、キッチン、シャワールームつきの部屋が、〈アグリゲート〉における平均的な広さの居住空間だと今朝までは思っていた。

 しかし、特務部第九分室の宿舎から戻ってくると――


「……狭いな」


 非コンピューター制御の暖房が稼働を停止しているので、室内は外と大差ないほど冷え切っていた。リモコンを操作すると、ベランダの室外機がせっせと働き始める。


 カーテンをかけていないガラス戸に目をやる。

 すぐそこを通る排水路の向こうに、都市の繁華街や中心部が煌めいて見えた。


〈セントラルタワー〉の元が何か、初めて見たときにすぐ分かった。

 地上に突き立った()()()なのである。


 どんな目的で建造された船なのか。どれほどの人数の船員が乗っていたのか。最期の時をどう迎えたのか。


 それに――なぜ、地上人は漂着物を再利用しようと考えたのだろう。文明を滅ぼした物として、忌避しなかったのだろうか。


 あの塔を見るたび、疑問が沸々と思い浮かぶ。


 イナミはベッドに広げたままの人工毛布に座り、溜め込んだ吐息をつく。


『己を知らぬ者が大いなる力を握る』


 自分のことは分かっている。

 地上で猛威を振るう化け物たちと同じルーツを持つ、生物兵器。

 それを否定するつもりはない。


 だが、自分の行動が周囲にどんな影響を及ぼすかなど、想像したことは一度もなかった。


 クオノには一匹たりとも変異体――いや、ミダス体を近づけさせやしない。

 もしもクオノが〈デウカリオン機関〉に監禁されているのなら、組織とも戦うつもりだった。

 ただ、もう一度、クオノの顔が見たかった。


 ――それが間違いなのだとしたら?


 本当に守り抜けるのだろうか。自分自身を覆うことしかできない、この力で。


「…………」


 知らず知らず握り締めていた拳の、指一本一本を引き剥がすように開く。

 震える手でダウンジャケットの前を開き、インナーウェアの襟に挟んでいた黒縁眼鏡を手に取った。


 弦を開き、レンズを通して都市を覗く。

 度が強すぎて、景色はぐにゃりと歪んでしまった。


「……俺には、お前が見ていたものが分からない」


   〇


 翌日の午後。


「こんにちはっ」


 チャイムが鳴らされたのでドアを開けてみると、エメテルが廊下に立っていた。

 赤いダッフルコートに毛糸の手袋という、暖かそうな服装だ。


「お迎えに来ました。お引越しの準備はどうですか?」

「ああ、終わっている」


 イナミは玄関先に二つ重ねて置いた段ボール箱を目で示した。

 住み着いて一週間、荷物といえば支給された何着かの服と生活用品、そして日々の食糧だったゼリー飲料だけだ。


 地上に来てから、固形物は口にしていない。

 イナミは、なるほど、と思ったものである。地上人は実に合理的な思考の持ち主で、重要なのは味ではなく成分なのだ、と。


 もっとも、それは大きな勘違いなのだが――


 ともかく、荷物をまとめるには支給用の段ボール箱を再利用すればよかった。


 すでに着込んでいるダウンジャケットの懐に、黒縁眼鏡を入れたプラスチックケースがあるのを確かめる。

 もう一度、部屋に戻ってぐるりと見回し、


「よし」


 置き忘れはない。確認するのは三度目だ。一週間だけの短い滞在だったが、寝床が移るとなると奇妙な引っかかりを覚えるものである。


 玄関先で待っていたエメテルに「行こうか」と声をかけた。


 箱を外に移してから、ドアを施錠する。その鍵は郵便受けに放り込んでおいた。

 それを横で見ていたエメテルが、感心したような声を出す。


「レトロなセキュリティですねー」

「安全性は高くないだろうな。簡単に壊せそうだ」


 イナミはドアノブを軽く引っ張ってみせた。蝶番(ちょうつがい)がぐらつく。


「だ、ダメですよ、やっちゃ」

「もちろんだ。器物損壊の罪で、送られる先が変わる――だろう?」

「ですです」


 力強く頷くエメテルに、イナミも肩の力を抜いてみせた。


 廊下の手すりや外階段は錆びついている。

 段ボール箱の重量も加わったことで、ステップを下りるたびにネジがすすり泣くような音を立てた。

 後ろからついてくるエメテルは、おっかなびっくりといった様子で下りている。


 門前の道路脇には、白いセダンが駐車している。

 運転席には、トレンチコートを羽織っているルセリアの姿が確認できた。

 向こうもこちらに気づいたようだ。フロントパネルに向かって口を動かすと、トランクが開放される。それに合わせて、彼女が何やらハンドサインを送ってきた。


 中に入れろ、ということだろうか。

 段ボール箱二つを詰めたイナミは、開いたままのトランクリッドをぼうっと見つめる。

 後部座席のドアを開けて待っていたエメテルが、にこりと微笑んだ。


「離れると、自動で閉まりますよ」


 言われたとおりに四歩ほど下がると、トランクは静かに閉鎖された。


「宇宙船に車はなかったんですか?」

「さあ。俺は見たことないな」


 言葉を交わしながら、イナミは促されるまま後部座席に乗り込んだ。

 その後からエメテルも乗車して、ドアを閉める。


 彼女がシートベルトを引っ張り出すのを見て、イナミも真似をした。一瞬、クオノは自力でベルトを外せただろうか、という不安がよぎる。

 視線を虚ろに漂わせていると、ミラー越しにルセリアと目が合った。


「……なんだ?」

「一応、監視任務だからね」

「今さら抵抗なんてしない。する理由も、ない」

「……ならいいけど」


 セダンが静かに走り出し、徐々に速度を上げていく。

 モーターの高周波音は全く聞こえない。耳を澄ませば三人の息遣いまで聞こえそうなほど静かである。


 ふと気になって覗いてみると、ルセリアはハンドルに手を乗せているだけだ。さながら車自身の走行に任せているようだった。


「自動操縦なのか?」

「そ。エメのサポートAI、バスケトが運転してるのよ」


 ルセリアがセンターコンソールを操作すると、カーナビ用のホログラムディスプレイが浮かび上がる。


 その画面に表示されたのは、一つ目がついた、手提げの竹籠のアイコンだ。カメラの動きに連動しているのか、その目がイナミを見ている。不気味さはない。


 エメテルは誇らしげに薄い胸を反らした。


「普段は私の情報収集を手伝ってくれてるんです。ね、バスケト」

《はい、エメテルお嬢様》


 バスケトに使われている合成音声は、渋みのある男性のものだった。加えて、変わった呼び方をさせている。


 ――お嬢様、だって?


 なら、自分はなんと呼ばれるのだろう。関心を抱いたイナミは、コンソールの小さなレンズに向かって頭を下げた。


「イナミ・ミカナギだ。よろしく、バスケト」

《初めまして、イナミ様。あなたについては存じ上げております》


 試してみて、とてつもない罪悪感に襲われる。イナミはしかめ面で唸った。


「『様』はやめてくれ。イナミでいい」

《承知いたしました、イナミ》

「……この疑似人格はエメテルが構築したのか?」


 主人のエメテルがくすくすと笑う。


「私の保護者ですよ。ラボに勤めてる人なんです」

「ラボ、というと、科学者か」

「はい。〈フェアリアン計画〉というプロジェクトで生まれた私たちの――あ、『私たち』っていうのは、同じ日に生まれた妹が二人いまして。バスケトはその子守役なんです」

「それが今では補佐役か」

「電脳空間での手足になってくれてます。私の能力はバスケトあってこそです」


 それで、エメテルは自慢げに話すのだろう。

 彼女は少しして、思い出したように「ふふっ」と笑みを洩らした。


「珍しいんです、バスケトの『目』を見て話そうとする人。みんな、AIだって感じで。そういえば、ルーシーさんもイナミさんと同じで、困ってましたね」

「そりゃ、そうでしょ。いきなり『ルセリアお嬢様』なんて呼ばれたらね」


 ルセリアは前を向いて、ハンドルを軽く叩いた。


「〈アグリゲート〉じゃ自動運転は珍しくないけど、バスケトはスペシャルよ。それに何かあったとしても、すぐマニュアルに切り替わるわ」

「……だったら、エメテルがハンドルを握ったほうがよくないか?」


 悪意のない質問なのだが、エメテルは「あう」と呻いた。

 ルセリアがおかしそうに肩を震わせる。


「十五歳になってすぐ、運転免許を取ろうとしたみたいだけど――」

「予測が先回りになりすぎて、逆に後続が危ないから運転しちゃダメって言われました……」


 エメテルはしゅんと肩を落とす。


 知れば知るほど不思議な少女だ。〈並走思考パラレル・プロセッシング〉という能力のおかげで勘が鋭いようだが、十五歳にしては幼く、喜怒哀楽も仕草で分かりやすい。

 それに加えて、イナミは思うのだった。


「予測が効く、というのは悪いことではないと思うが。戦闘員向きでもあるな」

「絶対ダメよ」


 さっきまで笑っていたはずのルセリアが、急に振り返った。険しい表情だ。


 過酷な戦闘に、年下の同僚を投じるわけにはいかない。そんな使命感を、少しだけ年上というだけの少女であるにもかかわらず、抱いているのだろうか――

 と、イナミが察したのとは、全く違う事情だった。


「頭に身体がついてかないの。何もないところでずっこけたりするから心配で、こっちの気が散るのよ。射撃訓練でも的が出る前にばんばん撃つし。前を歩けないわ」

「なるほど、それは怖いな」


 二人してうむうむと頷き合う。

 エメテルは顔をぷいと窓の外に向けた。


「そこまで言わなくてもいいじゃないですか。……イナミさんまでっ」


 ルセリアはまた微笑を浮かべ、前に向き直った。


「でも、オペレーターとしては本当に頼りにしてる。ありがとね、エメ」

「……ま、まあ、分析は私にお任せですよ」


 窓に反射するエメテルの表情は、にやけを隠せていなかった。


 ふむ、とイナミは二人を交互に見比べる。コンビを組んでいるだけあって、ルセリアはエメテルの扱いを心得ている。その仲睦まじさのほどは、親友――あるいは、姉妹のような関係性に近いと思われる。


 とすると、そこに割って入る部外者が一人。


「……迷惑をかけるな」


 イナミの呟きに、二人が「え?」と反応する。


「何、どうしたの、急に」

「俺は今まで、人間に全く目を向けていなかった」


 窓の外の景色はいつしか、仮住居がある寂れた地区から、煉瓦造の建物が建ち並ぶ地区に移り変わっていた。

 歩道には様々な人種の市民が歩いている。


〈アグリゲート〉は元々、各地の放浪民が合流した烏合の衆だったという。


 エネルギー生産施設でもある〈セントラルタワー〉を巡る争いを避けるため、この地に住んでいた民族と放浪民の指導者たちが協議。

 その結果、設立されたのが〈デウカリオン機関〉だ。


〈大崩落〉から数十年しか経っていない頃の話である。

 それから現在に至るまでも『統一化』は進まず、機関はそれぞれの故郷文化を反映した継ぎはぎの都市を発展させた。


 集合体(アグリゲート)を形成してなお、坩堝の中で融け合わない人々。


 その光景はイナミにも覚えがある。

 多国籍の船員によって構成された〈ザトウ号〉がそうだった。


 イナミは、この都市で生活する人々――もっと具体的にイメージできる者として、目の前の少女たちに想いを巡らせた。


「俺は無自覚のまま、人間に危害を加えていたんだな」

「そ、そんなネガティブなことばかりじゃないですよっ」


 エメテルは頭をぶんぶんと振る。ラフシニヨンにまとめた髪がふよふよと揺れた。


「イナミさんの情報がなければ、ミダス体について何も知らないままでした。敵のことを知るのは大事だ、って昔の人も言ってますし。……確かに出会ったばかりの男の人とひとつ屋根の下って、不安だらけですけどね」


 ルセリアが「あら」と軽い調子で言う。


「他の班じゃ、男女共同生活なんて当たり前よ」

「じゃあ、男の人の目があれば、ルーシーさんの脱ぎ癖も改善されるかもですね」


 言い返すエメテルに、イナミは首を傾げた。


「脱ぎ癖?」


 ルセリアがハンドルをぎりっと握り締める。ルームミラーの中で、琥珀色の瞳がこちらを凝視していた。


「気にしないでよろしい」

「あ、ああ……」

「この際、今までのこともね」


 と、何気なくつけ加えてから、彼女は「そうだわ」と呟いた。


「エメ。人が増えるんだったら、アレをやりましょ」

「あ、いいですねえ。マーケットに寄ります?」

「そうね。冷蔵庫の中、空っぽだったと思うし」


 エメテルはセンターコンソールを覗いて、普段とは異なる口調で命じる。


「バスケト、目的地変更」

《かしこまりました、エメテルお嬢様》


 セダンは次の交差点をスムーズに右折する。

 どうにも話を呑み込めていないイナミは、やや警戒気味に尋ねるのだった。


「なんだ、『アレ』って」

「決まってるじゃないですか」


 エメテルが両手を合わせて答える。


「イナミさんの歓迎パーティーですっ」

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