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船降る星のストラグル  作者: あたりけんぽ
第一部 来し方より訪れし者たち

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漂着:特務部第九分室に命を下す

「七賢人との取引は――」


 イナミは、特務部第九分室のオフィスで耳を傾けるルセリアとエメテルの二人に、こう締め括った。


「『液体金属』の技術を表沙汰にはしない。クオノの捜索も協力する。その代わり、俺には機関の意向に従え、というものだったんだ」


 手の中のマグカップはすっかり冷めていた。

 話している間、ずっと黒い液体を覗き込んでいたイナミは、そこで初めて顔を上げた。


 ルセリアは沈痛な面持ちでこちらを見つめている。

 一方、エメテルはというと――


「うう……ぐすっ」

「……なぜ、泣いている」

「だってだって、いくらなんでもあんまりじゃないですかっ!」


 シートから勢いよく立ち上がり、拳をぐっと握り締める。


「私もクオノさんの捜索をお手伝いします! どんと任せてください、私の〈並走思考パラレル・プロセッシング〉なら市民情報を洗いざらい調べることも――」

「エメ、鼻水」


 呆れ顔のルセリアが箱を差し出す。エメテルが雑にティッシュを取って『ちーん』と鼻をかむのを横目で見ながら、


「それからエメ。さっき『なんでこいつを連れてきたのか』って言ってたわよね?」

「え? なんのことです?」

「『イヤ』とか『怖い』とか」


 目元を拭ったエメテルは、まだすんすんと鼻を鳴らしながらも、比較的落ち着いた様子でイナミに向き合った。


「ところで」

「ちょっと、無視?」

「今のお話について、確認させてください」


 エメテルは、腕を組んで口をへの字に結ぶルセリアのほうを見向きもせず、緊張を含んだ声で先を続けた。


「イナミさんが搭乗していた〈ザトウ号〉。この船員さんを襲った変異体というのは、ずっと昔に漂着してた……ということですが」


 イナミは「ああ」と小さく頷いた。

 それが何を意味するのか、彼女はすでに確信を得ていたようだ。


「もしかして、ミダス体は元々、〈ザトウ号〉の実験体だったんですか?」


 ルセリアが肩を震わせて、こちらへと厳しい目を向けた。

 イナミはコーヒーに視線を落とす。


「……そういうことになるんだろうな」


 非人道的実験だったと、イナミとて理解している。

 それでも、研究員たちは遥か未来に及ぶ人類の進化を目指していたはずだ。

 にもかかわらず、自らの生涯を閉ざしたどころか――〈ザトウ号〉が亜空間から脱出してしまったことで、人類を大地の片隅へと追いやった。


 なぜ、こんなことになったのだろう。

 せめてあのとき――


「すまない。〈ザトウ号〉で殲滅できていれば、地上の状況もこれほどにはなっていなかっただろうに」

「どっちにしても」


 一言目は突き放すような強さだった。ルセリアは大きく吐息をつき、きつく組んでいた腕を解いた。


「〈大崩落〉で文明は破壊されてたわ。それにあんた、何か勘違いしてない?」

「勘違いだと?」

「あたしたちはまだ()()()()。人間が虫の息みたいに話すのはやめて」


 イナミは何も言い返さなかった。漂着物や怪物に(おびや)かされる世界は、『生きている』などといえるのだろうか。ふと横に目を向ければ、死がいくらでも横たわっているではないか。


 険悪なムードを感じ取ったか、エメテルは肩を縮めた。


「『今』の話をしましょう。ミダス体がクオノさんを探してる理由は――その高度なハッキング能力なんですね?」

「そう言っていた」


 エメテルは「うーん」と唸り、長い耳の右側に着けたカフを指に挟んで撫でた。


「聞く限りでは、シンギュラリティとしてもありえない力なんですよね」

「……そうなのか?」


 彼女はこくりと頷いた。


「シンギュラリティが及ぶのは、自身の肉体か、知覚可能な空間だけです。大きな施設のどこにあるか分からないコンピューターに干渉するなんて……」


 それを聞いたルセリアが問う。


「でも、似たようなことはエメもできるんじゃない?」

「いえ、私はデバイスを介してます。クオノさんが何も身に着けず、何か操作した様子もなく、権限を持たないシステムにアクセスしたのなら、やっぱりすごい『力』なんだと思います」


 ふむ、とイナミとルセリアは同時に唸り、横目で睨み合った。

 先に肩から力を抜いたのは、ルセリアのほうだった。


「あんたの、その、『亜空間航行』? ……も聞いたことがない能力ね」

「『航行』より『跳躍』というほうが正しい。感覚的にもな」


 エメテルが「それなら……」と天井を見上げる。


「仮称として、〈跳躍(ジョウント)〉と呼びましょうか。正式な名前は後でつくと思いますけど――もう少し詳しいことを教えてもらえますか?」

「そうだな。何度か試したが、跳べる距離は十メートルが限度だ。それに制限もある」

「連続使用は無理、とか?」

「それは可能だ」


 なんでもないことのように言うと、ルセリアが驚いて訊き返す。


「じゃあ、制限って何?」

「外骨格を纏っている状態じゃないと、服が脱げる」


 二人の少女は同時に「はい?」と首を傾げる。

 先にその図を想像したエメテルが、長い耳の先まで真っ赤に染め、両手を頬に当てる。


「は、は、裸になるってことです?」

「ああ。跳べるのは俺自身だけらしい」


 しかめ面を浮かべているルセリアが信じていないのではないかと思い、イナミは真顔で首を傾げた。


「なんなら、やってみせるか?」

「やらなくていいあんたの裸なんて見たかないわよっ!」


 捲し立てた怒声が、オフィスにびりびりと響く。

 その余韻に、却って顔を赤くしたルセリアはぷいと横を向いた。


「……管理外技術のオンパレードね。クオノのハッキング能力に、あんたの液体金属。〈跳躍(ジョウント)〉? ……はおまけとしても――ミダス体が目をつけるワケだわ」

「〈デウカリオン機関〉こそ、それが理由でクオノを監禁しているんじゃないのか」

「だから何度も言ってるでしょ。あたしたちは何も知らないわ」


 イナミは用心深く、二人の目の動きを探った。仮面で顔を隠している者たちとは違って、少女たちの瞳からは漠然とした感情が読み取れる。


 エメテルは潔白を訴えるかのような怯え。

 ルセリアはあからさまな反感を露わにして――むっつりと呟いた。


「七賢人が何か隠してたって不思議じゃないけどね」

「何か知っているのか?」

「知ってるってほどじゃないわ。遺物――〈大崩落〉の前からあった物のことだけど、それから回収された技術は、基本的にはラボで解析されるの。データバンクにも記録されるし。だけど、中には記録されない物もある」

「『民が触れるにはまだ早い』……」


 七賢人ドゥーベの言葉である。


「クオノもそうだって言うのか?」

「もしかしたらね。まあ、そもそも、クオノが漂着してるのかどうかも分からないし」

「だが、ミダス体は〈アグリゲート〉でクオノ探しを行っている」

「そう、あたしたちの問題はそれなのよ」


 と、ルセリアがイナミのほうへずいと身を乗り出した。


「ミダス体が主体性を持った知的生物だなんて知られたら、面倒なことになるわ」

「どういうことだ」

「市民にはミダス体こそが救世主だと考える人もいる。そんな人たちの信仰心を増長させることになるかもしれない」

「そんなバカな。ヤツらは人間を殺そうとしているんだぞ! 死んだところで何があるって言うんだ!?」

「死ぬことで救われる。そういう考え方があることは、誰にも否定できないでしょ」


 その声があまりに実感のこもったものだったので、イナミは怒りを吐き出すことができなかった。


 死ぬことで救われる。自分とて、今の今までそう考えたことが一度もなかったと断言できるだろうか。カザネが死んだとき。クオノが亜空間に消えたとき。自分が生き長らえることに肯定的だっただろうか。今だってそう思っていないではないか。


 やや俯くようだったルセリアは、すぐに顔を上げた。


「だからと言って、同意もしないけどね。ミダス体は間違いなく人類の敵よ。当然、七賢人は事の大きさをあたしたちよりも把握してるはずだけど――」


 そこで思案するように間を置いたルセリアは、優しくエメテルに振り返った。


「エメ、上に情報の開示を請求して。ここで起きてることなのよ。ミダス体の好き勝手にさせてたら、特務官の名が(すた)るってもんだわ」

「了解です。……ちょっと怖いですけど」


 最後のほうは小声でつけ加えるエメテルだった。それがオペレーターデスクに向き直る途中で、びくりと肩を震わせた。


「る、ルーシーさん」

「何?」

「七賢人様から通信要請です」

「タイミングがいいわね」

「……よすぎですよう」


 エメテルは怯えた様子で「モニターに出します」と囁いた。


 壁の大型モニターに、二人の白ずくめが映し出される。


 現れたのは、例によって大男のドゥーベと小柄な女のベネトナシュだ。イナミは、彼らがこの件の担当者なのだろう、という認識を確かなものにしていた。


 ドゥーベは開口一番に、こう言い切った。


《クオノなる者は、この〈アグリゲート〉には存在せん。ゆえに、開示する情報も皆無。それが七賢人としての答えだ》

「まだ(しら)を切るつもりなのか?」


 こちらの顔が見えているのかは分からないが、イナミはモニターを睨み上げた。

 少なくとも声は届いている。ドゥーベは仮面に手を当てた。


《分からぬのか、イナミ・ミカナギ。我々七賢人が『敵』と見る者はミダス体に限らん》

「……同じ人間か」

《虫は(まばゆ)い光に寄る。己の身が焼けようともな》


 エメテルが頷き、イナミに対して補足した。


「そういった犯罪も〈アグリゲート〉では起きてるんです。シンギュラリティや漂着物から回収された技術の悪用は、一般人に阻止できるものではありません。なので、力には力を――私たち特務部は人相手に交戦することもあるんです」

「相手が誰だろうと関係ない。クオノを守るのが俺の使命だ」


 画面の中のドゥーベが《ほう?》と感心したように問い質す。


《汝一人に守り切れるのか?》

「……っ!」


 それは、イナミにはクリティカルなものだった。

 口では守る守ると言いながら、何かを守れた試しがない。


「それでも、俺は……」


 イナミは言いかけるも、ついには口を噤んでしまう。

 拳を握り締めて悔しがるのが精一杯。そんな無力な存在を目にして、ドゥーベは厳しい言葉を重ねた。


《己を知らぬ者が大いなる力を握る――浅慮が過ぎるのだ、イナミ・ミカナギ。汝は先刻も使命とやらに駆られ、ミダス体どもと接触し、我らが特務官の務めを阻害した。そこにいる者の身を危険に晒したことにも思い至らぬのであろう?》


 イナミははっとなってルセリアを見た。

 今、横にいる彼女が死んでいたかもしれない――血まみれのカザネの姿が脳裏に蘇って言葉を失った。


「あたしは別に――」


 彼女はとんでもないという顔で口を差し挟もうとするが、


闖入者(ちんにゅうしゃ)に気を取られ、注意散漫に陥った。否定できるのかね、ルセリア・イクタスよ》

「そんなことは……まあ……あったかもしれないけど……」


 と、言葉を濁す。


《我らは優秀な特務官を失う可能性もあった。認めるかね、イナミ・ミカナギ》

「……そのとおりだ。すまない、ルセリア。その後のことも含めて謝罪する」


 素直に非を認めたイナミに、むしろルセリアのほうが落ち着きを失っていた。


「い、いいのよ、ちょっとはあんたがムキになる気持ちも分かるし」

「いいや、よくないだろう」

「それを言うならこっちだって……って、畏まんないでよ、なんか気まずいから」


 言い合う二人を遠くから眺めていたドゥーベが、《うむ》と満足げに頷いた。


《汝が我ら〈デウカリオン機関〉を敵視するのは勝手だ。だが、こちらにも汝を排除する用意はできておることを忘れてもらっては困る。――次はないぞ》


 イナミは冷静を通り過ぎ、空虚感に支配されて、ただ頷くしかことしかできなかった。


 ドゥーベは次に、むくれている少女へと視線を移す。


《ルセリア・イクタスよ。その男を庇い立てするのであれば――》

「別に庇ってなんてないし」

《……で、あればだ。特務部第九分室に(めい)を下す》


 まず、エメテルが「は、はい!」とオペレーター席から立ち上がり、背筋を伸ばす。

 その後で、ルセリアは不服そうに顔を上げた。


《イナミ・ミカナギを監視せよ。この命は、撤回があるまでの無期限とする。反逆が起きた場合には抹殺も許可する。容赦はするな》


 エメテルが、反射的に握った拳を胸に当てて敬礼しようとして、目を見開いた。


「了か――って、無期限です!?」


 ルセリアも驚いてガラステーブルに手をつく。


「ずっとイナミにくっついてろってこと!?」

(しか)り。翌日より、イナミ・ミカナギを第九分室宿舎に移らせる。これならば汝らも監視が楽であろう》


 視線を足元に落としていたイナミは、これがどういう話の流れなのか、今一つ分かっていなかった。


《翌日としたのは、身辺を整理する時間を一晩くれてやろうという情けだ。通達は以上》


 ドゥーベが背を向け、画面から姿を消した。

 後に残ったベネトナシュが、立ち去った大男のほうを見て、初めて口を開く。


《任せるって、こういうこと?》

「どういうことよ! ミダス体のほうは放置するつもり!?」


 通信越しでなければ相手が誰だろうとお構いなしに掴みかかっていそうなルセリアにも、ベネトナシュは《と、いうことだから》と軽くいなした。


《イナミ。今から〈ハニービー〉を巡回させる。彼女たちの目がないところでは、私たちの目があることを忘れないで》

「勝手な行動は慎む。それで……いいのか?」

《うん。じゃあ、これで》


 ベネトナシュは行儀よく頭を下げ、通信を打ち切った。


 交わす言葉が見つからない。

 イナミが再び「すまない」と口にするまで、二人の少女はいつまでも困惑顔を突き合わせていた。

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