第五話:惨劇
少し強引だったかもしれません……
チャイムが鳴る。
学校が終わる。
翔輝は今日一度も『彼女』を見ていない。
否、どちらかと言えば、見ないようにしていた。
「はぁ……やっと終わった……」
夏の暑さで少しバテ気味の翔輝はカッターシャツの袖をまくり、下校準備を進めていた。
「……琴音、迎えに行かないとな……」
少し疲れた様子の翔輝は妹の琴音を迎えに行くため学校を後にした。
「……三上君……待っててね、もうすぐだから……」
下駄箱から翔輝の後ろ姿を見ていた怜梨は再び教室棟に消えていった。
「あ……おにーちゃん」
中学校の校門前でいつものように琴音は翔輝が来るのを待っていた。
「っ、……さ、帰るか……」
つい先日あんな告白をしてしまったのだから、まともに琴音と目が合わせられない。
と言っても、琴音の方はまだ少し元気なないものの、少し嬉しそうだった。
「ね、翔にーちゃん……こないだ言ってた、私のこと、大好き、って言うの……ほんと……?」
琴音がほんのり頬を染めながら訊いてくる。
「っ、……まあ、好きだぞ。しかし、あの時は不可抗力と言うか、ああ言うしかなかったというか……て、琴音……?」
言ってて琴音の異変に気づく。
「……っ、えと、その、あの……っ」
顔を真っ赤にして、あたふたと両手をばたばたさせながら琴音が何かを伝えようとしてくる。
「ど、どうした……?」
その様子を見た翔輝が怪訝そうに琴音に訊ねた。
「わ……っ、私も、……おにーちゃん大…好き……!」
「……おう、ありがとな……」
言って琴音の頭を撫でてやった。
兄妹で恋愛と言うのは、端から見たらおかしいのだろう。
それでも、翔輝と琴音はお互いがお互いを好きでいる。
この事に嘘偽りはないのだ。
「翔にーちゃん、今日の夜ご飯何作るの?」
「今日は……そうだなぁ、久しぶりに外で食べるか?」
「え……?良いの?」
「ああ、今日は特別な日だ。これぐらいやらないとな!」
琴音は少し迷っていた。
大好きなおにーちゃんの作る料理を取るか、三上家ではかなり久しぶりとなる外食を取るか……。
「じゃあ……今日は外で食べる!
でも、明日からはまた翔にーちゃんの作るご飯だからね!」
翔輝は「ああ!」と頷いたところで、二人は自宅に到着した。
家に着くなり、琴音はものすごい勢いで玄関扉を開け、家の中に消えていった。
「そかそか……本当に久しぶりだな…外食なんて」
そう、三上家が外食をするというのは、本当に久しぶりなのだ。
「最後に行ったのは……まあ、いいか……」
服を着替えながら吐き捨てるように呟く。
「琴音ー、兄ちゃん準備できたぞー!」
「はーい!私ももうすぐ~!」
琴音の声を聞いた翔輝はホッと胸をなで下ろした。
何故なら、琴音は元気な、いつもの琴音、あの元気で活発な琴音の声に戻っていたのだ。
「……もう心配いらないな」
翔輝は既に支度を済ませ、玄関で琴音が来るのを待っていた。
と、そこに普段翔輝が見たことない服を着た琴音が二階から降りてきた。
「…………」
その姿に翔輝は言葉を失っていた。
「……似合ってるかな……?」
いつも通りポニーテールのように髪が結ばれていたが、その結んでいるリボンの色が少し大人っぽい色に変わっていることに気づいた。
「あ、ああ、最高に似合ってるぞ!……(琴音、あんなリボン持ってたんだな……)」
「ん……ありがとね、おにーちゃん」
そうして二人は自宅を後にし、久しぶりの外食へと向かうのであった。
「……ふぅ、久しぶりだから余計旨く感じたな」
「そ、そだね……」
久しぶりの外食(お寿司)を楽しんだ翔輝と琴音は手をつなぎながら自宅へと向かっていた。
どちらが「手をつなごう」とも言った訳ではない。
自然と、無意識の内に二人は手をつないでいた。
「ね、ねぇ……翔にーちゃん」
「ん、どうした、琴音」
「……お腹痛くなってきた」
翔輝は「マジか!?」とでも言いたげな顔を作ったあと、周りにコンビニがないかと見回した。
が、周りにはコンビニが無く、翔輝の目には小さめの公園が留まった。
「琴音……兄ちゃん外にいるから、早く行ってこい」
「うん……っ!」
琴音はわき目もふらずにトイレへと突撃していった。
翔輝はさすがにトイレの目の前で待つのは不味いと思い、公園の入り口で待つことにした。
しかし、いくら待っても琴音は戻ってこなかった。
「遅すぎるよな……見に行くか……」
不審に思った翔輝は公園の奥にあるトイレへと向かった。
そこで……。
「ッ!?」
嗚呼……、どうして、どうして神はこうも試練ばかり与えるのだろうか。
翔輝は目の前に広がっている光景を先日見たことがあった。
「……っ、……ッ」
木に凭れ、声にならない叫びをあげる琴音と……。
「もう、逃がさないから……今日こそ、絶対に殺すから……ッ!」
ダガーナイフを右手に持って琴音の前に立つ怜梨の姿があった。
「や、め……て……ッ!」
琴音はもう耐えられない、と言った様子だった。
「逃がさない、って私言ったよねッ!?」
叫びながらじりじりと琴音に歩み寄る。
「こ、琴音ッ!」
自然と大声が出ていた。
「!おにーちゃんッ!助けてッ!」
それに応えるように琴音が叫ぶ。
「三上……君……?
あ、れれ……?三上君の登場は台本にないんだけどなぁ……」
怜梨がゆっくりと顔を向けてくる。
「お生憎様、今日は琴音と……二人っきりで、デートしてたんだよ……ッ!」
この言葉が惨劇の始まりを呼ぶ引き金となった。
「…………デート……?」
怜梨はそれだけ言うと、再び琴音の方に向き直った。
「……ぇ……?」
怜梨は琴音に向けてダガーナイフを突き立てたはずだった。
「ぐ……ぁ……っ!」
「おにー……ちゃん……?」
怜梨は確かに琴音を刺したはずだった。
しかし、実際に刺してしまったのは……、その兄、三上翔輝だった。
翔輝の脇腹に深々と突き刺さったダガーナイフを持つ怜梨の手がガクガクと震え始める。
「……っ、痛ぇ……な、琴、音……大丈夫、か?」
「っ、っ!おにーちゃん……、おにーちゃん……ッ!翔にーちゃんッ!」
自然と涙が溢れだし、必死に大好きなおにーちゃんの名を叫ぶ。
「っ、あ……ああ、よかっ……た、大丈夫、だったんだな……」
琴音は涙を流しながら首を激しく上下させていた。
そして、怜梨は……。
「嘘だ……嘘だ、嘘だっ!、嘘だ……ッ!嘘だッ!
こんなの嘘だ……私が、三上君を……嘘だぁぁぁぁぁぁッ!!」
翔輝に突き刺さっていたダガーナイフを抜き取り、泣き叫ぶようにして公園から逃走してしまった。
「がは……っ」
抜き取られた衝撃で傷口から血が大量に吹き出してしまう翔輝。
「っ、ッ、救急車……ッ!」
琴音が救急車を呼ぼうと携帯を取り出したところで、公園の近くにけたたましいサイレン音が鳴り響いた。
「っ、きゅ、救急車……ッ!翔にーちゃんッ!救急車……来たよッ!」
琴音は必死に翔輝に呼び掛けた。
だが、出血が多く、翔輝の意識はだんだんと薄れていき、琴音の呼び掛けに応えられなくなっていた。
それでも、翔輝は最期に琴音に何かを伝えようとしていた。
「……っ、琴、音……も、し、兄ちゃん、が、助かったら……ま、た、デー……ト、しよう、な……」
血塗れの手で琴音の頬を撫でながら力無く言った翔輝。
そして翔輝は意識を失ってしまった。
やがて救急隊員が二人の元へ到着し、翔輝はそのまま病院に運ばれ、集中治療室で手術を受けることになったのであった。
治療室の前で泣いていた琴音は、少し疑問に思うことがあった。
「あのぎゅきゅうじゃ、誰がよんでくでたんだろ……」
そう、琴音が救急車を呼ぼうとした時には既にサイレンの音が響いていたのだ。
では、一体誰が呼んだのか?
答えは簡単だった。
「あら、あの子のご家族の方ですか?」
「え……?あ……、はい」
琴音に声を掛けたのは若い看護婦だった。
「あぁ、やっぱり……あなたのお兄ちゃんから『救急車を呼んでくださいッ!』っていきなり電話があったのよ……」
「え……っ?」
「その時はなにも話してくれなかったんだけど……まさかこんなことになるなんてね……あなたのお兄ちゃんは誰か命に関わる傷を負うってのがわかってたみたいよ……」
「……ぞんな……っ、おにーぢゃんは……っ、翔にーぢゃんは、だすかるんですか……っ!?」
「大丈夫よ、手術はもうすぐ終わるはずよ。もう少し、がんばってね」
言い終えると、看護婦は自分の仕事に戻っていった。
「は……い……」
その時、『手術中』のランプが消え、中から執刀医らしき男性が現れた。
「っ!おにーぢゃんば……っ!?」
「大丈夫、手術は成功したよ。意識が戻るまではもう少し掛かるけどね」
嗚呼……、神様、ありがとう……私の、大好きなおにーちゃんを守ってくれて。
「……よか……った……」
琴音は安堵の表情を浮かべ、疲れていたのか椅子にもたれながら眠ってしまった。