第四話:悲劇の序章(前編)
「琴音ー、晩飯できたぞー」
夕食を作り終え、妹の名を呼ぶ。
いつもならリビングの扉が勢いよく開かれるところだが……。
「…もしかして…」
こんなことは今までなかった、ましてや翔輝の作る料理をあの琴音がみすみす逃すはずがない。
翔輝は琴音の部屋に向かうことにした。
「…琴音ー?」
妹の名を呼ぶ。
「翔にーちゃん……?」
部屋の中は真っ暗だった。
「あ、ああ…兄ちゃんだぞ…晩飯、できたぞ?」
「うん…わかった」
「……そうか。じゃあ兄ちゃん先行ってるからな」
そう言って琴音の部屋を後にする。
明らかな異常。
あの琴音が、いつも元気な琴音があんな風になってしまうなんて。
時を遡ること、二日前。
その日は土曜日だった。
いつもと変わらぬ朝。
「おにーちゃん!今日の朝ご飯はなんだ!?」
「ん?今日は…兄ちゃん特性のハンバーグと焼おにぎりだぞ」
「おお!」
いつもの元気で活発な琴音だった。
二人で朝ご飯を食べ終え、食器の後片づけをしているところ、翔輝は自分の携帯が鳴っていることに気づいた。
「翔にーちゃん!携帯が鳴っているよ!」
「ああ、わかってる……」
手を拭きながら思う。
「もしかして…怜梨か……?」
「……っ!」
言った瞬間琴音の肩がびくっ、と揺れた気がした。
翔輝はふと昨日の下校時のことを思い出した。
その日も翔輝、怜梨、琴音の三人はほぼ無言で帰路についていた。
そして別れ際に怜梨が言った。
「あ、あの、三上君……」
「んー?どうしたー」
「もし、よかったら…番号とアドレス、交換しない?」
怜梨のこの言葉からすべてが始まった。
「…いいぞー、ほれ」
「は、はい……!」
こうして二人はお互いの番号とアドレスを交換したのだった。
そして、その日の夜。
「…はや…なになに……」
メール本文には『明日、一緒に遊びに行きませんか?』と書かれていた。
それを見た翔輝は「……またか」とでも言いたげにため息を吐き、簡単に『大丈夫だ』とだけ怜梨に返したのであった。
翔輝は濡れた手を拭き、自分の携帯を手に取った。
案の定、『時雨怜梨』の名があり、メールを開く。
『今日はよろしくね。予定とかは私が全部管理してるから。じゃあ、駅前でね』
「…ギャップすごいな、怜梨って……」
その様子を凝視していた琴音が口を開いた。
「ねー、翔にーちゃん?」
「どうした?琴音?」
「…これからあの時雨怜梨って人と遊びに行くの?」
「……ッ!?な、なんで琴音がそのことを知ってんだ……?」
翔輝の問いに琴音は答えなかった、が、何時か見たいやにニコニコした表情をしながら言ってくる。
「へぇー…やっぱりアイツと遊びに行くんだー……また私を一人ぼっちにしちゃうの、おにーちゃん?」
顔は笑っている、しかし目が死んでいる。
表現するとしたらこんな表現が妥当なところだろう。
「…わ、わかった…じゃあ琴音も一緒に来るか?」
「え……っ?私も一緒に行っていいの……?」
「ああ、もう琴音を泣かしたくないからな…怜梨には俺から連絡しておくし、早く着替えてこい」
翔輝の言葉に琴音は少し頬を赤らめ、リビングを出ていった。
「あー…頼むから何も起きませんように…」
「準備できたかー?」
「うん!ばっちしだぞ!」
「よーし、じゃあ行くか」
そうして二人は怜梨が待つ駅前へと向かうのであった。
「あっ…三上君だ……!」
駅前で待っていた怜梨は翔輝からのメールに気づいた。
『今日、琴音も一緒に行くことになったから、よろしく』
「っ、……なんで、なんで誘っちゃったの……?今日は私と三上君二人のデートだったなに……っ!」
携帯を力一杯握りしめ、ギリギリと歯を噛みしめる音が響く。
「ここか…」
「着いたのか!?」
二人は私服姿で駅前に到着した。
駅前にはこれまた私服姿の怜梨が立っており、翔輝の位置からでも一目見ただけでわかるほどに目立っていた。
そうして三人は手短に挨拶を済ませ、怜梨が組んだ予定に従い、遊園地に向かうことにした。
「………」
「…な、なぁ?琴音……?」
「………」
「…おーい…(勘弁してくれよ……!)」
その途中も会話というものは全く無く、ただ歩いているだけだった。
「つ、着きました…ここです」
「…おー。結構デカイとこなんだな。あんまり遠出したことなかったから知らなかった…」
「はい、コレ入場するためのチケットです…」
チケットを受け取った翔輝はふと気づく。
「なぁ、怜梨?琴音の分のチケットって買ってないよな?」
翔輝が言うと怜梨は、さも至極当然のように頷いた。
「まあ、そうだよな…仕方ない、琴音、ちょっと待ってろよ」
「?どうした!?」
「おまえの分のチケット買いに行ってくるからちょっと待ってろ、だ」
翔輝が言うと、琴音は「おお!そうか!」と頷いた。
そして、琴音と怜梨をその場に残して翔輝はチケットを買いに行ったのであった。
翔輝が二人の視界から消えると、怜梨は琴音の手を引っ張り、人気の無い場所につれていった。
琴音は少し驚いた様子だったが、あまりにも怜梨の引く力が強かった為、抵抗できずにいた。
「……ねぇ、三上君の妹さん?」
そして、二人きりになるのを待っていたかのように怜梨が口を開く。
「……っ?」
「妹さんは……三上君のこと、好きなのかな?」
「……ッ!?」
琴音は不意を付かれたように飛び上がってしまった。
そして怜梨はさらに続ける。
「…ふーん。やっぱりそうなんだ…だったら」
「っ、だったら何よ!」
「邪魔」
怜梨が琴音に言う、その姿はいつもの怜梨ではない。
目からはハイライトが消え、言葉にはなんの感慨も込められていない。
「え……っ?」
「聞こえなかった?邪魔、って言ったんだよ?」
今の怜梨の様子に琴音は恐怖を感じていた。
「なにが…邪魔なの……!?私なにもしてないよ……?」
「そう。でも三上君の妹は邪魔。私の目的の為に消えてほしいんだけど……」
怜梨が言う度に琴音は今にも泣き出してしまいそうな顔を作りながらゆっくりと後ずさっていく。
「翔、にーちゃん……ッ!」
助けを求めて翔輝の名を呼ぶ、しかしチケットを買いに行っている翔輝にそんな声は届くはずもなく……。
「アッハハハ!なに?泣けば愛しのお兄ちゃんが助けに来てくれるとでも思った!?」
怜梨が笑う。黒い、黒い笑み。
琴音はガクガクと震えながらあることに気がついた。
「……ひッ!?」
琴音が見るその先には、右手に刃渡りの長いダガーナイフを手にし、ハイライトの消えた目をしながら黒い笑みを浮かべる怜梨の姿があった。
「…いや……っ!いや……ッ!死にたくないッ!私まだ死にたくないッ!」
涙をぼろぼろと流しながら懇願する。
「駄目だよ。三上君と私の恋路を邪魔する奴は消えてもらわないと」
言いながら琴音に近づいていく。
幸か不幸か、周囲には人の姿は全くなく、琴音が泣き叫ぶ声だけだ空しく響きわたっていた。
「た、だすげて……ッ!翔にーぢゃん……ッ!」
「ちっ。あんまり騒がないでくれるかな?」
「……ッ、……ッ!」
琴音は逃げようとした。
でも、体が動かなかった。
嗚呼……私はこんなところで死んじゃうんだ。翔にーちゃんに、伝えてなかったのに……私の気持ち。
「…おにーぢゃん……ッ!翔にーぢゃんッ!……だ、大好きッ!」
「っ!?だ、黙れぇぇぇッ!!」
怜梨が琴音の肩にダガーナイフを突き立てようとした、その時だった。
「琴音ーっ!…琴音ーッ!」
必死に妹の名を叫ぶ翔輝が現れたのは。