過去
”きっと、良い未来が見える”
そんな松陰先生の言葉が何故か心に響いたのじゃ。
当時は何故か全く検討つかなかったが、今は、何となくわかるのぅ。
俺はきっと、昔からわかっておったのじゃろう。
晋作の本質、それから、秘められた偉大な力を。
小さいながら、心の何処かでそれをはっきりと見抜いていた。
だからか、晋作の礼儀の悪さも、声のでかさも我慢できていたのであろうと思うのじゃがな。
俺は意外と気が短くてな。
気に入らぬ事があったときにゃあ、すかさず牙をむいたのじゃが、
晋作に対してはそのような事、無いに等しく。
じゃが、一度だけあったか。
あの時・・・。
俺は、あの日、日課である素振り千回を達成すべく、庭で早朝から剣の稽古に励んでおった。
とうとう、999回までいったとき、あのうるさい声をきいてしまったのじゃ。
「お前!やっぱり剣を使うんだな!!」
思っておったとおりその声は晋作のものだったのじゃが、
問題は奴が立った位置。
あろうことか、晋作は竹刀の刃の前に駆け寄ったのじゃ。
俺はとっさに奴の頭部手前で竹刀を止めた。
おかげで、俺は千回目を振り損ね、機嫌は斜め。
「何故、そこに立つのですか。
危険であるとわかるでしょう。」
「剣を受ければ、お前の力量、この身をもって知れるだろ。」
こいつは本物の馬鹿であると本気で思ったものじゃ。
力量を知りたいといって、13歳でありながら自分で剣の前に立つ者が居るじゃろうか。
・・・そんな者はそうそう居ないといえる。
力量を知りたいならば、試合でも申し込めば良いだけではないのか。
そう思う俺、8歳の方が大人であると思ったものじゃ。
「ならば、試合でもすれば良いだけの話では?」
「ほんとか!?あんたが相手してくれんのか!?」
つきまとわれなくなるのならば、一度くらいどうってことはない・・・そう思っていた。
じゃが、その一度であんな事になるとは・・・。
晋作が竹刀を手にしたとき、晋作の喜々とした大声を聞いたのか
小五郎と玄瑞がやってきて、縁側で座って見ていたな・・・。
「そういやぁ、あんたの名は?聞いてねぇ。」
晋作は竹刀を手首でクルクルとまわしながら準備運動をしていた。
「あぁ・・そうでしたね。私は春花と申します。」
「春花か。・・・」
晋作は準備運動を終えて、俺と向き合った。
「じゃあ、春花!よろしくな!!」
「・・・えぇ。よろしゅうお頼・・いえ。・・よろしくお願いします。」
何の弾みか、京言葉がでてしまって、焦った。
ようやく染みついた京言葉を取り出せたと思っていたが、何処か残っていたんだろう。
「?・・・京弁か。・・お前って京の生まれなのか?
何処に住んでいたんだ?俺も京へはよく行くから、もしかしたらお前とも会って居たかも!」
聞かれたく無かった。
どうしても思い出してしまうのだ。
あの辛い日々を。
人の気も知らず、質問攻めにする晋作に腹が立った。
そんなに俺の辛く悲しい過去を知りたいか?と思ったりもしてじゃな。
晋作からすれば、そんな気はサラサラないのじゃが。
「なぁ!どこら辺だ?」
「・・廓・・。」
このまま去ろうと歩き出した。
このままここにいては、自分が狂ってしまう・・・そんな気がしてのう。
「も一回いってくれねぇか。きこえねぇ!」
「・・遊郭よっ!!」
こんなにも大声を出したのは久しぶりであったな。
赤子の頃に泣きわめいた以来かの・・。
「遊郭?・・・じゃあ、どうやって抜け出してきたんだっ!?」
さすがに小五郎と玄瑞は俺の心中を察して晋作を止めようとしたが、
それに対し、晋作の目は好奇心でいっぱいじゃった。
それが、余計に俺を狂わせおって。
「・・目の前の追っ手を切り捨ててきたのよ。
・・・・・貴方も、・・斬られたいの?」
俺は、竹刀を投げ捨てて、稽古のために持ってきていた自分の槍を手にした。
その槍は、遊郭に来ていた客のものじゃ。
俺は、その槍を使って抜け出してきた。
「・・お前が!?・・たった一人で?・・」
「うるさいっ!」
俺はとうとう暴走した。
己の過去を克服出来ていなかったのじゃ。
俺は、何度も晋作に打ち身をくらわせ、
晋作は、それを避けきれず、受け止めきれず、痣ばかりが増えていって・・・。
小五郎と玄瑞はどうしていたであろうか。
一番年上の小五郎はおろおろと彷徨い、
玄瑞は目をあちこちへと動かして、何かを考えていたような・・・。
俺は、過去の記憶を打ち消すようにひたすら晋作に刃を向けた。
とうとう、晋作が背中から倒れ込み、俺は無意識にとどめとして槍の石突で突こうと
槍を振り上げた時じゃった。
音もなく、人影が両手を広げ、目の前に現れたのじゃ。
あぁ、ここにも馬鹿者がおったか・・などと思ったのじゃが、どうしても
勢いのついた槍は止まらずに・・・。
・・・痛々しい音が槍を伝わって俺の手に、頭に、心に響いてきた。
骨が砕けるような音、それから、罪の音。
人影は重さに耐えられず、吹き飛ばされて塀に打ち付けられ、
俺はというと、塀に打ち付けられる音を聞いて、ようやく我に返ったわ。
人を斬ることに慣れたはずの俺の手は何故か震えておって・・・。
俺は、あの響いてきた音を恐れておった。
本当にあの音はこの俺が元凶なのか・・・・と。
手が震えて、槍を落とした。
そして、自然と俺の足は、その人影のほうへ向かう。
「・・・っ・・ごめんなさいっ・・ごめんなさいっ久坂さんっ・・・ごめんなさいっ」
あの人影は玄瑞であった。
絶対、止めには入ってこないであろうと何処か思っておったのじゃが、
それは玄瑞を知らなかったために思いこんだことであって。
俺は、塀に寄っかかって痛みに耐える玄瑞の着物の袖を握りしめて・・・泣いた。
長い間、涙はもう枯れてしまったと思っておったのじゃが。
「ごめんなさいっ・・・・久坂・・さん・・」
「・・っ玄瑞・・ですよ。」
玄瑞は、酷く痛みを感じている筈であるのじゃが、
その痛みの原因である俺に対し、優しく笑いかけおった。
玄瑞は、そういう奴じゃ。
それを、俺は知らず勝手に争い事には一切関わらない、一匹狼のような奴だと思いこんでいた。
「・・え?・・」
「玄瑞と・・呼んで下さい・・。」
無理して笑うのじゃ。
それが逆に痛々しくてなぁ、余計涙が溢れたわ。
「笑わないで・・・・」
「・・・貴方は、・・優しいんですね・・・。」
優しいなんてことば、俺には似合わぬ。
なぜなら、俺は松陰先生以外を信用出来ないからじゃて。
優しくして、もし裏切られたらなどと思うと辛い故、逃げておった。
「・・・っ私は、貴方を傷付けたっ。貴方みたいにっ、そうやって他人に
・・・優しく笑いかけたりなんて・・・出来ないもん・・・」
俺は、玄瑞のようになりたかったのであろう。
誰にでも優しく出来、人を支えられるような人間になりたいと思っていたのじゃ。
「貴方は・・充分・・私以上に優しいじゃないですか・・。
・・・貴方は今、私のために涙を流してくれているではありませんか。・・・」
俺を、一人の人として認めてもらえた気がしてのう。
遊郭では、俺を人として見てくれる人なんて数少なく、
いつもいつも、俺の存在は店の商品であらず。
松陰先生も俺を認めてくださった。
先生は、俺の命の恩人で、親同然の存在で。
純粋で、一本筋の通った物言いは、玄瑞と先生は何処か似ていると感じさせる要素の
ひとつであった。
「辛かったのでしょう?・・・ひとは、思い出したくない事の一つや二つ
もっているものです 」
俺は、何も言わず、黙っておった。
否、言えなかった。・・・のほうが正しいかのう。
「・・・どうか、・・・晋作を責めないでやって下さい。
晋作はきっと、貴方というひとを知りたかっただけだと思います・・から。」
俺はただ、頷くしか出来なかったわ。
過去の過ちが頭のなかを巡り、俺に苦しみを与えておった。
全て、声にしてしまいたかったのじゃが、
それを話したら、もう、あの優しい笑顔が見れなくなってしまいそうでなぁ。
俺は、誰よりも暖かみを求めておったのよ。
じゃから、それを失うことにわずかな恐れを抱いていたのやもしれぬ。
「・・・ですから、・・・どうか、貴方の過去を話して下さいませんか。
・・・私たちは、貴方をもっと知りたいのです。」
あの笑顔で、玄瑞は俺の手を包んでくれたっけなぁ。
それでも、話すのはためらわれて・・・。
誰も、こんな幼い子どもが大きな罪を犯したとは想像もしていないじゃろう。
じゃが、俺なりに克服したいとも思っておったわけで。
「玄瑞・・・私の過去を・・・聞いてくれますか?」




