願い
・・・未練なくこの世を去る予定じゃったが、
思いもよらず、目を伏せると山ほどやり残したことがあるのに今頃気付いてしもうたのじゃ。
言いたいことも富士の山より積もりに積もっておるわ。
・・・やはり、あの3人組には心配が絶えぬな。
晋作、お前は、また変に突拍子もない事をぬかし、人を困らせているのではあるまいな。
昔からそうじゃ。馬鹿な事をやらかして、大人に追いかけられては、小五郎が頭を下げておった。
お前がそんなんじゃから、小五郎がお前のお守りに回って苦労しておるのじゃ。
・・・小五郎、お前だってもう晋作の母親なんぞやらなくとも良い。
晋作は確かに今でも常識のない奴であるが、自分でちゃんとわかってやっておる。
初めこそお偉い様には常識のない奴だと罵声を浴びせられるが、屋敷に無理矢理入って、
帰ってきたと思えば、しっかりお偉い様の心を掴んでおるではないか。
きっと、あいつには、礼儀や常識なんてものは世渡りに必要のないことなのかもしれんな。
故に、お前もそろそろ子離れしたらどうじゃ?
そのままでおればお前、寿命を縮めることになろうぞ。
もう、あいつは、子どもじゃのうて、立派な侍、・・・武士じゃて。
それに、玄瑞。
お前は、昔からというもの真面目すぎるのではないか?
少しは晋作のように砕けてみてはどうか。
真面目なのはお前の良いところじゃが、堅すぎては、上手くいく話も上手く行かんようなるぞ。
・・・まだまだこの3人には面と向かって言いたいことがあったんじゃがの、
どうやら、お前らの元に行くような力など残っておらぬようじゃ。
俺も・・・ここまでよ。
それにしても、腹に小刀を突き刺した後から言いたいことが増えるとは・・・
何とも情けない話よ。
どうにか、この想いが届かんもんかねぇ。
・・・走る体力があろうが、この小刀は、骨をも貫いて、そう簡単に抜けぬな。
ははっ・・・情けなくて、笑うしかあらぬ。
なぁ、俺はお前らが本当に大好きじゃ。
頼むから・・・松陰先生の夢を想いを実現してやってくれ。
そして、3人仲良く笑っておってくれ。
それが俺の幸せじゃ。
じゃが、まだ心配事があってな。
それは・・・玄瑞、お前のことじゃ。
お前は、人一倍しっかりしている分、責任感も強いだろう。
だから、俺や仲間がたくさん死んだのを聞いたら、
お前は、自分を責めるのではないか?
俺は、いつお前が腹を切ってしまうのか、ハラハラしておるわ。
・・・頼む。切腹だけはせんでくれ。 俺のように・・・な。
やってみて良くわかったわ。
苦しいのじゃ。
痛みもそうだが、何よりも、この世に未練があるってこと、この世に仲間を置いていくことが。
死ぬことなど欠片も怖いなどと思わぬ。 じゃが、酷く涙が出る。
まだ死にたくはないと身体が無意識にふんばって、なかなか死ねぬのじゃ。
玄瑞、俺はお前に、こんな想いを味わって欲しくなどない。
精一杯生きろ。
そして、誰よりも充実した人生を送ってくれや。
・・・あぁ・・・俺はもう、お前らになんも・・・なんっも、してやれぬのじゃなぁ。
手を伸ばしても、触れることすら許されぬ。
じゃが、俺はそれでも良い。
お前らが、ただ、ただ幸せと感じられる道を歩いてくれているのならば、それで良いのじゃ。
さぁて・・・なんだか眠たくなってきた・・・かもしれぬな。
・・・そうか。死ぬ時って、このような感じか。
ここで眠ったら、もうこの世で目が覚めることはなかろうな。
・・・欲張りかもしれぬが、最後にあいつらの顔がみれぬだろうか。
- ある一室でひとり、腹を切って血を大量に流しながら、
少しだけ開いた襖から、外の景色を目に映した。
この者が見たのは、まるで鳥の羽が舞うようにふわふわと宙を舞う桜の花びらたち。-
・・・桜・・・か?
あれ?・・・今は7月では・・・。
まぁ、良い。
しっかし、このようにゆっくりと景色を見たのはいつぶりか・・・。
このように桜が舞っていては、花見酒でも呷りたくなるところであるが・・・それも叶わぬな。
- この者はそっと瞼を伏せ、穏やかに微笑んだ。
はたして、その微笑みにはどのような感情がのっていたのか・・・-
・・・あぁ・・・俺も、お前達ともっと・・・この世を旅してみたかったのう・・・
元治元年7月19日のこと、鷹司邸内にて吉田喜兵衛 自刃
吉田喜兵衛という人物は
歴史上実在しておりません。