夏の桜
幼い山崎は、手で顎を支えながら歩いていた。
「おい、どうしたんだ?そんな子供らしくねぇ顔しやがってさぁ。
・・・もしや、恋か!?」
山崎に声を掛けたのは晋作であった。
山崎は晋作を睨む。
「そうだよなぁ。春花は気は強いが、べっぴんだもんなぁ。
ま、わからなくはねぇよ。」
「・・・桜ってこの時期、どうやったら咲くと思う?」
山崎はそれをずっと考えていた。
懐かしそうに、少し悲しそうに桜を想う姿に山崎はひっかかっていたのだった。
「・・・いいか?残念だがな、桜ってのは、春しか咲かねぇのさ。
子供の夢を壊しちまってすまねぇが・・・。」
山崎は、子供あつかいをされたようで機嫌を悪くした。
「そんなことは誰でも知っている。それでも聞いているんじゃないか。答えろ。」
晋作は苦笑いし、頭を抱えた。
すると、近くで足音がきこえ、晋作は助かったというふうに息を吐く。
「どうしたんです?二人して珍しい。」
現れたのは玄瑞であった。
どうやら、熱もすぐに下がり、歩ける程にはなったようであった。
山崎はさっきと同じように説明した。
・・・
「あぁ。そうですか。春花さんは、桜がお好きですからね。
・・・さすがに、本物は無理でしょうが、造りものであれば、何でも実現することができます。」
玄瑞の提案だった。
最初は、山崎も乗り気ではなかったが、最終的にはそれしかないのだと思い至った。
「わたしたちは、もうすぐでここを出ますので、なるべく早いうちに。
よければ、私たちもお手伝いしますよ。 ねぇ、晋作?」
「俺は・・・」
「晋作?・・・しましょうね。」
玄瑞はにっこりと微笑む。
「・・・。」
ー・・・・・・・・・・・・・・・
山崎と春花は思い出していた。
あの頃は無邪気なこどもであった。
「あのとき、久坂さんにも手伝っていただいていたのですが、途中で句が浮かんだのか
せっかく作った桜に句を書き始めてしまって、困ったものでした。」
山崎は苦笑いだが、春花は明るく声を出して笑った。
「玄瑞らしい。・・・その句が入った桜、少し前まで持っていたんだ。
とても良い句だったのだけれど、先の戦で失くしてしまった・・・。」
まるで、玄瑞までもがいなくなってしまうみたいに。
春花はそう言った。
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幼い山崎が、玄瑞と桜を作り始めて二日目の朝。
春花達は山崎家を出ることになった。
「それでは、山崎さん、ありがとうございました。
お礼はまた、大阪に訪れたときにでもいたしますので。」
春花は山崎(父)に頭をさげた。
幼いながらも大人よりしっかりしている春花に父はあ然とした。
「・・・いえいえ。
こちらこそ、丞と仲良うして頂いて感謝しとります。
・・・あの子は、母を早うに亡くして、私も仕事でかまってやれず・・・。
早う大人になるしかあらへんかって、友達もおらんのや。
せやけど、あの子もあなた方が来て、変わったんですわ。」
父は本当に幸せそうに笑った。
山崎は父に愛されていた。
母がいなくとも生きてゆけるくらいに。
春花は安心して一歩踏み出した。
しかし、玄瑞と晋作がいっこうに動かない。
何かそわそわとしていた。
「どうしたの?二人して。」
「・・・いやぁ、忘れ物があるかもしれん。」
晋作は小走りで再び家の中へ戻っていく。
「玄瑞、あなたは何もない?」
「ええ、大丈夫です。」
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小走りの足音が聞こえてきて、春花は晋作がようやく戻ってきたのだと思った。
しかし、それは何かを大事そうに持って走ってくる山崎だった。
「春花!」
山崎は春花の近くに来ると、大事そうに持っていた何かを思いっきり天に向かって投げた。
しかしそれは紙で、ちょうど春花の頭上にひらひらと舞ったのだった。
舞ったそれはよく見れば桜の花弁の形をしていた。 春花は思った。
確かに桜の形はしているけれど、白い和紙で作られたそれが舞う光景は
白い羽根が空から降ってきたようだと。
「これは・・・」
あっけにとられる春花のこめかみに、山崎は一輪の白い桜の花を添えた。
「桜だよ。・・・造り物だけど、今はこれしか出来ないから。」
春花は昔の自分を見ているようだった。
ーつくりもんやけど、これしかあらへんのやって。ー
ーありがとう・・・。あんたはんは、ほんに、優しき子ぉや。ー
幼い自分の声と柔らかい太夫の声が頭の中を巡っていった。
春花は自然と微かな笑みを浮かべていた。
「丞、ありがとう。それでも嬉しいよ。
ほんとに、ありがとう。」
「丞、今度はみんなで本物の桜を見ようね。・・・きっと、また会えるから。」
顔を崩して涙をこらえる山崎の姿は春花の頭に何故かよく焼きついた。
「ね、丞。」
「うんっ」
そう言って、春花と山崎は別れた。
それから11年の時が経って、春花と山崎は敵同士となって出会うことになった。
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「あなたが、間もなく死んでしまうのなら、
俺は、あなたの息が絶えるまであなたのために桜を作り続けます。
来年のぶんも、再来年のぶんも、その先のぶんだって・・・。」
春花は山崎の手をとって笑った。
「やめて。今の丞にできっこない。
忙しそうに町中走り回ってるんでしょ?」
山崎は言葉を返せなかった。
「予想はつく。」
「桜を作るなんて、もうしなくていい。 もう十分だから。
こうして、丞と桜の木の下で幹に身を預けていたら、今まで見てきた桜を鮮明に思い出すことができる。
私はそれだけで良い。」
山崎はうつむいた。
「・・・申し訳ありません・・・。」
「・・・何をあやまるの?
・・・私はあなたを責めないから。
だから、あやまらないで。・・・敵同士っていうのは、こういう事なの。」
春花のその言葉をきいて、山崎の心は悲しみを増すばかりだった。
「じゃあ、そろそろ部屋に戻ろうかな。
それじゃないと、トシに叱られる。
丞はお仕事でしょ? 頑張って、体壊さないようにね。」
春花は痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がって山崎の手を離した。
そして、微かな作り笑いをして立ち去った。
姿が部屋の中に消えると、山崎も立ち上がる。
山崎は桜の葉を一枚摘み取って青い草の匂いを嗅んだ。
(・・・この葉が、やがて美しく赤に染まり、儚く散ってゆくのだろう。
そして凍り付くような寒さを越えて、また芽吹く。
そんな変化の中で、一時だけ、まぶしさで目を細めてしまいそうになるほど
明るく優しい姿をした花が姿を現す。
その一時を、あなたと共に過ごせていたならばどれだけ良いだろう。)
山崎には、春花がこの先何十年も桜を見続けられる事を祈るしかなかった。