街の英雄と呼ばれた男がアタシになるまで
昔のアタシ…いや、俺は、「街の英雄」「寡黙な武人」と呼ばれていた。
だが、本当の俺はそんな立派な人間じゃない。
人との距離の縮め方が分からない。
嫌われるのが怖い。
期待を裏切って失望されるのが怖い。
だから、人と関わることから逃げた。
失望されないよう、人一倍修練を積んだ。
友人と呼べる相手もおらず、遊ぶ時間さえすべて鍛錬に費やした。
その結果として与えられたのが、「寡黙で真面目な武人」という評価だった。
けれど、寡黙という言葉は、俺の弱さを隠すための鎧に過ぎなかった。
傭兵養成学校では、遊びながら過ごしていた同期達が、いつしか俺に追いついてくる。
中には、あっさりと追い抜いていく者まで現れた。
どれだけ努力を重ねても、天賦の才には敵わない。
その現実を、嫌というほど思い知らされた。
このままでは、自分の限界を見抜かれ、見放されてしまう。
それが怖くて、卒業と同時に故郷のバルダックへ逃げ帰った。
表向きの理由は、「故郷を守りたいから」。
だが、本当は違う。
才能ある者たちから逃げ出したかっただけだ。
それでも、逃げた先で俺は、妹のような存在のスピレアと、俺を目標にしてくれる弟のようなルドベックに出会った。
逃げてきたはずの俺を、「すごい」と真っ直ぐに尊敬してくれる。
そんな日々は、俺にはもったいないほど幸せだった。
そんなある日。
「あんたがグラッドかい?」
突然現れた女は、まっすぐ俺を見つめて言った。
「あたしはガーベラ。精霊術師の旅に出るんだ。付いてきてくれないか」
どこで俺のことを聞きつけたのかは分からない。
黒髪に黒い瞳。
腰まで届く長いポニーテール。
へそが見えるほど短い丈のタンクトップに、その上から羽織ったメッシュ状の半袖。
下には黒い細身のパンツ。
手には黒の手袋をしている。
傭兵や武人とはかけ離れた、どこか自由で大胆な格好をしている。
そして、胸元には精霊術師の証である五芒星を模した銀のネックレスが輝いている。
それが、ガーベラという名の精霊術師だった。
この出会いが、俺の人生を大きく変えることになるなんて。
ガーベラは、竹を割ったような性格をしていた。
思ったことは何でも口にする。
人の都合なんてお構いなし。
強引で、理不尽で、振り回されることも多かった。
だが、不思議と嫌いにはなれない。
何でもできてしまうんじゃないか。
そんな不思議な安心を感じさせる魅力的な女だった。
料理以外は…
「男は度胸!」
これがガーベラの口癖だった。
「何をこんな田舎でくすぶってるんだい。あたしと一緒に世界を救おうじゃないか」
突然現れたガーベラは、腕を組みながら俺に言った。
「俺は行かない。ここを守るんだ」
当然、断った。
いや、本当は、ここから出たくなかっただけだ。
俺を頼ってくれる人たちがいる。
俺を必要としてくれる場所がある。
そんな環境を手放すのが怖かった。
「えー! グラッドさん、世界を救うの? すごいすごい!」
話を聞いていた幼いスピレアが、目を輝かせながら駆け寄ってくる。
やめてくれ。
そんな目で俺を見ないでくれ。
「そうさ。グラッドは世界を救う立派な男なんだよ。あたしが最高のサポーターになってやるさ」
ガーベラはそう言いながら、幼いスピレアを軽々と抱き上げ、高い高いをして笑った。
「グラッドさん、勇者様になるの?」
無邪気な笑顔。
その言葉が、胸に突き刺さった。
「そうさ! グラッドは魔王を倒す勇者になる男さ!」
「グラッドさんは、バルダックの誇りだね!」
期待に満ちた瞳が、俺を見る。
やめてくれ。
俺は、そんな大層な人間じゃない。
本当の俺を知ったら、この子はきっと失望する。
寡黙で真面目な英雄なんかじゃない。
ただ、嫌われるのが怖くて、期待を裏切るのが怖くて、逃げ続けているだけの人間だ。
「…分かった」
しばらく、スピレアを見て覚悟を決めた。
この子が失望する顔は見たくない。
「俺も行く」
世界を救うためじゃない。
勇者になるためでもない。
また、逃げることを決意した。
旅に出て、初めて迎えた野営の日。
料理担当は、当然のようにガーベラが引き受けた。
「グラッド! 飯だ! 食え!」
そう言って現れたガーベラの姿を見て、俺は言葉を失った。
そこには、大きなくまさんの絵が描かれたエプロンを身につけ、満面の笑みを浮かべる女がいた。
なんだ、そのエプロンは?
そして、なぜ鍋の中身は料理と呼べる状態なのか。
ガーベラが得意げに器へよそったものは、一応スープらしきものだった。
だが、ドロドロとしている。
妙な粘り気がある。
そして、なぜか紫色をしていた。
これは…本当に食べ物なのか?
疑問しか浮かばなかったが、出されたものを拒むわけにもいかない。
俺は覚悟を決め、恐る恐るスプーンを口へ運んだ。
その瞬間。
走馬灯が流れた。
短い人生だった。
いや…悪くない人生だった。
スピレアやルドベックにも出会えた。
故郷を守ることもできた。
…悔いはない。
「…おーい、グラッド?」
遠くから聞こえる声で、俺は現実へ引き戻された。
「そんなにあたしの料理が美味かったのかい?」
目の前では、ガーベラが嬉しそうに笑っている。
その悪意のない笑顔を見て固く決意した。
これからは、俺が全ての料理をしよう
次の日の朝。
料理担当は、もちろん俺だ。
「グラッド、あんた見た目に似合わず料理が上手いじゃないか」
朝食を口いっぱいに頬張りながら、ガーベラが目を輝かせる。
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
自分が作った料理でガーベラが喜んでくれる。
ガーベラの役に立てる。
それが、嬉しかった。
それから俺は、料理の腕も磨くようになった。
「これなら料理屋でも開けるんじゃないか?」
ガーベラはそう言って、スプーンをこちらへ向けながら笑う。
いつか旅が終わったら。
料理屋を開くのも、悪くないかもしれない。
そんな穏やかな時間ばかりではなかった。
なぜなら、俺たちの旅は順調とは程遠いものだったからだ。
二人組の少数精鋭。
言葉だけ聞けば、聞こえはいい。
だが、実際には魔物と戦うたびに、圧倒的に人数が足りなかった。
しかも、ガーベラの戦闘スタイルは特殊だった。
魔法を拳に纏わせ、真正面から敵を殴り倒す。
俺と同じだった。
このパーティには、後衛どころか武闘家以外がいなかった。
俺は必死にガーベラを守りながら、何度も危険な場面を乗り越えた。
そうして、苦労の末に俺たちは火の精霊の街、アグニスへと辿り着いた。
「にしてもさ、グラッド」
宿で一息ついていた時、ガーベラが突然口を開いた。
「あんた、なかなか笑わないね。男は愛嬌だぞ?」
まるで面白くないものを見るような目で、俺を眺めている。
「男は度胸」じゃなかったのか。
そう思っていると、ガーベラは何かを思いついたように、ニヤリと笑った。
嫌な予感がした。
この笑顔を浮かべる時、大抵ろくなことが起きない。
「あはははは!」
案の定だった。
上は、ガーベラと同じようなへそが見えるほど短い丈のタンクトップ。
その上から、メッシュ状の半袖を羽織らされた。
下は、よりにもよって花柄模様のぴったりとしたパンツ。
そして、仕上げとばかりに。
顔には派手なメイクまで施された。
「グラッド、意外と似合うじゃないか! ほら、それっぽく喋ってみなよ!」
目の前では、腹を抱えて笑うガーベラの姿がある。
やられっぱなしで終わるのは性に合わない。
俺は覚悟を決めた。
「あら? 何よアンタ。アタシの姿を見て笑うなんて、失礼じゃない?」
普段の自分なら、絶対に言わないような声と仕草。
だが、今は違う。
これは俺じゃない。
そう思えば、不思議と大胆になれた。
「無理無理無理! 死ぬ!」
ガーベラはその場に崩れ落ちた。
笑いすぎて息も絶え絶えになっている。
いつも好き勝手やられている分、仕返しをするのは今しかない。
追撃を加える。
「あらやだわ。こう見えてアタシ、花も恥じらう乙女なのよ? ちゅっ」
最後に投げキスまで決める。
普段の俺なら、絶対にできない行動だ。
けれど、今の俺は別人の仮面を被っている。
だからこそ、できた。
「ひっ…ひっ…すまなかった」
ガーベラは涙を流しながら笑っていた。
「あたしが悪かったから、もう許しておくれ」
初めて、ガーベラに勝った気がした。
初めて、ガーベラと心から笑い合えた気がした。
旅が始まってから、一番楽しい夜だった。
アグニスの精霊教会で、ガーベラは祈りを捧げた。
そして、彼女は、精霊から御業を授かった。
新たな力を手に入れたガーベラと共に、俺たちは再び旅へ出ようとしていた。
その時だった。
突然、巨大な魔獣が現れた。
ゴリラを思わせる巨体。
鋭い爪。
人間など簡単に吹き飛ばせそうな力強い腕。
その魔獣の前には、一人の少年がいた。
逃げ遅れたのだ。
「グラッド!」
ガーベラが叫ぶ。
「あんたは、あの少年を連れて逃げな!」
「ガーベラはどうするんだ!」
俺は反射的に声を荒げた。
「俺も残る。一緒に魔獣を討つぞ!」
ガーベラ一人に危険な役目を任せるなんてできない。
「何言ってるんだい」
ガーベラは不敵に笑った。
「せっかく御業っていう新しい力を手に入れたんだ。試す相手が向こうから来てくれたんだよ?」
そして、拳を握る。
「この相手を、あんたに譲るわけにはいかないね」
ニヤリと怪しく笑って続けた。
この顔をしたガーベラは、良くも悪くも期待を裏切らない。
だから、信じることにした。
「…分かった」
俺は少年へ視線を向ける。
「任せたぞ。無理はするな」
そう言い残し、俺は少年を助けるために駆け出した。
少年を安全な場所まで送り届け、急いでガーベラの元へ戻る。
そこで見た光景に、俺は足を止めた。
戦いは、すでに終わっていた。
周囲の建物には被害が出ている。
地面には魔獣が暴れた跡が残っている。
その中心に、ガーベラは立っていた。
一人で魔獣を倒したのだ。
「遅かったな、グラッド」
俺の姿に気づいたガーベラが、いつもの調子で笑う。
「あんたの取り分は、なしだ!」
まるで大したことではないように言う。
どれだけ心配したと思っているんだ。
だが、目の前のガーベラは傷一つ気にする様子もなく、いつものように豪快に笑っていた。
それからエヒメアへ向かう旅路は、嘘のように順調だった。
ガーベラが授かった御業は、想像を遥かに超える力だった。
どんな魔物が現れても、彼女は迷うことなく御業を使って立ち向かい、何度も救ってくれた。
しかし、そんな日々の中で、ガーベラは奇妙な夢を見るようになった。
「最近さ、毎晩同じ夢を見るんだ」
ある夜、焚き火を眺めながらガーベラはぽつりと言った。
「苦しい…痛い…助けてくれって。誰かがあたしに語りかけてくる夢なんだ」
「ただの夢だ」
俺は、深く考えずに答えた。
「気にする必要はない」
だが、ガーベラは首を横に振る。
「でもさ…なんだか、ただの夢じゃない気がするんだ」
その時のガーベラは、いつもの自信に満ちた笑顔ではなかった。
不安を隠せず、怯えたような表情を浮かべる一人の女性がそこには居た。
ガーベラは、一人でその夢について悩んでいた。
本当なら、もっと話を聞くべきだった。
何かできることはないか、考えるべきだった。
でも、俺は、ガーベラなら大丈夫だと思っていた。
あの強いガーベラなら、何があっても乗り越えられると。
…違う。
本当は、怖かったんだ。
いつものガーベラではない何かを感じ取ってしまって。
その不安に向き合うことから、俺は逃げていた。
エヒメアへ到着した。
だが、街は俺たちを歓迎する余裕などなかった。
到着した時には、すでに魔獣が発生していた。
精霊教会の目の前の広場に現れた魔獣らしく、別の精霊術師たちが必死に応戦している。
状況を把握した俺たちは、すぐに戦闘へ加わった。
だが、俺たちが駆けつけた時には、すでに勝敗は決まりかけていた。
満身創痍の精霊術師たち。
そして、息も絶え絶えになったイノシシ型の魔獣。
その時だった。
「お主…我らの声、聞こえているんだろ?」
魔獣がしわがれた声で、ガーベラへ向かって語りかけた。
「だったら、どうして助けてくれぬ?」
その声を聞いて、俺は眉をひそめた。
魔獣という存在は、本当に厄介だ。
教典にも記されている。
奴らは人の言葉を真似し、同情や迷いにつけ込んで心を揺さぶってくる。
だから、耳を貸してはいけない。
そう教えられてきた。
別の精霊術師たちも限界だった。
これ以上、時間をかけるわけにはいかない。
俺は拳を握りしめ、魔獣へと歩み寄る。
その時
「グラッド、待て」
ガーベラが俺を止めた。
「…あんたたちが、夢の中で言っていたことは本当なのか?」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
ガーベラは、魔獣の言葉を信じようとしていた。
「ああ…本当だ」
魔獣は弱々しく、けれど嬉しそうに答える。
「誰も話を聞いてくれぬ。助けて欲し…」
その先の言葉を聞かせてはいけない。
俺はそう判断した。
「すまない!」
俺はガーベラの制止を振り切る。
そして、笑みを浮かべながら言葉を続ける魔獣へ、最後の一撃を放った。
教典には、こう記されている。
魔獣の言葉に耳を貸した精霊術師は、魔物へ堕ちる。
だから、迷いはなかった。
正しいことをした。
そう信じていた。
だが、俺の判断は、遅すぎた。
振り返った先で。
ガーベラの身体に、異変が起きていた。
彼女は、魔物落ちしていた。
「あああああああ!」
突然、ガーベラの叫び声が響いた。
何が起きた?
そう思い、俺は慌てて振り返る。
黒く長かったガーベラの髪は、燃える炎のような赤へと変わっていた。
そして、彼女のトレードマークだった長いポニーテールは、二つに分けられている。
見た目はガーベラに似ている。
だが、そこにいる存在は、もう俺の知っているガーベラではなかった。
その人物は、俺を見るとニコリと笑った。
次の瞬間。
ガーベラを中心に、凄まじい爆風が巻き起こった。
「っ!」
俺の身体は吹き飛ばされる。
なんとか空中で体勢を整えて着地した。
「…ガーベラ?」
息を整えながら、目の前の存在を見る。
「魔物…なのか?」
状況を整理するため、呟く。
すると、その存在は首を傾げた。
「どちらでもないよ」
そして、少し考えるような仕草をする。
「そうだね…君たちの言葉で言うなら」
赤い瞳が俺を見る。
「火の精霊…かな?」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。
教典に記されていない存在。
俺は直感で理解した。
これは、俺の知っている常識の外側にあるものだ。
火の精霊…?
いや、そんなはずはない。
精霊様は、人間を導く善なる存在だ。
教典にもそう書かれている。
ならば、これは精霊などではない。
人の言葉を操る、魔獣の特殊な個体。
そう判断するしかなかった。
「…ガーベラをどこへやった?」
俺は拳を握り締めながら問いかける。
すると、その存在は少し困ったような顔をした。
「ガーベラ?」
「この身体のこと?」
少し考え込む。
「うーん…難しいね」
「そうだなぁ…」
言葉を探すように首を左右交互に傾げる
「死んじゃった、って言葉が一番近いのかな?」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が冷たくなった。
しかし、拳を強く握りしめる。
ガーベラが死んだ。
その言葉さえあれば十分だ。
遠慮なく、その拳を叩き込める。
「そうか」
小さく呟く。
そして、ひと呼吸置いた。
「…ふぅ」
胸の奥は、今にも押し潰されそうなほど重い。
それなのに、身体だけは、いつもより軽かった。
俺は拳を握り、一直線に駆け出した。
「やめてよ」
目の前の存在は、ため息をつくように言う。
「早く京都…ああ、コンペートーか。とにかく、コンペートーに行かないといけないんだから、ここで時間を使っている暇はないの」
相手は手を後方に組んで身体を揺らして話すだけで、構えない。
「それに、御業だっけ? あれもないのに、どうやって私と戦うつもりなの?」
俺の拳は、空を切った。
ひらりと身をかわされる。
続けて放った連撃も、すべて踊るように軽々とかわされる。
まるで、俺の動きが最初から分かっているかのようだった。
しかも、こちらに理解できるように言葉を選び直して話している。
その余裕が、たまらなく腹立たしかった。
俺は一度距離を取り、目の前の存在を観察する。
人の感情を揺さぶることに長けた魔物。
そう考えるのが自然だった。
だが、分かってしまう。
力の差が、あまりにも大きい。
今の俺では、こいつには勝てない。
そんな考えが一瞬浮かんだが、頭の隅へ押し込めた。「黙れ」
俺は睨みつける。
「ガーベラの声で話すな」
そして、再び拳を振るうため、地面を蹴った。
「うーん…」
相手は困ったように首を傾げた。
「本当に分からず屋だね」
俺の拳を、また簡単にかわす。
「人間を不必要に間引くなって言われているけど…」
少し寂しそうに笑った。
「事故なら仕方ないよね」
ひらり、ひらり。
舞うように拳を避けながら、相手は後ろへ下がり距離を取る。
「言われている…?」
その言葉が引っかかった。
誰に?
何を?
だが、今は考える余裕はない。
目の前の敵から目を離せない。
そして、初めて。
その存在が、俺を真っ直ぐ見た。
まるで、今まで眼中にすらなかった相手を、ようやく認識したようだ。
どうやら、少しは戦う気になったらしい。
俺の存在を敵として認識した後。
戦況は一変した。
酷いものだった。
目の前の存在は、まるで遊びではなく戦いとして俺を見始めた。
すると、どういう原理なのか、御業に匹敵するほどの高威力の魔法を次々と放ってくる。
炎の塊。
爆発する熱波。
大地すら焼き尽くすような一撃。
おそらく、ガーベラが持っていた力を使っているのだろう。
それが、余計に俺の心を削った。
だが、不幸中の幸いもあった。
俺が得意とするのは、土行。
火生土。
火の力は、土を生む。
完全に受け止めることはできない。
すべてを変換することもできない。
それでも致命傷だけは、なんとか避けることができた。
俺は必死に防ぎ続ける。
攻める隙などない。
ただ耐えるだけ。
そんな防戦を、強いられていた。
「君、しつこくない?」
地面に倒れ込んだ俺を見下ろしながら、魔物は困ったようにため息をついた。
「本当に困るんだよねぇ。そろそろ気絶してくれないかな?」
「そうじゃないと…」
少しだけ表情を曇らせる。
「本当に死んじゃうよ?」
その言葉を聞いて、理解した。
どうやら、戦っていると思っていたのは、俺だけだった。
目の前の存在にとって、俺は敵ですらない。
ただ、何度倒しても立ち上がってくる面倒な存在。
その程度だった。
自分の無力さが。
何もできない自分が。
情けなくて、腹が立つ。
「…っ」
ギリリと歯を食いしばる。
そして、震える足に力を込めた。
立ち上がる。
再び拳を構える。
出血しすぎたせいか、身体はまともに動かない。
視界も揺れている。
それでも――。
「えぇ…まだ立つの?」
魔物は呆れたように首を傾げた。
「しつこい男は嫌われるよ?」
きっと、こいつから見れば俺なんて。
何度振り払っても服にまとわりついてくる、小さな虫のような存在なのだろう。
戦いを通して、それほどの力の差を感じていた。
それでも。
「黙れ」
俺は拳を握る。
「勝つまで…俺は立ち上がるんだ」
誰に言っているのか分からない。
自分自身に言い聞かせるように呟いた。
救えなかったガーベラのためにも。
ここで倒れるわけにはいかない。
俺は魔物へ向かって駆け出した。
その瞬間だった。
魔物の動きが止まった。
魔法も飛んでこない。
一瞬だけ生まれた隙。
考えるより先に身体が動いた。
俺はその懐へ入り込み、腹部へ拳を叩き込む。
「っ!」
手応えがあった。
魔物の身体が大きく吹き飛ぶ。
そのまま岩へと激突した。
轟音。
砕けた岩が崩れ、土煙が舞う。
「こほっ…こほっ…」
土煙の中から、魔物の声が聞こえた。
「いったいなぁ…」
だが、これで終わるはずがない。
分かっている。
俺は追撃するため、足を踏み出した。
しかし、立ち上がった魔物の様子がおかしい。
まるで、誰かと話しているようだった。
「何?」
魔物は少し苛立ったように呟く。
「しつこい女も嫌われるんだからね?」
その声は、俺に向けられたものではなかった。
まるで、身体の中にいる誰かと、会話しているようだった。
まさか、ガーベラなのか?
一瞬だけ、そんな淡い期待が胸をよぎった。
だが、すぐに思い出す。
「死んじゃった」
魔物が言った言葉。
その事実を信じるしかなかった。
俺は踏み止まっていた足を動かす。
もう迷わない。
追撃する。
「ああ、もう!」
魔物は苛立ったように声を荒げた。
「本っ当にしつこいんだから!」
ひらりと身体を翻し、俺の拳をかわす。
そして距離を取る。
…おかしい。
魔法が飛んでこない。
さっきまで圧倒的な力で俺を追い詰めていたはずなのに。
何かがおかしい。
だが、今は考えない。
これは好機だ。
俺はただ、攻め続ける。
「いったーい!」
魔物の腹部に拳が届く。
しかし、力を叩き込む直前で逃げられた。
「もう!」
魔物は距離を取りながら叫ぶ。
「あー、もう! 私は京都…えっと、コンペートーに行きたいだけなのに! 何なの?」
やはり、おかしい。
まるで俺以外の誰かにも苛立っているようだった。
「何?」
魔物が呟く。
「この人間を殺したら、諦めてくれるわけ?」
その瞬間、初めてだった。
魔物の瞳に、明確な殺意が宿った。
背筋が凍る。
逃げろ。
本能が叫ぶ。
足がすくむ。
今すぐここから離れたい。
「これで終わりだよ」
魔物が俺を見る。
「グラッド」
その名前を聞いた瞬間、息が止まった。
グラッド?
今、俺を呼んだのか?
俺は名乗っていない。
なのになぜ。
理由は分からない。
それでも。
ガーベラが、俺を呼んでいる。
そんな気がした。
恐怖で震えていた足に、力が戻る。
魔物の背後。
無数の白い光の球が浮かび上がる。
「じゃあ、バイバーイ」
まるで友人を見送るように、魔物は手を振った。
次の瞬間、無数の光が、俺へ向かって放たれる。
逃げれば死ぬ。
立ち向かっても死ぬ。
「どうせ死ぬなら、一発でも殴ってからにしろ。」
ガーベラなら、きっとそう言う。
俺は逃げなかった。
白い光の球体の群れへ、真っ直ぐ飛び込む。
熱い。
皮膚が焼ける。
身体が悲鳴を上げる。
それでも止まらない。
なぜか、魔法は一撃もかすりすらしなかった。
光の雨を抜けた先。
そこに魔物がいた。
「男は度胸!」
その声。
魔物の物じゃない。
ガーベラの声だった。
分かった。
ガーベラはまだいる。
そして、俺に伝えようとしている。
やるべきことを。
拳を握り締める。
狙うのは頭。
「ああああああ!」
俺は拳を振り抜いた。
硬い感触。
骨を砕く感触。
ガーベラの頭蓋を砕いた感覚が、拳に伝わる。
逃げてはいけない。
これは、ガーベラが作ってくれた最後の機会だ。
無駄にはできない。
俺は最後まで拳を止めなかった。
そして、戦いが終わった。
地面には、頭を失った身体が転がっていた。
俺は、強敵を倒した。
それなのに。
なぜだ。
なぜ、こんなにも満ち足りない。
達成感なんてない。
安堵もない。
残ったのは、ただ冷たい感覚だけだった。
力なくその場に座り込む。
そして、動かなくなったガーベラの身体を抱きしめた。
「…」
声が出ない。
何かを言わなければいけないはずなのに、言葉が見つからない。
その時だった。
ぽつり。
頬に冷たいものが落ちた。
雨だ。
ありがたい。
これなら、周囲に残った炎を消す助けになる。
それに顔が濡れていても、不自然には見えない。
雨は次第に強くなる。
激しく地面を叩く音が、周囲を包んでいく。
これなら声も、きっと誰にも聞こえない。
俺は、どこで間違えたのだろう。
もっと早く魔獣にとどめを刺していれば。
旅に出なければ、ガーベラは別の誰かに守られていたのだろうか。
バルダックに戻らず、あのまま消息を絶っていればよかったのだろうか。
魔物を倒してから数日間。
俺は宿の一室で、ずっと同じ問いを繰り返していた。
答えなど出ない。
それでも考えずにはいられなかった。
「…もう一度、ガーベラの笑顔が見たい」
誰もいない部屋で、静かに呟く。
外では、俺のことを英雄と呼んでいるらしい。
たった一人で街を守った英雄。
昔の俺だったら、その名に耐えられず逃げ出していただろう。
期待されることが怖かった。
失望されることが怖かった。
だから、人との距離を取った。
完璧な武人を演じた。
でも今は。
そんな称賛など、どうでもよかった。
欲しかったのは、ただ一つ。
もう一度、ガーベラと笑い合う時間だった。
ガーベラを救えた未来は、本当になかったのか。
何度も何度も考える。
でも、本当は分かっていた。
ガーベラを失った原因は…
自分の弱さだ。
俺の弱さが、彼女を死なせた。
もっと、ガーベラの話を聞いていれば。
もっと、ガーベラの不安に寄り添っていれば。
もっと、ガーベラを支えていれば。
あの夢の意味を一緒に考えていれば。
きっと、ガーベラは魔獣の声に耳を貸さなかった。
そんな未来が、あったかもしれない。
でも、そんなことができただろうか。
俺には無理だ。
だって、俺は、寡黙な男グラッドだから。
人とどう向き合えばいいのか分からない。
大切な人に、どう言葉をかければいいのか分からない。
「あはははは。グラッド、意外と似合うじゃないか」
突然、懐かしい声が聞こえた。
「ほら、それっぽく話してみなよ」
ガーベラの幻聴だった。
そうだ!
俺は、人と話す術を持っているじゃないか。
あの時だ!
ガーベラと楽しく話ができていた。
ガーベラを笑わせることができていた。
「そうじゃないか!」
俺は立ち上がった。
ガーベラの荷物を部屋の中央へと広げる。
どれだ?
どれを使えばいい?
化粧道具が床へ散らばる。
「確か…これを使っていたような」
いや。
「…こっちだったか?」
必死に記憶を掘り起こす。
あの日。
ガーベラが化粧を施した時に使っていた道具。
一つ一つを手に取りながら、見よう見まねで顔に塗っていく。
これは…こうか?
いや、違う。
こっちか?
鏡の前で悪戦苦闘する。
「こんなことなら…ちゃんと聞いておけばよかったな」
思わず苦笑する。
しばらく格闘した後。
俺は鏡を見る。
「できた」
初めてにしては上出来だ。
…たぶん。
鏡の中には、小さな子供がいたずらで化粧をしたような姿が映っていた。
とてもじゃないが、ガーベラのようにはいかない。
でも。
これでいい。
俺は今日から変わる。
そう決意して、部屋を出ようとした。
その時だった。
目に入ったものがあった。
大きなくまさんが描かれたエプロン。
旅の初日。
ガーベラが料理を作ってくれた時に身につけていたものだ。
そっと手に取る。
これは形見として、もらっていこう
そして、散らばった荷物をまとめて、街の外へ向かった。
外へ出た瞬間。
多くの視線が集まる。
様々な声も聞こえる。
「なにあれ?」
「見ちゃいけません!」
「気が触れちゃったのかしら…」
その視線が新しい俺を祝福してくれているようで誇らしい。
きっと、俺の新しい姿を見て驚いているのだろう。
胸を張って堂々と街を歩ける。
なぜなら
俺は今日からお話大好きなグラッドだ!
その時。
一人の小さな子供が、俺の前へやってきた。
「英雄さん」
少女は深く頭を下げる。
「街を守ってくれて、ありがとう」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ笑った。
「あら?アタシは英雄なんかじゃないわ。ただのグラッドよ」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この物語は、グラッドが「寡黙な武人」という鎧を脱ぎ捨て、新しい自分として歩き始めるまでを描いた物語でした。
この後、グラッドは故郷バルダックで新たな仲間たちと出会い、精霊術師スピレアの護衛として旅へ出ます。
もし、グラッドのその後や、新たな仲間たちとの旅が気になった方は、本編『精霊術師の終着点』も読んでいただけると嬉しいです。
本編では、この短編で描かれた出来事が、グラッドの考え方や仲間との関係にどのような影響を与えているのかも描かれています。
【短編投稿のお知らせ】
8月15日朝7時にガーベラの過去を描いた短編小説
『あたしが追いかけたその背中』
を投稿予定です。
傭兵養成学校時代、ガーベラがどのようにグラッドと出会い、彼の背中を追いかけるようになったのか。
本編では描かれなかった二人の始まりの物語です。
よろしければ、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。




