7.消えた透花
「大丈夫だった?」
「もちろん。だって誰もいないもん」
家に一度帰った俺達は、家を抜け出し、人が通らない道を選んで合流した。
祭りの喧騒から離れた透花の家の前に、もう一度集まるために。
空は完全に闇に包まれ、昼間の夕焼けの残り香すら消えていた。周囲は、生い茂った木々と、水田を隔てる低い家々のシルエットがぼんやりと浮かぶだけで、昼間とはまるで違う、静かな空気に満たされている。
俺は家から小さな懐中電灯を持って来た。幹介と美玖は慣れた手つきでスマホのライトを最小限の明るさに設定し、懐中電灯代わりに使っていた。
五人の中で一番年下の功太は、家を出る時にやはり怖くなったようだ。リュックを背負い、ランドセルについている防犯ブザーを固く握りしめていた。
大人が禁止する夜の外出。
しかも、大人しか参加を許されない祭りを見に行くんだ。
俺たちの胸は期待でパンパンに膨らんでいた。禁じられた夜の世界へと足を踏み入れる気分は、まさに子供にしか許されない冒険だ。
ただ──
この中で一人だけ、透花の表情は晴れないままだった。
そんな透花の手を、美玖が何も言わずにしっかりと握りしめた。「大丈夫だって」と、美玖は不安そうな透花に声をかける。
その声には、先ほどまでの美玖の嫉妬や不機嫌は一切なく、ただ純粋に、友達を心配する優しさだけが滲んでいた。
「じゃあいくか。って言っても近いけどな」
去年の祭りの夜、家を抜け出した湊人がこっそりと教えてくれた事だけが頼りだ。
確かアスファルトが引かれた村の大きな道路は大人たちがウロウロしていると言っていた。
「田んぼの畦道を突っ切ってさ、神社の両サイドに広がってる森の小道から近づこう」
「いいね。そっちの方が冒険っぽい。功太、田んぼに落ちて防犯ブザー鳴らすなよ?」
幹介は同意しながら功太を揶揄った。
功太は「大丈夫だもん」と言いながらブザーの紐の位置を確認する。
真っ暗な村の中を、頼りない懐中電灯の明かりとスマホのライトだけで進んだ。
田んぼに落ちないよう、そろりそろりと畦道を進む。すると思ったよりも簡単に、森が見えてきた。
「なんだ、誰にも出会わないじゃん」
幹介がつまらなさそうにそう言うと、「でも怖いよ」と背中を丸めた功太が辺りを見回す。
「出会ったらまずいだろ。きっとめちゃくちゃ怒られるぞ」
俺は振り返り、お母さんが怒った時の般若のような顔を再現した。俺の顔に、全員がプッと笑いを漏らす。
問題はここからだ。
懐中電灯の灯りを少し下に向けた。大人たちはこの道の先にある神社の前に集まっているのだから、灯りが見えないようにしなくちゃいけない。
先ほどまでは虫の小さな鳴き声や風が草を揺らす音しか聞こえなかった。しかし、森のそばに近づいた途端、まるで警鐘のように周囲の音が大きく響く。
耳障りなほどザワザワと森の木が揺れ、虫がけたたましく鳴き続ける。森の奥からは「おーいおーい」と人の声のように響く何かの鳴き声が、一定の間隔で聞こえてきた。
視線の先にようやく祭りの灯りが見える。
大人に見つからないように、五人で固まって森の茂みの中に身を隠しライトを消した。
暗闇の中に浮かび上がる異様な光景。
大人達は全員が着物を着ていた。
時代劇の侍が切腹する時に着る様な、真っ白な着物。
全員が神社の入り口前に作られた小さな祭壇に向かって、地面に頭を擦り付けるようにしながら何かを呟いている。
「なんか言ってる?」
「お前の声で聞こえない。静かにしろよ」
功太の横腹を少しこづいて耳を澄ますと、大人たちがつぶやく声が小さく小さく聞こえてきた。
「アイスマヌ アイスマヌ」
「アイスマヌ アイスマヌ」
「アイスマヌ アイスマヌ」
「アイスマヌ アイスマヌ」
「アイスマヌ アイスマヌ」
美玖は口に手を当て「何あれ気持ち悪い」と呟く。
確かに異様な光景だった。
大人達は何かにすり潰されているような低い声で、ただそれだけの言葉を祭壇に向かって必死に言い続けている。
優也のお父さんである神主は、彼らの先頭で静かに祈りを捧げている様に見えた。
その時――いきなり透花が立ち上がった。
「透花! 見つかるって!!」
透花の手を掴んで引っ張るが、彼女はびくともしない。
彼女を見上げると、透花の視線は神社の方ではなく森の奥を向いていた。
ただ見ているんじゃない。
何かを追っているように焦点が定まっている。
まるで何かに取り憑かれたみたいに無表情で森の奥を凝視する透花の顔。表情が全て抜け落ちて、感情というものが抜けた幽霊に見えた。
ゾッとして、反射的に掴んでいた手を離す。
「里奈ちゃんがいる……」
口の筋肉だけを動かしているように、無表情のまま透花は小さな声を漏らした。里奈の名前に反応した美玖は、少しだけ膝を伸ばし森の方へと目を凝らす。
「は? 里奈? どこ?」
透花の視線の先を見るけれども、そこには何もいない。ただ暗くて、先が全く見えない深い森があるだけだ。
「ねぇ、ほら、あそこに里奈ちゃんがいるよ?」
「いないって!怖いよ透花、何言ってんの?そういう冗談まじ笑えないから!」
闇の中へと向けられた透花の人差し指。
幹介は怒ったようにライトの明るさを最大にして森の中を照らした。
しかしスマホのライト程度では、森の先なんて全く見えない。ただそこには生い茂った草と深い闇があるだけだ。
「里奈ちゃんが、私を呼んでる。来てって。」
「やめて、やめてよ」
「ねぇほら、やっぱり。ねぇなんで見えないの? あんなに呼んでるよ??」
透花は小さく叫ぶ様に俺達を見た。
俺の顔にも、そしてみんなの顔にもきっと困惑と恐怖が浮かんでいた。
ただそれだけなのに、透花はまるで化け物を見るかのように顔を引き攣らせて怯え始めた。
「やっぱり里奈ちゃんが言うとおり……みんなの方がお化けなの?」
「そんな訳ないだろ。誰もいないから座れって」
俺は透花の手をもう一度掴んで手を引いた。
その瞬間──
透花は全身を硬直させ、突然甲高い悲鳴のような大声を上げた。
「触らないで!!」
彼女は俺の手を力任せに振り解いた。
目には涙を浮かべ、呼吸は荒い。
彼女の視線が、俺達と暗い森の奥とを、迷うように一往復する。
「――っ!!!!」
何かに突き動かされたように、透花は俺たちに背を向け、鬱蒼とした森の奥深くに向かって走り出した。
「透花!!」
名前を呼んだけど、彼女は振り返らなかった。
ザクザクザクと森に積もった草や葉を蹴散らすような音が辺りに響く。
森が斜面になっているせいで、透花の頭はまるで地面に沈み込むように徐々に姿を消していった。
「行くな!!」
俺の声が――暗い森に吸い込まれていく。
そして「ザッ」と言う足音を最後に、透花は完全に姿を消した。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
パニックになった功太が、持っていた防犯ブザーを思いっきり引っ張った。
カチっと言う音の後に、耳をつんざくようなけたたましい音が、あたり一面に鳴り響く。
神社の前に目を向けると、地面に頭を擦り付けるように伏せていた大人達が、全員首だけをこちらに向けて目を開いていた。
いよいよ物語動き出しました。
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