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イリグチ様 ─逃げなかった子供だけが背負う呪い─  作者: 白波さめち


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28.選ばれた子


「どういう事ですか?」


「この村はまだまだ死人が出る。村人は絶望し、もう生きる気力を失っている者も多い。だから……希望が必要なんだよ。そう祈祷師様が仰ってるんだ」


 宮司の後ろで、異様な朱色の衣を纏った少しふくよかな女が紅のついた唇の端を上げて微笑んだ。


 その瞳は泥を煮詰めたような暗い色を宿していて、目が合った瞬間、背筋がぞくりと震える。


「例え私達がこのまま息絶えても、魂はこの村で幸せに過ごす事ができる。極楽浄土のような世界を、ここに作ることができると仰っているんだ」


 続きを聞きたくない。

 自然と両手を胸の前で握りしめた。

 

 足も一歩後ろに下がったが、私が下がった分だけ宮司は微笑みを浮かべながら距離を詰める。


「君は、この村を救う神に選ばれたんだ。とても名誉な事なんだよ?」


 ――生贄だ。


 他の村では干ばつや飢饉の時に牛や兎を神に捧げる事があるという。


 私は……神頼みのために殺される牛や兎と同じように選ばれたんだ。


 差し出される骨ばった宮司の手が、地獄に引き摺り込む鬼の手のように見えた。


「イト!! 逃げろ!!」


 ソウは空気を切り裂くように叫んで私の手を取った。

 宮司や他の村人達の「待て!!」と怒鳴る声が後ろから聞こえる。


 死体と枯れた畑。その中を二人で走った。


「ソウ!どこに行くの」


「村を出るしか!」


 村を出たところで生きていくことなんてできない。

 どこに行っても食べ物なんてないんだ。

 それにどこも困窮してる。


 孤児二人を受け入れてくれる場所なんて、見つかるわけない。


 そんなこと、彼も分かっているはずなのに。


「そんな心配すんなよ。ちゃんと考えてる。他の村ではさ、沢山の人が畑を捨てて、都に向かってるんだってさ。俺達もそこに紛れよう」


「都?」


「うん! 二人で生きていこう」


 そんなこと、本当にできるのかな。

 ただ、ソウは本当にできると信じているみたいだった。


 私は小さく頷いて返事をする。


 分かれ道。高台の方には宮司の家がある。

 ならば反対側に行くしか道はなかった。

 先ほど通った道を遡りながら、私たちは西に向かう。


 ただ、ほとんど食べ物を食べておらず、子供の私達の体力はすぐに限界を迎えた。


 陽はもうとうに暮れている。

 今から斜面を降りて、追っ手を巻き、山を抜ける?


 そんなこと無理だ。

 もつれて転びそうになる足。

 息も絶え絶えに「ソウ」と名前を呼んだ。


「もう私……」


「さっきの窪地。その穴に隠れよう。朝になったら、窪地を迂回して森を抜ければいい」


 後ろを振り返ると、村人が松明を持って月明かりに照らされた私達を追っている。

 私を逃そうとしたソウを彼らは許さないだろう。

 

 やめるなら今だ。

 

 ソウの握る手を振り解き、彼らに謝罪して自分の運命を受け入れる。

 彼の助命と赦しを必死に請えば、今なら許してもらえるかもしれない。


 そんな私の思いに気づいたように、ソウは手をきつく握りしめた。


「大丈夫だから」


 絶対離さないと言うように、固く結んだ手。

 走りながら私の顔を見て、ソウは笑った。

 優しく包むような月明かりみたいなその笑顔に、私は愚かにも彼を信じてみたくなってしまった。


「うん」


 棒のようになった足を奮い立たせ、私は必死に足を動かす。


 斜面を滑り落ちるように降り、そっと岩の隙間に二人で身を寄せて息を殺した。


 村人達が私達を探す怒号が聞こえる。

 みんなの体力は、もう畑を耕す力もないと思っていたけど大間違いだった。


 それとも、本当にあの祈祷師の言うことを信じているのだろうか。


 ――極楽浄土のような魂の世界をこの村に作る、なんて事が本当に叶えられると。


 本当にそんな事が可能なら、雨を降らせてよ。


「いたぞ!!!」


 その言葉と同時に、腕を強く引っ張られた。男衆が持つ松明の赤い光が窪地の中を照らし出す。

 

 ソウが地面に抑え込まれ、私自身も男衆に両腕をきつく掴まれた。

 私は窪地をゆっくりと見回した。

 集まった大人の男は十人ほど。

 皆痩せ細って骨ばった顔をしているが、その瞳は飢えとは違う、異様な光を宿していた。


「ソウ! お前!! よくも!!」


 男は顔を真っ赤にして、罵声を吐き散らしながらソウを殴りつける。


 彼は、私の家のすぐ近くに住む男だった。彼もまた、先日幼い娘を病で亡くしている。

 その亡骸を抱いたまま狂ったように泣いていたのを私は知っていた。

 

「ごめんなさい」

「許してください」

「ソウに乱暴しないで」


 私は取り押さえられながら、何度も何度も男衆に赦しを乞う。

 

 でも、彼らは宮司と祈祷師が到着するまでソウを痛めつける手を止めることはなかった。ソウは、黙って殴られながらも目だけは獣のように男衆を睨みつけている。

 

 そして――宮司と祈祷師が窪地へと降りてきた。


「ソウ、本当になんて愚かなことを」


 宮司は冷たい目をソウに向けた。

 ソウの顔は何度も殴られ、腫れ上がり、口の端からは血が流れていた。


「祈祷師は雨を降らしに来たんだろ。話が違うのはそっちだ」


「都にいる愚かな将軍様のせいで、天は怒っておられるのだ。我らのせいでも、祈祷師様のせいでもない」

 

 ソウの叫びに、宮司は緩く首を振った。

 そんな宮司とソウのやりとりなど構いもしないように、祈祷師は窪地を見回して「嗚呼」と歓喜に満ちた声をあげる。


「宮司様! 見つけました、見つけましたわ。ここが、儀式に最適です。ここに子を捧げよと、そのように天が申しております」


 月に向かって、祈祷師は大袈裟に腕を伸ばした。

 まるで、そこから声が降ってきたとでも言うみたいに。


「嘘つき。雨を降らすことができないから、そう言ってるんだ」


 取り押さえられている私は、地面に伏せたまま彼女にそう言い放った。


 すると、彼女の歓喜の表情は一瞬にして消え失せ、泥のように暗い目を私に向ける。


 ほんの一瞬、沈黙が落ちた。

 宮司や村人が「無礼者」と私を叱りつけるが、祈祷師は手を挙げてそれを静止する。


「私は都でも有数の験者と呼ばれていますの。ですから、そのような無礼な口を叩かれても天に選ばれた子に腹を立てるなどあり得ません」


 泥のように濁った目に憎悪が灯った気がした。

 いやらしく彼女の口角が上がる。

 まるで、どのように獲物をいたぶろうかと楽しんでいるみたいに。


 しまったと思った時には、遅かった。


「天から授かった儀式の方法をお伝えしましょう。子は西に、そして子の宝を東に置くのです」


「宝ですか? 祈祷師様、イトの家に宝なんて、そんな大層なものは」


「あら、宮司様。宝は宝物のことではございません」


 裂けるように上げられた口角。

 飢饉の前に感じたような嫌な気配が、これから起こる絶望を予見するように背筋を撫でた。


「彼女を逃そうとした彼が彼女の宝ですわ。彼をここの反対側の東に置けば、太陽の軌跡を結ぶように、この地に天の力がもたらされるでしょう」


 窪地の中に、歓声が上がった。


 上を見上げると、男衆の妻たちが松明の灯りを頼りに立っているのが見えた。

 頬は痩せこけているが、皆一心にこちらを見つめている。彼女たちの瞳には切実な何かが宿っていた。


「天の力って何よ!! 本当にそんなものがあるなら、人の命を犠牲にせず私達を助けなさいよ!」


 私の叫びは窪地の中に空虚に響きわたる。

 誰も、私の言葉に耳を傾けてなんていなかった。


 祈祷師は穢らわしい言葉を隠すように、口元を朱い装束で隠し、宮司に耳打ちした。


 宮司は一瞬驚きを見せた後、クワを抱えた村人へと合図を送る。


 ソウと目が合った。


 殴られてアザができ、血が滲んだ彼の顔は空虚な笑みを浮かべる。


 ごめんな。


 音もなく、唇だけがそう告げた。


 私が「やめて」と叫ぶ前に、クワは倒れるソウの背中の真ん中へと振り下ろされた。


 グシャリという嫌な音が、真っ暗な窪地に響き渡る。


 ソウは聞き取れないほど小さな呻き声をあげ、私の頬に彼の血が飛び散った。


「イヤァァァァァァァァァ!!! ソウ! ソウ!!」


 必死に身を捩るが、何人もの男衆に押さえつけられた体は殆ど動かない。

 涙が一瞬にして溢れ、目を見開いたまま転がるソウの姿が滲んだ。


「彼の骨で宝物を作りましょう。それを東の端に祀りなさい。そして彼女は魂の世界を作り、生者の世界とを繋げる神として、その身を生きたまま岩の中に捧げるのです。貴方達が彼女を神と崇め、信仰する心が天に届けば、この地に新しい極楽の地が産まれることでしょう」


 再度――村人の歓声が上がった。


 彼らは興奮をそのままに私を立ち上がらせ縄で縛った。そして引きずるように、私達が隠れていた穴へと連れていく。


 乱暴に押し込まれた二人分の隙間の中、私は必死にそこから出ようともがいた。

 

 彼らは本当に信じてるんだ。

 極楽浄土のような魂の世界が本当に作れるって。


 そんなありもしない希望のために、彼らは最後の理性と人間性を手放した。


「岩を持って来い!!」


 私を押さえつける男の荒い叫び声。

 やがて運ばれた大きな大きな岩。


「これで……これで、本当に皆がまた笑えるように……」


 宮司は搾り出すような声で笑った。


 その笑顔は狂気的な希望に満ちている。

 宮司の後ろでは、祈祷師の女が赤い唇を目一杯つり上げ、楽しげに私を見ていた。


「嫌! やめて! 嫌!!!」

 

 やがて、私の視界は暗闇に包まれた。


 叫んでも。

 叫んでも。


 もうその声は誰にも届かなかった。




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