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イリグチ様 ─逃げなかった子供だけが背負う呪い─  作者: 白波さめち


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27.むかしむかしあるところに


 蒸し返るような暑さに瞼を開けると、藁の上に蛆が這っていた。眠る前に気づかなかった腐臭も、目を覚ましてすぐは鼻につく。


 ゆっくりと身体を起こしすぐ隣にあった塊を覗き込むと、腐った小さな弟を抱いたまま、母が冷たくなっていた。

 

 私は冷たくなった母と蛆の湧いた弟に覆い被さる。


 父と弟を順に亡くし、母はみるみる憔悴していた。


 少しでも食べられる物を探しに行かねばならないのに、冷たくなった弟を抱いたまま、母は起き上がることすらできなくなっていたのだ。


 動けなくなった者から死んでいく。

 だから母もじき亡くなるだろう。

 それは分かっていたはずなのに。


 飢えと乾きで身体の水なんて無くなったと思っていたが、私の目からは雫が溢れた。


 ここ数年、ずっと稔りが良くなかった所に、去年は大雨、今年は旱魃(かんばつ)がきて村の僅かな田畑はすぐに駄目になった。

 

 元々山に囲まれ、周囲から隔絶されていた小さな集落。


 平地が少なく耕せる畑は多くない。

 村の食糧はすぐに底をつく。川で魚を獲り、どんぐりや栗や山菜を山からかき集めた所で村人全てを満たすことはできなかった。


 冬には村の年寄りや小さな子供が飢えで死んでいった。

 

 春になり、山に恵みが溢れ一時は希望が持てたが、それも短い間だけ。

 春の終わりには病が蔓延し、冬よりも遥かに多い死者を出した。

 

 今日の食糧を確保することすら難しい村人達に、田畑を耕すことなど不可能だった。

 そして再び訪れた旱魃(かんばつ)


 夏も半ばを過ぎたというのに、多くの人は飢えと病に苦しんでいる。家の中で蛆のように這って過ごすことしかできなかった。


 どれほど泣いたか分からない。

 だけど、動かなければ。

 私も母と同じように死んでしまう。

 

 外に出ると、腹が異様に出た子供が、道端に腐ったまま放置されていた。


 湿気と腐臭が入り混じった空気が村全体を覆っているみたい。


「イト!」


 名前を呼ばれてゆっくりと振り向くと、遠くから小走りで近づく少年が見える。


「ソウ」


 彼の名を口にすると、彼は足を緩めながら私の前で停止した。ソウは息を少し整えながらゆっくりと私を見上げる。


「お袋さんは?」


 そう言われて、私は唇を噛み緩く首を横に振った。

 彼は「そうか」とだけ口にして、骨と皮だけになった細い手で私の頭をわしわしと撫でる。


 ソウの家も足の悪いお婆さんを冬に亡くした後、父と母を亡くし、先日働き盛りの兄を病で失ったばかりだ。


 私達は二人、孤児になった。


 しかし村には孤児を養う余裕なんてない。

 それは孤児になったが最後、もう頼る大人がいないことを示していた。

 

 幼さなんて言い訳にしかならない。

 そんな非情なこの世界で、頼れるのは自分だけ。


 でも、幸い家には畑だってある。

 水さえ与えれば、母が取っておいた僅かな種が芽吹くはずだ。


 そして私がこの夏を生き延びれば、きっとなんとかなる。


 そう――信じるしかなかった。

 

 雨の気配など全く見せない照りつけるような暑さに反して、腐臭と濁った空気が身体をずんと重くする。


「お袋さんと弟さん、どうする?」


 埋葬するかどうかと問いかけるソウに緩く首を振った。

もう母は目が覚めないことは理解していても、埋葬して1人になることを許容できなかった。


「……明日でいい。水を汲んで畑にいく?」


「いや、井戸は殆ど干上がってた。もう畑に撒けないよ。でも今、都で有名な祈祷師が神社に来てるんだ。祈雨奉幣の儀式を行なってるって。これで……雨が降ってくれるといいんだけど」


 ソウはそう言いながら、死の光が降り注ぐ青々とした空を仰いだ。彼のどんよりと濁った真っ黒な瞳と、口から出た言葉は正反対だ。


 ――ソウの嘘つき。

 

 私達が雨を望もうが、太陽を望もうが、天は全く聞く耳をもってなどくれなかった。

 それを、ソウも嫌というほど知っているはずなのに。


 動ける大人達は、村の東側の高台にある神社に集まっているのだろう。人の姿が見えないはずだ。


 私は睨むように、高台に見える鳥居に目を向けた。

 意味のない祈祷の為に朝から集まるくらいならば、川から水を汲むなり、山に入って山菜や兎を採ってこればいいのに。


「ソウ。川から水を汲んで畑に撒いたら、山菜を摂りに行こう」


「……ああ」


 私達は桶を持ち、ぬかるんだ泥が広がる川から、茶色く濁った水を汲んで畑に撒いた。乾いた土はあっという間に水分を吸収していく。これも数刻経てば、また乾いた土に戻っていくだろう。


 その場しのぎのような僅かな水でも、儀式なんかよりもきっと意味のある行為だと自分に言い聞かせる。


「ソウ、行こうか」


「……そうだな」


 ソウは感情のない目で、もう乾き始めた地面を見つめながら返事をした。

 

 高台の反対側に向かって歩き出す。

 

 比較的なだらかな東側の山と違って、西側の斜面は急で、陽の光が殆ど入らないほど草木が生い茂り鬱蒼としている。


 下ることにも登ることにも体力を使う為、体力の落ちた村人達は入りたがらない。ということは、まだ食べ物が残っているはずだ。


 村の西側から森に入る。

 斜面を滑り落ちないよう気を配りながら、鬱蒼と生える草木を掻き分け、見つけた山菜をザルに入れていった。

 

 陽が傾いた頃、竹筒の水を飲んだソウが私に声をかける。


「そろそろ帰ろう」


「でも、まだこれだけしか」


「水もなくなったし、暗くなって足元が見えなくなったら危険すぎるよ」


「なら、あそこのヤブカンゾウだけ」


 少しでも食料を増やしたい私は、少し離れた所に見えた花を指差しザルを地面に置く。

 草木を掻き分け、ゆっくりと花に近づくと、そこで落ち葉に脚を取られた。


「イト!!!!」


 ソウの叫び声が山に響き渡る。

 木霊が耳に届くよりも早く、私の足は地面から離れた。

 反射的に目を瞑った私は、真っ暗な闇の中、混ぜられるように山の斜面を転がり落ちていった。



「イト!」


 闇の中――ソウの声が聞こえる。

 

 ゆっくり瞼を上げると、心配そうに私の顔を覗き込むソウの情けない顔があった。

 身体中の至る所に痛みがある。

 でも手も足もちゃんと動くし、大きな怪我はなさそうだ。


「ごめん、大丈夫」


「気をつけろよ」

 

 ほっと息を吐いた私は、ソウに謝りながらゆっくりと身体を起こした。

 帰り道を確認しようと周囲を見渡した私は、目の前に広がる不思議な光景に言葉を失った。


 私が無事だったことに安堵したソウも、周囲の光景に気づいたのだろう。眉を顰めて立ち上がり、周囲をゆっくりと見渡す。


「なんだ? ここ」


 ソウは気味が悪いものでも見たかのように小さく呟いた。


 私達は、まるで山の一部を大きな手が掬った跡のような窪地の中にいた。


 窪地の中は、あれほど鬱蒼と茂っていた草が全く生えていない。地面にあるのは柔らかい枯葉だけだ。

 

 窪地の周囲に生えている木が、まるでこの場所を覆い隠すように枝を伸ばしているせいで見通しのいい空間なのにも関わらず、先ほどまでいた森の中よりも薄暗く感じる。


 窪地の中を探るように歩き始めたソウは、私が落ちた斜面の反対側まできて足を止めた。


「こんなでかい岩、見たことない」


 反対側には大きな岩がそびえ立つように窪地で存在感を放っていた。

 

 どこかから転がり落ちたのだろうか?

 でも、こんな大きな岩が転がり落ちるなんてあり得る?

 

 岩の真ん中には、私達くらいの子供なら2人入れる程度の隙間が空いていた。まるでどこかにつながる入り口のようにぽっかりと空いた穴。

 覗き込むと、光が入りこまない漆黒の闇がそこにあった。


 岩が本物かどうか確認するようにぺたぺたと触り出したソウも、岩にできた穴を覗き込む。


「ソウ、こんな窪地や岩が村の西側にあるって知ってた?」


「知らなかった。去年の大きな地震のせいかも。ほら、地震で地形が変わるったりすることあるだろ?……ちょっとここ、入ってみるか」


「え?やめなよ?!」


 引き寄せられるように穴に入ろうとするソウの手を思わず掴んだ。


「大丈夫だって」


 ソウは引き留める私の頭を軽く叩いてニッと笑う。

 手を軽く引いて、私の手を解いた彼は小さく屈んで、ゆっくりとその漆黒の闇の中へと入っていった。


「ねえ、何かあった?」


 私の声は闇に吸い込まれるように消えていった。

 1人になった不安と孤独で胸がギシギシと締め付けられる。


 すぐに私は彼の後を追うように一歩踏み出すと、私が入るより先に彼が暗闇からぬっと出てきた。


「なんもなかった。きのこくらい生えてたらいいなと思って地面を探したんだけど。三歩も歩かないうちに行き止まりだったよ」


「心配したんだから」


 安堵の息が口から漏れた私に、彼は困ったように笑う。


「イトは怖がりだな。俺はイトが落ちた時の方が怖かった」


 そう言われて、私も「確かにそうだね」と釣られて笑う。


 

 その後、私達は緩やかな傾斜をよじ登って窪地から外へと出た。

 少し高いところから見下ろすと、窪地はすでに木々に覆われてほとんど見えなくなっている。


 山から出た頃には、西の空に茜色が僅かに残っている程度で、辺りはとっぷりと闇が覆っていた。

 僅かな月明かりを頼りに家路を急ぐと、私の家の前に大人達が松明を持ち、わらわらと集まっていた。

 遺体まみれのこの村で、わざわざ今朝亡くなった母と弟を弔いに来てくれた訳ではないだろう。

 ソウに目を向けると、彼は訝しげな顔をして首を傾げた。


 山から戻ってきた私達に気づいた村の大人達が「戻ってきました」と後ろに声をかけながら、ゆっくりと道を開ける。


 集まった彼らの中心には、東の高台にある神社の宮司がいた。村の中で、長よりも皆んなから信頼と尊敬を集めている宮司が村のこんな端の家まで来ることなんてあり得ない。


 宮司は私に優しい笑みを向けて手を差し伸ばした。


「イト、この村を救うために君の力が必要なんだ」



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