23.死者の世界
目を開けると、俺はあの真っ黒な岩のすぐ側で尻餅をついていた。
一体いつの間にバランスを崩したのか。
その瞬間は全く思い出せない。
すぐに見渡すと、湊人も幹介も優也も、全員がすぐそばの距離にいた。張り詰めていた緊張が一気に緩み、深く安堵の息を吐く。
「ここであってるのか?」
「分からない。湊人、ちゃんと『お守り』は持ってるな?」
優也は立ち上がって、周囲を見渡してから湊人に声をかけた。
湊人は制服の右のポケットに手を入れて「大丈夫。ちゃんとある」と言いながら立ち上がる。
この場所は、先程と何も変わっていないように見えた。
ひどく冷えた重たい空気も、祠も、岩も先ほどのままだ。
本当に透花のいる死者の世界に来れたのだろうか。
「……虫の声がしない。というか、音がない」
立ち上がった幹介の呟き。
注意深く耳を澄ませてみる。
本当だ。
先ほどまで微かに聞こえていた虫の声や、風が葉っぱを揺らす音も聞こえない。
肌を撫でていた風の気配すら――消えていた。
「大丈……夫? 聞こえ……る?」
「美玖? 聞こえてる!」
繋いだイヤホンから美玖の声が聞こえた。
しかし電波が悪く音声は途切れ途切れだ。
でもなんとかこちらの声も届いているようで「気をつけて」と雑音混じりの音声が届いた。
音や風がない異様な空気。
電話という細い繋がりが少し恐怖を和らげた。
「全員分かってるな? 二手に分かれて透花を探す。大和と湊人は北側から学校に行け。俺と幹介は南から商店の方を探してみる。見つかっても、見つからなくても二時間後に俺の家の前に集合しよう」
「分かった」
全員が頷いたのを確認した優也は「透花を見つけても絶対触れるなよ」と俺達に再度念を押した。
階段を上がって鳥居を潜る。
その先に広がった景色で、俺達は言葉を失った。
世界がセピア色に染まっていた。
社会の教科書にあった昔の白黒写真のように、セピア色のフィルターをかけたようなひどく色褪せた景色がそこには広がっていた。
太陽が昇っているわけじゃない。
それなのに、懐中電灯がなくても周囲を見渡せるほど、はっきりとした明るさがある。
建物は全て見慣れた、つい先ほどまでいた場所の光景。
それなのに世界だけが、過去の時間に閉じ込められたように茶色く澱んでいた。
「なんだよこれ」
湊人の声に思わず後ろを振り返る。
すると、俺達が入ってきたはずの神社とその周囲の森だけが、このセピア色の世界から無理やり切り取られたかのように、色鮮やかで異様なほど現実味を帯びて見えた。
「何かくる!!」
張り詰めた幹介の声に再び前を向くと、神社の前の通りを通って一人、誰かが歩いてきた。
あの格好は見たことがある。
優也の神社の……神主が祭りの時にする格好だ。
「……じいちゃん?」
絞り出すような優也の怯えた声に目を凝らす。
まるで歩き始めたばかりの赤ちゃんが、なんとか歩いてるような不自然でゆっくりとした歩き方。
ゆっくりとこちらに近づく神主の顔が見えた瞬間、ヒッと息を呑んだ。
――人間じゃない。
目玉は濁ったように白い膜が貼っている。
顔は死人みたいに血色がない。
肌は、電灯の下で死んだ蛾の翅のように、カサカサと今にも剥がれ落ちそうに見えた。
セピア色に染まったこの世界で、光源のように白く浮かびあがっている。
その顔は――笑っていた。
「ツミトガヲオユルシアレ、アイスマヌ、ツミトガヲオユルシアレ、アイスマヌ」
ぶつぶつと呟きながら歩いてきた彼は、その場に縫い付けられたように動けなくなった俺たちの前でピタリと止まる。
真っ白に濁った眼球がぎょろりとこちらを向いた。
無理やり笑わされているように開かれた口が、その形を保ったまま大きく開く。
口の中は黒く塗りつぶされたような闇が広がっていた。
「アアアアアアアアアアアアア!!!!!」
まるで防犯ブザーのような、つんざく叫び声で耳の奥がビリビリと震えた。
世界の異物を見つけた事を周囲に知らせる警報みたいだ。
そして俺達を排除しようとでもいうように、彼は今にも転びそうな足取りでこちらに手を伸ばし駆け出した。
「逃げろ!!!!」
湊人が短く叫び、俺の手を力任せに引いた。
幹介も弾かれたように優也の手を掴み、一目散に南の道へと駆けていく。
叫び声はずっとずっと神社の前で響いている。
恐怖で足の感覚がない。
今にももつれて転びそうになりながら透花の家に向かって走った。




