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イリグチ様 ─逃げなかった子供だけが背負う呪い─  作者: 白波さめち


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20/27

19.美玖の勇気


「それでは国語の教科書を開いてー」


 担任の声に、六年生全員が一斉に教科書を開いた。

 教科書を読むふりをしながら、そっと隣の透花を見る。

 いや、透花じゃない。律だ。


 律はまるで勉強すること自体がとても楽しいとでも言うように、目を輝かせながら教科書を見ていた。


 律は今日、鉛筆削りの使い方がわからなかったり、黒板消しクリーナーに驚いてみたり、信じられないような行動ばかりしている。


 そして俺と目が合うと、氷みたいな顔で笑うんだ。

 

 もしかしたら、もう隠す気すらないのかもしれない。

 

 そんな気になってしまうほど、彼女は『透花』ではなく律として、学校で過ごしているように見えた。

 

 透花の両親は本当に彼女の変化に気づかないんだろうか。

 

「大和、どうしよう。やっぱりないよ」


 体育の時に、着替える少し時間をずらして透花の荷物を漁った美玖が俺の耳元でそう言った。


 幹介が透花を上手く教室から離している間に、俺は功太と教室を探したが、ランドセルの中にも引き出しにもなかった。

 

 いや、なかったという言い方がおかしい。

 そもそも『何を探せばいいのか』それすら分かっていないのだから。


 放課後、律はまた「遊ぼう」と俺達に声をかけた。

 

 その律を撒いて、チヨ婆の家に行く。


 律につけられていないかと気をつけながら家に入り、後から合流した優也と湊人の二人に、見つからなかった事を報告した。


「そもそも何を探せばいいのかもわからねぇもんな」


 湊人はそう言って自分の頭をぐちゃぐちゃに掻く。幹介が「せめてどんなものかだけでも分かれば」と悔しそうに呟いた。

 

 苦しい沈黙が居間を流れた。


 昨日は透花を助ける、宝物を見つけると言い切った。


 その自信は、何も分からない現実の前に、どんどん小さくなっていく。


 みんなも同じだ。

 誰もが、この無謀な作戦の成功を信じきれていなかった。


 そんな諦めにも似た空気の中、美玖だけが、何か決心をしたかのように顔を上げていた。


 

 ♦︎ ♦︎ ♦︎



「遊ぼ」


「いいよ。今日さ、透花ちゃんの家に行ってもいい?」


 翌日の放課後。突然美玖が動いた。

 律は美玖の言葉に、とても嬉しそうに目を輝かせる。


「いいよ!家で遊ぼう!」 


 律は美玖の手を引いて、俺達に邪魔はさせないというように昇降口へ駆けていく。

 美玖は俺達を振り返り、青い顔をしながらも「任せて」と小さく頷いた。


 功太に優也と湊人を呼びにいかせて、俺と幹介は律に気づかれない距離を保ちながら二人を追いかける。


 もしかして神社に美玖を連れていく気なんじゃないか。そんな不安が頭をよぎった。


 心臓が潰れそうな気持ちで二人を追いかけたが、二人はそのまま透花の家へと入っていく。

 

 一瞬──

 玄関の前で律がこちらを見たような気がした。


 いや、気のせいだ。

 十分距離は開けていたし、律は家まで一度も振り返らなかった。


 だからきっと大丈夫だと、自分に言い聞かせる。


 透花の部屋の窓がよく見える雑草まみれの公園。

 その草陰に移動して、俺達はしゃがみ込む。


 そのまましばらく家の前で待っていると、幹介のスマホに着信があった。美玖からだ。

 

 幹介が電話に出ると、スマホの向こう側から息を潜めた美玖の小さな声が聞こえた。


「部屋に入った。そっちの音、聞こえないようにしておいてよね」

 

 美玖の声と一緒に、ゴソゴソと部屋を漁る物音が聞こえる。幹介はこちらの音声が入らないようにミュートボタンを押して「部屋で何か見つかるかな」と俺を見た。


 わからない。

 何か見つかることを祈るしかなかった。


 引き出しを開ける音。

 中を漁る音。

 引き出しを閉める音。


 そんな音が繰り返し続く。

 突然「やばっ」という、美玖の焦った声が聞こえた後、すぐに「ガチャリ」と扉が開く音がした。


「美玖ちゃんお待たせ。お母さんがくっきぃくれたの。あれるぎぃとかない?って」


「ないよー。ありがとう」

 

 クッキーとアレルギーだろうか。


 律は初めて聞く言葉を、意味もわからず美玖にそのまま伝えたような話し方をした。

 心臓の脈動が痛い。心臓を押さえつけるように胸に手を当てながら、その声の続きに耳を傾ける。


「あのね、宿題教えて欲しいの。ちょっと難しくて」


「あっ……うん。やろっか」


 そう言って、律と美玖は宿題をやりはじめた。

 鉛筆の音よりも、律が質問する声の方が多い。

 まるで功太が六年生の勉強を背伸びしてやっているみたいだ。

 

 その間に功太が優也と湊人を連れて合流した。

 湊人は俺の隣にしゃがんで、スマホに表示される『美玖』の名前を見つめながら声を落とす。


「大丈夫か?」


「うん。今、美玖が……透花の部屋で律と話してる」


「……律って何歳なんだ?」


 宿題に手こずっている様子の律の声。それを聞いた湊人は首を傾げた。

 少し前のめりになった優也は、スマホから視線を逸らさず苦しそうに口を開く。


「93歳だ」


「93歳?!」


「俺のひいじいちゃんと同い年だって言っただろ。いなくなったのは……律が11歳の時だったらしい。だから……律の成長は11歳の時のまま止まっていたのかも」


 11歳。それは目の前にいる功太と同い年だ。


「透花ちゃんになれて……嬉しいのかな」

 

 ごくりと唾を飲み込んだ功太の震える声。


 82年間、律を縛っていたイリグチ様としての役割。


 そこから解き放たれた律は、まるで人生をやり直しているみたいに、今は透花として小学六年生の宿題に向き合っている。


 胸の中に、怒りとは違う別の感情が湧き上がりそうになった。俺はそれを必死に振り払い、自分思考の先を潰した。


「でも、だからと言って透花を犠牲にしていいってことじゃない。律は、俺たちの敵なんだ」


 律は敵――


 そう言い切ることで、自分の気持ちがブレないよう叱咤した。そこから、誰も口を開かなかった。

 

 俺達はスマホから流れる音を聞き漏らさないよう、必死に耳を傾ける。


「ねぇ。と……透花ちゃんの部屋って可愛いよね。何がお気に入りなの?」


「んー?? えっとぉ……全部お気に入りだよ。お布団はとても温かいし。枕はふわふわだし。可愛いものがたくさんあって全部好き」


「布団……? 枕……?」


 美玖の少し固い声がスピーカーから聞こえる。

 律はそれを面白がるように「アハっ」と小さく笑った。


「お母さんもお父さんも優しいし。私ね、今幸せなんだ。だから全部、お気に入りなの」


「……ぜ、全部はだめだよ。一番のお気に入りは何かって話だよ?」


「それって……私の宝物ってこと? ……アハっ。じゃあさ、美玖ちゃんは何が一番の宝物なの?」


 いつの間にか、手が汗でぐっしょりと濡れていた。

 美玖の声が戸惑うように一瞬沈黙する。


「そうだね……えっと。私の部屋にある、ぬいぐるみかな。おばあちゃんが昔服を作ってくれてさ、もうぬいぐるみって年齢じゃないんだけど、ずっとベッドに飾ってるんだよね」


 少し上擦りながら話す美玖に「ふーん。そうなんだ」と律の平坦な声が返ってくる。


「宝物を持ち歩かないのって不安じゃないの?」


「不安になんてならないよ。だって家にあるんだもん」


「だって焼けちゃうかもしれないよ?」


「焼け……ちゃう……?」


「アハっ。ごめんね? なんでもないよ。美玖ちゃんじゃなくて良かったなって思っただけ」


 律の楽しそうな、しかし底冷えする声が響いた瞬間。幹介はスマホの通話終了ボタンを強く押した。


 「ちょっ!幹介何やってんの!?」


 湊人が焦った声を出す。

 すると幹介は、すぐに美玖にかけ直した。


「美玖、今すぐ適当な理由をつけて家から出ろ!」


 幹介の焦った声に、スマホの向こう側の美玖も事態を悟ったのだろう。


「ごめん、お母さんが呼んでるみたい! もう帰るね!」


「えー、つまんない。明日また来てくれる?」


「そう……だね。ごめんね! また明日!!」


 ドタドタという階段を降りる音と「お邪魔しましたー」と少し震える美玖の声。それと同時に、透花の家の扉が開いた。

 

 隠れている場所から功太が顔を出し、必死に美玖に手招きする。美玖はこっちに気づき、大急ぎで駆け寄った。


 俺は透花の部屋の窓を見上げた。


 そこには冷たく笑う律が――。

 カーテンの隙間から、楽しそうにこちらを見ていた。




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