1.『顔』が分からない転校生
「透花ちゃん。イリグチ様の話ってもう聞いた?」
美玖はそう言って透花の顔を覗き込んだ。
時刻は午後の三時を回り、でこぼこのアスファルトの道には四つの影が長く伸びている。
透花は都会からこの村に越してきた女の子だ。
今日が転校初日。「村を案内するから一緒に帰ろう」と美玖が誘って、みんなで少し遠回りをしながら家に帰っている。
空は広くて高い。都会のビルに遮られていた景色とは、比べ物にならないだろう。
しかし、その広すぎる空の下で、村の風景はどこまでも単調だった。
周囲を囲むのは、背丈の低い家々と、その間に広がる水田だけ。水田には水が張られ、周囲の山の緑を映し込んでいる。
案内するとは言ったものの、村には見せる場所なんてほとんどない。あるのは小さな商店と、雑草まみれの公園と、神社くらいだ。
初夏の湿気を含んだ空気が、肌にまとわりつくように重く感じた。
透花は、少し首を傾げて目をぱちくりとさせる。
「聞いてない。なにそれ? イリグチ様?」
「あのね、イリグチ様は村の神様。子供を連れていっちゃうの」
イタズラっぽく笑った美玖に対して、透花は「え?!」と驚いた顔をした。
ちょうどその時、村でただ一つの神社の前を通る。
「この神社にイリグチ様が祀られているんだよ」
弾むような声で、美玖は鳥居を指で示した。
透花は眉を下げながら、朱色が剥げ、色がくすんでいる神社の鳥居に目を向ける。
鳥居の先は、鬱蒼とした木々の影で昼間でも薄暗い。下へと伸びる苔むした長い石段が、ここから少しだけ見えた。
「なあ、美玖。あまり転校生をビビらせるなよ」
後ろから声をかけると、美玖は「え〜、だってさぁ大和」と頬を膨らませた。
「YouTubeで心霊村なんて呼ばれてるんだよ? それなのにわざわざここに越してきたんだもん。怖くないのかなって思って」
転校は親が決めることだ。
子供がどこに住むかなんて勝手に決められないだろ。
村には子供が少なくて、六年生は俺と美玖と幹介しかいなかった。周囲の村の分校はどんどんなくなっているそうなので、それに比べれば子供は多い方かもしれないけれど。
だから生まれて初めてきた転校生という存在に、俺は少しワクワクしていた。
せっかく来てくれたのだから、透花には、ここに越してきて良かったと思って欲しい。
それなのに、美玖は余計なことばっかり言う。
「この村、変なルールがあるの。夏の間、子供は夜に外に出ちゃダメなんだ。イリグチ様が子供を連れていっちゃうから。だから花火とかもできないの……変でしょ?」
「怖いかも……本当に出ちゃダメなの?」
「そうだよ? まぁ夜に出た所で、この辺何にもないから。出ても意味ないけど」
怯える透花の顔を見て、美玖はくすくす笑っている。
「バカみたい。ただの迷信でしょ」
後ろを歩く幹介は、美玖に聞こえるようわざとそう言ってため息を吐いた。美玖は「うるさいなぁ」と幹介を睨む。
「それでも、出ちゃダメなのは本当でしょ?」
「そうだけどさぁ」
確かに、この村には変なルールがある。
夏の間、陽が落ちた後に子供は外に出てはいけない。少し先の自動販売機にジュースを買いに行くのもダメだと言われる。
「とりあえず。知らない人に声をかけられても、ついていっちゃダメだからね?」
「でも私……顔がわからないから……」
脅かすように手をお化けの形にした美玖に対して、透花は小さく首を横に振った。
透花は少し珍しい病気らしい。
人の顔が『誰か』分からないそうだ。
普通の人は顔を見れば誰が誰なのか分かるが、透花は生まれつきの病気で『顔』を見ても誰なのか分からないという。
だから、彼女に用事がある時は「名前を言ってから話しかけてあげて」と先生が言っていた。
「それって不便じゃねぇの?」
「たくさん人がいると誰か分からなくて困るかな。表情も分からないから、人を怒らせちゃうことも多いし」
なんとなしにそう聞くと、透花は困ったように笑った。
確かに何度も会ってるのに「誰か分からない」って言われたらイラッとすることもあるかもしれない。
「ここ全校生徒10人だから大丈夫でしょ。透花を入れても11人だ」
幹介がポツリとそう言った。
確かに。しかもずっと同じメンバーだし。
朝、全校生徒の前で紹介された透花は、集められた人数を思い出したのだろう。小さく笑いを漏らした。
「確かに生徒が少なくてびっくりしちゃった。名前もすぐに覚えられそう。新しい小学校だもん。みんなと……仲良くできるといいな」
「できるよ」
「大和君……」
言い切った俺を、透花が見る。
表情が分からないということは理解していても、少し気恥ずかしい。
「俺達、透花が引っ越してきてくれて嬉しいし」
続けた俺の言葉に、美玖も幹介も頷いた。
村の全員、気持ちは同じだ。
「私もここに来られて嬉しい」
透花は小さく笑った。
そして何かに気づいたように、ふと誰もいない田んぼの反対側に目を向ける。
「ねぇ、あの子も同じ小学校? あんな服の子……今日いたっけ?」
透花は誰もいない場所を指した。
近所の人が作った下手くそなカカシが何体かあるけど、そこには人なんていない。
田んぼの土手の向こう。視線の先には、青々とした稲の葉が風に揺れているばかりだ。
しかし透花は、その“誰もいない場所“をお化けでも見たみたいに穴が開くほど見つめている。
その時――強い風が吹いた。
誰かの息遣いみたいに、湿った生暖かい風が頬を撫でる。地面に落ちていた草が風に舞って空を飛び、カカシの頭に被せたビニール袋がカサカサと音を鳴らした。
「ちょっと! やめてよ透花ちゃん! びっくりするじゃん!」
先程まで脅かす側だった美玖は透花に抱きつく。
透花は驚いて、俺たちの目線の高さを次々と辿り、少し首を傾げながら「ごめんね」と笑った。
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全31話。
完結まで書き切ってから投稿していますので、安心してお読みいただけると思います。
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