17.生き証人
優也視点
家に戻ると、神主である父はすでに帰宅していた。
リビングで母と話しているのが聞こえる。
どうも『霧島透花』が話題に上がっているようだ。
彼女の両親にどこまで真実を話すか――
それについて揉めているようだった。
真実を知った今だからわかる。
82年前に失踪した子供と成り変わったと言ったところで、誰も信じてはくれないだろう。
霧島透花を取り戻す術も全て不確かだ。
手掛かりといえば何十年、何百年と代々の神主と宮司が書き綴った資料と、それをまとめたノートだけ。
不確かであやふやな手掛かりを頼りに俺達は彼女を取り戻そうとしている。
そんな状態で外から来た彼女の両親を巻き込めば、ただ事態を大きくするだけなのは明白だった。
なるべく物音を立てないように、父の書斎のドアを開け棚の引き出しに蔵の鍵をそっと返した。
ノートをいくつか抜いてきたが、三十冊以上あるんだ。すぐには気づかないだろう。
書斎を出ると、妹の知佳が扉の横で待ち構えていた。
「お兄ちゃん、また悪戯してるの? お父さんに怒られるよ?」
知佳は腰に手を当て、目を細めて俺を睨んだ。
怒った時の母さんとよく似てる。
小学二年生とは思えないほどしっかりしている知佳は、母親よりも俺の行動の先回りをすることが上手い。
「今日は悪戯じゃねぇよ。神社、継ごうと思ってさ」
「えー? お父さん、神社は知佳にくれるって言ったもん!」
「俺が継ぐからダメ。知佳は沢山勉強して、大人になったら都会に行ってくださーい」
「お兄ちゃんばっかずるい!!」
知佳は頬を膨らませながら、ポコスカと俺の胸を殴った。
腰ほどしかない知佳の頭に手を乗せて、ぐりぐりと頭を撫でつける。
――俺が継ぐとしても、父さんはきっと知佳にもいつか話すだろう。
イリグチ様とこの村の呪いについて。
その時に、村を出る事の罪悪感を少しでもなくしてほしい。
「ちょっと、じいちゃんの様子見てくるな」
「うん。私、部屋で宿題してくる。お父さんとお母さんの喧嘩、まだ終わらないし」
階段を登っていく知佳の背中を見送って、玄関近くにあるじいちゃんの部屋に入った。
畳の客間に介護用のベッドを無理矢理入れたその部屋に、じいちゃんはいる。じいちゃんといっても祖父じゃない。俺の曾祖父さんで、今年93歳になる。
律と同級生だった俺の曾祖父。
律が成り代わられた時の……生き証人だった。
ベッドの隣には在宅酸素濃縮器というものが置かれていて、ブーンという低く持続的なモーター音を響かせている。
「じいちゃん」
認知症が進み、口から食べ物を食べることすら難しくなった曾祖父。
声をかけても、その瞳はただ天井を見上げていた。
孫である父のことも、もう分からなくなっている。
そんな彼に聞く事は無駄かもしれないけれど、足を運ばずにはいられなかった。
「じいちゃん。あのさ、律って……女の子のこと覚えてる?」
曽祖父の顔に、微かな変化があった。
天井を写していた瞳が、ゆっくりと俺の方へ向く。
「りつ……りっちゃん……?」
掠れた湿っぽい声が、酸素チューブのシューという排出音に混じって漏れ出した。
「覚えてるんだな?! その時の事、覚えてる事を教えてくれ」
俺はベッドサイドの椅子に座り、身を乗り出した。
曾祖父は酸素チューブだけでは足りないというように口を開けてハァハァと荒い息を繰り返す。
「りっちゃん。ごめん。イリグチ様に……ついていっちゃ……だめだっ……って言えなくて。りっちゃんがいなくなったのは……ボクのせいだっ……!」
「じいちゃん、何があったの?」
「りっちゃんが見えない何かと喋ってたのも……知ってた。戦死したお父さんに会えるかもって……バカなことを言って……いなくなった。ボクは止めなかった。だって、イリグチ様が……成り代るなんて……知らなくて」
白く濁った焦点の合わない目に写っているのは俺じゃない。きっと、昔の律の姿をその瞳に写している。
ベッドの柵に掴まった俺に手を伸ばしながら、曾祖父はボロボロと枯れた肌に涙を流した。
「成り代わられた律は、どこに行ったの?」
「わからない……あの時はまだ空襲警報も沢山あって。りっちゃんのお母さんも、娘がイリグチ様になって、悲しくて死んじゃった。りっちゃんもいなくなっちゃった」
ブーンという低い唸るような音が耳の中で大きくなった気がした。俺の手に重ねられた、曾祖父の皺くちゃでシミだらけの手。少し伸びた爪が俺の手の甲に食い込み、鈍い痛みが走る。
「だからよく聞け俊也。イリグチ様に一度でも連れて行かれたら終わりだと思え」
俊也――それは父さんの名前。
荒い息遣いを繰り返すごとに、彼の爪はどんどん深く食い込んでいく。
「狂わされても、イリグチ様に成り代わられても二度とその子は元には戻れない。だから、子供たちから目を離すんじゃない。お前が村の子供たちを守るんだ」
突然頭がクリアになったみたいに、曾祖父は焦点のあった真剣な目を俺に向けた。
『二度とその子は元には戻れない』
その重たい言葉が胸を突く。
「じいちゃん……俺……」
俯いた俺の口から震える声が出た。
すると、曾祖父に重ねられた手が緩みベッド上へと戻っていく。
顔を上げると、先程の曾祖父の姿は消し去り、天井をただ見上げるだけの無力な老人の姿へと戻っていた。
「やれるだけ……やってみるから」
それだけの言葉を残して、俺は祖父の部屋を静かにあとにした。




