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人口1恒河沙人の世界 ― 人口潮汐災害対策室の憂鬱

作者: たこはち
掲載日:2025/11/17

 ここは、とある一つの銀河。

 銀河中央省・人口潮汐災害対策室(通称ジンタイシツ)は、朝の六時になると天井がゆっくりと波打つ。

 建物の欠陥ではない。人口が多すぎるせいだ。

 人口潮汐波が銀河南腕から押し寄せると、建物の位相がわずかに傾く。

 ところが職員たちは毎朝、波打つ天井の下で普通にコーヒーを飲んでいる。

 慣れとは恐ろしい。


 僕は新人として今日からこの部署に配属された。

 正式名称は「恒河沙人口潮汐・重力補正室」。

 恒河沙とは十の五十二乗。つまり宇宙全体で五十三桁の人間が暮らしている。


 その人口がぞろぞろと移動すると、銀河系の重力曲面がぐにゃっと歪む。

 宇宙の物理法則が、ただの群衆の動きでうっすら悲鳴をあげる。

 僕の辞令書には「勤務内容:人口潮汐による銀河構造の崩壊防止」と書かれていた。

 いや、どうやって?


 出勤すると、先輩職員がモニターを叩いていた。

「まただよ。今朝の人口潮汐、予報より二割増しだってさ」

「二割ってそんなに影響あるんですか?」

「おまえ、新人か? 二割増えたら銀河腕がひと曲がりするんだよ」


 ひと曲がり……?

 銀河腕は、曲げるものではなく、回転の結果で形作られるものだと思っていた。

 だが人口潮汐は世界を変える。

 群衆が同じ方向に流れると、重力ポテンシャルが偏り、銀河腕がほんの少しだけくるんと回る。

 そのほんの少しが大惨事につながる。


「新人くん、今日の資料だよ」

 先輩が渡してきた端末には、《人口流入報告:本日銀河西部で観光イベント》と書かれていた。

「え、イベントだけで銀河が曲がるんですか?」

「たくさんの人間が同時に移動したら、そりゃ曲がるよ。しかも今日のイベント、テーマが“全員で温泉に入ろう”。星系十六個で同時開催だ」


 星系十六個で温泉……?

 銀河規模で温泉文化を推してくる理由は何だろう。湯量はどうしている? まさか星を煮て湯をつくっているのか。

 疑問を抱える僕を無視して、対策室の端末がけたたましく鳴り始めた。


《警告:人口潮汐波、銀河中心方向へ加速。重力分布に異常発生》

《警告:ブラックホールSgr A*、わずかに後退》


 ブラックホールが後退?

 また先輩を見た。

「落ち着け新人。ブラックホールが、ちょっとだけ嫌がってるだけだ」

「嫌がるって何ですか」

「人口が多いほうが重いからな。潮汐が押し寄せると、ブラックホールでも気圧されるんだよ」

「ブラックホールって押されるんですか!」

「押されるんだよ。今日の銀河は人間が強い」


 対策室の中央には“銀河丸見えホロ”と呼ばれる巨大ホログラム装置が置かれている。名前はふざけているが、機能は本物だ。

 僕たちは急いで銀河潮汐模型を起動する。

 机の上のホログラムに、銀河系がぐにゃりと描画される。

 その形は、美しい螺旋というより、どこから見ても押し寿司だった。人口の波がひとつの腕に集まり、銀河が横に伸びている。


「こりゃひどいな」

「いつもの五倍くらいひどい」

「今日の銀河、縦に三パー、横に十二パー伸びてるぞ」

「もういっそ四角い銀河にしたらどうです?」


 笑えるような、笑えないような会話が淡々と進む。

 まるで小学校の折り紙の時間のような軽さで、銀河が押され、引かれ、ふにゃっと曲がっていく。


 対策室の室長がやって来た。額に宇宙規模のクマがある。

「おはよう。今日の銀河はどんな感じだ?」

「押されてます」

「またか。観光客が多すぎるせいだな」

「温泉イベントです」

「温泉か。そりゃ仕方ない」


 仕方ないのか……?

 人口潮汐で銀河が明らかに変形しているのに、この部署は全員が朝のニュース番組程度のテンションで仕事を進めている。

 だが今日はいつもと違うアラームが鳴った。


《重大警告:人口津波、銀河中心部を直撃予測》

《対策室は緊急対応レベル2に移行》


 室長がコーヒーをこぼした。

「……人口津波だと?」

「人口津波って何ですか室長!」

「名前の通りだ。人口が集中しすぎて波になる。星系五百を包み込みながら押し寄せてくる。重力が狂う。軌道は乱れる。太陽系くらいなら軽く沈む」

「沈むって何ですか」

「沈むんだよ。物理が諦めるんだよ」


 物理が諦める……。

 これが人口五十三桁の文明の現実なのか。


 僕は画面を見た。

 人口津波の進行方向が銀河中心へ向かっている。そこにはブラックホールSgr A*がある。

「これぶつかったら、どうなりますか?」

「ブラックホールが押し返される」

「ブラックホールってそんな弱いんですか?」

「人間は数が多い方が強いんだよ」


 この部署の常識は、たぶん宇宙の常識とは違う。


 そして人口津波の波形の中に、僕は気になるものを見つけた。

 波の端が、妙に整っている。まるで意図的に並んでいるみたいに。


「室長、これ、自然現象じゃない気がします。人口の動きが揃ってます」

「揃う?」

「ええ……まるで、一つの意思みたいに」


 その瞬間、銀河潮汐模型がぐわっと揺れた。

 銀河そのものが、僕たちの机の上でかすかにきしんだように見えた。


 人口津波の速度が跳ね上がった。

 理論上ありえない速度。

 人口の波が、まるで──


 誰かに導かれているように。


 人口津波は、予報を三十秒で追い抜いた。対策室の大型ホロは、もはや銀河の形ではなく、誰かが雑にひねったアルミホイルに見える。

 職員の一人が呟いた。


「……これ、もう銀河じゃなくて、作品だね」

「抽象芸術だよな」

室長だけが真顔だった。「芸術鑑賞してる場合じゃないだろ!」


 人口津波の進路を解析すると、銀河中心のブラックホールSgr A*に一直線。通常、ブラックホールに向かうのは物質だが、今日は人間が向かっている。

「室長、これ衝突したらどうなるんですか」

「どうもならん。ブラックホールのほうが避ける」

「避けるって何ですか」

「嫌なんだよ。飲み込んだら胃もたれするらしい」

「胃もたれの概念、あるんですかブラックホールに」

「知らんが、観測データにそう書いてある」


 そんなバカな、と思うけど、今日の銀河はバカみたいに歪んでいる。物理法則のほうが折れて謝っているような状態だ。


 僕は端末の解析窓を拡大した。人口津波の波形の先端が、妙に整列している。

「これ、やっぱり自然じゃない……」

 室長が近寄る。「整列?」

「見てください。人口の密度溝が生まれてます。誰かが波を誘導してる」

先輩がコーヒーを吹いた。

「誘導? 」

「はい。揃ってます。完全に音楽のリズムみたいに」

「ダンスか?」

「銀河規模のダンスは嫌です」


 人口対策庁のコンピュータが呻くように警告を発した。

《注意:人口津波、共鳴現象発生。銀河中心で人口波が強制的に同期》

「共鳴か……」室長は深くため息をついた。「ついにこの日が来た」

「知ってたんですか!?」

「理論上はな。人口密度が一定域を越えると、銀河全体がひとつの人間っぽい動きを始める。問題は、それが何を望むかだ」


 人口津波は、銀河中心に巨大な渦を作っていた。

 その渦は、明らかに……形になっている。


「室長……渦の形……これ、もしかして……」

「うん。どう見ても手だな」

「ですよね!」

「なんで人の手なんですか!?」

「知らん! 銀河が意思を持つとだいたい手になるんだよ!」

 先輩が叫ぶ。

「法則性がバカみたいだろ室長!!」

「知るか! わたしだって今日初めて知ったよ!」


 人口波の手は、そのままブラックホールを掴もうとしていた。


「掴む気だぞ!? あれブラックホールだぞ!?」

「ちょ、待て! 触るな! 銀河やめろ!」

 室長が端末に向かって叫ぶ。

「銀河! 落ち着け! ブラックホールは友達だ!」

 コンピュータが静かに言う。《警告:銀河、落ち着きません》

「ですよね!!」


 ブラックホールSgr A*は、珍しく後退していた。

 ブラックホールが後退するという事態を、誰が想像しただろうか。

 そして渦の手は、さらに閉じようとしている。


 そこで僕は気づいた。

「……室長。これ、人を集めれば集めるほど強くなるんですよね?」

「ああ。人口潮汐の強さは単純だ。数だ」

「じゃあ逆に、散らせば弱くなる?」

「なる。だが膨大だぞ? どう散らす」

「銀河単位で、逆方向に人口波を起こすんです」

「それを誰がやる」

「……僕です」


 一瞬、室長が固まった。

 先輩が震える声で言った。

「おまえ……正気か?」

「正気じゃないでしょうね。でも、それ以外に方法がない」


 人口潮汐制御端末にアクセスする。

 そこには銀河中の交通路、生活流動データ、移動癖、人口ベクトルなどが網羅されている。

 僕が設定するのは──


《銀河全域・人口分散命令:目的“なんとなく散ってください”》


 先輩が叫んだ。「命令が雑すぎる!」

「これくらいユルいほうが人は動くんです!」

 室長が僕の肩を掴んだ。「新人……いいか、銀河はな……」

「ええ、知ってます。銀河は理由がない動きが一番強い」


 送信ボタンを押した。


 銀河全域に、”なんとなく散ってください”という誰も読まないような曖昧な指示がばら撒かれる。

 だが不思議なことに──


 人口が、動いた。


「あ、散ってる……」

「え、散るのか?」

「散ってる散ってる! どんどん散ってるぞ!」

「なんだこの銀河! バカなのか賢いのかどっちなんだ!」


 人口津波の手が、ゆっくりと力を失い、ほどけていく。

 ブラックホールは後退をやめ、むしろ前に出てきた。

「よかった……落ちついた……」

 室長が胸をなでおろす。「新人。おまえ……銀河を救ったぞ……」

「いや、ただ散ってくださいって言っただけですが……」

「銀河は雑な指示に弱いんだよ」


 静かに、宇宙は元の形を取り戻していく。

 押し寿司だった銀河は、ゆっくりと螺旋に戻った。

 潮汐波は消え、人口渦はほぐれ、重力が安定する。


 コンピュータが告げる。《銀河構造、正常化》

 先輩が言った。

「……終わった、のか?」

 室長が深く頷く。

「終わった。銀河全域が気まぐれを起こしてくれたおかげだ」


 僕はモニターを見た。

 銀河は、何事もなかったようにきらめいていた。

 ただの、静かな螺旋。

 だがその螺旋のどこかで、五十三桁のほんの一部の人間たちが、

 今日も好き勝手な動きで宇宙を揺らしている。


「……室長」

「なんだ」

「明日は……何が起きますか」

「知らん。人口が多すぎて予測不能だ」

 先輩が笑う。

「それでこその人類だろ」


 人口1恒河沙人の世界。

 宇宙最大の問題児で、宇宙最大のエネルギー源。

 そして今日も──


 銀河は、だいたい人間のせいで揺れている。

やはり、4000文字くらいが無難だナ。~(´・ω・`~)

1極人(10⁴⁸人)だけでも銀河の 数億倍 の質量らしい。

困ったもんだね。

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